[23]先生
深夜の国道を、僕と三神さんを乗せた車がひた走る。
都会を離れて山間部の広い道に出る頃には、対向車や、僕たちの前後にも他の車は見えなくなった。
ハンドルを握り締めて暗闇を睨み付ける三神さんは、逸る気持ちをアクセルペダルに乗せた。
僕は助手席でひっきりなしに電話をかけ、「出ろ、出ろ」と何度も幻子に念を送った。しかし呼び出し音こそ鳴るものの、幻子が電話に出ることはなかった。
途中三神さんの指示で、秋月六花さんにも連絡を入れた。幻子や柊木さんに何かがあった場合、彼女の能力はこの上ない助けとなる。もちろん、辺見先輩の顔も浮かんだ。しかし僕は、彼女にはどうしても文乃さんの側にいて欲しかったのだ。
不意に、
「ワシがあの子を引き取った時の話を、人から聞いたことはあるかね?」
と、視線を前に向けたまま三神さんが聞いた。
「いや…なかったと思います。天正堂へ預けられたというお話は、三神さんから直接、何度か」
「うむ。実は、そのことでもあの子にはいらぬ気苦労をかけておるんだ」
「…幻子がですか? あなたの娘になれたのに?」
「買い被るんじゃない。真面目な話だ」
「僕はいつだって真面目ですけど、何故幻子が苦労するんです?」
三神さんはチラリと僕を見、
「昨晩会って、お前さん、柊木青葉という女性をどう思ったかね」
そう尋ねた。
どうと言われても、困る。昨日、初めてお会いしたばかりのだ。
「お綺麗で、お若くて」
その笑顔は癒しの効果が抜群だと思った。しかし言ってみれば、そんな上辺の印象しか残っていないのである。
「あれでな、ワシとそう年は変わらん」
「え?」
「少なくとも、四十はとうに超えておる」
「はっ」
変な声が出た。
「…は、あ、びっくりするぐらいお若く、その、保たれていると、いいますか」
「家系だろうな。あの人の少し垂れた目元なんかも、若く見られる由縁ではあろうが、そもそも柊木の家系は皆驚くほど若い」
「それって、二神さんということですよね。柊木さんのお父様とか、お爺様である天正堂階位・第二の、二神七権さんとか」
「うむ」
「昨日は、お会い出来なくて残念でしたね。だけど考えてみると、三神さんて本当、生粋、という感じがしますよね。なんというか、天正堂として生きる、その他に道はないのだ。そういうイメージです。あ、馬鹿になんかしてませんよ」
「いやいや、よい。実際その通りなんだ。ワシにはこの生き方しか出来ん」
「ご結婚されていたことも驚きでしたけど、そのお相手さえも天正堂当代の孫、なんですものね」
「ああ。だが結果的には別れてしまったんだ。今更どの面下げて口を利いてよいか、分からん部分もある」
「そういうものなんですか。分かりませんね、僕にはまだ」
「お前さんが気が付いたかどうかは分からんが、幻子は、やはり今でもあの柊木さんには苦手意識があるようでな」
「…あー」
「感じたかね」
「それがどういう感情なのかと言われると上手く表現できませんが、少なくとも、三神さんを見つめる柊木さんの目と、幻子を見る目には温度差があったと言いますか。冷たくはないんだけど、少し、距離が遠いような。ああ、でも結果的にはそれが、冷たいっていうことになるのかなあ」
「あははは。いやはや、お前さんもなかなか、きついなあ」
「え、すみません。そういうつもりでは」
「うむ。まあ、そこなんだよ」
「…そこ?」
「幻子と出会った時、ワシはすでに柊木さんを嫁に貰っていたんだ。幻子は本来、一時的に天正堂で預かり、力のコントロールを身に付けさせて親元へ返す、そういう話だったんだがね。時間の経過とともにあの子の力はより強く発現するようになり、特に遠視と呼んでいる所謂千里眼に関しては、これまでに類を見ないほどの精度を誇った」
三神さんは前方の闇夜に目を凝らしたまま、話を続けた。
僕もなんとなく彼の横顔を見つめ続けるのが辛くなって、フロントガラスの先に視線を泳がせた。
「引き取ってはもらえまいかと、あの子の両親から相談を受けたのもワシだ。まだ、六歳だった。あの子はほとんど不自由なく大人と会話が出来るほどの神童で、団体としては正直、喉から手が出る程欲しい逸材であることに違いはなかった。だがワシは、反対した」
三神さんはそこで言葉を切り、束の間、沈黙が訪れた。
僕は話の続きを促す気にはなれず、ただ黙って外を見ていた。
