ep73.葛藤
涙で濡れそぼった瞳でお母さんを見つめるボク。
「お、おかあ……さん。 な、なんで?」
戸惑うボクの顔を何も言わず見つめてくるお母さん。
ボクの顔、目の周りは泣きはらしてきっとひどいことになってるはず。 それに鼻血の跡もまだきれいにしてないし……。
「蒼空……」
ぽつりそう言うと、お母さんは腰をかがめながら手をボクのアタマの方へ伸ばしてくる。 ボクは叱られるかと思い、思わずビクッとして目をつむる。 でもその手はボクを叩いたりすることもなくボクの頬に添えられる。 反対側も同じようにされ、ボクはお母さんの両手で頬を包まれ、そのまま見つめあうように顔を合わされる。
「ほんとに、あなたって子は。 それにこんなに目を腫らしちゃって……」
お母さんはそれだけ言うと、目じりに指をやり、まだ残っていた涙を軽く拭ってくれる。
その横で向井先生が、お母さんに軽く会釈しながら静かに部屋から出て行く。 きっとボクたちに気を使ってくれたんだと思う……、ごめんなさい先生。
お母さんはじっとボクの目を見つめてくる。 ボクはその悲しげな、何か物言いたげな、お母さんの目を見てるといたたまれなくなって……、
「ごめんなさい、お母さん。 ごめんなさい。 ボク……」
そこまで言って、でもそれ以上の言葉が出ないボク。 そして感情が高ぶってきて再び涙が溢れてくる。 お母さんは今度はハンカチを出して涙を拭いつつボクに言う。
「蒼空、もういいから。 もうそんなに自分を責めなくていいから。 ほら、落ち着いて?」
まだ謝ろうと言葉を探してるボクに、お母さんが先手を打ってそう言ってくる。
「で、でもボク、お母さんがあれほど行っちゃダメって……ふぁ」
それでもなお言い続けようとしたら、お母さん、ボクの口に指をシーってやる感じにあてがってきて、その先の言葉を言えないようにしてきた。
ボクはしかたなくその先を口にすることをあきらめ、代わりにまたお母さんの目を見つめる。 お母さんもそれに答えるように見つめ返してくれて、お口を押さえてた手で今度はやさしくアタマを撫でてくれる。 ボクは気持ち良さについ目を細めちゃう。
いつしかさっきまでの気持ちがウソのように落ち着いてくる。 お母さんといるだけでこんなにも落ち着けてしまう。 ほんと不思議……。
ボクが充分落ち着いたってわかったんだろう……、お母さんがお話しを始める。
「蒼空。 もうわかってると思うけど……」
お母さんのその言葉についビクッと反応してしまったボク。 そんなボクを更に落ち着かせるようにアタマを撫でてくれながら、お話しを続けるお母さん。
「今からお母さんと一緒に帰るのよ? いやといってもダメ。 今度ばかりは言うこと聞いてもらうわ。 いいわね?」
お母さんはそう言いきると、ボクの目をまっすぐ見つめてきた。 ボクは思わず目をそらしたくて仕方なかったけど……。
「う、うん。 わかった。 言うこと、聞く……よ」
ボクは告げられた言葉に、素直に従う返事をした。 っていうか、ボクにはその選択肢しかない……。
だって、仮にこのままボクがここに残ったって、先生やみんなに迷惑かけるだけってのは目に見えてるんだもん。
そんなのもう……やだ。
そんなことするくらいなら、帰ったほうがマシなんだ……。
ボク、ボクここに来たの間違いだった。
こんな思いするなら来ないほうが……来ない方が良かった、よ。
ボクはついさっき落ち着いたはずの気分が再び、それもすごい勢いで深く沈んでいってしまうようで、言いようのない不安な気分がもたげて来てしまう。
「蒼空、そんなに思いつめないで。 ほら、もう大丈夫なんだから」
お母さんはボクに更に近寄ると、そのままボクのアタマを胸に抱き寄せ、アタマの後ろを優しく撫でて安心させようとしてくれた。
ボクはその感触を少しでも感じ取ろうと、目をつむり力を抜いてアタマを預ける。
お母さんはそんなボクの気が済むまで、優しくなで続けてくれる。
ごめんなさい、お母さん。 でももう少し、もう少しこのままでいさせて……。
ああ、ボクはほんと力のない、弱っちくて、優柔不断で……、
……家族に心配ばっかかけちゃう。
……バカな子……だ。
* * * * * *
合唱部のみんなが懇親会で楽しんでいる最中、ボクは向井先生、藤村部長……それに、エリちゃんっていう少数の人たちとだけ、お別れの挨拶をかわすためロビーにいる。
ほんとはみんなに声をかけていきたかったけど……せっかく楽しい雰囲気でいるところに水をさしたくなかったし。 みんなには、後で先生たちから伝えてもらうことにした。
逃げるように帰ってしまうのは気が引けちゃうし、ボク自身ほんと残念で仕方ないけど。
