ep19.お別れ
※話数を修正しました。
日向は石渡医師と今しがたの蒼空の症状……と今後のことを相談し――、今は病院の待合室脇のベンチシートで一人座りこんでいる。
蒼空の症状は、心的外傷……、石渡医師によれば直接の原因はやはり、事故時に受けた強い衝撃や体験、父親を目の前で失ったショック……などにより心に深い傷を負っているのだろうということだった。
今回は、クリスマスパーティーから過去の父親との出来事を思い出し、そこから事故の記憶を想起させてしまい――、それをまた思い出したくない、忘れてしまいたいと心が回避を求めた結果……、あのような症状となってしまったのだろう。
石渡医師はそう語り、この"心的外傷"にはこれをしたら直るといった確定された治療方法はなく、精神的なケアや、薬物治療なども交えながら……あせらず、やさしく見守ってあげて欲しい(先ほどの対処はすばらしかった)と言い、必要に応じてきっちりサポートもさせてもらうと話した。
篠原が起こしたあの事件――、父親を目の前で失ったという喪失感、それに蒼空自身が受けた精神的、肉体的なショックや変化……、蒼空はあの小さな体で今も尚、あの事件の影響から逃れられないでいる。 ……そんな蒼空が不憫でならない。 代われるものなら代わってあげたい……、日向はそう思わずにはいられなかった……。
この症状に関しては、今の話のように即効性のある治療が存在する訳でもないため、一時退院については予定通り行うとのことだった。
日向は、帰る際に車に乗ることへの蒼空の反応が心配だった。 そのことがきっかけになり、また過去の記憶で苦しんでしまうのではないか? と……。
石渡医師は、それについては当日、精神を安定させる薬を服用して対処してはどうか? と言う、症状がひどくなるようなら睡眠薬で対処することも出来るとも。 車で帰るしかない……のだから仕方ないと(本当は薬なんかに頼るのはいやだけど)不承不承、承知した日向。
――しばらくシートに座って考え込んでいた日向だったが、これ以上考えても仕方ない! と心を切り替え立ち上がり、蒼空のいる病室へと戻って行くのであった。
* * * * * *
――退院当日。
蒼空はまた春奈の着せ替え人形と化していた。
「春奈ぁ、もうこれでいいじゃん? 疲れちゃったよボク」
ボクは、それはもう女の子然とした、かわいいカッコにされて姿見の前にいる。
裏起毛があったかいラベンダー色のカットソー、クロベースのドット柄のフレアミニスカート。 下には同じくクロっぽいレギンスをはかされ、ポンチョ風のベージュのプルオーバー(フードのふちにはファーが付いててかわいい)をかぶってる。 お家に帰るだけなのになんでこんなカッコ? っていうか、いつの間にかボクのお洋服……どんどん増えていってない? ボクの知らない間に。
「う~ん、やっぱお姉ちゃん、かわいいよ! やばいくらい」
あごに指を添えながら言う春奈。 ついでにもう一言、
「これ沙希ちゃんに見せたら反応面白そう? もだえ死んじゃうかも?」
うぅ、ほっといてください。 でも、やっぱ……沙希ちゃんに見られたら……また抱きつかれちゃうかも?
「ミニスカートなんて恥ずかしいよぉ! これやめない?」
とりあえず思うところを言ってみた。
「いいじゃん、下にレギンス履いてるんだからパンツ見えないし、ミニっていったって短すぎるってわけじゃなし」
やはりというか、あっさり却下されちゃった。 どうせ病院から車までの間だけだからいいけどさっ。
そんなやり取りをしてたら、お母さんが入ってきた。
「どう? 準備は出来た?」
お母さんがそう言いながら見てくる。
「まぁ、かわいいわ、よく似合ってる! 春奈ありがとね」
「うん、がんばってみました! えへへぇ」
うれしそうに言い、それからいいアイデア思いついたって顔をしてボクを見る。
「お姉ちゃん、せっかくだから写メ撮ろ? そうだ、沙希ちゃんにも送って見せてやろっと」
そう言いながら早速携帯を出す春奈。
「お姉ちゃん、リハビリの成果、成果! ちょっとだけ立ってかわいいポーズよろ!」
「もう、春奈ったらごーいん! ほんと勝手なんだから……」
ブツブツ言いながらも言うことを聞くボク。 昔から妹には弱いのだ、勝ったためしがない……、勝てない戦はしないのだ。
ボクは、車イスからゆっくり足を下ろし立ち上がろうとする。 お母さんが横から支えて立ち上がるのを助けてくれる。
「ありがとう、お母さん。 もう平気だから手を放していいよ」
お母さんが、手を放すとボクはもう一人で立った状態だ。 まだフラフラと心もとないながらも何とか立った姿勢を維持する。(杖を使いたいとこだけど、それじゃみっともない)
お母さんが、うれしそうにボクを見ている。
「はい、お姉ちゃん、ちょっとガマンしてこっち見てくださいねぇ~」
春奈が小さい子に言うような口調で指示してくる。
「むぅ、春奈! ボク子供じゃないし」
そう言って、むくれた表情で春奈を見る。
「はい、それいただき~♪」
――それを写メに撮られた。
そのあとポーズを変えて何枚か撮らされ、ようやく開放された。 ふぅ立ってるだけだけどやっぱまだ疲れるなぁ……、もっと筋力つけなきゃ。
「ああ、しまったなぁ、今までもこうやって写メ撮っておけば良かった。 春奈一生の不覚だったよ~」
変なところで悔しがる春奈。 服はあるんだからまた撮ればいいじゃん? って言うと……。
