[22]おさなご
僕の住むマンションの屋上から、幻子の姿が忽然と消えた。
すぐさま三神さんへ連絡を取り、今しがた彼女から聞いた話を全て伝えた。伝えてよいかどうかなど、考える余裕もなかった。三神さんにまで内緒にしていたという、ドメニコと交わした約束がどれほど重大な出来事であるのかは、無言で僕の話を聞いていた三神さんの息遣いに現れていた。
そして、幻子の千里眼を持ってしても現状を窺い知る事の出来ない、柊木青葉さんの安否も気がかりだった。昨夜お会いしたばかりだ。今思えばあの時、玄関の扉をゆっくりと閉じた彼女の目には、何かしらの思いが浮かんではいなかっただろうか…。
三神さんはこれから自分も二神邸と向かうと言い、僕も同様の意志を伝えた。
三神さんから、聞いた話だ。
彼と、娘である幻子の出会いは、彼女がまだ五歳の頃、今から十三年前まで遡る。
当時まだ未就学児だった幻子だが、すでに何不自由なく大人と会話することができたそうだ。子供らしい独特な口調や、用いる語彙の選択に破綻などは一切なく、意思疎通に関してはそこいらの大学生よりも巧みであったという。
ただ、五歳の時点ですでに予知夢を見ていた。
当然、無邪気なまま自分の見た夢を両親や保育園の先生に話して聞かせる。だがその話す内容が、誰にも通じない。言葉が通じないのであれば、大人も笑ってすますことができる。しかし言葉遣いはしっかりとしているのに、言っている意味が全く理解出来なかった。
それもそのはずだ。まだ、現実に起きていないことを幻子は話し続けるのである。
「あの子は自分を可愛がっていた、近所のお年寄りが川に転落して死ぬ場面を、夢で見てしまった。その日は朝から泣いて、おじいちゃんが死んだ、おじいちゃんが死んだと喚き散らした。縁起でもないと親はあの子の口を塞ぐが、しかしてその夢は現実となる。そんな事が、毎日毎日、繰り返されるようになった」
幻子は毎晩、予知夢を見ているそうだ。
毎晩である。
夜毎未来を覗き見るというのは、一体どれほどの恐怖が付きまとうのだろう。
想像するだに恐ろしく、僕にはそれが、悪夢にしか感じられない。
「一般的には予知夢と言っても、色々ある。ただ単に明日を見るだけのこともあれば、そら、以前リベラメンテ事件でも経験したように、本来自分とは一見無関係に思える場面を見ることだってある。あの子の場合、その始まりが近しい人間の死だったこともあって、両親を含め周囲の人間が、ひどく気味悪がってしまった。いつ、何を言い出すか分からない子供の無邪気さと、外れることのない未来予知は、そらあ、怖かっただろうというのは分かるんだがねえ」
段々と、両親と幻子の間に溝ができ始めた。だがそれだけならあるいはご両親も、幻子を天正堂へ預ける事はなかったかもしれない。いつかは止むであろう子供の妄想だと、信じ込むことが出来たかもしれない。
「が、決定打ともいうべき事件が起きた。当時、具体的な情報がどこまで周囲に漏れていたのかは知らんが、やがてあの子を忌避的な目で見る人間が出て来た。怖いのは分かる。だったら関わるのをやめればいい。所が、相手は年端もいかん子供だ。よってたかって排除してしまえば怖さを感じずにすむ、とまあ、こういう流れなのだろうな」
その頃には周囲の人間、両親だけでなく親戚、そして近隣住人なども、幻子がほぼ思い通りに言葉を操り、人と意思疎通が取れることをはっきりと認識していた。つまり、彼女のいる場所で、そのまま彼女の耳に入るよう排斥の言葉を浴びせたというのである。
「今でもあの子は他人を悪く言う人間を心底毛嫌いする。まあ、人は大抵そうなんだが、その度合いというものは、推して知るべし、だな。例えばそれが鬼や悪魔といった抽象的な罵倒なら、まだ良かった。だがそれらがエスカレートし、やがては幻子の存在自体を疎ましく言う輩も出て来た。死ねだの、消えろだの、いらないなどと、そういった暴言の類いだな。そして、その時は来た。…新開の、ワシがお前さんらに初めて会うた、例のリベラメンテの事件において、幻子のことをワシが何と紹介したかを、覚えているかね」
神の子、そう言ったはずだ。
しかし三神さんはその後、確か…。
「ワシは、こう言ったはずだ。『あの子は人を呪える』、とな」
三神さんの言う決定打とはつまり、自らの存在を疎ましく思うばかりか、排除の意志を直接ぶつけて来る周囲の大人たちに対し、幻子が呪いをかけた、ということであるらしかった。
「本来、ワシや幻子が職務を全うする際に行使する『呪い』というものは、これすなわち『まじない』であり、機能と効果を意味する(※新開水留著、『呪道考察』参照)。力任せに霊力をぶつけてダーンと相手をぶっ倒す様を呪いだなどと呼ぶことはせん。決して素人には扱えぬ高等技術だ。だが、あの子は五歳にして誰がどう見ても呪いとしか言えぬ力でもって、周囲の大人たちを次々と狂わせていった」
呪言、という言い回しがある。
特定の相手にひとたび「死ね」と発すれば、やがてはその相手が死に至る。おそらくそれが、一般的に認知された「呪い」の典型の一つと言えるだろう。
「殺したわけではない。ただ、幻子が呪言を浴びせた相手は全部で四人。それら全員がまともに日常生活を送ることが出来なくなった。ある者は口がきけぬ程に精神を病み、ある者は耳が聞こえなくなった。…もちろんそれらに、カラクリはある。あの子が千里眼を用いて遠視が可能である事、そして予知夢を見る事を考慮すれば、無限の手段をワシなら思いつく。が、考えても見よ。あの子はまだ、たったの五歳だったのだ」




