チェックメイト
俺は窓から外を覗き込み、階下の変異体を確認した。
食事中だ。
よく分からない肉が、よく分からない肉を食っている。ただし体のバランスがいびつで、動きがのたのたしている。鐘捲雛子とジョン・グッドマンだけで対処できそうだ。
「ちょっと上の様子見てくるわ。ふたりは下の殺っといて」
これに眉をひそめたのは鐘捲雛子だ。
「なに言ってんの?」
「ご不満かな?」
「またひとりで勝手なこと……。自分のこと優秀だと思うのやめたら? さっきだって、私がいなかったら全滅してたでしょ?」
「まあそうなんだけど。でも上のは大丈夫だよ。経験上ね」
「アテにならない」
「かといってみんなで行くってのもな……。たぶん安全なのは俺だけだし」
確証はあった。
ウラヌスは「失敗作」などと言ったが、俺の予想では、そいつはガイアそのものだ。
ジョン・グッドマンがうなずいた。
「なにか考えがあるのでござるな?」
「そう。ご協力いただけると嬉しいです」
「承知いたした。下の変異体は、拙者と鐘捲どので対処しておくでござる。鐘捲どの、よろしいな?」
鐘捲雛子は溜め息だ。
「どうせ私の意見なんて聞いてくれないんでしょ? 勝手にしたら? その代わり、死んでも知らないから」
もちろんだ。
あ、死ぬつもりもないが。
*
本当に静かだ。
人もモノもないからガランガランで、熱を発しているのは俺の体しかない。
床には、吹き込んできたらしい塵がうっすら堆積している。あるいは、血痕らしきものや、なんだか分からないシミがこびりついていた。
壁には、拳銃弾がつくったと思しきくぼみもあった。
思えば激しい戦闘をしたものだ。
ヘッドセットはとっくにオフラインになっている。電波はコンクリートを突破しづらい。サイキック・ウェーブなら通信できるのだが……。
俺はあるところで、上階へメッセージを送ってみた。
が、返事はない。
もしかするとガイアではないのだろうか。
*
四十五階――。
ドス黒い肉がフロア全体を覆っていた。
花は咲いていない。
少女もいない。
ただ床や壁を覆いつくしているだけの肉だ。サイキック・ウェーブも微弱。
まだ生まれたばかりで、この世界に戸惑っているのかもしれない。あるいは巨大すぎる精神を受け止めきれず、肉体が疲弊しているか。昏睡状態ということも考えられる。
下水から養分を取得しているらしく、かすかに腐臭があった。
健康ではなさそうだ。
強制的に蘇生させられて、肉の器に移し替えられて、彼女は苦しんでいる。なんとか栄養を吸収しようと思い、下水管に手を突っ込んだのだろう。
いずれ十分な栄養を得られるかもしれない。
しかしそのとき、彼女は自分の生を肯定できないかもしれない。
こんな不遇な環境に産み落とされたのだ。誰もいない、食べ物もない、ただコンクリートに囲まれただけの場所。
必ず巨大な災厄の種になる。
俺は溜め息をついた。
ウラヌスも、恩返しをしたいというのなら、しかるべき環境で彼女を育ててやるべきだった。これではあまりに不幸だ。
国家権力が彼女の生存を否定しなくとも、彼女が彼女自身で否定することになる。
いまのうちに殺害しておくべきか……。
サイキック・ブラスターを使えば、なんらかの異常を引き起こせる。水道管に突っ込んだ腕が機能しなくなる可能性もあるし、膨張したみずからの身体で圧死することもある。
必死で生きようとしている命ではあるが……。
*
エントランスへ戻ると、すでにカタがついていた。
アルバイト連中は全滅。キャンセラーさえ装備していれば、ここまでの事態にはならなかったはずなのに。
俺はバンに乗り込み、空いている座席に腰をおろした。
「なにか言ったら?」
後ろの鐘捲雛子から声をかけられた。
「なにかって?」
「誰がいたの?」
「ガイアだよ」
「殺したの?」
「いや」
俺は結局、撃てなかった。
いろいろ理由はある。彼女が不憫だとか、面倒に関わりたくないとか、それは仕事に含まれていないとか。いや、結局のところ、俺はその件について「考えたくなかった」のだ。あまりに空疎な気持ちになった。
今後、ガイアを巡って問題が起こるだろう。
そのときどうするかを判断するのは俺じゃない。必要になったら依頼が来る。俺は言われた通りやるだけだ。今回はなにも言われていない。
車が発進した。
無人の街並みが流れてゆく。
この周囲にはまだ人が戻っていない。戻りたがらないのだ。フェストはここを中心に蔓延した。忌むべき場所として人々に記憶されてしまっている。
遠ざかるビルは、巨大な墓標のようにも見えた。
*
センターに戻ると、俺はまっさきにシャワーを浴びた。
不浄なものを感じたせいだ。遭遇したガイアの肉が不衛生だったせいではなく。俺が洗い流したかったのは雑菌ではなく、雑念だった。気分をサッパリさせたかった。
執務室へ入り、各務珠璃に報告した。
「分かってるとは思うけど、バイトは全滅した」
「はい……」
このことは、センターにバンが到着した時点で彼女も気づいただろう。出かけたときと帰ってきたときでメンバーの数が違ったのだ。
このあと米軍と折衝すると思うと気が重かろう。負傷ならまだしも、全滅だ。二度と人をよこしてくれないかもしれない。
構わず俺は言葉を続けた。
「ターゲットのウラヌスとマーキュリーは片付けた」
「はい……」
「四十五階にはガイアもいた」
「はい……はい?」
彼女は模範的な二度見を披露してくれた。