「何言ってるの、お姉ちゃん。 その時その時に撮るのがいいんじゃない、後でまとめて撮ってもぜんぜん違うじゃん?」
そ、そうですか? それは失礼しました――。 やっぱ妹の考え? はよくわからない……、たぶん一生わかることはないであろぅ、うん。
「蒼空、お薬は飲んだ?」
「うん、ちょっと前に飲んだ。 大丈夫だよ」
ボクはこの前のクリスマスパーティーのことがあるから、心を落ち着かせる薬を飲んでおきなさい と飲み薬を渡されていたのだ。 お薬の効果がどんなものか? は知らないけど、みんなに迷惑をかけるのはいやだし、何も聞かずに素直に飲んだんだ。
「よし、準備出来たなら行こうか? みんなお待ちかねよ?」
「「は~い」」
ボクと春奈は答える。
そしてボクはお母さんを見上げてお願いの表情をする。
「じゃ、行きましょう」
そう言って、お母さんがボクの車イスを押しにかかると……やはり、
「あ、私が押す~!」
春奈がお母さんに場所を譲ってもらい、車イスを押す。
「それじゃ、お願いね? 春奈」
うん任せて、と言いつつ押す力を増す春奈。
ボクは、離れていく病室を振り向いて見ながらもようやく帰れる、お家のことを考えると心がウキウキとして楽しい気分になってきた。 病室の荷物は、すでにお母さんの車に運び込んであるから、後はボクが乗れば終わりな状態なのだ。
とりあえず1Fのロビーに向かうまでに、通路ではこれまでに知り合ってボクに良くしてくれた人がさよならの挨拶をしてくれた。
「蒼空ちゃん、一時退院おめでとう」
「よかったねぇ、蒼空ちゃん!」
みんなやさしくていい人たちだ。
「ありがとう!」
その言葉を何度も言った。
ロビーでは、石渡先生と香織さん、その他にもボクをサポートしてくれた人達が、待ってくれていた。
「お、蒼空ちゃん今日は一段とかわいいね! 春奈ちゃん、いい仕事したね?」
石渡先生がいつもの調子で話しかけてきた。 春奈はニコッと笑顔になる。
「蒼空ちゃん、一時退院とはいうものの……、退院おめでとう!」
そうボクに言いつつ、アタマをなでる石渡先生。
「蒼空ちゃん、ほんとよかった。 おめでとう!」
香織さんも続けて言ってくれる。
「はい、ありがとうございます! 石渡先生や香織さん、看護師のみなさん、他にもいろんな方にも迷惑かけたけど……、おかげさまでこうやってお家に帰ることが出来るようになって――、ホントうれしいです」
ボクは、春奈を、そしてお母さんを見てから今日2度目の立ち上がる動作をし、お母さんに支えてもらいつつも車イスから降りた。
先生や香織さん、他集まってくれた人の前にしっかりと自分の足で立ち、両手を腰の前に添え……ボクは軽くだけどお辞儀をしつつ、
「ありがとうございました」
と大き目の声で心をこめて言った。
病院のロビーに、ボクの声、女の子の澄んだかわいい声が響き渡った。
* * * * * *
お母さんが退院の手続きをすませボクと春奈のところに戻ってきた。
「それじゃ、帰りましょう! ん、そうだ蒼空、眼鏡かけなきゃだめよ。 目を傷めてしまうじゃない?」
「あ、いけない、忘れてた」
ボクは慌てて、眼鏡を掛ける。
春奈が、ほんとに抜けてるんだからってな感じでボクを見てる。 ほっといてよ、もう。
「それじゃ、行きましょ」
その言葉を合図に春奈が車イスを押し、ボクはとうとう……、1年9ヶ月近く居たこの病院から出ることとなった。 ボクが目覚めてからは約5ヶ月だったけど――。
みんながまだ見送ってくれている。
香織さんなんてもう涙目もいいところだった。
エントランスから出て、お母さんの車に向かう途中、ボクは振り返り病院を見た。
長い間入院していたけど外から見たのは、初めてだった。
すごく大きい……まさに大病院の様相だった。 ボクは心の中でさよならを言った。(まぁ、年明けにはまた戻ってくるんだけどさ……)
空は冬晴れで、お日様がさんさんと辺りを照らしている。 ボクの目は度付きのサングラスで保護しているといえ、やっぱりけっこうまぶしい。
昼中の普通の日差しでこんなにまぶしいなんて……、やっぱりみんなが心配するように気をつけないといけないのかなぁ……。
お母さんの車に着き、ボクは車イスから降り、後ろのシートに春奈と一緒に座った。 車イスはたたんでリアのラゲージルームにしまう。 お母さんのクルマは、アウディの赤いワゴン車でスマートでとってもカッコイイのだ。
「さぁ出発よ。 蒼空、春奈、シートベルトした?」
「「うん!」」
2人で元気に答えた。
お母さんは、確認すると静かにクルマをスタートさせた――。
流れる景色、久しぶりに見る風景を見つつ、ボクは、今からお家に帰れると期待に胸がふくらむ。
春奈がボクの手を握ってきた。 ボクもそれを握り返す。
2人で顔を合わすと、自然と微笑みがこぼれた。
お母さんは、ボクが心配なのか時折声をかけてきたり、ちらちら後ろを覗き見たりしてる。 危ないから運転に集中して。 ボクは大丈夫だから。
そう、不思議とボクは落ち着いていた。
みんな、何も言わないけどボクが車に乗ることに対してすごく心配してたんだと思う。
ボクもちょっと心配だったけど――、大丈夫。 なんともない。
だから心配しないで、お母さん。
お家へ向かう車の中、流れ行く景色を見ながら……。
これからの生活が何事もなく出来ますように、家族で楽しく過ごすことが出来ますように!
ボクは、心からそう願っていた……。