第四話 駆け上がれ!絶望坂
走る、走る、一心不乱に走る。
[遅刻せずに学校に行く]
それはニューライフを順調にスタートさせる為、成し遂げねばならぬ最低限のミッション。
満身創痍であったにも関わらず思いの他、走り出しは順調だった。
怪我は痛むが身体は軽い。
クズ蟲との戦いの中でもなんとなく感じたことなのだが、グレゴールくんの運動能力は意外と高いのかもしれない。力は弱いけど。
これならなんとか間に合うかもしれない、そう思ったのも束の間、登り坂にさしかかったところで暗雲が立ち込め始める。
横っ腹が痛み始めたのだ。
さらには坂の長さが凶悪だった。
登っても登っても先が見えてこない。
それどころか登れば登るほど角度がキツくなっていった。
なんと悪意に満ちた坂。
坂のヘイトは目の前を走っていたミルにもブッ刺さっていた。
走るスピードが明らかに落ち、苦しそうにあえぎ始めている。
そうしてついには泣きそうな顔で、
「もう、、、無理、、、」
とこぼして立ち止まってしまった。
それはまだ坂の三合目といったところだった。
まだまだ続く坂と、紫とうもろこしみたいな顔でゼェゼェとあえいでいるミルを見て、「これは無理かも」とあきらめてしまいそうになったが、すぐに僕は思い直してこう言った。
「ダメだよ、簡単にあきらめちゃダメだ!」
このままだと僕のせいでミルまで退学になってしまう。
そんなことはさせてなるものか。
僕はミルが抱えていた重そうなリュックを奪い取ると、
「これは僕が持つから君は僕を先導してくれ!」
と力強く言った。
ミルは肩で息をしながらも大きく頭を縦に振って僕に同意する意思を伝えてくれた。
ミルは僕のため、僕はミルのために覚悟を決める。
もしかしたら人間は自分のためにではなく誰かのためになら限界を超えて頑張れるのかもしれない。
二人分の荷物はかなり重かったけど、横っ腹はすぐにオーバーヒートしてしまったけど、さらには全身の痛みで気を失う寸前だったけど、僕は十数年ぶりにできた親友と新しい自分のためにがむしゃらに走った。
「やっぱりダメだ、、、もう間に合わないよぅ、、、」
と再び弱音を吐いて立ち止まろうとするミルの手を引っぱってキツい坂を登り続ける。
坂の途中で、
「ねぇ、ボク、ホントもう無理、、、これ以上走ったら死んじゃう」
と完全に酸欠になって青ざめた顔でへたり込むミルに、
「ハイ、これ、自分で持って」
とリュックを渡して自分のリュックをお腹側に背負った後、僕は戸惑うミルを強引におんぶした。
「グレゴール、いくらなんでもそれは無理だよ、、、」
と背中越しに語りかけてくるミルに向かって、
「無理かどうかはやってみなくちゃわからない」
と言った後、僕は自分でも驚くほどの力を発揮して坂を駆け上がった。
たぎってる、たぎってるぞ。
「着いた! 学校だ!」
と背中で叫ぶミルの声に顔を上げると、目の前に古い石造りの建物がそびえ立っているのが見えた。
まるで古い教会のような厳かな趣があり、しばらく立ち止まって眺めていたいと思うほどに美しかったのだが、もちろん今はそんなことしている場合じゃない。
「ありがとう、グレゴール、あとは自分で走るよ」
と言ってミルが僕の背中から降りる。
助かった、、、そろそろ本当に死んじゃうんじゃないかと思ってたところでした。
建物からは、
「ゴーン、ゴーン、ゴーン」
という鐘の音が鳴り響き始めていた。
おそらく始業のチャイムのようなものなのだろう。
「急ごう!」
よし、気を抜かずにラストスパートを走り切るぞ!
正門まであと8メートル、7メートル、6メートル、5メートル、、、
僕は正門に集中線が見えるくらい全身全霊で走った、、、正門まであと4メートルというところの足元に落ちていたクッキーの紙袋にも気づかずに、、、
つるりんっ!