お母さんは面倒をかけたオーナーの奥さん、静流さんの方へ行って挨拶してる。
荷物はすでにまとめてお母さんが車に積み込んでくれていて、ボクはTシャツにショートパンツっていうラフなカッコの上に、七分袖のカーディガンを羽織ってこの場にいる。 そしてエリちゃんがふらつき気味のボクのカラダを、心配げに支えてくれてる。
「あ、あの……そのぉ」
ボクはみんなの方を見つつも、どう切り出せばいいかわからず、口ごもってしまう……。
「柚月さん。 そんなに気にしないでいいのよ? それより、しっかりお医者さんで見てもらって早く、また元気な姿を見せてくれればいいんだから、ね?」
向井先生がボクの肩に優しく手を添えながら、そう言ってくれる。 そして続いて部長さんも、声をかけてくれる。
「そうだよ、早く元気になって部に戻ってきてもらわないとね。 柚月さんの声は貴重な戦力なんだから。 それにみんなのモチベーション維持のためにもね?」
ぶ、部長さん。
最後の一言、なんか気になるけど……ボクなんかを戦力って思ってくれてるなんて……、お世辞でもうれしい。
ボクは部長さんのその言葉にぎこちなく笑顔を返しながらも言う。
「先生、藤村部長。 こんな中途半端で帰ることになっちゃって。 それにほんと、いっぱい迷惑かけちゃって、ごめんなさい。 み、みんなにも、ボクが謝ってたって……伝えてもらえるとうれしいです」
ボクは二人にそう言ってから、支えてくれてるエリちゃんの方を見て続けて言う。
「エリちゃん、途中で帰っちゃってごめんね。 ボクも、ほんとは……」
ほんとは残って一緒に合宿続けたかった。 そう言いたかったけど、なんとか口に出すコトをこらえた。
「蒼空ちゃん。 先生も言ってたけど、気にしないで? 部活より蒼空ちゃんの体の方が大事だし……。 その、早く部活戻ってきてくれるの、待ってるから」
そう言うとエリちゃんはボクの手をとってぎゅっと握ってくれる。 温かい……。
「……うん、ありがと。 ボク、すぐ戻ってくるから。 また一緒に練習、いっぱいしようね」
ボクもそう言って、握ってくれてるエリちゃんの手を握り返した。
そうしてボクは、先生や部長、エリちゃん、それに静流さんに見送られながら、お母さんに手を引かれペンションのエントランスを後にした。
ボクは未練がましく、何度も今出てきたほうを振り返って見てしまう。
未練……なのかな?
ボクはふと考え、そうとは違う感情の方が強いことに気付く。 ボクは1人先に帰らなきゃいけなくなったことが寂しい。
そう、寂しいんだ。
ボクは駐車場へと向かいながらもそんなことを考えてしまう。
こうしてる今もペンションのラウンジじゃ、ボクのことなんかすぐ忘れさられて、きっとみんなは楽しく盛り上がってるに違いない。 そんな中にボクは入れない……。 本来なら一緒になって楽しく過ごせてたはずなのに、実際はこんなとこで1人帰ることになっちゃってる……。
寂しいし……、それに悲しい。
ボクのそんな沈んだ気持ち(たぶん態度にも思いっきりでてたんだと思うけど)を察してくれたんだろう……お母さんはボクを引き寄せて、背中に手を回すようにして一緒に歩いてくれる。 ボクはそんなお母さんの優しさに甘え、更にカラダを寄せ、寂しさを紛らわそうとした。
お母さんのカラダは温かく、それにいい匂いがした……。
ボクは自分の指定席である運転席後ろのシートにおさまり、クルマがゆっくりスタートし……ちょうどペンションへと続くゆるい登りの道の前に差し掛かったとき、お母さんがボクに声をかけてきた。
「蒼空。 外、見てみなさい」
ボクはシートにもたれぼーっとしてたんだけど、その言葉に窓の外を覗いた。
「……ぅ!」
ボクは思わず息をのんだ。 それとともに、治まっていたはずの涙がまたじわじわと出てくるのを止めることが出来ない。
そこには合唱部のみんな……。
部長さんに副部長さん、辻先輩や大野先輩、川上さん、そしてエリちゃん。 みんながボクを見送るために並んで待ってくれていた。
ボクはあふれ出てくる涙を拭うことも忘れクルマの窓を開け、みんなを見る。
夜の薄暗い明かりのなか、ボクの目じゃろくにはっきり見ることは出来ないみんなの表情。 それでもみんなの気持ち、ボクに伝わって来る気がする。
ボク、1人じゃなかった。
「姫っち、水臭いじゃん! 何こっそり帰ろうとしてるのさ。 癪だから見送りにきてやったよ」
辻先輩が憎まれ口をたたきながらも優しげな声で言う。 その言葉に他の先輩もそうだそうだって感じで相槌をうつ。
「ふふっ、ゴメンね柚月さん。 驚かせちゃったかな? みんなであなたのこと驚かそうって、内緒にしてたの」
