ep80.情愛、そして……
最近のボクは骨髄移植前の前処置っていうやつのため、全ての血球の数が減らされた状態になってる。
おかげでまた無菌室に逆戻りで、寂しい日々を送ってる。 ……でもこれで完治するかもしれないってことなら、寂しいのだってガマンできちゃうよ。
投与されてるのはなんかまだ正式には認可されていない、治験薬なんだそうで、体力なくってあまりキツイお薬や放射線治療に耐えられないであろうボクのため、そのお薬の点滴投与になったみたい。 (っていうか、体力のない高齢者の人や内臓とかが弱っている人のためってのが本来らしい……ボクお年寄りの人とおんなじ扱いだなんて……ショックだよ)
そのお薬は、血を造れなくなるよう悪さしてる細胞をある程度除去する効果があるみたいで、これをすることで移植後のGVHD(移植した幹細胞が自身の臓器を攻撃し始める合併症)をかなり抑制することが出来るんだって。 ただGVHDが全部無くなっちゃうのはそれは、それで問題らしくって、お薬の投与量の調整ってかなり難しいみたい。
投与された当初、ボクはすごい高熱が出て、しかもそれが長く続いたからほんと大変だった。 もうろうとした意識の中ガマンして過ごし、お薬の点滴が終わりようやく解熱剤を打ってもらい、お熱が下がったときにはほっとした……。 まぁ、それ以降は再び熱が出ることはなく、順調に前処置は進んでいったんだと思う。
そして、そんな風にボクの治療が免疫抑制療法から骨髄移植へと方針転換されたのは、伯母さんがお見舞いに来てくれたあの日のことだった――――。
伯母さんたちと別れ病室に戻り、途中きごちなくなってしまった春奈との空気もようやく普通に戻り、春奈がここ最近のガッコでの出来事とかをお話ししてくれてた。 それに亜由美ちゃんや優衣ちゃんたちが一度お見舞いに来たがってるってことも。
そういや、寄せ書きはもらったけどここに来たことはなかったんだっけ?
でも……正直、今はあんまし会いたくないかも……。
だって、最近のボクって髪はバサバサだし、顔色だって相当悪くて、しかも痩せちゃってるし……それにお肌だって……。
なんだか恥ずかしい……春奈は全然大丈夫だって言うけど。 こんな姿、いくら親しい友だちだからって見られたくない。 でも、でも、会えたらやっぱ、うれしい……けど。
そんな感じで、久しぶりに春奈とゆっくりお話ししてたらお母さんが戻ってきた。 伯母さんはちーちゃんと、先にお家のほうへ戻ったみたい。 今夜はお家に泊まって、明日帰るんだそうで……春奈、お家へ帰ってから大変かも?
お母さんの表情はずいぶん落ち込んでるように見えて、さっきまで伯母さんが来てうれしそうにしていた表情は、見る影もない。
「お母さん、大丈夫? 具合……悪くない?」
ボクは思わずそう口に出す。 春奈もボクの言葉に相槌を打ってる。
「ああ、蒼空、春奈……ごめんね。 大丈夫、なんともないわ。 それより――」
お母さんを心配そうに見るボクたちに、優しくそう答え、さらに何か言おうとして……でも言いよどんでる。
そして、その表情をちょっと硬くしてボクを見る。
ボクはお母さんのそんな様子に思わずカラダが強張っちゃう。 ……なんかこの先、聞きたくない……。
でもそんなボクの気持ちにお構いなく、お母さんの口から出されたその言葉……。
「蒼空。 あなたにとても大事なお話しがあるの。 蒼空にとってはあまり聞きたくないお話かも知れない。 でもしっかり聞いて……落ち着いて理解して欲しいの。 ……春奈も一緒に聞いてなさい? ただし途中で口を挟んじゃだめよ。 わかった?」
お母さんはそう言いいつつ、最後は春奈にクギをさす。 春奈はちょっとぶすっとした顔をしてるけど、特に口答えもせず、おとなしく聞くつもりみたい。
ボクたちに話してくれたのは、ボクの病気の……新しい治療についてのことだった。
お母さんは、それはとてもゆっくりと……ボクの表情や気持ちを見逃さないとばかりに、真剣な面持ちでもって……聞かせてくれた――。
最初、ボクは自分の聞き間違いかと思った。
でもそれは聞き間違いでもなんでもなく……。
ボクのカラダをこんなにして!
