予兆
辞任したばかりの元大臣が変異し、駆除されたというニュースは、しかしほとんど報道されなかった。ガイアの復活もメディアには露出していない。
人々はネットで自由に知識を得られるようになったはずだが、しかしネットに「それ以外」の情報があふれている場合、ほとんど発見できなくなるようだった。
情報だけは巧妙にコントロールされていた。
佐竹久造がこの世を去り、赤羽も買収されておとなしくなったことで、対策本部は我が世の春を謳歌し始めた。
といっても苦しむのは赤羽だけで、俺たちのセンターには特に影響もなかったが。
ある日、風間菖蒲がセンターを訪問した。
前回同様、いかつい黒服を同伴させている。
「社名の変更まではいたしませんが、赤羽一族には経営から退いていただくこととなりました」
彼女はにこやかな表情でそんなことを告げた。
サイキック・ウェーブを発見し、その技術を研究、開発することで政府と協調して成長してきた企業であった。が、その成功も永遠ではなかったというわけだ。
風間菖蒲は心底嬉しそうに息を吸い込んだ。
「皆さまには深く感謝しております。今回のプランが成功したのも、皆さまのご活躍あってのこと。わたくしだけの力では成し得なかったことでしょう。誰かと力を合わせて目的を達成するというのは、じつに喜ばしい経験です。わたくしの胸も熱くなってしまいます」
「え、ええ……」
あまりの興奮に、各務珠璃もやや引いている。
俺はその脇からつっこみを入れた。
「ただ、これで終わりじゃありませんよね? 少なくともガイアがいる」
すると風間菖蒲は笑顔のまま、こう応じた。
「はい。いずれ皆さんに回収をお願いしようかと」
「回収? あのクソデカいのを?」
「そんなに大きいのですか?」
「いや、だって……この部屋よりデカいんですよ?」
さすがに見たことはなかったか。
彼女は「あらあら」と肩を落とした。
「傘下の研究所がぜひ調査したいと申しておりまして」
「なら現地に行くしかありませんよ。それも早めに。まだ本調子じゃないいまのうちにね」
まあ調査中にいきなり本気になって、全員死亡という可能性もあるが。
すると彼女は、今度は各務珠璃を見つめた。
「じつはお願いがあるのですが……。聞いていただけます?」
「内容によります……」
「惑星のヴィーナスという女性が、対策本部の幹部を次々と食い物にしているらしく……。懐柔された幹部たちが、ビルへの立ち入りを厳しく制限してしまったのです。そこで、皆さまにはヴィーナスの排除をお願いいたします。といっても、わたくしの権限では依頼できませんから、いずれ対策本部を通じて、ということになるかと思いますが」
すると各務珠璃が首をひねった。
「対策本部はヴィーナスさんに懐柔されてるんですよね? そんな依頼を出せるでしょうか?」
「叔父がなんとかしてくれるはずです。まだ懐柔されていないはずですので」
そのうちヴィーナス派とアンチ・ヴィーナス派で分裂しそうだな。頼むからこれ以上ややこしくしないでくれよ……。
*
しかし内部で揉めているのか、ヴィーナスに関する依頼はなかなか回ってこなかった。よほど熱烈なファンがいるらしい。
時間が経てば経つほどガイアの危険性は増すばかりだというのに。
俺は餅を連れ、道の駅へきていた。
姉妹全員のローテーションになるかと思ったが、機械の姉妹は特に興味を示さなかったし、赤ん坊もママも俺とのドライブを特に希望しなかったから、五代まゆ、餅、アッシュの三名だけ連れ出せばいいこととなった。
餅はいま、ベンチでソフトクリームを舐めている。
一口で全部食わないところは進歩といったところか。
この数日は、蒸し暑い日と肌寒い日が交互に来ていた。
秋と呼ぶにはまだ暑い。
今日の天気は良好。そして涼しい。いちばん過ごしやすい気候だ。毎日がこうならいいのにと思う。
餅がコーンをむさぼり、口の周りを粉だらけにした。
「おいしかった」
「ついてるぞ、口」
「かわいい?」
「かわいいから早く拭きなさい」
「はぁい」
ハンカチは持たせているはずなのだが、彼女は幼い子供みたいに手で拭き取った。
かと思うと、こちらへぐっと顔を近づけてきた。
「どう? とれた?」
「とれたよ」
「もっとちゃんと見て!」
「近い近い」
しかも目が血走っている。
まあこうしてふざけてくれると、俺の気分もいくらか紛れた。彼女の言動にはいつも救われている。
俺が頭をなでると、彼女は猫のように目を細めた。
