第六話 虫の息
「凄い凄い凄い!! 何これ何これ!?」
教室に着いた僕は興奮を隠さずにはいられなかった。
小学校の教室なんてどこの世界もそんなに変わらないだろうと思っていたのだけど、この教室ときたらあまりにも僕の想像を超えていた。
まず目を引いたのは教壇の後ろに配置された巨大な金属製の時計だった。
周囲には温度計や湿度計や蒸気圧計などのアナログメーターが幾つも配置されていて、その全てがピカピカに磨き上げた十円玉のような美しい輝きを放っている。
次に目を引いたのは大きな幾何学模様の窓。
高い天井、ドーム状の空間に惜しげもなく張られた大きな窓は〈機械仕掛けの教会〉のステンドグラスといった風だった。
生徒たちが座っているアンティーク調の机や椅子にも所々金属があしらわれていて何とも美しい。
「これから毎日こんなところで勉強できるの!? ヒャー、夢みたい!!」
と興奮気味に教室中を走り回っている僕のそでをひっぱってミルがなだめる。
「ちょっとグレゴール、落ち着いて。こんな普通の光景にそんな浮かれてたらみんなに怪しまれちゃうよぅ」
「むっ、確かに!」
グレゴール少年の中身が異世界からやってきた引きこもり三十男だとバレるわけにはいかない。
テンション上がりすぎて、悪目立ちが禁物なこと忘れてた、、、君がいてくれて助かるよ、ミル。
「早く席に着こう、先生が来ちゃう」
「うむ」
二人分の席が空いていたのは最前列のみだったので、大人しくそこに座る。
僕達が並んで席に着いた0.5秒後、教室の扉が開いた。
入ってきたのは担任と思われる紺色の髪の女性だった、、、のだが、それが人間の頭だと認識するにはしばらくの時間が必要だった。
・・・というのも、その女性の顔の上半分は波のようにうねりを上げる物凄い毛量の髪によって完全に覆い隠されてしまっていたからである。
そんなわけで、大きな青い花束かなにかを抱えた人が入ってきたのだと錯覚してしまったのだ。
彼女は教壇に立つやいなや、その独特の高い声で元気よくこう言った。
「やぁやぁ、みなさん、こんにちは~。私がこれから一年間、みなさんの担任を受け持つことになりましたディアナ・クレイチー先生ですよ~。よろしく~」
・・・顔、全然見えてないんですけど。
まぁいっか、別の人と間違えることはなさそうだし。
「そんじゃあ最初に転入生の紹介をしちゃいましょ~、さぁ~入ってらっしゃ~い」
「げっ、忘れてた・・・」
めちゃくちゃ清楚な優等生のような雰囲気をかもし出して入ってきたのは、やはりあの性悪女だった。
「ぐぬぬぬぬ」
奥歯を噛み締めて怒りを噛み殺す。
だが、怒りが歯の隙間から漏れ出てしまう。
そんな僕の殺気を感じたのか、扉を閉めたミリアムがほんの一瞬、チラリと横目で僕を見た気がした。
そうして、彼女は僕のすぐ前を通った瞬間、
「ギャッ!!!」
ノールック・ノーモーションで僕の足を思いっきり踏みつけやがった!
しかも爪のとこ! 一番痛い小指の爪のとこをカカトで踏んでいきやがったのだ!!
痛すぎて声も出せずバタバタとのたうち回っている僕を指差して、
「先生、この人、なんか一人で暴れてて怖いです」
と言いつける始末。
「ハイ、そこ、暴れるのはヤメましょうね~。これから名誉市民であるミリアムさんが自己紹介をしますので」
「ギギギギギ、、、」
僕にできることと言えば踏み潰された虫の如くうめき声を上げることくらい。
もう泣いちゃいそうなくらい悔しかったが、どこかで、
「言っても相手は小学生、子供相手にムキになるなんて恥ずかしいぞ」
というプライドもあって、必死で耐え忍ぶ。
あんなのと同じ土俵に立ってしまったら僕まで低次元人間になってしまう。
そう、僕は大人なのだ。
しかも生まれ変わったのだ。
少しくらいツラいことがあっても顔を上げて笑顔で輝かしい未来へと歩いていくのだ。
一方、おまえのような邪悪な性悪女にはいつか必ず天罰が下るだろう。
僕が仕返しせずともな。
神様はちゃーんと見ていらっしゃる、ああ、そうだとも!
