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「かなしみの子」  作者: 新開水留
48/55

[48]優しい嘘

 

 目の前で双子の姉を殺され、恰幅の良かった玉宮さんの体躯が急激に萎んだようになった。どこに向かって歩けばよいのか分からない様子でふらふらとよろけ、紅さんが浮かんでいた空中に視線を彷徨わせながら、決して血溜まりの出来た地面を見ようとはしなかった。

 たまりかねた様子で辺見先輩が玉宮さんの背中に抱き着いた。辺見先輩は玉宮さんを行かせまいとしたのだ。玉宮さんは無意識に紅さんを求めて歩を進める。だがもちろん、どこを探しても紅さんの姿はない。

「おのれ、外道」

 唇の端から血を流して三神さんが臍を噛む。憎しみもある。しかし、指一本動かせなかった己の弱さに対する腹立たしさもあった。

 秋月さんは咽び泣くめいちゃんを抱きしめたまま、顔を伏せて動かない。一度ならず二度までも、目の前で人が死に往くのを止められなかった。思いがけない母との再会に喜んだだのも束の間、残酷極まりない喪失を再び突きつけられた。紅さんの温もりによって戻って来られた彼女の心は、またもや根本からボキリと折れてしまったのだ。

「三神の娘」

 玉宮さんが言った。「お前、今度は姉さんをどこに飛ばしてくれたんだい?」

 玉宮さんの言葉に、悪魔の高笑いがより一層の昂りを見せた。

 辺見先輩は現実と向き合えなくなった玉宮さんの身体に取りつき、止めようとした。玉宮さんにその気がなくとも、彼女の言葉は幻子を深く傷つけてしまう。だが玉宮さんはうすく微笑んだ顔を幻子に向け、期待のこもった顔で返事を待っている。すでに、姉を殺した黒井七永の存在など忘れてしまったかのようだった。

「え? またイタリアかい? それとも、村かい?」

「玉宮さんッ」

 辺見先輩が泣いて止める。

「…すみません」

 幻子が小声で詫びた瞬間、

「謝るんじゃない!」

 玉宮さんが叫んだ。「お前言ったじゃないか。三人で悪魔を倒すんだ。そのためには私ら姉妹の力がどうしても必要だ。私らが揃えば絶対になんとかなる、そう言ったじゃないか!何を謝ることがある。さあ、もう一度姉さんを呼べ!そしたらまた二人で特大の封印を重ね掛けしてやるとも。ああ、もうこの際ここで力尽きたってかまわない。もともとあんたに拾われた命なんだ。ここで終わってもいい。だけど…だけど死ぬ時は私ら姉妹は一緒だ!一人じゃなんにもできないんだよ!今更!…今更私ひとりでどうしろってんだ!」

「じゃあ死になよ」

 黒井の一言で、玉宮さんの身体が宙に浮かび上がった。高さ二メートル程で上昇は止んだものの、背中に辺見先輩がしがみついたままだった。

「辺見先輩!」

 叫ぶ僕の声が効いたのか、

「いかん」

 三神さんが数珠を握った腕を振り上げ、呼応して二神さんが柏手を打った。だが、そんな希代の霊能力者二人の構えを我が目で見て尚、僕は希望を抱く事が出来なかった。ほんの欠片程もだ。

 これは完全に負け戦だ。いや、初めから勝てる要素などなかったのだ。幻子がどこまで夢に見ていたのか分からない。しかし彼女は確かに、勝てないと僕に訴えかけていたではないか。

「何が、最後の希望だよ」

 何一つ出来やしないじゃないか。

 呟いた僕の目の前で、二神さんの顔面から血の華が咲いた。一種の呪い返しだろう。かつてしもつげむらで坂東さんが同じことをされた。二神さんの目が放った強力な呪力が、黒井によってそのまま跳ね返されたのである。二神さんは大の字になってひっくり返り、六つの目を潰された彼の顔はもはや原型を留めていなかった。

 涙に滲んだ視界の端で、三神さんの右腕が千切れ飛んだ。握った数珠が弾けてバラバラと落ちた。

 反射的に、幻子が三神さんの腕を取り戻そうと両手を伸ばして飛び上がったのが見えた。それは健気で、十八歳の少女の無防備な跳躍だった。一瞬、僕は幻子と目が合った気がする。

 何かを言おうとして、彼女の口が開いた。

 その瞬間、幻子の上半身と下半身が真っ二つに裂けた。勢い余って上半身だけが一回転し、聞いたことのない音を立てて芝の上に落ちた。

「ゲンコッ!」

 右肩を押さえて三神さんが叫ぶ。

「よいよーい」

 黒井が玉宮さんの掛け声を真似た。

 空に向かって掲げた左手を、ぎゅっと握る。

 玉宮さんが自分にしがみついた辺見先輩の両腕を無理やり引き離した。

「いやッ!」

 ゆっくりと落下する辺見先輩のすぐ真上で、玉宮さんの身体が大きな球体に変化した。それは拳の中で握り込まれたように外側からの圧力を受け、一瞬で真っ赤に染まった。芝の上にドサリと落ちた辺見先輩に玉宮さんの血と体液が降り注ぎ、先輩は僕の方をそーっと振り返って照れたように苦笑した。

 僕は地獄を見たことは一度もないが、ここが地獄なんだと思った。



 文乃さんが黒井に組み付いた。

 恍惚とした笑みを浮かべる黒井の衣服の首周りを両手で握った時には既に、文乃さんの髪の毛は夜空に向かって逆立っていた。光を失った憤怒漲るその目は、僕の知る文乃さんの目ではなかった。

