出席
2.出席
志望校に入れず"脱落"した教室、と言うより、それにより闘志を燃やし下剋上を望んだ者を寄集めた教室、と言った印象だった。僕の様に失敗を経験した生徒が30人以上を占める選抜クラスで勉強する事になった。
意外にも自らを落ちこぼれと卑下し後ろを向いている人は多くなかった。
新しい制服、桜美林高校の名に相応しく咲き乱れた桃色のトンネル、これから始まる学園生活、青春を大きく左右する部活動、全てが僕達を歓迎し、輝かせていた。しかしまだ、僕は川和高校に落ちた事を考えて落ち込んでいた。教室の机に鉛筆で「公立公立公立公立……」。ひどい落ち込み様な上に歓迎している教室に失礼極まりない。
この環境は自分の望んだ環境か?違う、こんな所に来たかったんじゃない、川和に行きたかった。そう考えていたのは僕くらいなのか?でも、高校生になり、まだ沢山勉強する事はある。次の受験で復讐してやらないといけない。そうだ。戦わなきゃならない。この教室は再び勉強する意地に火を付けた。
授業のレベルは高くまた早く感じた、話に付いていけない程ではなかったが、ここはもう既に大学入試を見ている教室だ、それでも僕だけは、公立に落ちた事を考える癖は直らないままだった。
どんな形でも青春が始まると思うと、やりたい部活を選ぼうと思った。中学時代から夢見ていた吹奏楽部だ。男子数は圧倒的に少ないが、芸術の勉強を嗜んでいれば、少しは自分を着飾れる気がして、この学年唯一の男子として入部した。
この高校は中高一貫校で、高校生になった他のクラスの人達がいるため、実に多彩な性格で色んな人がいたのが興味深かった。
もちろんその中の吹奏楽部員達はみんな経験者で、自分が初心者として入るのも異質な存在だった。見た目も音も、輝かしい、正に青春を謳歌するのに適任に見えたトランペットを希望したが、人数の関係でホルンを担当する事になった。これも金管楽器なので似た様な楽器な為、始めてすぐに気に入った。金色のボディに、可愛らしい丸い形、それでいて奥ゆかしい、くぐもった音を奏でるかと思えば、狩人の如く雄大に吼える事もする。音色も多彩だが、音域も広く、曲によって色々なパートを受け持ち、最も演奏の難しい金管楽器としてギネスに載っているのも、やり甲斐を大きく感じ、暫くして一時もホルンの事が頭から離れる事はなくなった。
昔は音楽に興味は無かったが、部活が始まると途端に奥深さを実感し、一気にのめり込む。
スポンジが水を吸う様にあらゆる所から音楽の知識を装填していった。
今まで勉強漬けだった生活とは打って変わって音楽に時間と情熱を捧げる。
一度他の楽しみを覚えるともちろん毎日の勉強の吸収が悪くなるのは分かっていたが、元々落ちこぼれたと思えば何とも思わなかった。
テスト期間になり部活が出来ないので勉強に集中し直す。何となく怠さがあるが、元々"優等生"を気取っていた立場の僕には当然成績を残す事が教室での自分の居場所の存続に影響する、その義務があった。
英語に力を入れて教育している学校と言うだけあって、得意なはずの英語がさっぱり分からなかった。理科も数学も点数が平均程度で納得がいかなかった。なんでまたこんな点数なんだよ。もっとも、選抜クラスで平均程度ならば問題はないのだが、それでもその数字が自尊心に大きな傷を作った。
成績が落ちた理由を必死に探し勉強できる時に取り戻すべく知識を拾い集めようとしたが、そのまま夏休みになった。
部活動は本格化し、吹奏楽コンクールに向け、勉強を忘れ全力を部活だけに注ぎ込む。上達するのが楽しかった。みんなと同じ音楽を奏でる喜びを感じた、文化部とは思えない程の練習時間と練習の厳しさ。毎日少しずつ基礎練習と楽譜を読む練習をして、毎日吹ける音域音色を増やしていき、課題曲のマーチや自由曲のプロコフィエフのシンデレラ組曲を毎日聴き毎日吹き毎日研究する。太陽が最も長い時間コンクリートに照り付ける暑い日、ついに本番の吹奏楽コンクールに部員一丸で臨んだが、結果は奮わず、銀賞だった。この高校は9年連続金賞と銘打っていたにも関わらず、部員にとって銀賞というトロフィーは負の遺産として扱われた。顧問も悔しいと言っていた。もちろん悔しかった。