ボクの家族を悲しませて!
なにより、お父さんを……。
大好きだった……お父さんを奪った……!
シノハラ……セイヤク。
お母さんの口から聞かされたのは、そんな『篠原製薬』から提案された治療法……。
ボクは思わず口から出そうになった感情的な言葉……。
それを口にする寸前。
ノドまで出かかったその言葉。 それを口に出すのも二の次になってしまった。
だって……。
お話を聞かせてくれたお母さんの顔。
ボクに話すのもつらいはずの、そのお話をしてくれた……お母さんのそのお顔。
ボクを前にして必死に笑顔を見せようとしてるのに、……でもそれがどうしてもかなわない……。
そんなお母さんのお顔は、ボクが見たこともないような悲しみの表情につつまれて、その目は涙を必死でこらえようとしているのが痛いほどによくわかった。
……ボク、そして春奈を1人でずっと守ってきてくれたお母さん。
たまに怒ると怖いけど、でも、いつも優しい笑顔を絶やさないでいてくれるお母さん。
ボクがどんなにつらくって、苦しかったときでもその笑顔を見ると、とたんに安心できる……優しい笑顔がとっても似合うお母さん。
お母さんは、ボクみたいに泣いて済ませるってわけにはいかないんだ。
ボクたちには弱みを見せることなく、いつも気丈に振舞って……ボクたちを安心させてくれてたんだもん。
そんなお母さんの……今にも泣いてしまいそうな……つらそうなお母さんのお顔を見てしまったら――。
自分勝手な、感情に任せた言葉なんて……とても口に出せない……。
だから。
ボク、そして春奈に……いっぱい、いっぱい愛情を注いでくれるお母さんに唯一、今のボクがお返しできること。
篠原に頼るなんて、お母さんだってホントはいやでいやでたまらないはずなのに……。 それでもボクのために、こうやってつらい気持ちをガマンしてお話ししてくれてる、お母さんに……ボクが出来ること。
それは……。
「わかった。 ボク、その治療受ける。 受けて、ぜったい元気になる……!」
ボクのその言葉にお母さんが目を見開く。
そしてボクは続けて言う。
「元気になって、お家に帰るんだもん。 また3人一緒に、ごはん食べて……お買い物行って……それにボクのわがままま、いっぱい聞いてもらわなきゃいけないんだもん!」
ボクはそこまで言って、お母さんに向けて今出来る精一杯の微笑を……作って見せた。
お母さんは、目を見開いたまま何か言おうとし、そしてその手をボクに伸ばし撫でようとしてくれて……でもためらって手を戻す。
無菌室は出たといってもまだまだ感染しやすい状態なのは一緒。 ボクを大事に思ってくれてるお母さんは、だから撫でることも思うようにできないんだ……。
ボクはそんなお母さんに、体はとてもだるいけど……それでもなんとか両手を伸ばし、抱きしめてくれるよう懇願するような表情をして見せる。
そのせいでお熱が出たってかまわない。
ボクはお母さんに撫でてもらいたい。 抱きしめてもらいたいんだもん!