そうやって必死で目を血走らせながらフゥフゥと怒りを押さえてる僕を指差してミリアムが言う。
「先生、あの人とは席を離してください。なんかウジ蟲みたいにピクピクしてて気持ち悪いです」
それを聞いた瞬間、僕は怒りにうち震えている自分を発見した。
「・・・誰がウジ蟲だって?」
それから立ち上がって暴発した。
「誰が役に立たないゴミ蟲だって? 誰が不快なウジ蟲野郎だって?」
「いや、別にそこまでは、、、」
ミリアムのみならず、クラス中が引きまくっているのがわかったが、もう遅い。
一度、噴火した火山は誰にも止められないのだ。
「なぁ、オイ、言ってみろよォォォ!!!」
そして気がついた時には僕はボサボサ頭のクレイチー先生に正面から抱きしめられるような形で取り押さえられていた。
先生はその口を僕の耳元ギリギリまで近づけてこう言った。
「いい加減にしないと消すぞ」
それはまるで氷の女王のような低く冷たい声だった。
一瞬にして噴火していた火山が絶対零度まで冷却される。
そのあまりの圧を前に、生唾を飲みながら静かにうなずいて降伏を表明するのがやっと。
クレイチー先生は僕にだけ見えるように髪をかきわけてこう言った。
「次はないですよ~」
この時、僕は十数年ぶりに恋に落ちた。
マグマさえ凍りつかせてしまうほど恐ろしい先生の目を見つめながら。
もしかしたら髪の隙間から見えたクレイチー先生の涼しげな素顔があまりにもタイプだったからかもしれない。
もしかしたら同世代の女性に抱きしめられたのが初めてのことだったからかもしれない。(グレ母除く)
もしかしたら吊り橋効果的なことだったのかもしれない。
正確な理由はわからない。
だが、とにもかくにも僕は恋に落ちたのだ。
恋ってそういうもんだよね?
十数年ぶりの恋・・・にも関わらず僕がこの時のことをあまり覚えていないのには理由がある。
それから数分後、そんな全てがふっ飛んでしまうほど出来事が僕を襲ったからである。
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【グレゴールが自分が蟲になる運命だと気づくまであと6分4秒】
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「それではミリアムさん、自己紹介をよろしくお願いしますね~」
僕を制圧したクレイチー先生は穏やかな口調に戻って皆に言った。
僕は自分の胸がドクンドクンと脈動するのを感じていた。
「クレイチー先生、、、」
ああ、なんという魅力的な二重人格。
ああ、なんとオリジナリティあふれるシルエット。
そしてなんという美しくボサボサの髪、、、その青い花束に埋もれたい。
僕は両手をアゴの下に置いて先生を見つめていた。
それはさぞかし惚けたマヌケ顔であったことだろう。
だが、自制することなんて出来なかった。
それはなんとも幸せな時間だったんです。
「みなさん、はじめましてこんにちは。ミリアム・ミクレツカです」
ミリアムが造花のような笑顔で皆に向かって微笑みかける。
ハイ、こっちは悪い二重人格。
「ミクレツカって聞いたことあるよね」
「ねぇねぇ、もしかしてあの子って、、、、」
生徒たちがざわめく。
「・・・お気づきの皆さんもおられるようですのでお話ししますが、父はミクレツカ蒸気の創業者です」
とミリアムが続ける。
「え、すごーい!」
「お父さんが社長さんなんだって!」
「どうりで上品!」
・・・いや、だからぁ、こんな下劣な性悪女なかなかいないですけど?
「子供の頃から蒸気科学の研究室に出入りしていたこともあって、趣味は発明です。本日、暴れ狂うクズ蟲から市民のみなさんを救うことが出来たのも私が発明した蒸気科学製品のおかげでした」
手柄は全部独り占めですか、、、そりゃまぁウォーターガンと電流ビリビリ棒のおかげではあったけど、僕の勇気がなければ、君、死んでたかもしれないんだけどねぇ。
いや、ホント、こんなえげつない性格の子いる??
だが、世間様はいとも簡単にダマされちゃうのだ。
お嬢様の皮を被った悪魔め。
「あんなに可愛いのに頭もいいんだって」
「しかも勇敢!」
「友達になりたーい」
・・・全然なりたくねーよ。
そんで関わり合いたくないです。
「将来は私の発明で人類を幸福にしたいと思っています。ミクレツカ蒸気ともどもどうぞよろしくお願いします」
そう言って彼女はいかにもお嬢様といった感じの一礼をして、僕から遠く離れた席へと座ったのだった。
「ハァー」
僕は首を横に振りながらため息をついた。
これから一年間あんな女と同じクラスとか本当に気が滅入る。
「さてさて、今度はみなさんにも自己紹介してもらいましょ~。それじゃあ、前の列から順番にお願いしますね~」
「こんにちは! 私の名前は、、、」
クラスメイトたちの自己紹介が始まる。
一人一人、前に出てスピーチしていくスタイルだ。
自己紹介なんて十数年ぶりだよ、緊張するなぁ。
最前列右から三番目に座っていた僕の順番はすぐに回ってきた。
スッと息を吸い込んで僕は今日出会ったばかりの僕について紹介を始めた。
「みなさんこんにちは。僕の名前はグレゴール・ザムゾヴァです!」
・・・僕がそう言うと、どういうわけかクラス中が笑い声に包まれた。
「クスクスクス」
「アハハハハ」
「アイツ何言ってんだ?」
え? なんかおかしなこと言ったっけ?