「今じゃあ、ワシなんぞよりも背が高い。しかし当時のあの子は、本当に身体が小さかったんだよ。例えどれだけ流暢に話が出来ようが、未来が見えようが、六歳の子供なんだ。まだ六年間しか生きていないんだ。ワシはなんとかして親元へ返してやりたかったが、そんなもの、無理強いした所で事が上手く回るわけでもない。半年、一年と預かる期限を延ばすうち、やがてあの子の両親は団体へ姿を見せなくなった」
「…ひどい」
「幻子が呪いを打った相手には両親の兄弟もいてねえ。憎しみと愛情、そのどちらの思いもあったのだろうと理解できん事もないが、こればっかりはなんとも言えんな。ワシの立場から言うべきことでもない」
「幻子は、自分の両親に対しては、なんと?」
「何も言わんよ。あの子が人を悪く言うことはない」
僕は俯いて、ぐっと奥歯を噛んだ。
「ワシの娘になるかと聞いた時も、幻子は黙って一生懸命考えていた。自分の親のこと、その時はまだよく知らなかった柊木さんの事。今、嘆いても仕方のないことではある。しかし結果的にワシは、柊木さんとの子を成す前に別れることを決めたのだ。あの人はあの人で、悪し様にワシや幻子を罵ることをしなかった。だがかえってその優しさが、幻子の心にも、柊木さん自身の心にも、影を落としていることは間違いない。きっと今なら幻子は、ワシの誘いを断るのだろうなぁ。だがその時は、生きて行かねばならない事をあの子自身が一番理解していたし、その為には、首を縦に振るしかなったのだ」
「違うと思います。幻子はきっと嬉しかったと思います」
「馬鹿を云うな」
ぴしゃりと打たれたように、三神さんの声に僕の気持ちは抑え込まれた。
「実の親に捨てられて何が嬉しい」
「そういう、意味では」
「ワシは泣きわめいて欲しかったんだ。泣いて暴れて、どうしても行きたくない、お父さんお母さんと一緒にいたい、どこへも行きたくなんかないんだと、そう叫んでほしかった。本当は、そうでなくてはいかんのだ。そうだろう?」
ハンドルを握る三神さんの手が、真っ白く張りつめていた。
「あの子はただ黙って、ワシを見ながら頷いた。だがあれから今日という日まで、幻子はワシを先生と呼び、父と呼んだことは一度もない。それでいい、だが…」
決して、望んだ人生なんかじゃない。
それが、幻子の唯一の抵抗だったのかもしれない。
僕が彼女の立場なら、死ぬまで三神さんに対する感謝を忘れないだろうし、望まれれば父と呼んだかもしれない。しかし三神さんはそんな事を望む人ではない。
もし僕が幻子と同じ立場にいたなら、果たして僕は自らの意志でお父さんと呼んでいただろうか?
携帯が震え、見れば相手は坂東さんからだった。慌てて着信ボタンを押す。
坂東さんの用件がなんであれ、僕は僕で、幻子と柊木さんの安否確認に関して力添えを乞うつもりで口を開いた。だがそんな僕よりも一瞬早く、坂東さんはこう口火を切った。
「新開、聞いて驚くなよ」
「ば…へ?」
「DNA鑑定の結果が出た。旧結核病院で見つかった死体だがな。…だ…」
「…は」
坂東さんの言葉に息を呑んだ。しかしそれは、衝撃的な内容であったことよりもまず、僕の理解できる範疇を飛び越えてしまった事が原因だった。
「あれは、大貫深香の死体じゃなかったんだ」
深香ちゃんじゃない? どういう意味だ。
旧結核病院に一斉捜査が入った日、そこにいたはずの大貫深香ちゃんは発見されなかった。
一週間も経ってから腐敗の進行した遺体が発見され、それが深香ちゃんであると伝えてきたのは坂東さんじゃなかったのか? 辺見先輩からはそう聞いている。
「現場で押収されたポロシャツから採取したDNAと、大貫深香の兄が提出した深香の私物からとったDNAは確かに一致する。だがな新開。肝心の遺体とは一致しないんだよ。それだけじゃないぞ」
僕の様子がおかしいことに、三神さんが気が付いた。
僕は携帯電を握り締めたまま真っ直ぐに前を向いている。
フロントガラス越しに、夜の国道がしっかりと見えていたはずだ。
しかし僕の意識は完全に、坂東さんに引っ張られていた。
「聞いてるか、新開。あの死体から採取したDNAが、一体誰と一致したと思う」
…黒井七永だよ。
確かに僕は、坂東さんからその名前を聞いた。
だが次の瞬間、僕と三神さんの命を乗せた鉄製の箱は、猛スピードで疾走したままいきなり横転した。




