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「かなしみの子」  作者: 新開水留
38/55

[38]怪光線


 新開、さん…。

 幻子の声に、名を呼ばれて振り返った。

 自らの上に父である三神さんを乗せたまま、夜空に向かって右手を掲げていた。

 僕は急いで駆け寄り、彼女の手を握った。「幻子!」

 血の気が失せた幻子の顔は皮肉なほど血にまみれ、生きているのが不思議なくらい彼女の手は冷たかった。

「新開さん、耳を」

 幻子は僕を見ず、虚ろな目で夜空を見上げたまま、小さな声でそう言った。僕が言われた通り、彼女の口元に耳を寄せると、思いのほかはっきりとした声でこう囁いた。


 私はまだ約束を果たしていません。…チャンスはあります。


「チャンス? どういう意味だ…。幻子、それはどういう」

 ゴボゴボゴボ、と音が鳴り、泡状の血が幻子の口腔にせり上がって来た。僕は慌てて彼女の顔を横に向け喉に詰まらぬよう吐き出させる。そして耳元に口を寄せ、「僕はどうしたらいい? なんでも言ってくれ」と小声で問いかけた。

 幻子はこう言った。

「決して心を、折られないでください」



 我地にありて天変を正す七権と化す…。

 パアアンと柏手の音が響き、僕とギョッとなって振り返った。僕の真下に倒れている三神さんが、まさかの復活を遂げたのかと思ったのだ。

 そこにいたのは二神さんだった。しかし先程までしわがれていた声は、今は張りのある呪い師のものへと変わっていた。大きく開いた両足の膝を曲げて合唱する凛とした姿は、やはり三神さんを思わせる。が、本来は逆である。

 二神七権あっての、三神三歳なのだ。

 ブーン、と振動するような音が聞こえ、僕たちの周囲の空気が張り詰めた。

 天正堂階位・第二の称号を持つ、呪い師たちの頂点に君臨する男である。有事に際し万全を期して迎え打つ為、世捨て人のように外部との接触を断ってきた。その男が今、重い腰を上げて姿を現したのだ。そこから先は、僕が考える必要もない。

『三神さん、ついに、二神さんが動いてくださいましたよ』

 僕はそう心の中で語り掛けるも、やはり、嬉しさなど微塵にもなかった。

 二神さんの判断することだ。その決められた有事の線引きを僕が問うた所で、意味はない。しかし少なくとも僕にとって、彼の登場は……遅すぎたのだ。

 至る所に、大切な友の身体が無造作に投げ出されている。死んでいるのか、生きているのか、もはやそれすら分からない。救急車を呼べばいいのか? 神出鬼没のドメニコを殺せばいいのか? しかしどうやって? そんなことが、この僕に可能なのか?そして、本当にそのつもりがあるのか…?

『三神さん。僕は一体どうすれば…』

 とそこへ、

「ワシの孫とそこな捻じれた娘をもう少し近くに連れて来い」

 と、二神さんが僕に命じた。僕は言われた通りにめいちゃんの方へ踵を返すと、三神さんたちの側にしゃがみ込んでいた文乃さんも同じく立ち上がり、柊木さんのもとへと向かった。

「お前は動くな。触るなと言ったぞ」

 二神さんの声が飛び、ぎくりとして文乃さんは立ち止まる。

 僕は横目にその様子を見ながら、敢えてなにも言わずに従った。麓の村でもそうだった。天正堂に携わる人間は誰もが、三神さんを除いて皆、文乃さんを毛嫌いするかのように敵視していた。このような緊急事態においても感情が優先されるほど、『黒井家の末裔』という業は両者の間に深み溝を刻んでいるということなのだろうか。

 僕はどこか腑に落ちない思いを抱えながらめいちゃんを文乃さんに預け、そして柊木さんの身体を三神さんと幻子の真横に寝かせた。その時だ。

「ほおぉ」

 感嘆の声が聞こえた。見やると、二神さんの口から出た白い吐息が回転しながら空へ登って行く所だった。何がおかしいのか、二神さんは口端を捻り上げて微笑み、周囲の変化を観察している。

 見つめる僕の息も白くなり、何度目かの襲来の予兆に呼吸が浅くなるのを感じた。


 ひぃぃぃぃぃさぁぁぁぁしぃぃぃぃなぁぁぁぁぁ…。


 ぞっとするような声だった。

 悪魔じみたという例えはよく聞くが、まさしくそこにいるのは悪魔であるとしか、思えなかった。

 しかも、こともあろうにその声は、秋月のさんの側に蹲る彼女から聞こえてくるのだ。

「辺見先輩…」

 男女問わず、おそらく僕の通う大学で一番の人気者なんじゃないだろうか。朗らかで人当たりが良く、社交的で、誰にでも優しい僕の自慢の先輩だ。

 かつて彼女は、秋月さんから霊媒体質であることを指摘されていた。霊体に憑りつかれやすいのである。しかし今辺見先輩の中にいるのは霊体や、おそらく悪霊などでもない。ドメニコという人の皮を被った、その悪魔の正体に違いないのだ。

