商人娘
翌日、僕はその“カールス通りのあの家”を見に行き、そこを借りることに決めた。
さっそく荷物を運びこんだ。
エクタフ男爵領から持ってきた荷物は、さほど多いものではない。
服や身の回りの品が大半で、酒造りに関係するものといえば蒸留器だ。美味しい蒸留酒を作るという研究は今も続いているのである。
「ねぇヴィノ、これはなに?」
リゼットは持ち込まれたその蒸留器に興味を示した。
彼女は今日、長い褐色の髪を後頭部で縛っていわゆるポニーテールにし、服装もズボン姿だ。ドレス姿と全く違う、活動的な印象が押し出されている。
「蒸留器だよ」
「じょうりゅうき?」
リゼットはそれが何か理解できないようだった。
無理もない。僕が調べた限り、この世界にはまだ蒸留酒がない。蒸留はまだ一般的な技法にはなっていないのだ。
「錬金術で使う道具で、液体から香りを抜き出すのに使うんだ」
僕はざっくりとした説明をした。
「錬金術師だったの?」
「多少知ってるくらいで、錬金術師ではないよ。酒造りにも役に立つんだ、これは」
「へぇ」
リゼットは相槌を打って、しばらく蒸留器を眺めていた。
僕はその間にも工房の準備を進めている。
続々と現地調達した備品も運び込まれてくるのだ。発酵に使うための大きな桶、鍋や壺など、醸造のために必要なものは多い。
「もしかして、香油作れる?」
リゼットがぽつりと聞いてきた。
「香油?」
「香りのついた油よ」
「それは知ってるけど」
前世の知識では、たしか蒸留器で花に水蒸気を通すことで精油を得ることができたはずだ。
「普通に手に入るのは、花とかを油に漬けて作られたものだけど、ものすごく大量の花と時間がいるのよね」
「なるほど、漬けることで浸出するわけだ」
「そう。その機械なら、香りを抽出して油に移したりできるのかしら?」
蒸留はリゼットが言うような香りを別の物に移す技術ではないけれど、意図しているところは分かる。
「まぁ、できると思うよ」
「作ってみてくれない? もちろんただでとは言わないから」
僕は作業の手を止めてリゼットの提案を検討した。
蒸留酒の研究の方は、急ぐ用事があるわけでもない。あくまで実験程度なら付き合ってもいいかもしれない。
ただでとは言わない、ということなので蒸留一回当たりで費用はもらおう。父からいくばくかの資金は借りてきているが、自前で稼げればやれることも増えてくる。
「いいよ。製造の実験ということで、蒸留一回当たり銀貨10枚でどうかな」
「職人2人の日給くらいね。原料は別よね?」
「そりゃあね。蒸留するのに必要な花はそっちで手に入れてほしい」
「それでいいわ。うまくいったら、製造工房を建てるからその時は手伝ってくれるわよね?」
「まだうまくできるかもわからないのに。まぁいいけど」
「夢はでっかくよ」
「そっか。頑張ってみるよ」
僕は再び道具の整理に戻った。
「……あなた、私が商売のこと考えても何も言わないのね」
「ん? まぁね」
前世の地球では女性が働いたり社長をしたりというのは普通だった。それで少し忘れていたが、この世界ではまだそこまで女性の社会進出は進んでいない。
未亡人が夫の手掛けていた事業をそのまま切り盛りする、というならまだともかく、若い娘が商売をしようとしたらいい顔をしない者の方が多いだろう。
「ヴィノって変わってるわね」
「酒造りの研究なんてするくらいだからねぇ」
多少変わり者であることは認める。
「なるほど。香水の原料のことなんだけど、今度一緒に摘みに行かない?」
「なんでさ」
「娘一人で町の外に出たら危ないじゃない。護衛よ」
「うーん、まぁいいか」
僕には僕でついでにやれることもある。僕はそう考えてその提案を受けた。




