第五話 嘘は真実よりも慈悲深い?
「えー、ここで市長よりお話があります」
朝から修羅場続きで精根尽き果てていた僕は立っているのがやっとで、始業式の先生の話なんてほとんど聞いていなかった。
ただぼんやりと「へー、小学校の始業式に市長まで来てんだー」なんてのんきに考えていた。
演壇に立った市長が、
「ただいまより表彰式を行いたいと思います」
と言った時も「絵画コンクールかなんかで金賞でも取った生徒がいたのかな」くらいに思っていた。
なので、市長がこう続けた時には結構大きめの声で「ハァ!?」という声を上げてしまった。
「それでは、本日、クズ蟲の暴走から我がシャルロッテン市民を救ってくれたミリアム・ミクレツカ嬢にご登場願いましょう! みなさん、大きな拍手でお迎えください!!」
ミリアムが壇上に登場した時には割れんばかりの拍手と共にあちらこちらで「かわいい」とか「かっこいい」とか「品がある」とかいった賞賛の声が上がっていた。
「ダマされちゃダメだ! その女、地獄みたいな性格してるぞ!」
と叫び出してしまいそうな自分を制するため、僕はギリギリと歯を食いしばった。
「ミリアム・ミクレツカ様 貴女は類稀なる頭脳と勇気で我がシャルロッテン市民を守ってくれました。ここに感謝すると共に名誉市民として表彰致します」
ミリアムが「そうです、私がたった一人でこの街を救いました」とばかりドヤ顔で表彰状を受け取った時には壇上に駆け上がって表彰状をブチ破ってやろうかとも思ったが、小学生の女の子相手にそこまでムキになるのもどうかと思いやめた。我ながら大人だ。
それに、そんなことをすればせっかく遅刻せずに登校できたのに退学になってしまうかもしれない。素晴らしい大人の判断。
とはいえハラワタは煮えくり返っていたので、僕はせめてもの抵抗として、
「まったくあのミリアムとかいうサイテー女には開いた口がふさがらないよなぁ」
とわざと周りに聞こえるような声で言ってやった。
すると、近くに立っていた先生に、
「おい、そこうるさい、つまみ出すぞ!」
と怒鳴られてしまった。
僕が苦虫を噛み潰したような顔でミルの方を見ると、ミルは少し困ったような顔で微笑みながら、まぁまぁと僕をなだめてくれた。
市長に代わって校長が、
「ミリアムさんは本日付けでこのシャルロッテン小学校に転入してきました。転入初日に大活躍してくれたこのミリアム・ミクレツカさんと幸運にも同じクラスになれるのは、、、6-Aのみなさんです!」
と続けると、僕の周りにいた生徒たちが歓喜の声を上げ始める。まさか、、、
「僕たちと同じクラスみたいだね、、、」
と肩をすくめるミル。最悪だ、、、
ミリアムがまるで品の良い優等生のような表情で皆の拍手を浴びながら僕たちの列に近づいてくるのが目に入る。
えっ? これから毎日あの女の顔を見なくちゃいけないの?