「ちょっとー、無理したら駄目だってー」

 黒井はあくまで日常会話の口振りでさらりと言ってのけ、「勿体ないなあ」と口を尖らせた。

 僕の目から見て、彼女は何かをされたようには見えなかった。しかし文乃さんは突如弾かれ後方へひっくり返り、そしてそのまま起き上がらなかった。次の瞬間、

「な、なんと…」

 三神さんがそう声を漏らした。一体この奇跡を、なんと表現していいのか分からない…。そう言いたげな表情を浮かべる彼を見やった僕の視界でも、やはりその奇跡は現実に起きていた。まるで夢だ。幻覚だ。あるいは時間が巻き戻ったかのようだ。


 二神さん、紅さん、玉宮さん、そして幻子の四人が、無傷の身体で芝原に立っているのである。

 そしてその四人ともが、何故自分が生きてそこに立っているのか理解出来ない、そんな顔をしていた。


 辺見先輩が頭から被った大量の血はそのまま彼女を深紅に染めており、玉宮さんや幻子の裂けた衣服はそのままだ。時間は巻き戻ってなどいない。だが、三神さんの千切れた腕さえも、元通りくっ付いていた。

「なにが起きたんだ、一体何が。…ふ、ふみ」

 仰向けに倒れた文乃さんを助け起こすべく、僕はバランスを崩しながら彼女に駆け寄った。すぐ側に黒井がいることなどおかまいなしだった。

「文乃、さ」

 僕がそこに見た物は、深く傷つき赤黒い血で汚されたトルソーだった。それは文乃さんとは似ても似つかない、もはや単なる肉の塊と呼ぶべきものに思えた。顔がひしゃげて誰なのか、そもそも男か女かも分からない。右腕がなく、胴体が上下に断裂されているせいで余計と胴体マネキンを連想させた。残された腕や足もぐしゃぐしゃに折れ曲がり、元来小柄な身体が人体を感じさせないまでに小さく潰れていた。

「な」

 なんだこれは。

 これは…え?

「なんだよこれ…」

「っはは!」

 笑いう黒井を睨みつけ、

「お前がやったのか?」

 と聞く。

「…私が? 何を?」

「こ、これ、は、一体」

 不思議と僕は泣く事も叫ぶこともできなかった。長い芝生に沈み込むその身体は、傷つき小さくなりながらもヒクヒクと僅かに動いていた。それは、まだ、生きているのだ。

「なんでそんな顔するの」

 そう言ったのは、黒井である。

 僕はゆっくりと顔を上げて少女を見据える。彼女が何を言っているのかさっぱり理解出来なかったが、耳を傾けねばならないと思った。そんな使命感だけが僕をその場に踏み止まらせている。

「あんたたち皆、こいつの力が分かっててさんざん好き勝手に遊んで来たじゃないか。私見てたからね。それなのになんで今更そんな顔するのよ」

「こいつ?」

 問いかける僕に、黒井が視線を真下に向けた。「文乃」

「何を言ってる?」

「姉って言ってもこの年になるともう、上も下もあってないようなものなんだ」

「そんな事聞いてないだろ」

「知らなかったなんて言わないでよね。無自覚ほど残酷なものってないんだから」

「何を言ってるんだ。文乃さんに、文乃さんは、ふみ、ふみ」

「あはは、パニック!」

「彼女はどこだ」

「はあっ?」

「彼女に一体なにをしたんだッ!」

 僕は再度足元の肉塊を見下ろした。どう見ても、これが文乃さんだとは思えなかった。しかし憎しみのこもった目で黒井の前に立ち、彼女の衣服を掴んでいたのは紛れもなく文乃さんだったはずだ。両手を広げてドサリと仰向けに倒れ込むまで、攻撃を受けたようには見えなかった。そう、ただ仰向けに倒れ込んだようにしか見えなかったのだ。

「本当に知らないんだ」

 黒井は目を見開いて僕を見つめ、そして周囲に茫然と立ち尽くす面々の顔を眺めた。やがて黒井は足元を見下ろすと、「…馬鹿?」と言って首を傾けた。

「秋月さん!文乃さんはまだ生きて…ッ」

 そう叫んで振り返った僕の目の前に、黒井が立っていた。

「ねえ、どんな気分だった?」

 と少女は問う。「無自覚なまま救われた命に有難みなんてあるの?」

「救われた、命?」

 聞き返す僕に次いで、

「ワシらの命を繋ぎ止めたのがお嬢だと言いたいのか?」

 そう、三神さんが訊いた。「お嬢の力というのは、もしや…」

 

 

 脳裏をかすめる映像があった。

 それは僕たちが初めて顔を揃えた、あの忌まわしい事件での話だ。『物凄く臭いナニカ』に襲われた僕たちを救ってくれた直後、文乃さん本人の口から自身の持つ力についてこう聞いた。

『私の特異体質は、どうやら体に負荷がかかるみたいです。日常生活で使う事はまずないので問題ありませんが、こうして何か咄嗟に大きな力を使うと、体のどこかが機能を失ってしまうこともあるようで…』

 おかげで僕が彼女と出会った時点で、文乃さんは片眼の視力を失っていた。

 諸刃の剣である、という認識を持った。

 周囲の大気を操るという超自然的な力はシンプルでありながら強大無比であり、使い方によってはどんな困難をも打開できる大いなる可能性を秘めた力だと言えた。かつてチョウジの坂東さんは、日本全土に散らばる霊能力者たちが形成するヒエラルキーの頂点にいるのが、西荻文乃であると教えてくれた。はじめのうちは違和感こそあったものの、付き合いを重ねて行くうち文乃さんの力は確かに偉大なのだと思うようになっていった。

 だが、それは幻想だったのだ。



 文乃さんの、優しい噓だったのだ。

 

 

 

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