1 野付崎隼人の日常(3)
朝だ。
7時5分前に目を醒ます。いつもの様に朝食を食べ、支度をして部屋を出る。隼人を待っているかの様に3階に停まっているエレベーターに乗り込み、駅への道を早足で歩く。
隼人には1つ、毎日気になっている事がある。地上から階段を降りて、地下鉄の改札口に向かう長い連絡通路。その途中に1つだけドアがある。四角い断面の長い連絡通路。壁も床も天井も白い無地の平面が真っ直ぐに続いている。その右側の平らな壁から、ステンレス製のドアノブが飛び出している。ヘアライン仕上げされた銀色のノブが通路の白色照明の光を鈍く跳ね返している。ドア本体は、白いペンキで塗り潰され、周囲の壁に溶け込む様に配慮されている。ドアには何も表示が無い。恐らく駅の関係者が出入りするためのドアに違いない。だが、通路を歩き、その前を通る時、隼人の視線はいつもそのドアに注がれる。
きっと、平らな壁面からそのノブだけ不自然に飛び出しているから、つい注意が向くのだろう。そんな事を考えながら、駅の改札を抜ける。
ホームで電車を待つ間に、携帯情報端末を開く。
〈今日はどこで昼飯にする?〉
カズのメッセージが入っている。
全く、早いな。こいつ、食う事にしか興味が無いのか?
思わず苦笑いが浮かぶ。まだ誰もカズのメッセージに反応していない。
〈和食が食いたい〉
悪戯心が湧いて、隼人は先に我儘を返信する。先にこんなメッセージを出したら、みんながどんな反応をするか楽しみだ。
〈それなら、俺は蕎麦が良い〉
ムサシから直ぐに返信が来る。
〈和食なら、C―1地区、10号通りに『沢渡』という店がある〉
ノリオも反応する。
〈蕎麦はあるか?〉
ムサシは拘る。
〈旨いかどうかは保証できないが、ある筈だ〉
〈まあ、良いだろう〉
〈ハヤトはどうだい?〉
カズが隼人の意見を確認してくる。
〈OK〉
〈なら、『沢渡』に集合しよう〉
全く呑気な奴等だ。朝から昼飯の事を考えている人間が、一体どれだけ居るだろう。仕事の心配とか、何か予定の時間が迫っているとか、そういう煩わしい用事は無いのだろうか。
彼等の、そんな能天気なところが隼人の気持ちを和ませる。1人きり電車に揺られながら、笑みを浮かべて携帯端末をポケットに捻じ込む。
オフィスに行けば、川崎と斜向かいのデスクに座り、モニター上に並んだ文字や数字の群を睨み付ける。狭いオフィスに2人きり。お互い仕事に集中し、会話する事もろくに無い。キーボードを指が叩く微かな音と、機器の冷却ファンの回転音が聞こえている。
こんな息の詰まる時間から昼休みには解放される。オフィスを出て、信号機のある交差点を2つ越え、模造大理石のビルの角を右に曲がる。すぐ先に暖簾を下げた、小綺麗な店が見える。暖簾に『沢渡』と染め抜きされている。隼人は暖簾をくぐり、引き戸を開けた。
「こっち、こっち。」
引き戸の開く音を聞きつけたか、カズが隼人を手招きする。テーブル席を3人の男が囲んでいる。
こいつら、もう来ているのか。
隼人は薄ら笑いを浮かべて、最後に残された椅子へ腰掛けた。
「いらっしゃいませ。」
店員がメニューを隼人に差し出す。隼人は片手を出してそれを受け取る。
「和食屋に来たなら、やっぱり天ぷらだな。」
ノリオの声だ。
「俺は、これだ。ざるそばにかき揚げが付いている奴が良い。」
今度はムサシだ。
「じゃあ、僕はあっさりとうどんにするよ。」
カズだ。
「お前、そんな物ばかり食っているから、大きくならないんだぞ。」
ムサシの説教か。
「今更、大きくなる訳ないだろ。昼飯は軽く済ませる事に決めてるんだ。」
カズが珍しくムキになっている。
「夕飯だって、そんなにがっつり食っちゃいないだろ。」
「ムサシと同じ基準で考えるなよ。そっちの方が普通じゃないんだよ。」
メニューから視線を上げると、目の前にカズの不機嫌そうな顔がある。
「ハヤト、お前はどうする?」
カズとムサシの口論を放置したまま、冷静な顔でノリオが隼人を覗き込む。
「そうだな。魚のフライの定食はないか…。」
