休学
4.休学
受験が3月まで続いたため、受験勉強の疲れを取るための休み時間は一週間程しかなかった。
すぐに雪は溶け、学校近くの桜並木は黒いコンクリートを白くなるまで花びらを華やかに散らしている。
学校に通う様になってすぐ、全ての科目に精を出し、レポートや課題に追われる日々が始まった。病院は学校から通いやすい駅に近い病院に変更し、薬の内容が大きく変わったため、体力は回復しつつあった。生活リズムも受験期よりはいくらかマシであった。
順調に大学生になってから1ヶ月後、疲れが溜まった日の夜、糸が途切れる様に、ぷつんと、薬を飲み干した途端に怒りの様な感情が爆発する様に沸いて、コップを床に投げ付け叩き割った。
志望した学校に通えることはとても光栄な事だと口では言っても、学校なんか行きたくない。僕はいつまで勉強しなきゃならないんだ、いつまで苦しめば気が済むんだ?何がしたくて学校に行っているのか、そんな感情が頭を埋め尽くしていった。せき止めていた心の蓋を吹き飛ばし流れ出し止まらなくなった目の滴と感情は自分でもさっぱり理解できなかった。取り憑かれた様に叫いた。
基本的に温厚で争い事も仲裁に入る様にしてきた性格から想像も付かない行動だった。
後ろで、父は黙って僕の割ったコップを片付けて捨てていた。その時も息もしにくくなるほど涙は流れ続け、拭う事もしなかったが、父が去った後、片付けられたコップの破片を自分の部屋に持ち帰った。その尖った感情を自分に向け、右手で破片を強く握り締め左手首を何度も引っ掻いた。切れ目から鮮血も流れる。しばらくすると涙が止まって爆発した時よりは落ち着いてきた。
また感情を落ち付けようとして、数枚のコピー紙を机から掴み取り、破片の先で紙を千切り、もう片方の手で掴んだ紙を食い千切って飲み込んだ。飲み込めない時はそのまま唾液と一緒に吐き出して部屋を散らかした。本棚を倒したり壁に穴を開けたりして全力で物に八つ当たりした。その後は、親が心配していたのか行動を監視されている気がして鬱陶しく思いまた感情が込み上げてきた。机を蹴り、引き出しを全部ひっくり返して部屋を歩けない様にした。同時に食べていた紙を机から補充しまた食い千切って吐く、を繰り返した。
頑丈な机に両手を叩きつけて青いアザを作り、鉛筆を折り、紙を千切って出来る限り部屋を滅茶苦茶にしたかった。
耐えかねた親が無理矢理睡眠薬を僕に飲ませ、暴走は止まった。
眠りから覚めた時、部屋を傍観して記憶を辿りながら、派手にやったな、と他人事の様に部屋を眺めた。昨晩の感情は吐き出し切ったのか、何処かに行っていた。
朝はとりあえず紙を食い千切ることにした。理由は特にない。美味しい訳もない。
散々暴れたから当然だが、強制的に病院に連れて行かれ、一連の行動を伝えた所、精神安定剤が増えていた程度だった、その所を見ると医師の考えている事が分からなかった。
しかし、行動が異常だと思ったらしい両親は僕に2週間学校を休ませる事にした。
黙って従って2週間休んだ、しかし何も変わらない様で、感情が安定しているとも取れなかった為、思いっきり自分を責めた。休んでもこれか、またこれか。お前は劣等生だ。もう無理だ。
次の日は、雨が降っていた。感傷に浸る気分に丁度いいと思って庭に出て雨に当たった。「どうして僕は生きているんですか」「なんで生きなきゃいけないんですか」「いつまで苦しめば楽になれるんですか」「死なせてもくれないんですか」「報いってあるんですか」「見返りはあるんですか」「生きている実感を、雨の冷たさでしか感じられないのは辛いですよ」「生きるってなんですか」「楽しいと思える時はまた来るんですか」「こんなに苦しんでも、次にまた苦しみが待っているだけの人生は、楽しくないです」
