ep82.家族の風景
9/25 日向と先生の会話文を少しだけ見直しました。
話の展開に変更はありません。
「はい、これ。 がんばってね、おね~ちゃん」
ベッド脇によけてあったテーブルをわざわざベッドの上まで引っ張り出し、持ってきた荷物をドサっと置いて……にやけながら春奈が言う。
ボクの目の前にはたくさんのノート、それにテスト用紙の束がうず高く積まれてる。ボクはそれを前に、思わず割烹着姿の春奈を仰ぎ見て、恐る恐る聞く。
「は、春奈? こ、これって……やっぱ」
「うん、そう! ご想像通り……お姉ちゃんが出られなかった授業のノートや宿題、それにテスト。前にもちょっと渡してたけどお姉ちゃん……どんどん具合悪くなっちゃって、それどこじゃなくなったでしょ?」
春奈がちょっとさみしげな表情を見せながら、そう言う。
「あ、う、うん。 そうだね……そうなんだけど……何も今持ってこなくたってぇ」
「何言ってるんだか? お姉ちゃん、いっつもメールで暇だ暇だって送ってくるじゃん? これ、いい暇つぶしになるんじゃないか?って思って、重いの無理して運んできたんだよ?」
春奈がさっきまでの悲しげな表情から一転、久しぶりに見せるイジワルな表情でボクにそう言う。
「ううっ、た、確かにそうなんだけどぉ……何も今お勉強しなくたってさっ」
ボクはなんとか抵抗を試みてみるけど、
「お姉ちゃん? お姉ちゃんはどれだけ学校休んだかわかってますかぁ? 授業どれだけ遅れちゃってるか自覚ありますかぁ?」
春奈のやつ、口元に手を添えながらボクの耳元に向け、ささやくようにそんなことを言ってきた。
「はぅ……そ、それを言われると……。で、でも、そんなの仕方ないじゃん。ボクだって休みたくって休んだわけじゃないんだもん!」
ボクはほっぺを膨らませ、春奈にちょっといじけ気味に言ってやった。
「ううっ。……っと、だめだめ、お姉ちゃん! そんなこと言って逃げてもだめなんだからね? 可哀想だとは思うけど……こればっかりは私、譲る気ないんだからね?」
はうっ、春奈。いつもならボクがああやって言えば、ひるんで追及やめてくれるのに……はぁ、仕方ない。でも、このままじゃシャクだし、意趣返しにこう言ってやる。
「もう、春奈のいじめっ子ぉ。わ、わかったよ、やるよ、やりますよぉ~だ! でもさ、ボク1人じゃ、たぶんわかんないとこいっぱい出てくると思うんだ? だから……もちろん春奈、教えてくれるよね?」
「はぃ~? お、お姉ちゃん。私にそれを振る? そんなの私に出来るわけないじゃん? 一学期までとはいえ、学年20位以内のお姉ちゃんに教える頭持ってないもーん!」
春奈ったら、そんなコト自慢して言うことじゃないよ……まったく。
「もう春奈ぁ、そんなかわいい声だして言ったってダメだよ。何さそれ? 授業ちゃんと出てる春奈がそんなこと言ってちゃ、ダメダメじゃんかぁ」
「えへへっ、だって……授業中ってさ、ちょー眠いんだよ? とてもまともに授業聞いてらんないんだもん」
そう言って舌をペロっと出す春奈。
ボクはいろんな意味で呆れてモノも言えない気分。いくら部活の朝錬で疲れてるとはいえ……そんなことでいいの? 春奈!
それにしても……春奈とこうやって、またバカなお話し出来るようになるだなんて……ほんとうれしい。
ほんの少し前まで、ボク死んじゃうんじゃないかって……ビクビクしてたのに。
それに春奈がこうやってボクに勉強させようとしてるのだって、ボクが留年しやしないかって心配して……春奈なりに気を使ってくれてるってのもよくわかる。
――ボクの体調は、生着が確認されてからというもの尻上がりに良くなって来てる。
最初の内、ボクを悩ませたGVHDの症状も移植から3週間以上がたち、ちょっと落ち着いてきた気がする。
ボクの中で一番の懸案事項だった、腕や足にいっぱい出来てた発疹もいくぶんひいてきて、ようやく人前に出るのがいやじゃなくなってきたし……。(発疹はほんといやだった。誰にも会いたくないくらいにはホントいやだった)
日々の血液検査でもどんどん白血球が増えてくるし、最近は血小板や赤血球の数値も上がって来てる。この調子でいけば、近いうちに点滴はしなくてよくなるって村井先生が言ってた。
