選抜落ち
3.選抜落ち
校舎全体を暖気と共に桃色の花弁が舞い寒気を包み始めた。高校2年生になった、最初のイベントは、不安と期待の入り混じるクラス分けだ。僕が好きだった科目は理系。課題の量や勉強しないといけない時間が文系よりも必然的に多くなるが、理系が好きな僕なら出来るだろう。
でもここは進学校だからクラス分けは定期テストより模試の結果を大事にする。だからクラス分けを見ずとも分かった。僕の名前は選抜クラスの中になかった、つまり一般クラスに落とされた。三度目の"脱落"。もうすっかり癖になったマイナス思考の打算が的中し、案の定選抜から外される事になった。半年前に、僕が僕を笑っていた姿になった。分かっていたからダメージは受けなかったが、家族を泣かせる程の事をしてしまった。申し訳が立たないと思った、でも、でも何かおかしい、僕は頑張ってるんだ、"優等生"なんだ、どうしてこんな事になってるのか僕にも分からない。
落ちこぼれ教室に入った時、意外だったのが、周りの反応があまり厳しくなかった事、成績が悪くても居場所がなくなったりしない、今の心境にはありがたい、昔の心境なら嫌っていた、生易しい温度だった。
秋冬に始まった腹痛はいつの間にか忘れて、暖かい高校二年生が始まった。一般クラスの友達の幅がかなり広がったのは今でも誇りに思っているが、この通り、僕は一般クラスを下に見ている。だって僕は"優等生"だから。みんなと違って努力家なんだ。
そして年度終わりに受けた模擬試験の結果が返ってきた。偏差値66。選抜クラス並だ。いや、と言うか、越えている。何でだ、何でだ。何でだ?選抜クラスを落とされなくても良かった数字だ。この模擬試験は採点に入っていなかったのか?なぜ選抜クラスにいる事を諦めていた今、成績が上がった?でもクラスは決まったから僕に出来る選択肢は諦めるしかなかった。
成績も上々にスタートして部活の後輩も沢山出来て、去年とは違った充実感。2年生になり、新たな1年生を歓迎する。部活の後輩も経験者だ。心なしか、新入部員が少ない気がしたが、貴重な後輩を育て、先輩として、楽器が上手くないといけない、去年の様に休んでばかりじゃいけない、頭の悪い上司なんかになりたくない。選抜クラスにいられずとも、気合を入れて毎日勉強する。けれど腹痛は、時々起こるから、やっぱり適当にやってる人より、少し理解が良い程度だった。
さらに腹痛をエスカレートさせる事件が起こった。ホルンパートに新しく加わった、自分より技術のある後輩が指示はおろか、全く話にも応じてくれず、部活での自分の居場所は間もなく無くなったのだ。先輩がいなくなった。頼れるのは、同期は?話しかけても何だか去年と明らかに話が通らない。無視された。
ここまでとは予想していなかった。どうやら僕に対して「いじめ」らしいものが始まったみたいだ。他の部員もあまり口を利いてくれなくなった。男子で下手で、サボりで、異質で浮いていた。もう先輩失格だ。話に入れてもらえない事や練習で自分だけ注意される事にも慣れてきた。どうせサボりなんだ。僕なんか。頑張っているのに。
春期の成績が出た時、三者面談があった。「一般クラスでは頑張っていますよ。」「選抜クラスには元々いたから戻る事も不可能じゃないと思います」「去年よりは成績は落ちていますが」全部分かってるよ。母にも言った。「どうせこんなに落ちこぼれてるんだから思いっきり叱ってくれ」と。でもなんとなく温かった。もう"優等生"じゃないんだ、誰もそう見てくれないんだ。誰も信じてないんだ。子供の言い訳に聞こえるんだろう。孤独だった。温かさが冷たい。痛い。どうして。
小テストや定期試験、模擬試験で科目ごと、クラス1位を何度とってもあまり嬉しくなかった。かえって周りの成績の低さに辟易した。クラス平均点なんか取った時はたっぷり落ち込んだ。もう劣等生か。自分さえ僕を信用してくれなくなった。
