ep77.蒼空の孤独な戦い
その日はATG療法のため、今いる病室から無菌室ってとこに移ることから始まった。 ボクは多少微熱が出てたものの、そんなに動くのがつらいってわけでもなかったから、予定通り行なわれるみたい。
その部屋のある階は、他からは隔離されてて、しかも一部の病室は無菌室になってて(ボクが入るのもそこ)、無菌病棟って呼ばれてるんだって。
部屋の入り口は今までの病室と違って、横にスライドするドアでしっかり仕切られてる。 ボクは相変わらず歩けるのに、看護師さんに車イスに乗せられそこまで移動してきたけど、おかげで問題なく病室の中に入れた。
中に入ると、まず透明なビニールのカーテンがあって、その向こうにベッドが置いてある。 そうやってベッドと外をさらに仕切ってるようで、しつこいくらいの厳重さだよ……。
部屋の中には空気清浄器? でつくられた風が流れてて中の空気をキレイにしてくれてる。 そして設備も狭い部屋ながら充実してて、洗面台にトイレ、それに冷蔵庫やTVもあって、ここだけで生活出来ちゃいそう……。
あとシャワースペースまであったのは、かなりうれしかった。
部屋の窓はボクのカラダを気遣ってか、しっかりカーテンが引かれてて外がどうなってるかはわかんなかった。 そういやここ最近、お外に出てないから日焼け止めとかも全然塗ってない……。
そんな中、早速施設のシャワーを使わせてもらって、久しぶりにカラダをきれいに洗う。 お母さんはちょっと渋い顔したけど、なんとかお願いして浴びさせてもらった。 見守られながらだから、恥ずかしかったけど……まぁサッパリできて、ちょっと幸せな気分。
その後、村井先生と一緒にお部屋にやってきた看護師さんが準備を進める中、先生がボク、そしてお母さんに、これから行なう治療について説明をしてくれた。
……ボクの骨髄は血液を造る働きが異常をきたして、血球を造れなくなってきてるんだって。 だから、血液の中の白血球や赤血球、血小板……みんな減少しちゃって、貧血になったり、いろんな病気に感染しやすくなったり、出血しやすくなってきてるそうなんだ……。
ボク、そんなお話し聞いてるだけでちょっとくじけそうになってきちゃう……。
そんな様子に気付いたのか、お母さんがベッドでカラダを起して座ってる、ボクの手に、その手を重ね、安心させようとしてくれる。
お母さんの手は、やさしくて、あったかくて、ボクの心をすっごく落ち着かせてくれる。
うん、がんばらなきゃ!
で、お話しの続きだけど、
免疫抑制療法(ATG)をすることで、血液を造る働きに、悪さしてる細胞の働きを抑制できるみたいで、そうなるとまた新しい血球が作れるようになってくんだって。
そんなすごい、ボクが今から受ける免疫抑制療法っていうのは、ATG(サイモグロブリンっていう名前で、なんかウサギさんで抗体作ってどうのって言ってた)ってお薬を、点滴で一日12時間。
それを5日間も続けてやるらしい……。
他にも治療で減少しちゃう赤血球や血小板の輸血をしたり、白血球を増やすためのお薬を投与したり……ボクの体調に合わせて色々しないといけないみたい。
それに、それとあわせて、免疫抑制剤(CsA:シクロスポリン)っていうのも飲まなきゃいけないみたいで、しかも、そのお薬はこれからずっと、何ヶ月も飲み続けなきゃいけないらしい……。
なんかもう、薬漬け……。
今からはまず、お薬のアレルギー反応を見るために試験投与ってのをやるんだって。 副作用を抑えるためって、さっそく何か点滴打たれてるし。
色々あってもうわけわかんない。
……ボク、大丈夫なのかな?
正直体力なんて全然自信ないから、これからの治療……ちゃんと続けていけるのか心配。
副作用のお話しもいっぱい聞かされたし、それに、お熱は絶対出るからっておどされちゃったし……。
はぅ……憂鬱だなぁ……。
* * * * * *
試験投与の後、食欲なんて全然なかったけど、用意してもらったお昼ごはんをなんとか食べ、1時間ほど様子を見る。
結果、カラダが多少だるくはなったものの、試験投与による発熱とか特に出ることもなく、ボクは続けてATGの本投与を受けることになった。
まあ、やることといったらベッドに寝かされ、ひたすら点滴受けるだけみたいなんだけど……何しろ12時間って長い……。
「それじゃ何かあれば呼び出しボタンを押してくださいね。 些細なことでも自分で大丈夫だなんて判断、絶対しないようにしてくださいね?」
点滴の具合を確認しながら、看護師の飯野さんがそう言ってボクに念を押す。 ちなみに村井先生は点滴開始を見届けると忙しいのか、後を飯野さんにまかせ、そそくさと出て行った。
それにしても……何? その余分な一言。
「ふふっ、蒼空、看護師さんの言う通りよ。 絶対にガマンとかしないようにね? あなた、いつも変にガマンして痛い目にあってるんだから」
そう言いながらボクのアタマを撫でてくれるお母さん。
むぅ~、お、お母さんまで!
