9 侵略者エリス(5)
大勢の人間が閉じられた空間の中で全てを完結して生活する経験は、オノゴロが初めてだ。空気や水を循環するシステムの運用で、始めは小さなトラブルが続いた。配給制になった食料が、全ての住民に滞りなく行き渡る様になるまでにも時間を要した。オノゴロ内の生活の基礎となる業務は、大量に導入されたAIロボット達が行なう。とは言え、何もする事が無いと、人間もおかしくなってしまう。街区毎に自治組織が作られ、生活の質向上のために、人間は人間同士、協力し合うよう求められた。中には自由が利かない窮屈な生活に文句を言う者も居たが、オノゴロの外から人影が無くなり、広漠とした廃墟に変わると、自然と不満を口にする者は少なくなった。
研究所の研究員達は、相変らず食堂に集まっては議論を繰り返していた。生化学に詳しい研究員が少なからず在籍している。エリスの前になす術のない人類を救える可能性があるのは自分達じゃないか…。彼等の胸の内には強迫観念に似た思いがある。その上、研究所の中に閉じ籠って、無為に時間をすり潰している己の身が情けなくもある。とてもじゃないが、じっとして居られないのだ。だが、そうやって議論を繰り返すばかりで動き出さないのでは、何もしていないのと変わらない。
「オノゴロの外にエリス以外燃える物が無くなった今が、実はチャンスなんじゃないか?」
食堂に集まった研究員達に向かって、1人の研究員が声を上げる。
「自衛隊の弾薬庫には、きっとまだ火薬が残っているだろ、焼夷弾とかさ。」その研究員は興奮気味にまくしたてる。「もしかしたら、ガソリンスタンドの地下タンクにも、エリスに食い荒らされなかったガソリンが残っているかも知れない。これを一気に燃やして、エリスの空白地帯を作る。そこをすかさず簡易シールドで覆う。それを繰り返せば、人間の住めるエリアを少しずつ奪還できるんじゃないか。」
「ガソリンスタンドまではどうやって行く。」
研究員達の中から声が上がる。
「気密スーツを作るんだ。宇宙服ができるんだから、可能だろ。」
「化学繊維は駄目だぞ。エリスに食われちまう。それでどうやって作る。」「スーツを着た人間を、どうやってオノゴロの外に出す。オノゴロの壁に二重扉を作るまで、エリスさんには近付かないでいてもらう様に頼むのか?」
「批判は判る。考えが不十分なのは、承知の上さ。でも、批判していても始まらないだろ。知恵を集めれば、良いアイデアになるかも知れないじゃないか。」
研究員の必死な様子を見て、批判していた研究員達は口をつぐむ。
「遠隔操作でロボットを動かせばどうにかならないか?」別の男が声を上げる。「人工皮膚を剥いで金属躯体のままのロボットにすれば良いだろ。」
「駄目だ。配線の絶縁被覆がやられちまう。関節の可動部も困るだろう。」
「結局、時間が無さ過ぎたんだ。もっとゆっくり広がっていたなら、有機物を使わないロボットの開発だってできたかも知れない。」
「それじゃ、もう、どうにもできないじゃないか…。」
誰かが呟く。重苦しい空気が周囲を包む。
俯く研究員達の中で、箱崎が立ち上がる。
「何、弱気になってるんだよ!僕は、僕はね、愛する人を守るために、絶対、絶対諦めないって決めたんだ!」
「あいつ、独身だよな?」
研究員達の中から囁き声が漏れる。
箱崎は、50近いこの歳まで、女性にまつわる噂もなかった。その箱崎から、『愛する人』と言う言葉が出た事を、研究員達は不思議に思う。
「必ず、どこかの国の、どこかのコロニーでエリス対策が検討されている筈だ。人類はそんなに簡単にやられるもんか!」
「そりゃ…、きっとそうだろう。」
誰かが同調する。
「ちょっとでもエリスに触れたらお終いだぞ。そんな物、誰が扱えるんだ?」
「いや、絶対、研究している。」箱崎は自信たっぷりに言い切る。「僕達だって、こうして何とかしようとしているんだ。どこのコロニーでも、きっと同じ思いの人間が居る。だったら、そんな人間達の中には、僕達には思いもよらない様な名案を思い付く奴が、必ず居る。」
「…なんか、そう言われると」誰かが呟く。「ちょっと救われた気分になる。」
「僕は中枢エリアに行って、他国の情報を仕入れる。」箱崎は気分を良くして声を張る。「他国のコロニーと連絡が付くなら、対策検討で連携する事もできる筈だ。それも掛け合って来るつもりだ。」
「分かった、俺も付いて行く。」
1人の男が立ち上がる。
「それじゃ、俺は文献を調べる。」
「文献って、もうネットは繋がらないぞ。」
「研究所の書庫だって、まだ何かあるかも知れない。」
本当に何かできるのだろうか。