去年より頻度の低い原因不明の腹痛が例によってまた始まり、欠席日数も溜まる。人の信頼も落ちる。でもいつでも出来る限り全力を尽くした。いつかまた優等生に返り咲く為に。
勉強は選抜クラスのモチベーションを保ちつつ、成績を取り続ける。部活は、何度無視されても挫けず、下手と思われても頑張って冷たい空気に耐える。
そうやって必死に毎日を過ごした。これが青春なのだろうか。なんの保証もない報われる日が来る事を盲信した。
楽器が冷えて身体の熱を奪われる冬の練習時間、先輩がこう言ってくれた、「お前、手汗すごいかいてる」暑くもないのに。手にだけ。理由なんて分からない、もう慣れた。これも原因不明だけど、学校に行けない程じゃないから気にもしてなかった。授業中ノートを走るペンは手汗で濡れた。たまに滑って抜けた。なんだろうこれは。カーディガンが好きでよく着ていたけど、暑くないのに手だけ汗が出る。楽器の錆が手汗で溶け出し、サビたものが手にこびりつく日がすごく増えた。両手に緑色がくっきり付くけど、腹痛で吹けなかった日々に比べたらむしろ練習の勲章の様に見えた。でも腹痛と手汗は度々表れる。僕を疑った僕が体調の変化の理由を探した。もしかしたら、病気があるのかもしれない、思いたかったが、そう都合良く行く訳はないだろうけど。あれこれ検索して内科も何度か通い、理由を説明できる様に探した。
部活の方はやっぱり楽しくなくなった。いじめられながらの練習が楽しい訳がない。男子の後輩と喋りながら帰るのだけが楽しみだった。でもなめられない様にと、クラシックの勉強にピアノを始めた。音楽の理解を深めるのにも必死だった。もちろん来年は受験で今年が最後だから本気で挑んだ、ゴールド金賞の歴史を取り返すため。でも今年もコンクールは銀賞。受験の失敗と同じだ。戦いが終わった瞬間の手応えに、勝ったと思ったのは自分だけだった。そのせいか、信頼のない、実力のない、勉強のできない、けど全力を賭けた劣等生は独り自分の制服の袖を涙でぐしゃぐしゃにした。
後輩たちは、きっと僕の泣く訳を理解するには、少し幼かっただろう。
秋冬になり、なお腹痛は続く。手汗も治らない。流石に気持ち悪くなったのでまた調べてみたら、突然、ある単語を見つけ、それを必死に理解しようとした。「自律神経失調症」と言う、症状の個人差が激しい為、医師にも判断が難しいとされていた神経症。これか、手汗の理由。僕は父に頼んで精神科の受診をしたいと頼んだ。そこにいけば僕を蝕んでいたものがなにか分かる気がした。
しかし医者は淡白な返答だった。「あなたがそういうならそうでしょうね」だって。は?僕が何年も苦しんでた理由を必死に探して見つけた返事がそれか?精神科の専門医が?ふざけるなよ。この医師に対して信頼は殆ど信頼をしなかった。だが、そこでもらった薬が驚く程脅威的だった。精神安定剤は眠くなるが腹痛と手汗の両方を抑えてくれる、さらに寝る前のマイスリーは一錠飲んで五分で酒に泥酔した様に平衡感覚を失い気分が良くなる。麻薬の様でもあった。
医師は信用しなかったため薬品名などは自分で調べて量を調節したりしていた。
ちょうどその頃、受験生0学期、と呼ばれる受験期間が始まっていた。受験、今度は無理しないで、3年前と同じ失敗なんかしない。そう意思を固めていた。受験を、優等生に返り咲く為の最後の手段ならば、失敗したくなかった。でも目標は高く、東京理科大学を志望した。落ちこぼれても今理系の授業が楽しくなくても、昔は好きだったのだから、理系が好きになるはずだと化学を選んだ。なぜ今楽しくないかは分からない。出来ないから楽しくないのかな。