「いいわ。私がかわいいからなでたくなったのね! もっとなでて!」
「もうじゅうぶんだ」
「ケチね。あ、それとも照れてるのかしら? みんなに見せつけてやりましょうよ」
みんなといっても、なんだか分からない野鳥くらいしかいない。あとは移動中の老夫婦のみ。誰も俺たちのことなど気にしちゃいない。
俺たちはそれから、しばらく富士山を眺めた。
いつもと同じ形でそこにある。
ただ見ているだけで時間が過ぎる。遠くの雲が、ゆっくりと流れてゆく。
餅がこてんと頭をあずけてきた。
「ね、二宮さん。ガイアのとこ行くの?」
「依頼が来たらね」
「私も行きたい」
「……」
よくない思い出が脳裏をよぎった。
前回、その選択をしたがために、とんでもなく後悔するハメになった。彼女だってこの上ない苦痛を味わったはずだ。なのにまた行きたいとは。人はトラウマを受けると、なぜかその行為を繰り返そうとするらしい。餅もそういう感情なのかもしれない。
「危ないからさ、留守番しててよ」
「留守番? ちゃんと帰ってくるの?」
「もちろん。俺はこれまで死んだことがないんだ。今後もそうだよ」
「嘘つき」
たぶん冗談で言ったのだと思うが、その言葉は深く突き刺さった。
嘘つき――。
もし死んでしまったら、俺は彼女に対して嘘をつくことになる。しかもその可能性は皆無ではない。ガイアは俺の命だけは奪わない。その確証は、しかしあくまで俺の思い込みでしかなかった。いまのガイアは抜け殻だから、なにを考えているか分からない。なにも考えていないかもしれない。衝動に任せて俺を殺すかもしれない。
この不安は、餅に悟られてしまった。
「やっぱり私も行く。二宮さんを守れるのは、私だけだもの」
「俺は君を守れる自信がない」
「いいよ。どんなに痛くされても、今度は我慢するもの。あなたのことも忘れない。私、もう負けないから」
「気持ちは嬉しいけど……」
自分だけ助かっても、まったく嬉しくないのだ。仲間も救えなければ意味がない。
いまはサイキック・ブラスターもあるし、なんならパーソナル・メッセージ・キャンセラーも機能する。それでも万全ではないのだ。
俺が判断に窮していると、彼女はこう断言した。
「やだ。私の知らないところで、勝手に死んだりしたら絶対に許さないから。二宮さんだってそうでしょ? 私のことじゃなくてもいいよ。誰か大事な人を想像してみて? その人が、ひとりでどこかに行って、勝手に死んじゃったらって思ったら……」
「そうだな……」
俺たちは傷を共有しているようなものだ。
置いていくのはあまりに水臭い。最後になるかもしれないのだ。中途半端は判断は後悔を生む。
*
帰宅すると、五代まゆはクッションを抱えて体育座りしていた。猛ダッシュしてきたのはアッシュだけ。
「お帰り! チョコある?」
「あるよ。でもあとでな」
「うん!」
もはや俺にチョコがあるかどうか確認するマシーンと化している。もちろん買ってこないわけがない。
五代まゆは無言のままジト目。
そんな目で見られてもな……。
「鐘捲さん、これお土産。あとで分けてあげて」
「うん」
俺が勝手に配ると秩序が乱れる。というか怒られる。こうするのがいちばんいい。
餅はまっすぐ五代まゆのところへ行った。
「なに? 元気ないじゃない」
「当然でしょ。あなたみたいな駄肉が、二宮さんとふたりきりなんて」
「しょうがないでしょ。私たち運命の糸で結ばれてるんだから」
「前回は私だった」
「過去のことなんて忘れなさい。私たちには未来しかないのよ」
「はぁ?」
妙にいい話っぽくしやがる。
ふと、機械の姉妹がやってきた。
「少しお話しできますか?」
「オーケー」
いいニュースなのか悪いニュースなのか、表情からは読めない。
*
階段をあがり、屋上の手前のドアまで来た。
また不審な点でも発見したのだろうか。
彼女は階下を覗き込み、誰もついてきていないことを確認した。
「言いづらいのですが、変異がかなり進行しているようです」
「進行? 誰の?」
「あなたの」
機械の姉妹はジョークを言っているふうではない。いつも通りの真顔だ。
まあ薄々分かってはいた。キャンセラーなしでグランドクロスの直撃を受けたのだ。こうして二足歩行できているほうが奇跡だ。
「危険なのか?」
「正直分かりません。結果は個人によって異なりますから。ただし、なにが起きても不思議ではありません。もうこれ以上、現場に出ないほうがいいと思います」
そこまでか?