またしても僕は濡れたお菓子の袋に足を取られてしまったのだった。クッキーの絵が描かれた茶色い油紙でできた袋に。今後、お菓子の袋を道端に捨てるような外道を見つけたらその場で殴り倒してやることにしよう。
こうして僕はすっ転んで後頭部を強打、チカチカ星を仰ぎ見る羽目となった。
そんな僕のおでこに一匹のてんとう虫がフワフワと飛んできて止まる。
ハァー、どーもさっきから虫が寄ってくんなぁ、、、僕は君たちの仲間じゃないんだけどなぁ。
なんとか立ちあがろうにも脳がぐわんぐわんに揺れていてまるで力が入らない。
きっと格闘技でK.Oされるってこんな感じなんだろうな、、、
強敵にアゴを撃ち抜かれたボクサーならまだサマになるけど、お菓子の袋にすっ転んで立てなくなるとかカッコ悪すぎるよぅ。
終わった、、、始まったばかりの異世界生活が初日にして終わった。
見知らぬ空を見上げる僕の脳裏に映し出されていたのは一匹の哀れなキリギリスの姿だった。あるポカポカと温かい冬の昼下がり、ひとり春が来たと勘違いして冬眠生活から這い出て意気揚々と世界を見渡したその刹那、一面の雪景色に愕然としながら凍死する哀れなキリギリスの姿。そうか、アレが僕か、、、なんて冴えない人生、、、
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「プシューッ!」という唐突な蒸気音が僕を現実に引き戻す。
焦点を合わせると、ゆっくり閉ざされてゆく正門が目に飛び込んでくる。
這いつくばってでも前進して門の中へ入りたいのは山々だが、本当にまったく力が入らない状態だった。
いつもこうだ。
いつもいつもこうだ。
奮い起ち決意を固めて未来へ歩き始めた瞬間、闇の底へと蹴落とされる。
僕だって何度も立ち上がり、何度も闇の底から這い上がったんだ。
けれど、いつも同じことの繰り返しだった。
いつもゴールには辿り着けなかった。
いつまで経っても明るい未来はやって来なかった。
そうして僕はいつしか立ち上がることを辞めてしまった。
夢見ることを辞め、戦うことを辞め、足掻くことを辞めてしまった。
自分にあきらめ、他人にあきらめ、世界にあきらめた末に、閉じこもって独りきりになってしまったのだ。
新しい世界に来たところで何も変わらない。
これが僕の運命。
何度転生を繰り返したところで笑って暮らせる幸せな日々にたどり着くことなんてできないのだ、永遠に。
僕は宇宙の誰にも聴こえないようにひっそりとため息をついた。
そしてそれから目を閉じた・・・もう何も見なくてもいいや。
だが、どういうわけか、そんな僕の鼓膜は揺れていた。
無視しようにも、しつこく揺れ続けていた。
「グレゴール! グレゴール!!」
その振動は僕にまぶたを開かせた。
「ねぇ、グレゴールってば!!!」
そこにはミルが両手で僕の手を握り、必死で僕の名前を叫んでいる姿があった。
目に涙を溜めて僕をひっぱり起こそうとしてくれている無垢な少年ミル、、、そのあまりにもピュアな姿を見て僕はもう一度だけ立ち上がることについてしばし考えをめぐらせた。それから地面に手をついて上半身を起こし、少年の手を取って再起する。
平衡感覚を失っている僕の手をミルに引かれながら、二人、閉じてゆくゲートに向かって走り出す。
そして、、、
「ドゴォォォーン!」
僕たち二人が正門をくぐり抜けたその瞬間、背後で重い鉄の門が豪快に閉ざされる音が響く。
滑り込みセーフ!
つい数秒前まであれほど絶望していたというのに、今この瞬間、希望は僕の目の前でぼんやりと光を放っていた。
いつもなら、もうとっくにバッドエンドを迎えていた筈だった。
だが、今回は、、、何かが違うぞ?
「ゴーン、ゴーン、ゴーン」
始業を告げる鐘の音は鳴り続けていた。
「まだ間に合うよ、急ごう!」
頬を赤らめたミルが息を切らせて僕に笑いかける。
僕は呆然としながらも首を縦に振った。それから、
「こんなの置いて行こう」
と言ってリュックをドサリと地面に落とす。
すると、ミルも僕にならって重い荷物をその場に投げ捨てた。
「行こう、グレゴール! 始業式は体育館だっ!」
身軽になった僕たちは二人仲良く階段を駆け上がり、渡り廊下を爆走し、中庭を突っ切って、体育館へとすべり込んだのだった。
「ハァ、ハァ、ハァ、、、」
全校生徒と先生たちの「なんだコイツら」という視線を浴びながらも僕たちはしばらくの間、必死で酸素を求めて空気を吸い込み続け、少し落ち着いてきた頃にお互いの顔を見つめて笑い合った。
「ゴーン────────。」
ちょうどそこで鐘が鳴り止んだ。
「ホラ、そこ、さっさと自分の学年の列に並ぶ!」
と先生に怒られながらも、僕たちは込み上げる笑いを抑えることができなかった。
壇上に進行役の先生が現れてこう言った。
「それではこれより始業式を始めます」
よっしゃぁあああ!! 間に合ったぁあああ!!
ミッション[遅刻せずに学校に行く]──────クリア!
こうして、僕はミルという友達のおかげでどうにかこうにか初日早々の退学をまぬがれたのだった。
そうだ、ミルのおかげで、、、
「!」
その時点で初めて僕は前世と今世との決定的な違いに気づいたのだった。
十数年もの間、世界に背を向け世界から背を向けられてきた僕であったが、どういう運命の巡り合わせだか知らないが、今回は、、、独りじゃなかったのだ!! 今回の僕にはなんと仲間がいたのだ!!
思えばずっとずっとずっと独りだった。
ずっとずっとずっとずっと友達なんていなかったんだよ。
そんな僕にようやくできた友達がこんな素敵な子だなんて、、、もうホントに最高の気分っ!!
前の人生はあんなだったけど、この人生は友達を大切にしよう!
前の人生はあんなだったけど、この人生は決して独りよがりにならないでおこう。
そして、どんなことがあってもあきらめたりなんかせずに前へ進むんだ!
今度こそ、今度こそ、僕は僕にあきらめないぞっ!!
──グレゴールが自分が蟲になる運命だと気づくまであと64分──