13 残るべき者(2)
朝7時5分前。佳純は目を醒ます。見覚えのある天井。
ああ、まだ私は死んでいなかった。
ゆっくりと起き上がる。自分が金属の台の上に乗っている事に気付く。
これ、ロボットのエネルギーベースだ。
佳純は自分の両腕を見る。ある筈の皴が無い、綺麗な肌をしている。
そうか、私、ロボットにさせられたんだ。なによ、箱崎君、私のお願いを無視して生き返らせたのね。全く…。
佳純はゆっくりとエネルギーベースから降り、周囲を見回す。雰囲気が違ってしまっているが、ここは研究所の自分の執務室だろう。デスクも、応接セットも無くなっているし、書物で埋まっていた書棚もキャビネットも無くなっている。その代わりエネルギーベースが、部屋の中央で、どでかい図体をのさばらせている。それ以外、何も無い。
これだから、男のやる事は役に立たない。せめて鏡の1つくらい置いておいてくれなきゃ。基礎化粧品くらい無いのかしら。いくらロボットだからって、スッピンのまま人前に出るなんて冗談じゃない。第一、自分がどんな容姿になっているか知らないんじゃ、不安で気が狂いそう。
部屋の隅々まで探したが、殺風景でそもそも何かありそうな場所すらない。仕方なく、ドアを開け、廊下に首だけ出して通路の左右を窺う。幸い誰もいない。
私の記憶にある通りなら、トイレか、食堂か、所長室に行けば鏡がある筈。
周囲を気にしながら通路に出て、トイレに向かって小走りに走り出す。
「あ、いたいた。」
背後からの男性の声に身が縮こまる。
「どこに行くんだ?」
恐る恐る振り向けば、若い男が1人、近づいて来る。背の高い痩せた男。顔の輪郭が縦に長く、ちょっと白人の血が混じっているかの様な、高い鼻とせり出した額をしている。何だか夜の六本木あたりをうろついていそうなタイプで、怪しい男にしか見えない。
誰?
「自分がロボットとして生き返ったのは、理解できたかな?」
馴れ馴れしいな。お前なんか知らないぞ。
「あ、俺が誰だか分からないよな。」男は軽快な笑い声をあげる。「俺、野付崎隼人だよ。」
自分の胸に手を当てて、佳純を正面から見つめる。
何だか胡散臭い。隼人がこんな素直に名乗ったりするか?
「疑ってるね。ま、しょうがない。箱崎に頼んで、ロボットの躯体を換えてもらったんだ。何なら、何か質問してくれても良い。あ、但し、俺は20代の隼人だ。人間の俺が死んだ後の出来事は、箱崎から聞いたけど、概要だけだから、上手く答えられない。」
「箱崎君、全然約束守ってないじゃん!」
佳純の口から思わず不満が漏れる。隼人だと名乗った男は、声を上げて笑っている。
「どこに行くつもりだったんだ?」
思わず佳純は、自分の顔に向けられた相手の視線を手で遮る。
「ちょっと、トイレ。」
「ロボットになったって自覚しているだろ。ロボットにトイレは必要ない。」
「いえ、ちょっと、確かめたい事があるから…」
「それは後で。部屋に戻ろう。」
隼人と名乗る男は、佳純の腕を掴んで引っ張る。
「ちょっと、やめてよ。」
「すぐ終わるから。」
男は、空いているもう一方の手で携帯情報端末を取り出すと、電話を掛ける。
「あ、川崎か?佳純が目を醒ました。…ああ、正常だ。今から佳純の執務室に来れるか?…あ、じゃあ、待ってる。…あ、もしもし?ムサシ達にも来る様に言ってくれるか?…ああ、よろしく。」
隼人と名乗る男は、佳純を部屋まで連れ戻す。
「座って話そう。」
男は部屋中見回すが、椅子など1つも無い。
「あれ、そうか。ここには何も無いのか。ちょっと待っていてくれ。椅子、持って来るから。」
佳純を部屋に残して、男は出て行く。
さて、どうしよう。
佳純は、腕を組んで考える。
あの、何だか軽そうな男は信用し切れない。かと言って、ここが研究所内であり、あの男は私を小笠原佳純だと認識しているから、研究所に関係する人物なのは確かだろう。そんな人物、私が人間として生きていた時ですら、箱崎君くらいしか残って居なかった。研究所から逃亡した研究員がどこかで生きていて、そいつがロボットになっている可能性は低いだろう。今ここから逃げ出す程の危険は感じられない。あの怪しい男の正体を確かめてから判断でも遅くはないだろう。
男は、パイプ椅子を2脚、片腕に1脚ずつ抱えて帰って来た。エネルギーベースの横に、向かい合わせに椅子を据えて、佳純に座るよう促す。彼女は、男の動きに注意しながら、椅子に座る。男は始終、笑顔で佳純を見つめている。
「きっと、目が醒めたばかりで、まだ混乱しているよね。」
男は自分も椅子に座りながら話す。
「そうでもない。自分がロボットに生まれ変わるのは初めてだけど、他人がロボットとして生まれ変わるのは、何度も見て来たから。」
「ふうん、そうか。…さっき、箱崎が約束を守ってないって言ってたけど、どういう事?」
佳純の顔が警戒している。
「なんで、そんな事訊くの?」
「箱崎…、あいつ、今は川崎と名乗っているんだが、ややこしくなるから、箱崎と呼ぶとしよう。その箱崎からは、佳純が俺の記憶の中から佳純を消して、佳純の居ない世界で、俺がロボットとして生きていける様にしてくれと頼まれたと聞いたんだが、それは本当かい?」
「答え合わせをしようって言うの?」
「うん。箱崎の言う事を信じていない訳じゃない。かと言って、完全に信用している訳でもない。」
こいつ、本当に隼人かも知れない。