白血球を増やすお薬の投与は少し前にすでに終わってるし、何より篠原の免疫を抑制する治験薬……も投与しなくてよくなるらしくって、通常の免疫抑制剤の飲み薬を内服するだけでよくなるんだって。
輸血や点滴しなくて良くなって、ずっと手の甲に埋め込まれたままの針が無くなったら……どんなにうれしいだろ! だいたい、なにげに痛いんだよね、針。
でも、なんだか退院が見えてきたような気がするよ。実際、村井先生もそんなことちらっと言ってたし。まぁ、まだ可能性ってだけで、はっきり言ってくれなかったけど……。
そんなだから春奈は急にボクに勉強させなきゃって思ってくれたんだろうって思うけどね。ほんと極端なんだから――。
でも……ありがとね、春奈。
* * * * * *
「ねぇねぇお母さん! 今日学校行ってきたんでしょ? どうだったの?」
春奈が蒼空のお見舞いに行った次の週、とうとう蒼空は点滴をしなくてもいいほど……それは順調に回復に向っていた。
この調子でいけば近いうちに仮退院すら可能となるかもしれないらしく、それで実際に蒼空が外での生活に問題がないか確認をするということらしい。
日向はそうなると長期欠席している蒼空の復学をそろそろ考えておかねばならず、その件について学校に相談に行っていたのだった。
春奈はその結果を部活から帰って来るなり早速、日向に問いかけてきたのだった。
「もう春奈ったら、帰ってくるなり……。後でちゃんとお話ししてあげるから、一度着替えてさっぱりしてらっしゃい!」
「えぇ~、私、別にこのままでもいいのに~」
春奈が面倒くさがってそんなことを言う。
「春奈!」
日向がひとにらみしつつ、鋭く言う。
「はわっ、は、は~い。わっかりましたよ~だ」
最初ちょっとビクっとしつつ、でもすぐ立ち直り、「いーっ」と顔を微妙にゆがめて見せ、晩秋といえど汗に濡れたジャージを着替えるため、自室へと向う春奈なのだった。
日向はそんな春奈を見て軽くため息をついたものの、明るい……明るくなった春奈の変化に喜びを感じて仕方ない。
蒼空が入院し、ぽっかり穴が開いてしまったかのようなわが家で、いつも蒼空が座ったり居眠りしていたソファーや、食卓での席を……悲しい顔をして見ている春奈に気付くと、胸が締め付けられる思いをしていたのだから。
蒼空と2人……ほんといつもケンカばかりしてた姉妹だけど……家族の結びつきはどんな家にだって負けはしない。そう考えると目に涙が浮かんできそうになり……慌ててそんな考えを振り払おうと、軽く頭を振る。
そんな……ずっと沈みがちだった春奈。
にもかかわらずきちんと部活は続け、きっちりやることはやっていた春奈。(まぁ勉強は相変わらずのようだけど)
そんなけなげな春奈を見ていると、ほんとかわいらしくて仕方がない。そして今、蒼空が快方に向かい、それにしたがって春奈も今までの様子がウソのように明るい表情を見せる。
これに喜びを感じずに、いつ感じろって言うのだろう?
日向は、その顔に今度はうっすら笑顔を浮かべていて……、はたから見ればいったい何をしているのか? と、訝しがられそうな様子を見せているのであった。
# # #
「じゃあ、お姉ちゃん、なんとか留年しなくて済みそうなんだっ!」
春奈がそれはもう満面の笑みを浮かべて日向に言う。日向は、そんなことを言う気の早い春奈に、ちょっと釘を刺しながら言う。
「春奈ったら、まだ決まったわけじゃないんだから……そんなこと蒼空に言っちゃダメよ?」
「うん! 分かってるって。まだ退院もしたわけじゃないのに決め付けられないもんね」
春奈は微笑みを浮かべそう言いつつも、もう蒼空が退院するってことに確信を持っていた。
――先日会った時のお姉ちゃんは、これまでにないすっごく元気な姿を見せてくれた。
長い闘病生活でずいぶん痩せちゃったとはいえ、顔色だってちょっと前と比べると格段に良くなっていたし……それになにより、私とのお話しが……以前の、入院する前のような、明るくて、それでもってかわいい反応を示す、ちょっぴりいじめ甲斐のある……そんなお姉ちゃんに戻ってた。あんなに元気になってるんだもん、退院出来ないなんてこと考えられないよ!