羨望の眼差しでミリアムを迎えるクラスメイトたちの中、一人ふてくされた顔でニラみつけている僕を見つけたミリアムが一瞬、露骨に顔を曇らせる。
そして、すれ違いざま僕の耳元に、
「なんで毛虫野郎がいるんだよ、潰すぞ」
と吐き捨てた後、再び爽やかな笑顔を繕って生徒たちの中に入り込んだのだった。
・・・憤死しそう。
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始業式が終わり、ミルと共に放り投げたままにしてあったカバンを取りに戻る。
すると、なにやら生徒たちが正門に群がって騒ぎ立てているのが目に入った。
何事かと近づいてみると、ちょうどクズ蟲が正門前を黒い馬に引かれて運ばれているところだった。
鎖でぐるぐる巻きにされて荷台に拘束されている。間違いない、今朝、他ならぬこの〈僕〉が死闘の末に倒したアイツだ。
鎮静剤を打たれて身動きできない哀れなクズ蟲に向かって、生徒たちは一様に敵意剥き出しに石を投げたり、侮蔑の言葉を投げかけたりしていた。
ただ一人ミルだけがそんなクズ蟲を痛ましげな表情で見つめていた、、、その目に涙を浮かべながら。
「よくぞあんな気色の悪いバケモノ相手に同情とかできるよね、感心するよ」
と僕が言うと、ミルは心が張り裂けてしまいそうだと言わんばかりに胸を押さえてこう言った。
「だって、あのクズ蟲も元は人間だったわけじゃない? それがあんな風にみんなに嫌われてゴミのように捨てられるんだもん、やっぱり可哀想だよ」
「うんうん、、、、、、、、、ハァ!?」
なんか当たり前のようにとんでもないことを言っていて、思わず聞き流すところだった。
「待って待って!! 何言ってんの!? アレが元は人間?? いくら異世界でもそれは荒唐無稽過ぎるって!!」
驚きを隠せず焦りまくる僕に対してミルは、
「グレゴール? ・・・なんか今日変だよ??」
と心配そうに首をかしげる。
思わず “異世界” なんて言ってしまったのは我ながら凡ミスだったけど、ミルの発言があまりにも衝撃的すぎて、、、
「クズ蟲が元は人間だったなんて常識じゃないか、、、一体、どうしちゃったのさ」
と心配そうな顔でミルが言う。
「フゥ、、、あのさ、、、」
静かにため息をついた後、僕は思い切ってミルに切り出した。
「ええーっ!! 記憶喪失!?」
僕はミルに自分が記憶喪失になってしまったのだと説明した。
ミルは思わず大声を出してしまったことで僕の秘密を周囲にバラてしまったのではないかと不安な顔で辺りをキョロキョロ見回したが、みんなクズ蟲に夢中で誰も僕たちのことなんて気にもかけていなかった。
こんないい子に嘘をつくのは心が痛んだが、
「君の知るグレゴールはどこかへ消えてしまった。代わりに三十歳の無職引きこもりが転生してきたんだよ、よろしくな」
なんて言えば彼をひどく混乱させるか、深く心配させるか、あるいは激しく恐怖させるかのどれかであろうことは目に見えてた。
無垢な少年に強烈なトラウマを与える訳にはいかない。
大人の僕は知っている、時に嘘は真実よりも慈悲深いのだと。
僕は言葉を選びながら丁寧に嘘をついた。
「朝、寝ぼけてベッドから落ちた時に頭を打っちゃってさ、、、と言ってもそんなに激しくぶつけたわけじゃないから、二、三日もすれば元に戻るとは思うんだけどね。もちろん、戻らなければ病院へ行くつもりさ。けど、今は変に家族を心配させたくなくてね、そんなわけで誰にも言えなかったんだよ」
ミルはそんな僕の手をしっかり握りしめて、
「はぁぁ、グレゴールは優しいなぁぁ、、、大丈夫、僕に出来る限りのサポートはするからね!」
と言った。
うぉーん、優しいのは君の方だよぉー。
「それじゃあ、改めて自己紹介させてもらうね。僕の名前はドラホミール・ドラホシュ。愛称はミル、君の親友だよっ!」
本名、ドラクエ感強っ、、、と思ったが、もちろん声には出さないでおいた。
「どうやら僕はグレゴールっていうらしい。よろしく、ミル」
僕がそう言うと彼は屈託のない笑顔をはじけさせた。
「グレゴールは何も心配しなくて大丈夫だからね、僕が全部教えてあげるね」
「ありがとおぉぉぉぉ!! 心強いよぉぉぉ!!」
きっと前のグレゴールもこの子が大好きだったに違いない。
「それで、話は戻るんだけど、、、クズ蟲が元は人間だったって話だよね」
教室へ向かう渡り廊下を歩きながらミルが言う。
「そうそう、、まずはそこから知りたい」
「うんうん、確かにこんなの信じられないかもだね、、、だけど事実なんだ。アレは元々は人間だったんだよ」
「いや、それ、ホントどういうことなの!? クズ蟲のどこをどう見ても人間の要素ゼロじゃん」
「〈原因不明の奇病〉って言われてるけど、実のところアレがどういう現象なのか現代科学をもってしても未だ解明されていないんだ」
「病気でああなっちゃうなんてちょっとイメージ湧かないなぁ、、、だって体の構造がまるで違うし」
「だよね。でも、たった一晩でああなっちゃうみたいだよ、ホント不思議だよね」
「一晩で!!? 病気ってことは感染るの??」
「感染ることはないみたいだよ。一説によると、人間の中に眠っていた蟲の遺伝子が何かの拍子に突然目覚めちゃってああなるとか、、、」
「蟲の遺伝子?」
「人類の祖先は蟲だったからね」
「え? 猿じゃなくて?」
「猿、、、哺乳類は割と近い祖先だね。大元の祖先は微生物だよ。それが無脊椎動物になって、節足動物〈蟲〉になって、そこから脊椎を持つ魚類➟両生類➟爬虫類を経てようやく哺乳類になったって言われてるね」
〈蟲〉ってのは三葉虫とかあの辺りのことだろうな、、、つまり進化論に関してはおおむね前の世界と変わらないみたいだ。
「だけどそこまで心配する必要はないよ。発病するのは40万人に一人って言われてるからね」
・・・いや、それ、結構多くない?