僕が首をかしげて呆然としていると、見かねたクレイチー先生がこう言った。
「グレゴール君。君は男の子なんだからザムゾヴァじゃないでしょお? ザムゾヴァは女の子の苗字ですよ~?」
それを聞いてみんながまたクスクスと笑う。
は? 女の子の苗字?
なんそれ??
僕がまだ首をかしげているとクレイチー先生が、
「どうやらグレゴールくんはふざけてるみたいですねー」
と言い、生徒たちが大笑いする。
いやいや、まったくふざけてないんですけども。
キツネにつままれたような気分。
「・・・」
少し離れたところから、恐ろしい化け物が僕を見つめているような不安を感じるのはなぜだろう?
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【グレゴールが自分が蟲になる運命だと気づくまであと64秒】
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「はーい、それじゃー、誰かグレゴールくんにもわかるように説明してあげてくださいー」
クレイチー先生が呼びかけると、よりにもよって邪鬼ミリアムが手を挙げ立ち上がってこう言った。
「この国では男女で苗字が異なる場合がほとんどです。原則として男子の苗字に〈ová〉を付けると女の子の苗字になります」
なるほど、女と男で苗字が変わるのか!
おまえには教えられたくなかったが、それは知らなかったわ。
〈ová〉を付けるってことは──小林だったらコバヤショヴァ、松口だったらマツグチョヴァ、村越だったらムラコショヴァになるってこと!? ハハハ、ウケる、、、
背後に恐ろしい化け物が這い寄ってくるような不安を感じるのはなぜだろう?
「ミリアムさん、よくできました。ありがとー」
と先生が言い、生徒たちから拍手が起きる。
もちろん僕は断固拒否。貴様に送る拍手などない。
「さぁ、それじゃー、今度はみんなで教えてあげましょうねー」
みんなはとても楽しそうにしてるのに、すぐ首元に恐ろしい化け物の息遣いをを感じるのはなぜだろう?
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【グレゴールが自分が蟲になる運命だと気づくまであと6.4秒】
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壇上からクレイチー先生がたっぷりと間を取りながら生徒たちを先導する。
「さぁ、みんなで一緒に! グレゴールくん、あなたの名前は、グレゴール、、、せーのっ!」
〈〈〈〈〈〈!!!!!!ザムザ!!!!!!〉〉〉〉〉〉
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【とうとうグレゴールは自分が蟲になる運命だと気づきました】
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教室中の声が一斉に僕に降りかかり、瞳孔がガン開きになる。
僕にとってそれは世界中から死刑を宣告されたも同然だった。
あまりにも受け入れ難い事実を前に感覚が停止する。
気がつくと世界は色を失っていた。
気がつくと世界は音を失っていた。
気がつくと世界は温度を失っていた。
グレゴール・ザムザ────それが僕のフルネームだったのだ!
主人公:グレゴール・ザムザ
妹の名前:グレーテ
家族構成:父母妹
時代背景:19世紀末を彷彿させる
この世界の特徴:人間が大きな蟲になる
────もう無理だ。もう逃げれない。
恐ろしい化け物の正体は僕だったのだ。
グレゴール・ザムザなんていう虫の好かない名前、そこらにあるわけがない。
人間が蟲になるなんていう虫唾が騒ぐ設定、そこらにあるわけがない。
ここがチート無双の異世界だなんて、そんな虫のいい話があるわけがない。
1000の位も100の位も10の位も1の位も完全一致してしまった。
もう疑う余地はない。
僕はあの気味の悪い小説『変身』の世界へと転生してしまったのだ。
毒蟲宝くじ大当たり!
それはつまり〈グレゴール・ザムザ〉である僕がいつか『奇妙な夢から目を覚まして自分がベッドの上で一匹の大きな毒虫に変身しているのを発見する』運命にあるということを意味していた・・・
・・・母さん、僕もう虫の息です。
──グレゴールが蟲になるまであと6年と4ヶ月──