高3になったが、選抜クラスに戻る事は出来なかった。親をまた泣かせたが、それは別に構わなかった。授業の点数でされるクラス分けの方が重要だったからだ。そこでは上のクラスになんとかしがみついている事ができた。それを親に何度も言って聞かせた。
部活でやられ慣れたいじめからも解放されたが、吹奏楽は好きだった。ずっと音楽の勉強はし続けた。
自分の居場所を気にすることもあまりなく、受験生としてなるべく沢山勉強した。
寝れなくて朝まで勉強する日があったり、かと思えば昼まで起きれなくてそこから勉強したり、勉強時間は高校より多めにとる様にしたが、生活リズムがあまり良くなかった。どうやらそれも体には良くなかったらしい。毎日の勉強時間と勉強内容を手帳に書いて、分かりやすくマーキングしながら積み重ねた。勉強も疲れも。
学校の授業は午前中に終わり、午後は家で勉強する日が増え、定期テストの点数も安定し、クラス1位を取ることも何度かあった。この時もやはりあまり優越感は感じなかった。選抜クラスはMARCHを目指しているのだから、それ位の偏差値を目指さないと優等生には戻れないと思ったため、MARCH圏内と言われても、それは嬉しくない。それより上なんだ。
夏のうちにセンターの得点を高めようと思い、模擬試験を目標にして、必死に勉強した。とにかく人より上に、上に。
センター模試では東京理科大化学科昼間部を合格率C判定(50%)の評価を取り、自信を大きく取り戻した。
その後、模擬試験や定期テストを重ねて言って、科目を絞ったり、拡げたりして合格校を増やそうとした。理系科目を化学に絞り、得意だった国語の現代文を活かす事にして、古文漢文を独学で勉強した。英語も順調に伸びているかと思うと、そうでもなかった。理系科目も、覚えた筈の所が解けずに悔しい思いをしたり、英文法も、単語も、発音できるのに書けない。一度解いたところが出来ない悔しさを何度も経験した。復習は何度もしているのに。現役の受験生は本番に近づくにつれ成績を大きく上げる傾向があるのに対し、僕の成績が夏をピークにゆっくり下降していた。それに関して直視出来ず、また理解出来なかった。何でこんな簡単な計算で間違えた?やる気がない奴とまるで同じ点数じゃ意味がない、もっと高い点が取れる筈なのに。焦りは募る。日中ぼーっとした頭をたたき起こしてガムを噛み締め問題を解き覚え込んだ。眠ってる場合じゃない、勉強に勉強して勉強を重ねた。スケジュールと勉強量の計画表を作り、勉強にはノートは使わず、勉強量と集中力を高めるためA4の無地コピー紙裏表を使い、1000枚消費した。ノートの様にまとめたものを作ると覚えたつもりになる、その性質を考慮して、覚える為以外に無駄なノートを取らない様にした。コーヒーなど利尿作用があるカフェインは取らない様にして、部屋から出なくてもいい環境を作り、手帳には1年間で目標の合計1500時間勉強も達成した。1500時間勉強すると志望校には必ず受かる、と教師の言葉を信じて。
その際、インターネットにも勉強時間を記録してグラフ化していたが、そこで友達ができた。彼女と同じ歳で一緒に受験を迎える為、お互い励ましのメッセージを送りあった。
先輩から貰った単語帳や赤本も連続して解けるまで解き続けた。所謂「満点学習法」を自分なりに作り上げて頭に解法を叩き込み続けた。
年の暮れ、大晦日の日にも僕は勉強をしていた。集中しているときに家族は新年を祝う準備を終え、テレビを見ていた、僕は家族の楽しそうな間の抜けた空気の団欒にイライラし、声が大きくなった瞬間に手元にあったガムの箱をを掴んで親目掛けて野球のボールよろしく投げつけた。一瞬の出来事で誰も状況を理解していなかった、家族も水をかぶった様に静まり返った。自分もあまり分かっていなかった。物を投げつけた理由がイライラしていただけだと言った時親は激怒し僕を叱りつけた。僕は急に泣き喚いた。激しい感情のぶつかり合いが起こった意味を理解できなかった。何故泣いているのかもわからなかった。親の怒りを鎮める方法も分からずただ泣き続けるといった、感情の制御が利かない状態に皆困惑して頭を掻き毟りながら涙を垂れ流した。