「お母さん! お願い……」
「蒼空……。 ああ、蒼空。 ごめんね、またつらい思いさせてしまって……」
必死に手を伸ばし、すがるようにそう言ったボクに、お母さんはとうとう耐えられなくなったんだと思う……。
ボクはすごく久しぶりにお母さんの優しくて暖かい、その胸に抱いてもらえた。
お母さんの心臓の鼓動が、トクントクンって聞こえてくる。 そして胸に抱かれたボクのアタマを優しく撫でてくれる……。
「お母さん……大好き!」
ボクは思わずそう言ってしまった。 ちょっと恥ずかしいけど、でも、ほんとの気持ちだもん。
「蒼空ったら……もう困った子。 先生に見られたら叱られちゃうわ? ふふっ、しかたない、お母さんと一緒に叱られちゃおう。 ねっ」
「うんっ!」
ボク、今度は心からの笑みを自分の顔に浮かべることが出来てると思う。
そしてお母さんもさっきまでの……泣きそうな表情は影を潜め、優しそうな、笑顔に満ちたその顔を見せてくれていた。
そして、その横で1人置いてけぼりで、立ち尽くしてる春奈がたまらず言う。
「もう、2人で盛り上がっちゃってさ。 ……どーせ私なんか、居ても居なくてもおんなじなんでしょうよ~だっ!」
あ~あ、すねちゃった。
ごめんね春奈。 でも今は、今だけは許してね。
「あらあら春奈、すねちゃって。 しようのない子ね。 蒼空も春奈も同じように大事な娘なんだから……もう、辺にすねたりしないで。 ほらっ」
お母さんはそう言って春奈を手招きし、近づいてきた春奈のアタマをこれも優しくなでてあげている。 ボクたち2人して小さな子供に戻ったみたいだよ、もう高校生なのにさ……えへへっ。
ボクたち親子は久しぶりに……さっきまでの緊張感がうそのように……なんとも甘い時間を過ごした……。
こうしてボクは『篠原製薬』がIPS細胞ってやつから造りした造血幹細胞を使った骨髄移植を受けることになったのだった――――。
* * * * * *
移植前処置を始めて2週間、いよいよ骨髄移植を受ける日を明日に控えた今日。
くしくもこの日はボクの17回目の誕生日だった。
でも……せっかくの誕生日だけど、無菌室では何もすることも出来ず、大好きな苺ショートすら食べることは出来ない。 今のボクのカラダでは、生ものとか乳製品とか食べると感染症の危険があるからって、ケーキを食べるなんてもっての他なんだって。
ほんと……がっかり。
それどころか、ボクは入院してからこっち、火を通したものしか食べられず、ひどく寂しい食生活を送ってる。 ……まぁどうせ食欲なんて全然ないんだけど。
まぁそれはともかく、お母さんや春奈、ちーちゃん……それにもうとっくに帰ってて、すでに居ない伯母さんからまで、お誕生日のプレゼントをもらっちゃった!
今は残念ながら見せてもらうだけで済まされちゃったけど……退院してからのお楽しみに取っておくんだ。 ふふっ、楽しみだなぁ……。
あと、入院してから2ヶ月半以上が過ぎ、ずっとベットでの生活だったボクのカラダは……、筋力はもうガタ落ちになってしまい、今では杖どころか車イスなしでは歩くのもつらい状態になってきてしまった。
明日、移植が無事終わってからも当分は退院なんて出来ないだろうから……まじ車イス生活に逆戻りになるの、間違いなさそう……。
あんなにリハビリがんばって、ようやく普通に歩けるようになったのに……ほんとのほんとに、がっかりだ……。
明日を待つのみになった骨髄移植は、村井先生から聞いたところによると、ミニ移植って方法で行なうらしい。
普通の骨髄移植は、移植前に骨髄の中の悪さをする細胞を破壊しちゃってから、新しい造血幹細胞を移植するんだそうだ。 そしてその細胞を破壊するのに全身に放射線を浴びたり、抗がん剤をいっぱい投与したりするみたいで、それにはすっごい副作用があるんだって。
だけど、その治療はボクのよわっちいカラダでは耐えられない可能性があるってことで、ミニ移植って方法を取るみたい。
しかも今回は篠原で開発中だっていう治験薬を使って、"骨髄非破壊的な前処置"っていうのを試し、もっと言えば、移植される造血幹細胞だってIPS細胞てやつから造ったもので……ボクはまだまだ認可されてない治療法の治験って段階での治療を受けるってことらしい。
でも、聞けば副作用はすごい吐き気や、全身の毛が全部抜けちゃったりとか……ほんとに大変なんだそうで、その治療を受けないで済むボクは、ちょっとホッとしたりもしてる。