佳純は、外見が全く好みじゃない男の喋りを聞いている内に、何となくそう思えてくる。
「ほんと。でも、あんたはそれを知っちゃってるし、私はこうしてロボットとして生まれ変わっているし、全然いう通りにしていない。」
「何で、そんな事したんだい?」
男は上半身を前に倒して、佳純の顔を覗き込む。眼差しが真剣だ。下手に誤魔化せない雰囲気だ。
「だって…。」佳純は自分の爪を弄る。「その方が幸せじゃない。自分が1度死んでしまったなんて知ったらショックでしょ?人間でも、ロボットでも、どうでも良い。そんな事考えないで、仲間と楽しく毎日を過ごせれば幸せ。」
「それなら、佳純が居ても実現できる。」
佳純は首を振る。
「ううん。私は知ってしまっている。この世界がどうしてこうなったかも、あなたが1度死んでしまっている事も。」
佳純は視線を上げて、男を見つめる。
「そうか。」
男は、視線を佳純から床に移すと、上体を起こす。
「ありがとうって言うべきなのかも知れない。いや、きっとそうだ。…でも、今の俺には、言えない。」男はもう一度、佳純に視線を戻す。「箱崎は、佳純の望み通り、1度は俺を、佳純の事も、この研究所も知らない人物として蘇らせてくれた。3人のお友達は、佳純が用意してくれたんだね?」
佳純は静かに頷く。
「3人の仲間と、川崎と名前を変えた箱崎に見守られて、随分長い間、俺は暮らしていたそうだ。佳純の描いた世界だ。でも、それは偽りの世界。現実を知ってしまえば、虚しいだけだ。…箱崎の策略で事実を知った俺が、どれだけ混乱し、絶望したか分かるかい?」
佳純は答えない。
そんなの分からない。何だか知らないけど、箱崎君が余計な事しなければ良かっただけじゃない?
「20代の佳純のデータもあるんだろ?20代の俺を復活させるなら、20代の自分を復活させれば、色々な虚像を作らなくても良かったんじゃないか?」
「それは駄目。」即座に佳純は否定する。「…もう、あの頃の私と今の私は別人なの。色んな辛い思いを背負い込んじゃったから。私が苦労して、苦労して、作り上げた世界で、何も知らない無邪気な私が生きていくなんて許せない。」
「それなら、俺も別人だ。」
「え?」
佳純は驚いて、目を見開く。
こいつ、やっぱり隼人じゃないって事?騙された?
「今の佳純と一緒に居るべきなのは、オノゴロの中で一緒に過ごしたロボットの隼人だ。君が葬ってしまった俺だ。」
佳純の体から力が抜け、項垂れる。
「何故、俺が20代の頃の佳純じゃなくて、君を生き返らせたと思う?」
「どうして?…こうやって、私がやった事を非難するため?」
「うーん、非難しているつもりは無いんだけど、そう感じたなら謝る。すまない。」
そんな事を言って欲しい訳じゃない。
「1つには、君が何を考えて、俺を独りにしたのか知りたかった。」
「独りになんかしていない!」
佳純は必死に叫ぶ。
「ああ、御免。言っている傍から、非難している様になってしまった。言い換える。佳純自身が生き返らなかったのか、理由を知りたかった。それについては、今確認させてもらった。だけど、1番の理由は、生き返るべきは、全てを知っている佳純だと思ったからだ。」
「私はもう良かった。人間だった私は、もう生き延びる事に疲れたの。人生の終わりを隼人と一緒に過ごせて、もう思い残す事も無かった。」
「本当に?だったら、何故、俺だけ生き返らせたの?満足しているなら、2人居なくなっても良かったじゃないか。」
「私は、人生を全うした。最期までできる事は一生懸命やったと思えた。でも、人間だったあなたは、志半ばで人生を奪われてしまったじゃない。だから、せめて代わりの人生をあげたかった。」
「ありがとう。…でも、俺の人生には、佳純が不可欠だとは考えなかったのかい?」
ありがとう。例え、ポーズだったとしても、そう言ってくれるだけで嬉しい。
突然、大きな音を立ててドアが開く。大股で川崎が姿を現す。
「やあ、小笠原、目を醒ましたんだって?俺が誰だか分かるかい?」
箱崎がいると急に騒々しくなる。折角、相手が隼人だって確信し始めた良い所だったのに。
「忘れたいけど、記憶から抹消してくれなかったのね。あんた、私のお願い1つも守ってくれなかったじゃない!」
佳純は、面倒臭そうな表情を隠そうともせずに、川崎を見る。
「ははは、すまん、すまん。でも最初の30年は小笠原の言った通り、過去を知らない野付崎が仲間達と呑気に暮らす世界が実現できていたんだぜ。小笠原に見せてやりたかったよ。」
川崎は、佳純に近寄り、肩をポンポンと叩く。佳純は如何にもウザそうに、その腕を払い除ける。
「それが、こんな形になっちゃったら、何にもならない。」
「これは、俺の望んだ世界だ。」川崎は自分の胸を掌でパンパンと叩く。「ここまでは小笠原の望んだ世界を作ってやった。これからは俺の望んだ世界を実現するのさ。」
なんて野郎だ。イカサマ師め。こんな奴を信用するんじゃなかった。
「話はもう良いのか?」
川崎は、男に話し掛ける。
「ああ。大体話せた。後は、実験室に行ってからにしよう。」
男は椅子から立ち上がる。
「小笠原、お待ちかねの時間だ。あ、まだ起きて間もないから、待ってはいなかったか。」
川崎はそう言いながら、佳純に立つように促す。3人は、連れ立って、階下の203実験室へと向かった。




