新しい酒の味
エクタフ男爵領。
エクタフの町を中心に村三つほどがその領土。どこにでもあるような小領だった。
その領主である当代のエクタフ男爵の子、それが僕である。
新年が開けて最初の朝、父は家族全員を館の食堂に集めた。父は長く大きな食卓のテーブルの一番奥にあたる上座、いわゆる『お誕生日席』に座っている。
お誕生日席、といったが僕にはなぜそこがお誕生日席なのか分からなかった。ただそういう語が浮かんできたのだ。
「新しい年を迎えられたことを、感謝しよう」
父は、よく鍛えられた体を新年らしいきれいな服で包み、しわが増えだした目尻とその豊かな口髭の下で笑顔を作っていた。
「ミラ、今年もよろしく頼む」
父が母にそう優しく語りかけた。母は小さくうなずいて目の前のゴブレットを手に取った。
「ルーク、明日から新年の祭礼を一緒に回るぞ」
ルークは僕の兄、男爵領を継承すべき人物だ。ルーク兄さんもただ頷いてゴブレットを手にした。
「そしてヴィノ、成人おめでとう」
そして僕の番だ。父の言葉に僕は頷いて、母や兄と同じようにゴブレットに手を伸ばした。
そこに入っているのは、領内の村で採れた酒桃の実で作った桃酒だ。昨年の秋に僕が収穫し、領民たちと共に醸造したものだった。
新年を祝うための酒だ。僕は自分の成人の祝いのためにその酒造りを手伝った。今その酒が目の前にある。領民全ての食卓に、僕らと同じようにこのネークが出されているはずだ。
「では、今年一年我が領地に神のご加護があることを祈って」
父が杯を掲げ、家族全員がそれに続いた。
杯を口元に持ってくると、フレッシュな桃の甘い香りの中にレモンのような爽やかさが感じられた。
一口口に含んでみる。
思っていたほど甘くはない。きりっとした酸味と調和のとれた甘みが口の中に広がり、アルコールのコクが味と香りを引き締めている。
(あ)
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が僕の全身を走った。
僕ではない誰かの記憶が頭の中を駆け巡る。
知らない山の風景、小さなイチゴくらいの黒い実が連なった知らない果物、透明な宝石のような細いゴブレットに注がれる赤い液体、同じく透明なタンブラーを満たす、白い泡の乗った黄金色の液体、様々な情景が、それが何なのかという知識と共に頭の中を走り抜けていく。
「ヴィノ、どうした?」
ルーク兄さんが僕の様子に気付いて心配そうにしていた。
「ネークが口に合わなかったか?」
「い、いや、そうじゃないよ。とてもおいしい」
白ワインのようだけど、少し風味が違う。『地球』にはなかった酒の味だ。カクテルにすれば近い味は出せるかもしれない。さっぱりとした白ワインに桃の果汁を少々、そこに小さなレモンピールを浮かべたら、近いだろう。
だがこれは正真正銘酒桃だけで作られた醸造酒だ。
僕の頭の中でこれまで知らなかった語でその酒の表現が組み立てられていた。大手酒造メーカーとか言うところで様々な酒造りに携わっていた男の記憶が、僕に新しい知識をもたらしてくれている。
「自分で作ったお酒だからかな」
ごまかすように僕は言った。
「いや、俺も今年のはいい出来だと思うよ」
兄さんが微笑んでいる。
その笑顔を見ながら僕は、前世のものらしいその記憶から浮かんでくるものに翻弄されていた。
(これ、蒸留しても美味しいかも)
この世界では酒造りのために使われていない、そんな技法のことを思いながら、僕はもう一口ネークを飲んだ。
(うん、やってみよう)
その香りと味を楽しみながら、早々と僕は決意した。