ボク、この長い髪が抜けてしまうなんてこと……考えるだけで怖くなっちゃう。 始めのうちはジャマだと思ってた髪だったけど……今となっては切るなんてありえないんだから。
とは言え、今点滴されてるお薬だってどんな副作用が他に出てくるか? なんて、まだまだ分かんないんだから、安心していいわけでもないんだろうけど……。
ボクはそんなことを思いながら、おさげにして胸の前に垂らしてる、今は痛んでしまい艶のあまりない白い髪を、大事にいたわるように撫でる。
誕生日を祝ってもらったあと、誰もいなくなった無菌室。
ボクは、ベッドからカラダを起こして座りながら、ただただそんな風にずーっと物思いにふけっていた……。
* * * * * *
「今回行なうミニ移植に使う造血幹細胞は、事前にご説明させてもらったとおり、蒼空ちゃんの細胞から造られたものではなく、春奈ちゃんの細胞から造ったものになります」
骨髄移植当日、村井先生が移植実施の前に最後の確認もかねて説明をしてくれている。
ちなみに移植はボクの入ってる無菌室で、そのまま行なうんだって。
骨髄移植なんて大変そうな言葉とは裏腹に、やることといえば、造血幹細胞を鎖骨付近の静脈より点滴注入するだけで、移植手術っていうより輸血みたいなもので、手術するわけじゃないんだって。 なんかちょっと拍子抜けだ……。
ボクがいらないこと考えてる間にも、村井先生の説明が続いてる。
「本来なら骨髄破壊的前処置、要は放射線と抗がん剤によって骨髄の細胞を全て死滅させてから、本人の造血幹細胞を移植するほうが、GVHDの心配もなく、しかも完全に健康な細胞ですから再発の可能性もまずないわけです」
そう言うとボクや、お母さんの顔を見て理解したかどうか確認する村井先生。
ごめんなさい。 ちゃんと聞いてませんでした。
でも……どっちみち、あんましわかんないです……。
そんなボクの考えなんか分かるはずもなく、また話しを始める村井先生。
「しかし残念ながら、蒼空ちゃんの場合、体力的なことからその治療はあきらめざるを得ません。 したがってミニ移植の出番となるわけです。 ミニ移植の場合、放射線治療や抗がん剤は最低限にし治療するわけですが、今回の場合、それすら全く行なわず、篠原製薬の治験薬で対処するわけです。 それにより、ある程度の悪性細胞は減少、あるいはその活動を抑制されます。 が、放射線と抗がん剤処置と違い、ゼロにはなってないわけです。 ですからいくら健康な細胞を移植したところで、間違いなく再発することでしょう」
ボクはもう、ちんぷんかんぷんだ。
再発するのが分かってるのに移植しちゃうの? どういうこと? ボクはこれで聞くのは2度目だけどまだよくわかんない。
「そこでそれを防ぐために、移植する細胞を春奈ちゃんの造血幹細胞にするわけです。 当然、蒼空ちゃん本人の細胞と違って、この場合はGVHDが多少なりとも引き起こされることになります。 本来なら予防すべきGVHDですが、その自分自身を攻撃してしまうという特性を逆手にとるのがこの治療の狙いとなります。 ……移植する細胞と蒼空ちゃんの細胞が混ざった状態、そこからGVHDによって次第に元々あった造血幹細胞は破壊されていき、最終的には移植した造血幹細胞に入れ替わります。 それと同時に悪い細胞をも死滅させる、GVL効果というものを利用した移植法、それがミニ移植なわけなのです」
村井先生はようやく説明を終えると、お母さんの方を確認するように見る。 お母さんはそれに答え、ゆっくりとうなずき、そしてボクのアタマをほんとに軽く撫でてくれた。
ボクには結局よくわかんなかったけど、ボクはお母さんの言うことなら従うし、もし、もしこの治療が万が一、失敗しちゃったとしても……それを人のせい、お母さんのせいにしようなんて、これっぽっちも思ってない。
最後にやるって決めたのは、誰でもないボク自身。
…………。
そして村井先生の説明のあと……、看護師の恵さんが移植の準備を滞りなく済ませ、骨髄移植はまるでいつもの輸血のように始まり――
骨髄移植にいたるまで、あれほど紆余曲折あったにもかかわらず。
点滴だけあって時間は数時間ほどかかったものの……
拍子抜けするほどあっさりと、骨髄移植は無事、終わりを告げていた――。
ようやくここまで……