泣いている先輩達も沢山いた。けれどその意味を理解するには、まだ僕は幼すぎた。
夏休みが終わり、桜の木も葉を落とし始め、再び金木犀の香りを漂わせた頃、僕は完全燃焼したコンクールから進学校の通りに大量の宿題を見て立ち直るしかなくなり、一気に課題を片付け終えた登校日、突然の下痢の様な鈍痛が腹部に刺さり、耐えられず早退した。3日後にもそれは訪れた。
この日から、その痛みがおよそ3日おきに襲ってくる様になった様だ。
ただでさえ遅れている勉強、経験者と差のある部活の技量を蓄えるのには、学校に行く以外の選択肢は無かったが、少し疲れが溜まったのだろうと学校を休み内科にて診察を受けたが、特に悪い所は無かった様だった。効果のよく分からない漢方を貰い、学校に行くが、やはり腹痛が幾度となくやってくる。
別の内科で診てもらっても同じだった。関係のなさそうな血液検査、訳も分からず胃カメラを飲ませようとしてきたのに腹が立ち、無駄に高い金を払って、病院を出た。医療システムは充実しているが、所詮は商売人だった。
担任や顧問に相談して、部活を少し長めに休む運びとなり、ゆっくり寝る事にしたが、選抜クラス、吹奏楽部仲間からは陰で、が耳に入るほど、「サボり」と言われた。ムラはあるけれど勉強も部活も必死でやってきたつもりの自分には心外で、悔しくて悔しくて偏差値や技術を上げてやり返そうとしたが、病院でも異常はない、同じ理由で何度も休む、と言うから誰から見てもそう判断されてもおかしくなかった、言い返す言葉が出ない。多分自分がそんな人を見たら見下すだろう、同じ事を思うだろう。だけどその立場に立たされている僕は違う事を思った、理由をはっきりさせたかった。何故成績が悪くなったか、何故部活に出られないか、しかし腹痛が治る気配は無く、日に日に状況は悪化していく。それにプレッシャーを感じた。
学校では、後日全国の模擬試験を行う事になっていた。その大イベントが選抜クラスを湧かす。「選抜クラスで、元の志望校より高い偏差値を取ってやろう」そんな空気が今は酷く傷口に染みる。僕だって、見返してやりたい。 プレッシャーを追い払い、机にかじりつく。僕だって、偏差値を上げる1人になってやる。
僕の試験の結果は、偏差値40台まで落ち込んだ。選抜クラスどころではない、見た事のない数字に受験の失敗と同じ苦しみが頭を巡ってくる。もう全て失い、居場所がない、落ちこぼれた。戦士の様だった僕の闘争心は報われないまま。「サボり」はゆっくりと二段目の"脱落"まで進んだ。時期に殆どの人の信頼も失う事になったが、これも側から見れば当然だろう。だからって納得出来るか。僕は"優等生"だ。何がサボりだ。必ず報復してやる。今に見ていろ。そう思いながら今日も原因不明の腹痛は治らない。ストレスやイライラ、マイナス思考が頭を埋め尽くす様になる。毎日。
全国模試の熱が下がり、徐々に楽器の音程も少し低くなる。グラウンドを走る生徒達は皆長袖を着ている。桜のカーテンも半年見られないだろう。
部活動は野球部とほぼ同じ練習時間、嫌な訳じゃない、勉強が不安だから部活に集中しにくい。でも顧問からは初心者マークを剥がしてくれるお墨付の言葉を貰い、一人前の部員として音を作れる喜びを感じた。試験がなければ、毎日は楽しかった。文化祭の演し物は8クラス中1位、合唱コンクールでは僕は指揮者を務め、全クラス中準優勝に輝いた。
けれど、埋められず残してしまった傷、選抜クラスの一員として人並以下の偏差値が許される事はない。ある日、クラスの友達があるニュースを持ってきてくれた。「僕等のクラスの偏差値は"公立K高校"を越えた」教室中張り裂けるように大いに賑わった。その声に、みんなの喜びに、川和に最も執着心の強かった僕は、胸を張って加わりたかったが、それは叶わない。
足を引っ張った僕は、半年先の未来を予想してみた。自分自身の、身の振り方を。きっと今の僕は、未来の僕を、笑う。