「フライか。和食なら天ぷらじゃないか?」
「そうとも限らんだろ。アジフライも立派な日本食だ。」
フンと鼻を鳴らしただけで、ノリオはそれ以上突っ込まない。隼人の正面では、カズとムサシがその後も暫く適正なカロリー摂取量について意見を戦わせていた。
昼休みが終われば、また息が詰まる仕事の続きだ。気だるい午後の雰囲気と相俟って、隼人の精神を痛め付ける。キーボードを打つ手を止めて、周囲を包む重苦しい空気から逃げ出す。と言って癒しが得られる場所も物事もない。仕方なく窓際に立ち、外の景色を眺めて気分転換を図る。
「なんだ?どうした。」
ぼんやり窓から外を眺める隼人に気付いて、川崎も仕事の手を止め、椅子から立ち上がる。
「なあ、どうするべきか迷う場面ってないか?」
隣に並んで立ち、窓から景色を眺める川崎に話し掛ける。
「あるさ。」感情を表に出さない川崎は、冷静に答える。「そんなのしょっちゅうだ。毎日、何か起きる度、選択の連続だ。」
「そうか。」
「何か迷っているのか?」
「うん…」
窓から見下ろす街路では清掃ロボットが働いている。緑色の制服を着込み、掃除用具の入ったカートを引いて、僅かでも落ちているゴミは無いかと目を皿の様にして、街路の隅をチェックしながら歩いて行く。
「あそこに清掃ロボットが居る。」
隼人が顎で指した方角に、川崎は視線を送る。
「ああ。…別に珍しい事じゃないだろ。」
「知ってるか?あいつらは、みんな同じ緑の制服を着て、同じ様なカートを引いて歩いているけど、1体1体特徴が違う。背の高い個体もあれば、ずんぐりむっくりした個体もある。」
「へぇ、そうなのか。」
それほど関心無さそうに、川崎は道を行くロボットを見下ろす。
「そうなんだ。通勤途中で出会う清掃ロボットを見ていて気付いた。あいつらは、1体ずつ違うキャラクターを持っているんだ。なのに、やっている事は同じ…。折角ロボットとして個性が発揮できる様に作られているのに、仕事に全く生かされていない。」
「ま、個性を必要としない仕事だからな。」
川崎は窓に背を向け、ズボンのポケットに両手を突っ込むと壁に寄りかかる。
「個性を必要としないって、本当にそうなのか?」
「ん?清掃ロボット毎にパーソナリティを違えて、もし、ずぼらな奴ができたら、役に立たないだろ。」
「そりゃ、そんな奴ができない様に意識して設定すれば良いだろ。それより、折角、街の中を歩いて回るんだ。いろんな人と出会う筈さ。個体毎に違う個性を持っていれば、出会う人間にも良い効果があると思わないか?」
「ふーん、そうなのか?」
「そうさ、きっとそうだ。…今、やってるロボットのタスク入力のソフトだって、単にロボットにやらせる仕事を設定するだけじゃなく、その仕事にあったキャラクター付けができた方が良いんじゃないかと思うんだ。」
「え?古いバージョンにはそんな設定無いだろ?」
「ああ、だから、タスク入力の最後で、パーソナリティ設定のルーチンにジャンプさせようか迷っているんだ。」
「それ、必要なのか?」
「ロボットに求められているのは、ユーザーに与えられたタスクで最高のパフォーマンスを発揮する事だ。ほら、タスクによって誰にやってもらいたいとかあるだろ。髪を切ってもらうなら、できれば美人の優しい女性が良いとか。」隼人は言ってしまってから笑顔で誤魔化す。「折角、AIロボットにパーソナリティ設定領域って言うのが設けられているんだから、ユーザーがタスクに合わせて、パーソナリティを設定したいんじゃ…」
隼人の言葉が途切れる。窓の外を見たまま、表情も薄っすら浮かべた笑顔のまま固まっている。
「どうした?」
怪訝そうに川崎が隼人の顔を覗く。
「…前にこの話、しなかったか?」
振り返った隼人の表情には不安が滲んでいる。
「いや。初めてだ。」
川崎は真顔で応える。
「そうか…、なら良いんだ。」
隼人は目を伏せる。
「なんだ、変だぞ。…そうか、デジャビュって奴だな。」
川崎はそう言って、あっけらかんと笑い飛ばした。