部長さんがそう言ってボクに裏話を話してくれる。
「でもごめんね、逆に寂しい思いさせちゃったかな?」
部長さんのその言葉に、
「そ、そんなこと! そんなことないです。 すごくうれしいです。 うれしくて……ボク」
ボクは感極まってもう言葉が続けられない……。 泣き出して、もうどうにも治まらないボク。 そもそも、みんなに内緒にしてって言ったのはボクなんだし。
とは言ってもいつまでもそうしてもいられないわけで……。
「ほんと泣き虫なんだから」ってさんざん言葉をかけられ、見送りにきてくれたみんなになぐさめられつつも、今度こそほんとにお別れを告げる。
「早く戻ってきてね」
心の中に、みんなのそんな言葉が染み入ってくる……。
絶対戻ってくるから――。
ボクはそう思いながらも窓を閉めると、シートにポスンと背中を預け、出てくる涙をこらえるしかなかった……。
走り去る車を見送る合唱部の面々。
「姫ちゃん……大丈夫かな?」
誰とはなしにそんな言葉が出る。
しかしその問いかけに、すぐ返ってくる言葉はなく、辺りには沈んだ空気が漂うばかりだった。
* * * * * *
帰途につくクルマの中、お母さんは合唱部のみんなのことをすごく褒めてくれた。
ボクはうれしいような誇らしいような、そんな気持ちでお母さんにみんなのことを話す。
途中で帰ることになっちゃったけど、合宿での楽しかったお話もいっぱいした。
そんな話しをしつつ夜の高速を走るクルマの中、話し疲れと、泣き疲れ、更には心地よい振動と暗さも手伝い……いつしか眠りの世界へと誘われていった。
蒼空が眠ったことを確認すると、日向は1人深いため息をつく。
「蒼空……この子ったら、自分の体のことどこまで理解してるのかしら?」
思わず口に出してしまい、ちょっとしまったという顔をする日向。 リアシートで眠る蒼空の気配をうかがうが特に起きた様子はないようでほっとする。
そして先ほどまでの出来事を思い返す。
突然迎えに行って、もしかして抵抗されるかもと思い、どう説得するか頭を悩ましていたのだが、いざ行って蒼空に会ってみれば……。
そこには泣き腫らし涙で濡れそぼった顔で、かわいそうなくらいに落ち込んだ蒼空の姿。 顔色もひどく青白く、その出血のひどさがしのばれて胸が痛んだ。
そして意を決し、連れて帰ると話してみれば、あきらめたように素直に言うことに従った蒼空。 出かける前のあのはしゃいでいた姿は見る影もなく、それがまた日向の心を締め付ける。
何度も自分に向い謝ってきた蒼空。 わがままを言って合宿に行ってはみたものの、こんなことになってしまい、そうとうこたえてしまったのだろう。 それに自分の体になにかしら問題があるってことを、蒼空なりに感じてしまったのかもしれない。
こんなことになるのなら……素直に蒼空に話してあげればよかった。
脳移植の予後の確認のためだなんてウソをつかず、正直に蒼空の体のことが心配だから……だから、検査を受けて欲しいって正面から向き合って伝えてあげればよかった。
「はっ、いけない……」
日向はそんなことをいつしか考えている自分に気付き、軽く頭を振って気持ちを切り換える。 そして後ろを覗き見て蒼空の様子をうかがう。
静かに寝入っている蒼空を見ると、ざわついた気持ちも多少落ち着いてくる。
私が動揺してどうする!
これからのこともあるんだし、しっかりしなきゃ。 日向は心の中で気持ちを引き締め、今からの行動を考える。
今、日向は自宅ではなく直接病院の方へと車を走らせていた。
蒼空のことを顧問の向井から電話で連絡を受け、すぐさま石渡にここ最近の蒼空の様子で気になった点、もちろん今日の鼻血のことも含め、伝えたところ、なるべく早く病院に連れてくるように……との話しをされたためだ。
電話越しにも伝わってきた石渡の真剣な物言いに、日向は自分の心臓の鼓動が早鐘を打つかのように高まるのを感じたのだった。
時刻はすでに23時を大きくまわり、日付はもうすぐ変わろうとしていた。
運転を続けながら、悪い予感が当たらないよう願いつつも、いやな気持ちが拭い去れない日向。
あぁ、雅行さん。 蒼空を、蒼空を見守っていてあげて……。
ついには、今は亡き最愛の夫にまで祈ってしまう日向。
それでも。 次々湧き上がる思いに苛まれながらも、日向は少しでも早く病院に行きつこうと車を一心に走らせ……、
ようやく目的地である、国立医療研究中央病院 へと到着したのであった。
蒼空はまだ知らないままぐっすりと眠っている。 ここでも言いそびれていた日向なのであった。
さて蒼空にどう説明したものか?
日向の気苦労はまだまだ終わりが見えそうもない。
次から話もちょっとは動く……はず?