「わ、分かってる。 ボクだってちゃんとそれくらいの判断できるもん! もう、みんなボクのこと子供扱いしすぎっ」
ボクは、ほっぺをぷっくり思いっきり膨らませ、もう何度おんなじこと言ったかわからない言葉で、2人に向けて抗議した。(まぁ懲りずに、言われるようなことしちゃってるのも事実なんだけど……)
「はいはい、そうね。 わかったから、あまり動いちゃだめよ、蒼空」
「あはっ、ほんと、かわいい! ねぇ、私も蒼空ちゃんって呼んでいい? いつも香織先輩から聞いてたの! すっごくかわいい、天使のような女の子がいたんだって」
もう、お母さん! 軽く流してくれちゃった。
それにしても、飯野さんったら何言い出すの? っていうか香織さん、後輩の人に何広めてくれちゃてるの~? さっきのも絶対、香織さんから余計なこと聞かされてるに違いないよ~!
思うことはいっぱいあったけど、とりあえずこう答えてしまうボク。
「う、うん。 別にいいけど……」
「まぁ、ありがと~! 私のことも名前で呼んでくれていいんだからね? っと、それじゃ、私は一度詰所に戻るから何かあれば、ほんとにすぐ知らせてね」
飯野さん……恵さんは、そういうと小さく手を振りながら無菌室から出て行った。
先生や恵さんがいなくなり、とたんにさみしくなる無菌室。 そして、その雰囲気を紛らわすかのように聞こえてくるのは、騒々しく鳴り響く空気清浄器の音。
ボクは思わずため息を付く。
ベッドに横たわるボクの右手の甲には点滴の管がつながってる。 それは夜中まで繋がったままなんだ……。
なんとなくそれをじっと見つめてしまってるボク。
そんなボクにお母さんが声をかけてくれる。
「蒼空。 蒼空は1人じゃないんだから。 お母さんや、春奈がいつも一緒についてる。 だから心配しなくていいのよ? それに……お友だちだって応援してくれてるんでしょ?」
お母さんの目線が、ボクのベッドの脇のキャビネットに立てかけてある色紙へと向く。
「うん……そうだね。 そうだよね……」
ボクはお母さんにそう答えながらも、胸の奥から湧き上がる不安感から抜け出せない……。 こればっかりはどうしようもない。 なんか気持ちの浮き沈みが激しいのが自分でもわかる……。 だって……やっぱ怖いよ……。
「蒼空……、不安になるのは仕方ないのかもしれない、でも今は良くなることだけ考えて。 ね? さぁ、眠れそうなら寝ちゃいなさい? お母さんも一度戻って、用事済ませないといけないし」
「えっ、お母さん行っちゃうの?」
「ごめんね、なるべく早く戻ってくるから……」
お母さんはそう言いながらボクのアタマを何度も何度もやさしく撫でてくれる。
「そっか……仕方ないよね……。 わかった。 お母さんも無理しないで、ゆっくりしてきて? ボク1人でも大丈夫。 これでも女子高生なんだもん、安心して用事済ましてきてね」
ボクはお母さんに心配かけないよう、精一杯元気に見えるよう声をかけた。
お母さんもやさしくうなずきながら、
「くれぐれも何かあったらすぐ看護師さんを呼び出しするのよ? 無理しちゃだめだからね?」
「……うん、じゃあ気をつけてね」
ボクは空いてる左手で小さく手を振って、お部屋から出て行くお母さんを見送った。
「……誰もいなくなっちゃった……」
ボクは思わずそうつぶやく。
そして眠ろうと思って目をつむってみる。
「…………」