年末ジャンボで一等が当たる確率が確か2000万分の1、、、と考えると、やっぱ、そこそこ心配になる数字だなぁ。
「病気かぁ、、、じゃあ、あの檻に入れられてるのは、きっと病院かなんかに運ばれてる途中なんだね」
「残念ながらクズ蟲になっちゃった人はゴミ処理場に運ばれて燃やされちゃうんだ」
そう言ってミルは目に涙を浮かべた。
「なんにも悪いことしてないのに燃やされちゃうんだよ? クズ蟲は本来すごくおとなしい生き物なんだ。毒があるって言う人もいるけど、今朝みたいによほど強烈な刺激を与えない限り人間を襲うことなんてないんだよ。なのに見た目が気持ち悪いってだけで家族にさえ忌み嫌われる。不幸を呼び寄せるなんて言われて棄てられるんだ。挙げ句の果てに、ゴミと一緒に燃やされちゃうんだよ! もしかしたら人間の心が残ってるかもしれないのに。ひどいよね!」
ミルの目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
あんな気味の悪い蟲の為に涙を流せるなんて、まるでどっかの谷の姫様みたいだ。
「君は本当に優しいんだね、ミル」
僕はミルの肩に手を置いて慰めた。
だけど、その言葉だけじゃ足りないような気がして、こう付け加えた。
「世の中が間違ってるなら、僕たちで変えようじゃないか!」
僕は大人だから知っている。
世界は本気で変えようと思えば変えられる可能性が十分にあるってことを。
いつかクズ蟲が人間と共存できる未来が来るかもしれない。
いつかクズ蟲病を治して人間に戻せる日が来るかもしれない。
そこまでいかずとも、クズ蟲を燃やすのは可哀想だという価値観が根付く日くらい来てもおかしくはない。
前世の僕には世界の何一つとして変えることができなかった。
せいぜいSNSで世の中に対する不平不満を吐き出していただけ、、、だが、今回は違うぞ。
口先・指先だけの日々はもう終わりだ。
実際に行動して世界のカタチを変えてやる。
こんな優しい少年がこんなにも心を痛めている、そんな世界ならこの手で変えてみせる!
ミルは泣きはらした目で僕を見つめ、何度もうなずき、
「そうだよ、僕たちで変えよう! グレゴールと一緒なら何だって出来る気がする!」
と言って力強く僕の手を握った。
そしてそれから、こう付け加えた。
「〈ある朝、目を覚ますとベッドの上で大きな毒蟲に変身していた〉──そんな不憫な人たちを僕達で救うんだ!」
「・・・・・・・・・」
ミルの言葉が僕を停止させる。
頭の中がすっぽりと抜け落ちて、空っぽになる。
しばらくして、うぞうぞと幼虫のように疑問符が湧いて出る。
・・・ん?
・・・あれ、コレなんだっけ??