全員の脳裏に浮かび掛けた、その言葉を振り払う様に、1人、また1人と立ち上がる。神経は少しずつ削られていく。兎に角、このまま終わりたくない。誰もが悪い予感から目を背けようと、希望をでっち上げる作業に加担し始める。
佳純は、エリス対策に頭を悩ませる研究員達とは距離を取っていた。彼女は、隼人の脳内データを機械データに変換してインストールしたAIロボットと一緒に生活している。
「佳純、天気が良いから散歩に行かないか?」
隼人と名付けられたロボットは、研究所の外から小笠原佳純の執務室に帰って来るなり、陽気に話し掛ける。研究所内で寝起きする様になった研究員達は、自分の執務室をアパートの自室の様に使っている。佳純も例に漏れず、自分の執務室のソファで寝起きしている。
「そうね。地下に籠ってばかりじゃ、気が滅入っちゃうかな。」
佳純は、隼人に微笑み掛ける。
「今からでも良いかい?」
「ええ。」
佳純は支度をしようとソファから立ち上がる。
ベルが鳴る。訪問者を告げるベルだ。佳純は相手の確認もせずに執務室のドアを開ける。ドアの向こうには、箱崎が立っていた。
「あら、どうしたの?」
「御免、ちょっとお邪魔しても良いかな。」
佳純は笑顔で箱崎を迎え入れる。箱崎は、キョロキョロと周囲を見回し落ち付かない。その態度に、佳純は何となく不安を覚える。箱崎の視線が、応接セットの傍らに立つ隼人を見付けて止まる。
「ちょっと大事な用事なんだ。」
そう言いながらも、彼の視線は、隼人に向いている。それに気付いた佳純が口を開く。
「大丈夫。隼人は話すなと言えば、絶対他言しない。」
「信用できるのか?…小笠原の腕前を信用してない訳じゃないけど。」
佳純が苦笑いを浮かべる。
「ええ、私を裏切る様な事はしないわ。」
「そうか…」漸く隼人から視線を外し、佳純を見て話し始める。「あのな、あの…、決めたんだ。エリスを退治するつもりだ。」
「え?凄い。」佳純は目を輝かせて声を上げる。「良い方法が見付かったの?」
「いや」箱崎は照れながら、右手で首筋を叩く。「やっつける方法は思い付いていない。…だけど良いか、世界中には、ここ以外にもコロニーの建設が間に合った所は幾つもある。そこには僕達みたいな科学者だって居る筈さ。」
あからさまに佳純のテンションが落ちる。
「ええ、そうね…。」
その反応に箱崎は焦る。慌てて言い募る。
「僕達だって、何とかしようと議論してきたじゃないか。他のコロニーの奴等だって、黙って指を咥えて見ている訳ないだろ。必ず、必ず何かエリスに対抗する手段は無いかって考えている筈だよ。」
佳純は黙って相槌を打つ。
「それでだ、それで僕は、そう言う世界中のコロニーの科学者と連携して、エリスを退治する事に決めたんだ。これからすぐに中枢エリアに行って、通信設備を使わせてくれる様に直談判して来ようと思う。」
「そんな、急に乗り込んで行って大丈夫?」
「大丈夫さ。」箱崎は笑って見せる。「エリスの脅威はみんな理解してるだろ、それをやっつけるためだとなれば、話を聞いてくれるさ。他にも2人、一緒に行くと言ってくれているんだ。」
「そう。上手く行くと良いわね。」
「何、他人事みたいに言ってるんだよ。小笠原だって当事者じゃないか。しっかりしろよ。だから…、その…」
箱崎が言い淀む。それまでの自信に溢れたお喋りが急に止まってしまい、佳純はどうしたのかと箱崎の様子を窺う。
「…そこで相談なんだ。一緒に手伝ってくれないか?」
箱崎は不安そうに佳純の反応に注目する。佳純は目を伏せる。
「私の知識じゃ役に立たない。神経生理学じゃ、エリスに歯が立たないもの。」
「そ、そうじゃないよ。知識の問題じゃない。要はやる気だよ。頭の切れる小笠原がやる気になってくれれば、きっと活躍できる筈さ。」
佳純は俯いたまま首を振る。
「私は…、駄目。そう言う事に興味無いから。」
「興味って問題じゃないだろ。」思わず、箱崎は佳純の両肩を掴む。「人類の未来が掛かっているんだ。小笠原だって当事者じゃないか。」
「ちょっと、痛い。」
「あ、御免。」
箱崎は慌てて手を離す。
佳純は首を横に振る。
「謝るのは私の方。箱崎君みたいに正義に燃える熱い気持ちにはなれない。邪魔にならない様にするのが精一杯。」
「邪魔にならないって、どうするつもりだ。」
箱崎の表情は硬い。
「え?大人しく研究所に引っ込んでいるんじゃ駄目?」
「駄目って言うか…。駄目だよ。ロボット相手に時間を潰すなんて駄目だ。もっと希望を持てよ。」
「希望を持っていない訳じゃないんだから」佳純は顔に笑みを貼り付けたまま、箱崎と目を合わさずに俯いている。「今やっている研究だって、元の世界が戻って来たら、発表して世の中で役に立つ事を想定しているんだよ。」