「……眠れない。 こんなとこで、こんな状況で、そう簡単に眠れないよ……」
6畳もない閉ざされた空間……。
窓もしっかりカーテン引かれててお外も見えないし、しっかりしたドアのせいか、今までの病室と違ってお外もの音もなんにも聞こえない。 おまけにベッドとドアの間にはビニールのカーテンで仕切られてて……なんかボク捕まえられた動物みたい……。
とりあえず春奈に現状報告メールでも送っちゃお。 ボクはそう思いベッド脇のキャビネットに置いてあったケータイをとる。
えっと、無菌室に入ってATG療法はじめたってこととと……、終わるのは夜中になっちゃうって送っとこ。 あ、それに元気にしてるから心配しないでいいよ……と。
ふふっ、そうだ、無菌室入るときはメンドクサイよ~って入れとこ。 手を入念に洗わされて、帽子かぶってマスクもして、それに割烹着みたいなのも着なきゃならないし、靴も備え付けのサンダルに履き替えなきゃ、だし。
ほんと、メンドクサイ……。
ボクここからいつ出れるんだろ……? 入ったばっかでこんなこと考えるの、気、早過ぎかな……。
あぅ、いけない。 1人になっちゃうとどうしても余計なことばっか考えちゃう。
早くメール送っちゃお。 とはいうものの、右手は点滴の針が刺さってるからほとんど使えない。 慣れない左手のみの入力――、あんましケータイ使わないから、春奈みないにはいかないや……。
それでもなんとか春奈にメールを送り、またすることがなくなるボク。
ついなにげにケータイに保存してある写真を見てしまう。
見なきゃよかった――。
昨日の沙希ちゃんたちとの写真。
それに合宿の……あれ? こんなのボク撮ってもらった覚えないのに……ボクが眠ちゃってるとこいっぱい撮られちゃってる?
……もう、これきっと辻先輩だ! バスの中、それに……これは初日のお食事終わったあとの自由時間のときの? ほんと、辻先輩たっら、勝手にぃ……。
そこに写ってるボクのまわりには、楽しそうな顔して集まってくれてる合唱部の友だち。
それにしても、ボクってやっぱ、みんなの中で浮いちゃってる……。 白いし、チビだし……そりゃみんな子供扱い、するよ……。
あっ、エリちゃんも困った顔しながらも一緒に写ってる。 もうエリちゃんったら、止めてよね、先輩の暴走~!
あはっ、そんなの無理だよね。
みんな今頃何してるかな……。 ボク抜けちゃって困ってるかな? それとも……。
ボクはそんな写真みてたら寂しくなるだけだから、もう見るのよそうって……よそうって思うんだけどつい、続けてみてしまう。
ガッコの食堂、みんなでごはん食べてるとき。
春奈の競技会のとき。
亜由美ちゃんや優衣ちゃん、男の子たち……とカラオケ行ったとき。
そして入学式……桜の木を背景に、春奈と沙希ちゃん、3人で一緒に撮った…………。
……もうだめ! まじで見るのよそう……。
そう思ったボクだったけど、ちょっと遅かった……。
ボクの目はもう涙でいっぱいになって今にもこぼれそうなくらいになってしまってた。
無力なボクのカラダ。
悔しい……よ。
またこうやってみんなと過ごせるようになれるかな? こんなの見たら……そう考えずにはいられないよ……。
しばらくどこを見るってわけでもなく、ぼーっとしてしまうボク。
それでもやがて、なぜかずっと持ったままにしてた、ケータイ持つ手が疲れてきて……。
ずっと気が張っててやっぱ疲れも出てきたのか……それともお薬のせい?