「醜悪な…」

 辺見先輩に背を向けたまま、二神さんはそう言った。

 見てもいないのに何故分かるのだろうか。確かに辺見先輩の顔は青黒く腫れあがり、見開いた両目には黒目がなく全体が黄色く濁っていた。鼻があった場所にはまるで削がれたように黒い瘡蓋(かさぶた)だけがあり、唇は耳元まで裂けていた。その裂けた唇は何故か左側だけが糸で縫い付けてあり、開いた口は歪な形をしている。肩で切りそろえられた髪型だけが辺見先輩のままであり、その対比が異常性を増して見せた。

「振り返る気もせんわ。腐れ外道」

 吐き捨てる二神さんの言葉に反応したか、辺見先輩の中にいる何かが叫び声を上げた。それは一人二人の声ではない。何十人かが一斉に叫んだような、地獄の亡者を連想させる声だった。

 途端、突風が巻き起こり、辺見先輩の背後から二神さんに向かって激しく吹き付けた。

 二神さんは一瞬グラリ体制を崩したものの、やがて踏ん張りながらゆっくりと辺見先輩の方へ振り返った。その瞬間、ピタリと風が止んだ。

 僕は見た。

 二神さんの巻いたハチマキに描かれた四つの目玉が、動いたのだ。それはもはや落書きでも絵でもなかった。紛うことなき、人間の目であった。

 辺見先輩が四つん這いになり、二神さんと一定の距離を保ちながら四足歩行で移動し始めた。

「辺見さん」

 震える手で、文乃さんが口元を抑えた。

「その娘を放せ」

 と二神さんが低い声で告げる。

 辺見先輩は気性の荒い猿のように何度も同じ場所を行ったり来たりしながら、出方を窺っている。

「何度も言わせるな」

 二神さんの言葉に、先輩は右手で片目を覆い、「キハハハッ」と高い声で笑った。 

「日本語が分からぬのか?」


 分かるさッ!


 またも多重に響いて聞こえる声で、先輩は叫んだ。

 歯を剥き出し、口角からは涎が垂れた。黒目のない黄色い眼が嬉しそうにグニャグニャと歪んだ。

「…いやあ、懐かしい目だ。懐かしい匂いだ。懐かしい声だ、そう思ってね」

 言いながら、辺見先輩はぐるぐるとその場で回転した。

「ワシはお前なんぞ知らんな。そんな戯言を聞く耳などもたぬわ」

 二神さんはにべもなくそう突き放すと、腰を落とし、右の拳を額にこつんと当てた。

 

 あの仕草は…まさか…。


 二神さんの巻いたハチマキに並んだ四つの目が、それぞれめちゃくちゃな動きで眼球をぐるぐると回し始めた!

「この世の全てを睨み通す四つの目に晒されて消え失せろッ!」

 その呪法におそらく名前などない。呪文の詠唱も切っ掛けも必要ない。

 二神さんが腰を落して力をこめた瞬間、ピタリと同じ方向を見揃えた四つの目が、同時に四本の熱線を撃ったのである!

「先輩!」

 思わず僕は叫んだ。

 たった一本の熱線ですら二神邸の一部を破壊するほど強力なのだ。それが四本まとめて先輩目掛けて飛んだとあれば、彼女の身体は跡形もなく溶け落ちたかと思われた。

 しかし、


「あ…れ…?」


 辺見先輩はその場でへたり込み、自分の両手を何度も裏返して無事であることを確かめた。

 彼女は生きている。それどころか、傷一つ負ってなどいなかった。

「辺見さんの体内に巣食ったドメニコ本体だけを引き剥がしたようですね。さすがです」

 興奮気味に文乃さんがそう言うと、

「ふん」

 と二神さんは鼻を鳴らした。

「あ、…あんた何なんださっきから!」

 思わず食ってかかる僕の腕を取って、文乃さんが止めに入る。

「ふいいいーーー」

 辺見先輩が大きくため息を付き、「生きた心地がしなかった」と言って苦笑を浮かべた。

「あぁ?」

 と二神さんが呆れた声を出した。

 本来ならため息一つで済む話ではないと思う。目の前で三神さんと幻子が崩れ落ち、そして坂東さんまでもが倒れた。更には僅かな時間とはいえ、その身の内にドメニコが入ったのだ。気が狂ってもなんらおかしくはない事態のはずである。それなのに、辺見先輩と来たら…。

「あー、でもちょっと、腰が抜けたかもしんない」

 と、わずかに焦りの浮かんだ表情で先輩は言い、僕は頷いて彼女を助け起こすべく歩み寄った。 

 その瞬間、辺見先輩の身体は地面の下へと引き摺り込まれ、




 …消えた。





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