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屋根裏の花嫁――ソーンフィールドの三つの魂  作者: はまゆう


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第十四話 光と影の間で

 騒ぎが収まった後、私は再び屋根裏に戻された。だが何かが、確かに変わっていた。


 鍵をかける手つきが、以前より躊躇いがちだった。グレースの目には、同情とも困惑ともつかない色が浮かんでいた。そして何より、私自身の中に、長年感じたことのなかった感覚が芽生えていた。


 それは——解放感、に近い何かだった。


 何年もの間、私は「存在しない妻」だった。誰にも語られず、誰にも認められず、ただ屋根裏の暗闇の中で、声にならない声を上げ続けてきた。だが今、少なくとも一人——あの家庭教師は、私の存在を、確かに知ってしまった。


 もう、嘘の中に私を閉じ込めておくことはできない。


 その事実が、奇妙な形で、私の心を軽くしていた。


 兄は、あの後も屋敷に留まっていた。グレースから聞いた話では、夫と何度も話し合いを重ねているらしい。その内容までは、私には伝わってこなかったが、兄が初めて、本気で私のために動いているのだという事実だけで、私の中の何かが、少しずつ溶けていくのを感じた。


 ある夜、兄が屋根裏を訪れた。何年ぶりだろうか、彼が直接、私の前に姿を現したのは。


 扉が開き、兄が立っていた。彼の顔は、記憶の中よりもずっと老け込んでいた。深い皺、白髪の混じった髪。長年の罪悪感が、彼の体に刻み込まれているようだった。


「バーサ」


 兄は、そう言ったきり、言葉に詰まった。


 私は、何を言えばいいのかわからなかった。憎しみをぶつけるべきなのか、それとも、ようやく来てくれたことへの感謝を伝えるべきなのか。


「遅かったわね」


 結局、私の口から出たのは、そんな、素っ気ない言葉だった。だが兄は、その言葉を、責めとしてではなく、むしろ救いとして受け止めたようだった。


「ああ。本当に、遅すぎた」


 兄は、部屋の中に入り、私の向かいに腰を下ろした。その仕草は、まるで、かつてジャマイカの屋敷で、鉄格子の部屋の前で手を握り合っていた、あの子供の頃の二人に戻ったかのようだった。


「あの家庭教師は、どうなったの」


 私は尋ねた。自分でも、なぜその質問が最初に口から出たのか、よくわからなかった。


「屋敷を出ていったと聞いている。行き先は、まだ誰も知らない」


 その答えに、私は複雑な感情を覚えた。あの若い女性が、この屋敷の闇から逃れられたことへの安堵。そして同時に、彼女もまた、私と同じように、何かを失ったのだという事実への、静かな痛み。


「彼女を、恨んでいる?」


 兄の問いに、私はしばらく考えてから、首を振った。


「いいえ。彼女も、私と同じ、被害者だもの」


 その言葉を口にしたとき、私は初めて、自分の中に芽生えていた感情の正体に気づいた。憎しみではなく、ある種の連帯感。同じ男によって、異なる形で人生を狂わされた女たちの間に生まれる、言葉にしがたい絆。


「これから、どうなるの」


 私の問いに、兄は少し考えてから答えた。


「ロチェスターとは、話し合いを続けている。少なくとも、お前をこの屋根裏から出すことだけは、僕が必ず実現させる」


 その言葉に、私は兄の顔をまじまじと見つめた。本気なのだろうか。長年、逃げ続けてきた兄が、ここに来て、本当に何かを変えようとしているのだろうか。


「信じていいの?」


「信じてくれなくてもいい。ただ、僕は、もう逃げない」


 その声には、これまで聞いたことのない強さがあった。長年の罪悪感と後悔の果てに、ようやく兄が見つけた、小さな決意の芯のようなものを、私はそこに感じ取った。


 窓の外では、月が雲間から顔を出していた。久しぶりに見る、はっきりとした月の光だった。ジャマイカの月とは違う、冷たく静かな光。だがそれでも、それは確かに光だった。


「お母様も、こんな光を、屋根裏から見ていたのかしら」


 私は、ふと、そう呟いた。兄は答えなかった。ただ、静かに私の手を握った。何年もの間、失われていた、兄妹としての、ただそれだけの繋がりを、私たちは、その夜、ようやく取り戻しかけていた。


 だが同時に、私は知っていた。この光がどれほど美しくても、私の心に刻まれた傷が、簡単に癒えることはないのだと。


 正気と狂気の境界線で、私はまだ、揺れ続けていた。


 だが少なくとも、今は、一人ではなかった。


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