シーツの上にぱたりと倒れた手にはケータイを握ったまま……、ボクはようやく眠りの世界へと落ちていった。
* * * * * *
投与開始から4時間近く経った頃、日向はようやく用事を済ませ蒼空の病室である無菌室に戻ってきた。
どんな用件だったかといえば、会社に顔を出したのはもちろんなのだが、ついで家に戻って春奈の機嫌伺いをしていたというのが実際のところだ。
当初、春奈は夏休みだし、今回の治療のときも自分が蒼空の看病をすると言い張っていたのだが、無菌室での治療がどんなものか良く分かっていなかった日向が、まずは要領を得るまで来るのは控えるように……と、引き止めたのだ。
とりあえず5日間の投与が終わるまではお母さんにまかせなさいと、春奈を納得させるのは結構骨であった。
それに蒼空ったら、春奈にメールで治療の報告を送っていたみたいで、それが余計に春奈の気をはやらせてしまったようで、世の中が便利になるのも困ったものね……と、変なところでグチりたくなる日向であった。
無菌室に入る準備を整え、はやる気持ちを抑えつつ蒼空の様子をうかがう日向。
ベッドを覗き込むと、そこには白く長い髪をおさげにして胸の前に出し、血色のよくない顔が体調の悪さを物語ってはいるものの、かわいい顔をして眠っている蒼空の姿。 良く見ると左手には携帯が握られたまま……。
「蒼空ったら、携帯見ながら眠っちゃったのね? しょうがない子。 でも良かった……特に問題とかはないみたいね?」
そう言いながら、携帯をぎゅっと握って離さない蒼空の手から、携帯を抜き取ろうとして、その小さな手に触れた日向の手が止まる。
「熱い……。 熱が出てきてるんだわ」
触った蒼空の手はけっこう熱い。 日向は躊躇せず呼び出しのボタンを押す。
蒼空の様子からして、まだそれほどひどい発熱でもなさそうではあるのだが、初めてづくしの治療である。 日向も気が気ではなかった。
数分と置かず現れた看護師の飯野に蒼空が発熱してるようだと、説明をする日向。
飯野はそれを聞き、蒼空が寝ているのもお構いなしに体温計を脇に差し込む。 手馴れたものであるが、やはりそれで蒼空も目を覚ましてしまったようだ。
「はゎ……お、お母さん?」
寝ぼけた声を上げる蒼空。
「起きた? 蒼空。 ちょっと体温測ってるから動いちゃだめよ?」
「ふぇ? 体温? あれ?」
まだ状況がよく理解できていない蒼空は戸惑いの声を上げるが、意識がハッキリし出すとともに違和感を訴え出す。
「カラダ熱いしダルいぃ、それに、なんか気持ち悪いよぉ……」
「蒼空ちゃん、それは今投与してるお薬の副作用なのよ? つらいかもしれないけどガマンしてね?」
飯野はそう言いながら、測定完了のアラームが鳴った体温計を蒼空の脇から抜き取り体温を確認する。
そうとう動くのがだるくなってきているようで蒼空はもうなすがままの状態だ。
日向はそんな様子をただ見守るしかない。
そしてそこに医師の村井が現れ、飯野は早速、村井に蒼空の症状を告げる。
「うん、熱もまぁ、たいしたことないし……大丈夫。 これはお薬が効いてきてるってことだからね。 もっとひどい副作用が出ることもあるのよ? それを思えばこれならかなり軽いほうだから。 蒼空ちゃん、がんばって」
「う、うん」
蒼空は村井医師の説明に、何か微妙に釈然としないものを感じつつ、素直にうなずくのだった。
そして日向はとりあえず大事ないとわかると安心し、思わず嘆息するのであった。
* * * * * *
夜になって免疫抑制剤(CsA:シクロスポリン)ってのも飲まされたけど、これがなんとも変なニオイでやな感じ。
これをこれから毎日2回飲まなきゃならなみたいで、憂鬱だよ……。
お薬飲んだあとはやたら胸がむかむかしてくるし、点滴のおかげで微熱は続くし、すっごくだるいしで、おかげで食欲なんかも全然わかないし。
でもとりあえず、その後大きな問題が起きることもなく、なんとか初日(といってももう夜の12時まわって翌日になってるんだけど)は済んだのかな……?
明日も朝から採血して今日の結果確認して、それを見て赤血球や血小板の輸血、それに白血球を増やすお薬とかも投与するって話だ。 当然ATG療法も引き続きだから……ボクなんだか点滴と輸血でほんと病人みたいなカッコになっちゃいそうだ。(まあ実際病人なわけだけど)
こんなこと5日も続けなきゃなんないなんて……たまんない。
早く終わって、普通の病室に移って……そしてお外に出たい。
みんなに、お友だちに早く会いたい……よ。
ボクはようやく点滴から開放されて、ついついそんなことを考える。
でも……、ボクのそんな考えをあざ笑うかのように、ボクの右手の甲には点滴の針が残されたまま……。
それはまるでこのまま終わりなんかないって、言ってるような気がして……。
そして無菌室、閉ざされた……自分以外は誰も居ない部屋。
今までの病室なら聞こえてた通路からの騒がしい音も……他の患者さんの色々な声も……何も聞こえない。
なんて孤独なの……。
そんな中、ボクの気持ちは沈んでいくばかりだった。
お話しということもあり、あえてあまりひどい症状や副作用の表現はしないようにしようと考えています。
実際と違う、これくらいで済むはずがない、と感じられる方もみえるかもしれませんが、あしからずご了承いただければと思います。