なんかヒジョーによく知っている文章のような────────
「あああああああぁぁぁ!!!!!」
ミルだけじゃなく周りにいた生徒たちがギョッとした顔で僕を見ていた。
だが、もはやそんなことを気にしてる場合じゃなかった。
目の前が真っ暗になり、世界が轟音を立てて揺れていた。
もしかして僕はとんでもない世界に来てしまったのかも、、、、、、
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「ある朝、グレゴール・ザムザが奇妙な夢から目を覚ますと自分がベッドの上で一匹の大きな毒蟲に変身しているのを発見した」
これはあの有名なフランツ・カフカの小説『変身』の最初の一文だ。
そしてこれは僕が人生で唯一ちゃんと読んだことのある本でもあった。
なぜ読書嫌いの僕がこの本を選んだのか、それは『変身』が有名な古典文学の中で最もページ数が少なかったからだ。あまりにもページ数が少ないので、本として成立させるために巻末に長々と解説が載せられていたり、他の短編小説と一緒に綴じられていたりするくらいなのだ。そんな風にしてなんとか一冊の本として成立するくらいに短い。だから僕はこの本を選んだのだ。
そして僕は自費で購入したこの古典文学を何度も何度も読んだ。
なぜか、、、学年が変わり担任が変われば去年と同じ本を題材に読書感想文を書いてもバレないからだ。
さすがに去年と全く同じ感想文を提出するのは気が引けたので、学年が変わる度にこの本を読み返したというわけだ。
どうせ短いし。
中学に上がっても高校に上がっても僕は『変身』の読書感想文を書き続けた。
その度に微妙に自分の感想が変わっていくのも面白かった。
そうして、いつの間にか僕はこの小説の大半を覚えてしまったのだ。
〈ある朝、目を覚ますとベッドの上で大きな毒蟲に変身していた〉
それは『変身』の世界そのものだった。
そして、この小説の主人公の名前は「グレゴール」、そしてその妹の名前は「グレーテ」といった。
これだけ同じ要素を見つけてしまったら、自分が『変身』の世界に転生してしまったんじゃないかと焦りもするというもの。
だが、、、一つ決定的な安心材料がある。
それは、僕のフルネームが〈グレゴール・ザムゾヴァ〉だということだ。
今朝、グレーテのことを〈グレーテ・ザムゾヴァ〉と呼んでいる少年たちがいた。
つまり自動的に僕の名前は〈グレゴール・ザムゾヴァ〉だということになる。
正直、この決定的な違いがなければ僕はこの時点で発狂していたかもしれない。
〈グレゴール・ザムザ〉
〈グレゴール・ザムゾヴァ〉
これもうホント、ギリですよ、ギリ。
もしも僕のファミリーネームが〈ザムザ〉だったらとしたら、僕の切実な願いや誓いや覚悟なんかは全て、駆除業者を前にした害虫の如く根絶やしにされていたところでした。
毒蟲宝くじの最後の一桁がドンピシャじゃなくてホント良かった!
兄妹の名前の一致にも肝が冷えたけど、ま、考えてみれば、グレゴールなんてどこにでもある名前だろうし、その妹がグレーテってのも十分ありうる組み合わせなのかもしれない。
兄弟姉妹に語呂の近い名前をつけるなんて古今東西よくあることだろうし。
「波平と海平」とか「ぐりとぐら」とか「アスベルとラステル」とかね。
それにしても、主人公を毒蟲に変身させちゃうなんて無慈悲すぎる設定だと思うよ、ホント。
作者の気がしれないわ、、、ま、僕には関係ないんだけど。
「グレゴール! ねぇ、グレゴールってば!」
ミルが僕の肩を一生懸命揺すって現実に引き戻してくれる。
「どうしたの、グレゴール、大丈夫? 顔色悪いよ?」
と心配そうに僕を覗き込んでいる姿を見て申し訳ない気持ちになる。
大人の僕がこんな心の優しい子を心配させちゃあダメだ。
「大丈夫! さぁ、教室へ行こう!」
僕が元気にそう言うと、ミルは安心した顔でニッコリと笑った。
そうだ、僕は安心していい筈だ。
なぜなら、カフカの『変身』にはこんな素敵な友達は登場しなかったのだから。
──グレゴールが自分が蟲になる運命だと気づくまであと640秒──