雨雲に向かって力無く、呟いていた、声に出した方が多少楽だった。途中手に力がこもる。コンクリートを殴りつけた。家の壁は冷たくて、力が全部跳ね返ってくる。苦しみを受け入れてはくれなかった。雨と涙のどっちで顔が濡れているか分からなかった。
その後、大学の校則を本をめくって調べ物をした。「休学について……」。大学と親にそれを提出して申し出た。もう頑張りたくなかった。一年生は病気や障害を持っていた場合にのみ、一年間の休学が許される。そう記してあった。
そして、診断書を書いて貰い、休学の申請を済ませた時は、ゆっくり休む時間があるから、ゆっくり治療しようね、と言われた。診断書にも書いてあったことを見て、
どういう状態なのか何となく分かった。これは「うつ病」ってやつだ。僕がうつ病になるなんて考えた事もなかった。優等生でいるはずだったのに。競い合った友達を思い浮かべては、自分だけ大きな挫折をしている事を嘆いた。
大学の友達には適当に休む事を伝え、オーケストラのサークルには休団届を提出した。
劣等生、と言うか、普通の人でなくなっている様な予感はしていた。
適当な時間に起きて、適当に食事をして、昼間特に何もせず、うつを耐えながら日常生活だけを行う。そんな休学生活が始まった。「何もしない」事が病院で言われた事ではあったが、今まで生き急ぐ様に生活していた僕にとって、何もしない事はとても難しい事だった。何か嫌な事があれば紙を食い千切って吐き、手首に赤い線を沢山作った。そうすれば気持ちが落ち着いた。オーバードーズも始めはやっていたが、その後気持ちが悪くなるのであまりやらなかった。
夏になっても、リストカットの癖が付いていたので外出時には長袖を着て傷を隠していた。
インターネット上で、受験勉強を一緒に頑張ろう、と励まし合っていた女友達には、うつ病と聞いても僕は彼女に受験の成功者と思われていた。そのネット上の友達が近くに来ている、と言う話を聞いてすぐ会いに行った。相手はネット上の人に会うのに抵抗があったが今の僕には殆ど無かった。自分の身に危険があったとしても躊躇わなかった。実際どうでも良かった。仮に危険な人で僕を刺し殺しても別に構わなかった、そう思っていた。まあ、普通の女子大生だったが。
その後から、退屈な休学生活の予定を埋める様に彼女とは頻繁に会う様になった。冷たく凍りついた心を癒してくれる事を要求した。
またある日、頭痛が酷い日があった。うつ病特有の緊張型頭痛と偏頭痛が同時に来て、とても耐える事が出来ず紙を食い千切ってベッドや壁に頭を打ち付け、冷やしたり温めたりしたがどうしても辛かった。その時、スッと頭に浮かんだ事を実行しようと思った。
普段より思考力が落ちているのにいたって冷静に考えをまとめられたのが妙だった。
「今持っている薬の量と致死量を計算してどれだけあるか調べ、それと水を持って川に行き、ナイフで手首と頚動脈を切ってから意識を失う程度の薬を飲んで川に飛び込む」といった計画をほんの1分足らずで思いつき、ネット上の彼女へ遺書を送りつけ実行に移した。
薬の量は十分だった。ナイフは多用途ナイフを持ち、いざ、川へ行こうとした時、母に捕まった。
普通、頭を何度も打ち付けていた人が突然出かけるのを許可する方がおかしいだろう。すぐに今開いている病院へ連れて行かれ、自殺の計画はバレて失敗に終わり、精神安定剤を飲まされた。
強力な薬で立っている事も出来ず、すぐに寝てしまったが、一時間で目が覚めてしまった。あまり効いていないみたいだ。
また感情は全く無くなっていた。
その後、精神科の病院に強制入院する事になった。
なんか知らない所だ、面白そうな所だな、とまた他人事の様に感じ、入院を素直に受け入れた。