そうして、一年間の努力も虚しく、伸び悩み続けたまま受験を迎える事になってしまった。それに気づく事は無かったが、ある時、買い物をした時に、小銭を計算出来ず、店員さんに迷惑をかけた時に、集中力が欠損している違和感を感じた。毎日鍛え続けている脳が四則演算を間違えるとは普通思わないだろう。これ以来、計算せずに済む為恥をかかずに済む理由からお札を使う様になった。
受験本番は、センターを含め12日間の試験があった、神奈川大学、東海大学、を滑り止めにし、妥協を北里大学、青山学院大。中央大学、東京理科大学を本命に設定した。
高校受験のトラウマが起こらない様に常に気をつけていたが、どの試験でも、特に何を思う事も無く、無事に試験を受け終え、少し疲れた程度にしか考えていなかったのが少し不自然だったが、都合は良かった。何度か大学の最寄駅の改札で御守りを落とし、慌てて拾った。
受験本番の問題は持ち帰ったが、自己採点は全くしなかった。後ろを振り返らない、と言えば聞こえはいいが単に失敗を見る事を恐れていただけだった。
合格発表の日、まず早めの発表の青山学院大が不合格となった。何となく、慣れた気がしてきていた。だが、偏差値帯を考えると青山学院大が不合格という事は、中央大学と東京理科大学も同時に不合格が濃厚になる。
後日、やはり中央大学、東京理科大学は不合格だった。悔しさは無かった。やる事はやったとも思っていなかった。何も思わなかった。今まで何を考えて受験しているかも忘れていた。ただ、受験が終わらない、と漠然と感じていた。
不自然なのに気付いたのは、青山学院大でも試験の手応えが余裕だと思っていたにも関わらず、滑り止めの神奈川大学、東海大学、北里大学全て不合格が続いた時だった。気が付いただけでその時も何も思わなかった。不合格の文字には慣れた。自分の実力を見誤っている事をまた、繰り返している事も自覚していたが感情らしいものは何もなかった。
結局、3月に受験を持ち越し、卒業式では合格校が一つもない、と言う以前の目標とはかけ離れた結果になった。友達の自慢話なども不思議と悔しく感じず劣等生の恥もなく、ごまかして笑わせてくれようとした友達にも笑顔さえ見せず、卒業式を早々に済ませ、すぐ家に帰って勉強を続ける。
またガムを噛み眠気と闘いながら勉強を続けたが、それを見かねた両親が、神奈川大学と東海大学をもう一度受験させる様にした。受験申し込みをしに郵便局に行く時は、なんか、どうでもいいから早く終われ、と思っていた。試験中は簡単な問題だと思いながら、恐らく不正解を選び、結局全て不合格となった。
東京理科大学の夜間を最後に控え、落とせば浪人が確定する事になった。
結果から言えば、これだけは合格した。3度目となる理科大の校舎での受験、合格偏差値が50程度で倍率もあまり高くなかったため、低迷していた偏差値でも合格できた。これは恐らく運が良かっただけだった。発表を見る時、不合格でも合格でもどうでも良いと思っていた、「合格通知を見た時は、喜べば良いんだっけ。志望校に合格したんだ、今」とりあえず両親に伝えたら泣いて喜んでくれた。何か、良かったかなと思った。何故か他人事のように思った。
受験勉強はここで終わりになったが、心配してくれていた友達以外には誰にも話さなかった。学歴ロンダリングで今までの自分を考えると自慢しても良いはずだったが、自慢する気は全く無かった。しようと思わなかった。意味がない、とも思ってすらいなかった。