でも、問題は体力だよねぇ……。
お姉ちゃん、あれ、外をちゃんと歩けるようになるの、まただいぶかかっちゃうよねぇ? でも……引きずってでも学校へ連れてって、意地でも一緒に進級させちゃうんだから! ふふっ、お姉ちゃんには覚悟しといてもらわなきゃね――。
春奈はそんな風に気の早いことこの上ないことを考え、1人ほくそ笑む。
日向はそんな春奈を見て、かわいいと思いはするのだが、ちょっと呆れてしまう。
そして春奈に今しがた説明した、学校での話し……狐につままれたような出来事をまた思い起す――。
「蒼空さんは、合唱部の合宿中に病気がわかって……それ以来入院されているということですが、学校の欠席期間としては、2学期当初からとなりますもんで……現在50日少々休んでいますな。一応学校の規則としては年間の1/3を欠席すると留年ということになりますんで、それに当てはめるとあと30日弱ほどで留年ということになってしまいますなぁ」
職員室の隣りにある小会議室で日向にそう語っているのは、清徳で4年生の学年主任をしている木村である。木村は歳は50代も半ばになろうとしている中肉中背で、頭頂が少し寂しくなってきている男の先生だった。
木村先生のその言葉に表情を強張らせる日向。しかしそんな日向をよそに、木村は尚も続けて語る。
「しかも彼女の場合、普段から休みがちでしたんで実際には残り20日と少々くらいだと思われますな。……とは言っても病気による長欠ですし、入学当初より体が弱い旨、了承した上で受け入れたわけですから、学校としても杓子定規に即留年とはしませんのでな、ご安心いただきたい」
「は、はぁ。それはお気遣いいただきありがとうございます」
日向はそう答えると共に、木村先生の言葉に緊張していた気持ちが多少やわらいだ気がした。
「それで、蒼空さんはいつごろ学校に出られそうな見込みですかな?」
木村が早速、本題を切り出してくる。
「はい、担当の先生の話では……今の調子で回復していけば、12月の最初の週くらいには退院出来るかもしれないと……そうおっしゃられています。ただ、退院したあとしばらく自宅で療養させて……少し落ち着かせたいと考えてますので……学校に実際登校するのは12月の半ば過ぎになってしまうかと思うのですが――、いかがでしょう?」
日向は退院の時期、そして自分の考えを含ませつつ、木村先生にそう問う。
「うーん、なるほど。……12月の半ばですか。 うーん」
少し難しい顔をして考え込む学年主任の木村。それを不安そうな顔で見つめる日向。
「うん、分かりました。それではこうするとしますかな。正直なところ12月半ばまで登校が伸びると本来ならば……留年なんですが、先ほども言ったように事情が事情ですもんで……。蒼空さんには補習を受けてもらうこととしますかな。その後、小テストを受けてもらって、及第点が取れたなら問題なく進級。……取れなかった場合は……まぁ、その時また考えますかなぁ」
そう言うや、学年主任の先生らしからぬ……ちょっといたずらっぽい表情をにやりと浮かべ、日向を見る木村。
正直、こんなおっさんにそんな顔をされても……と、げんなりする日向であるが、なんともあいまいな結論を口に出され、とまどうしかない。
これでは結局、小テストの結果を問わず、なんとか進級させてもらえるのではないか? そう期待せずにはおれない……そんな言い回しにしか聞こえない。
「あ、あの。本当にそれでよろしいのですか? もちろん、蒼空にはしっかり勉強をさせ、補習にも出させて……きっちりテストでいい点をとるようにはいい含めますが」
まじめな日向は、やはりそう聞き返さずにはいられない。いったい何を考えているのだろう? この先生は。
「はは、やはり気にかかりますか? うん、仕方ない、白状しますかな」
そう言ってニヤっと笑った木村は、戸惑う日向を気にすることなく話し続ける。
「実は蒼空さんについては、12月中に学校に登校出来るようなら無条件で進級させてもいいと……上のほうから、そうお達しが出ているんですわ、正直な話。……だからさっき言った補習と小テストというのはですな、他の生徒や、その保護者へのポーズといいますか、うー……まぁ、要はちゃんとルールに則って留年せずに進級したんだってことを、示すためにやってもらうわけなんですわ」
そう言って、最後に高笑いする木村。
日向はそれを聞いて、呆れてものも言えない……とはこのことか? と思わざるをえなかった。木村先生も臆面も無くそんなコトがよく言えたものだと……ほんとのほんとに呆れてしまう。
そして日向は、意地でも小テストに受かるよう、蒼空にはきびしく言ってきかせよう! と心に誓う。
上の方からのお達しというのが、何ともあの会社の影響を感じさせ……日向はそれの力から少しでも逃れようと……多少大人気ないのかもしれないが……そう考えてしまうことを押さえることは出来ないのである――。
日向は今思い出してもげんなりしてしまう学年主任の姿に、眉をひそめる。もちろん春奈には裏の話しまでは聞かせていない。そんな話、子供に聞かせるようなものでもない。
「はぁ、ほんと今日はなんだか疲れたわ……」
思わずそんな言葉が口からこぼれる。そして、それを春奈がきっちり聞きつける。
「お母さん、大丈夫? 無理してない? ……お母さん、ずっとお姉ちゃんの面倒みて、お仕事もして……ほんと大変だもんね。体、大事にしてね」
春奈が日向の体調を気にして、なんともうれしいことを言う。ただ、その中に自分のことを入れないのが、いかにも春奈らしい……と、ちょっとにやけながら思う日向である。
「あら春奈、お母さんのこと心配してくれてるの? ありがと! その言葉だけでお母さん、元気百倍だわ」
日向はそう言って春奈の頭を優しく撫でる。その表情はほんと優しく、暖かくて、これもきっと蒼空が快方に向っているからだこそ……なのだろう。
そして春奈は撫でられて気持ちよさげな表情を見せつつも、そんな日向の言葉に……お母さん、元気百倍って―― と、そんなセリフをのたまう母親にちょっぴり幻滅してしまうのだった。
それにしても、蒼空の退院すらまだちゃんと決まったわけでもないのに、なんとも気の早い……日向と春奈なのであった。