「ガイアだよ、ガイア。まだマテリアルが膨張した程度でしかなく、意思疎通もできないレベルだったけど」
「い、いたんですか? もう?」
「いたよ。対策本部に連絡したほうがいい。いま殺すならそんなに難しくない。ビルごと崩落させるスイッチもあるから」
俺はウラヌスの死体から回収したスイッチをテーブルに置いた。
いかにも市販品を改造したらしい急造のスイッチだ。漫画に出てくる自爆ボタンよりショボい。
「えっ、スイッチ? これ? 入れたら爆発するんですか?」
「ここからじゃ電波届かないと思うけど……。いや、電波なのかな。なんだか分からないけど。まあとっといてよ」
「え、はい……」
イヤそうだ。
持っていたくなかったら、対策本部に押し付ければいい話だ。
「ラストはヴィーナスかな。いつヤる予定?」
「それはなんとも。向こうの判断次第ですから」
いったいどこに隠れていることやら。
とはいえ、この作戦に参加しておらず、戦意さえないのなら、ターゲットにする必要はない。どこかで生を満喫してくれればいい。ガイアは復活してしまったのだ。いまやそちらのほうが問題だ。
*
数日後、ニュースに進展があった。
下落しきった赤羽メディカル工業の株を、風間バザールなる企業が買い進め、ついに傘下におさめたのだという。研究が思うように進まず、関連施設の閉鎖が相次いでおり、そこへ風評被害がトドメを刺した、というのが専門家の見立てだった。関連施設の閉鎖といっても、俺たちが攻撃をしかけたせいだが。
資金源を失った佐竹久造は発言力を失い、あっという間に失脚。表向きは、思うようにフェストを収束させられなかったせいとされたが。
新たな厚労大臣には、与党の政治家が就任した。
後ろ盾がなくなると、すぐに追い落とされる。じつに分かりやすい世界だ。
*
というわけで、ホテルのバーに来た。
ちょっとした祝勝会というわけだ。
主催は各務珠璃。対策本部の連中も招くとかで、奮発して高めのプランとなった。俺は居酒屋でもよかったのだが。
立食パーティーだ。
帰りはタクシーだから飲んだくれても構わない。
俺は味のキツいブルーチーズを齧りながら、地ビールを煽っていた。
各務珠璃は偉いさんがたに挨拶回りをしているが、俺は特に話す相手もいない。島田高志も来てはいるのだが、彼も対策本部を相手にするので忙しそうだった。
「たまにはビール以外も飲んだら?」
鐘捲雛子がこちらへ来た。
似合わないスーツ姿だ。就職活動中の学生にしか見えない。
彼女も俺なんかには用もなかったと思うが、しかしほかに会話の相手もなく、やむをえずこちらへ来たのだろう。
「そういう君はなに飲んでるんだ?」
「これ? なんか、ノンアルコールのやつ……。もしかしてバカにしてる?」
「いや」
他人に強要するつもりはない。好きなのを飲んだらいい。だいたい、ほかの誰かが飲んだら、俺の飲むビールが減ってしまうではないか。このシンプルな理屈を分からない酔っ払いもいる。まあ酔っ払いは基本的になにも分からなくなっているものだが。
対策本部の連中は「これで安泰ですねぇ」だの、「新しい大臣は見込みがありますから」だの、もう都合のいい未来を思い描いている。いまこの瞬間もガイアは活動を続けているというのに。
風間の人間も参加しているらしく、彼の周囲にはちょっとした人だかりができていた。赤羽を買収した風間一族と仲良くしておこうという魂胆であろう。
肉を山盛り食っていたジョン・グッドマンが満足そうな顔でこちらへ来た。
「いやはや、贅沢な催しでござるな。こんなに食べ物があるのに、誰も手を付けぬとは。もったいないでござるよ」
対策本部の連中は、どいつもこいつも五十代以上に見えた。俺の倍は人生を生きている。それが揃いも揃って金と利権のことばかり考えているのだからな。ついでにフェストのことも考えてはいるんだろうけれど。
なんのために戦ってきたのか、分からなくなりそうだ。
「グッドマンさん、お酒は?」
「あいや、拙者は禁酒中なのでござる。ついつい飲み過ぎてしまうゆえ」
「立派ですね。尊敬しますよ」
こんなにビールがあるのに、我慢できるなんて。
地ビールというだけあって、うちの倉庫に残っている缶ビールとは比較にならないうまさだった。ちゃんと味がある。缶ビールも酔うだけなら悪くないのだが、クリアだドライだと無味を売りにしているから、アルコールしか摂取できない。ま、俺にはお似合いではあるのだが。クセがないぶん体調や気分にも左右されないし。
「ちょっと飲みすぎじゃない?」
鐘捲雛子が眉をひそめたが、俺は気にしなかった。
「ぜんぜん足りない。それに、この世界のクソさにレベルを合わせようと思ったら、ちょっと酔ってるくらいがちょうどいいんだよ」
「クソとか言わないで」
「失礼」
しかしこのブルーチーズはちょっと味がエグすぎるな。カビているとしか思えない。中和のために、もっとビールが必要だ。
ただ、まだなにも終わっていないことだけは確かだった。
赤羽は買収され、佐竹久造は失脚した。しかしガイアがいる。フェストも収束していない。対策本部だっていつ内部抗争を再開してもおかしくない。次は風間も参加してくる。誰がどう動くか読めない。
青村放哉だって、大統領の復活を諦めたわけではないのだ。
この祝勝会は、勝利を祝うためのものじゃない。勝利したつもりになりたいがための、虚飾の酒宴だ。
(つづく)