「これがか?」箱崎は隼人を指差す。「これが、どうして役に立つんだ。」
急に強い口調に変わった箱崎を、驚いた佳純が見上げる。
「ご、御免、つい大きな声出しちゃって。…でも、こいつの研究が世の中の役に立つって言ったって、今研究しなくても良いだろ。それより先に世界を正常に戻さなきゃならないだろ。エリスなんかに負けないで、自分の人生を取り戻すんだよ。」
落ち着いた声に戻った箱崎に佳純は安堵する。
「箱崎君は強いなぁ…。私としては、エリスに負けてるつもりはないんだけど。今だって自分のやりたい事をやっているだけ。」
「そうじゃない。」箱崎が佳純を睨み付ける。「小笠原は逃げているんだ。現実から目を背けたいだけじゃないか。」
「逃げてなんかいない。」佳純は力強く言い返す。「エリスがなんか無くたって、私は同じ研究をしてた。」
「こ、これが研究か!」もう一度、隼人を指差し、堪え切れずに箱崎が大声を上げる。「こんなの幻想に過ぎないだろ。いつまで野付崎に憑りつかれているんだ!」
「これは、私の決めた事。」負けじと佳純も声を張る。「自分の意志でやってるの。隼人を物呼ばわりするのはやめて。ちゃんとした人格を持っているんだから!」
「ロボットを慰み者にして、それで満足か?まだまだ長い人生が残っているのに諦めて、そうやって余生を過ごすつもりか?目を醒ませ!」
「偉そうに説教のつもり?私はそんな事頼んでない。用事が済んだのなら帰って!」
佳純はスタスタとドアに近寄り、手荒くドアを開ける。小柄な彼女が箱崎を睨んでいる。箱崎は奥歯を噛み締める。
「また来る。」
呟いて、箱崎はドアから通路に消える。
「もう、来なくて良い。」
佳純は箱崎の背中に捨て台詞を投げつけて、勢いよくドアを閉める。ドアノブを握り締めたまま、彼女は大きな溜息をついた。
「散歩に行く雰囲気じゃなくなっちゃったな。」
隼人が静かに言う。佳純は俯き加減でドアにもたれ、首を振る。
「こんな時こそ、外に出て気分を変えなきゃ。どこに行く?」
「C-1ブロックまで行こう。」
「C-1ブロックに何があるの?」
「地図検索をしてマンション棟に囲まれた公園を見付けたんだ。大きな木がある公園さ。きっと、オノゴロが建設される前からある公園だよ。」
「そうなの。大きな木が残っているなんて珍しいわね。」
「ああ。」
隼人は頷きながら、爽やかな笑顔を見せる。
「でも大丈夫かしら。C-1ブロックの住人にしたら、私達、見慣れない人間よ。何しに来たんだと怪しまれない?」
隼人は声を立てて笑う。
「大丈夫。ただ散歩に来ただけだと分かれば、何もしないよ。」
2人は連れ立って研究所の外に出た。研究所から離れるのは久し振りだ。並んで歩きながら、この前外に出たのはいつだったろうと思いを巡らす。車の無い街は静かだ。オノゴロが閉じられた直後は、全てが混乱していて、こんな落ち着いた雰囲気は無かった。街路には大勢の人が居る。通りを見通しただけでも、数十人の人が確認できる。数人ずつ寄り集まって、立ち話をしている。或いは、歩道に椅子を持ち出して、将棋に興じている。ただボンヤリと景色を眺める人も居る。夫々が、夫々の時間を過ごしている。いや、時間を潰していると言うべきか。
「今日は天気が良い。散歩にはもってこいだ。」
隼人の声は明るい。
「何言ってるの。ドームがあるから、雨なんて降らないじゃない。」
佳純が揶揄う。
「雨は落ちて来ないけど」隼人は空を見上げる。「雲があれば、日が差さない。そうだろ?」
「そうね、お日様の力を感じる。」
佳純も眩しそうに空を見上げる。
2人は並んで街路を行く。他人から見たら、2人はどう見えるだろう。見ただけでは隼人がロボットだとは分からない。20代の若者に見える。そして隣に居るのは老い始めた女。佳純の気持ちは恋人同士だとしても、その見た目では無理がある。精々親子だ。
構わない。自分は他人に見せるために生きているんじゃない。恋人同士の世界に浸っているつもりも無い。それより今は、完全な隼人を再現するのが先決だ。
本当の隼人なら、こんな陽気に話さないだろう。オノゴロと言う閉鎖空間に自ら閉じ籠った自分達をあざ笑って、皮肉めいた言葉の1つも吐いたに違いない。感情パラメータの変換常数の見直しが必要だ。こんな真っ直ぐポジティブに物事を捉えるのも、本物の隼人と違う。もう少し斜に構え、ひねた部分がある性格が再現できる様、変換を見直さなければ。完成度は確実に上がっているが、まだまだ本当の隼人を再現しているとは言い難い。
佳純は、戻ったら脳内データ変換ソフトの常数を見直し、3度目のバージョンアップを実施しようと思いながら、隼人の言葉に相槌を打った。