俺個人としては、特に変化を感じないのだが。
「教えてくれてありがとう。ただ、もう少しだけやるべきことがあるんだ。それが終わったら考えるよ」
「ヴィーナスを相手にするだけなら問題ないと思います。しかしガイアは……」
彼女が覚醒したら、レベル15のサイキック・ウェーブを浴びることとなる。キャンセラーを使えば打ち消せるはずだが、身体が受ける影響に関してはまだ分からない点も多い。
特に、いまの俺の体では、人の形を保てるという保証はない。
だが、これも因果応報だ。
怪物と戦うものは、自身も怪物とならぬよう注意せよ、と、古人も言った。
俺は命を奪いすぎた。
逆に奪われることだってある。
プルートもそれを望んでいる。きっと惑星の連中も待っている。
もちろんそんなことになるつもりはないが。俺がどんなつもりであろうが、現実は非情な決断をくだすものだ。
ふと、階下から声がした。
「機械ちゃん、そこにいる? お菓子配るから来て」
鐘捲雛子の声だ。
「いま行きます」
あんまりコソコソしていても不審がられてしまう。
俺は彼女の背を押し、下へ行くよう促した。
するとどういうつもりか、鐘捲雛子が階段をあがってきた。
「下にお菓子あるから、みんなで分けて」
「はい……」
そうして機械の姉妹を行かせると、彼女はまっすぐにこちらを見つめてきた。いつにも増して目つきが鋭い。
「体、どこか悪いの?」
「えっ? いや、まあ……でも大丈夫だよ。この通り」
両手を広げて見せたが、その腕をはたき落とされた。
「ふざけないで。さっきのあの子の顔見た? あまり表に出さないタイプなのに……」
「かなわないな」
「あなたになにかあると、みんなが哀しむの。だから、なにかあるなら隠さず言って。汚れ仕事は私が引き受けるから。信用できないかもしれないけど」
「いや、信用してるよ。言う。じつはサイキック・ウェーブを浴び過ぎたみたいでさ……」
事情を説明すると、彼女はかすかに溜め息をついた。
「みんなには黙っておく。でも、ホントに気を付けて。ヴィーナスの仕事は私が出るから」
「悪いね。でもガイアのときは俺が出るよ。あの子はきっと俺を待ってる」
鐘捲雛子は呆れたような表情を見せた。
「またそんなこと言って……。どうせ止めても聞かないと思うけど」
「どうしても自分で決着をつけたいんだ」
「決着って? 調査に行くだけなんでしょ? その調査だって向こうのチームがやるんだろうし、こっちはただの護衛じゃないの」
「万が一の話さ。なにもないならそれでいい」
まあ起こるけどな。なんとなく、そんな気がする。
もうなにも言ってこなかったので、俺は階段をおりた。
お菓子を選ぶ姉妹たちの楽しげな声がする。
この幸福な空間を守るためなら、俺のすべてを賭けてもいい。
(つづく)




