テオナナカトル 後編
「ちょっと味見していい?」
「もちろんです」
どう理由をつけて帰ろうか思案している俺の眼前で、佐々木双葉がキノコを齧り始めた。警戒心というものがまったく感じられない。
「あー、ちょっと……」
力づくでも止めるべきだったかもしれないが、手遅れだった。
彼女はもぐもぐと頬張り、躊躇もなく飲み込んでしまった。
「んー。味の薄いシイタケ……みたいな? でもさー、これってどれくらいで効くの? 百年後? そしたらミイラになっちゃわない? ね、姉貴? あれ? 姉貴……っていうか犬! 体、犬になってるじゃん! ウケる!」
すでに効いてるようだな。
彼女を見て、マネキンたちもほほえんでいる。
まさか、罠ってことはないだろうな。善良そうな顔でキノコを食わせ、動けなくなったところをじわじわとなぶり殺すのだ。
俺は女王に尋ねた。
「このキノコはなんなんです?」
「神の肉、と、私たちは呼んでいます。よく噛んで飲み込めば、精神が天空に触れることでしょう。あるいは天空が精神に触れているのかも。それは全なるものとの対話であり、交合であり、融和であり……。この世界のすべてと一体化することができます。さ、あなたもおひとつ」
流れるような動作で俺の前に差し出してくる。
が、受け取るわけにはいかない。
「俺はいい。この子を無事に連れて帰らないといけないから」
「無理強いはしません。ただ、彼女はしばらく帰ってこられませんから、その間、退屈することになると思いますよ」
「結構」
俺は手近な岩に腰をおろした。
こうなったら回復するまで待つしかない。
佐々木双葉は仰向けになったまま、はるか遠くを見つめている。
「あ、分かるー。孤独ってやつかな? うん、うん。双葉ちゃんもわりと孤独だからさぁ」
誰とどんな会話をしているのやら。発せられているサイキック・ウェーブはぐちゃぐちゃだ。
その後、彼女は「パン、パン、パンツ」なる意味不明な歌を歌い、ひとりでのけぞって大笑いしていた。ママがどうだこうだ言っていたから、幼少期に親から聞かされた歌かもしれない。
こんな危ない趣味の持ち主でも、幼いころは素直でかわいかったのだろう。
ふと、マネキンたちもキノコを口にし始めた。
彼女たちは基本的に言葉を使わないから、サイキック・ウェーブで感情を共有する。いまはキノコでキマったぐちゃぐちゃの波だ。
内容はカオスすぎて理解不能。
しかして女王は慈愛に満ちた表情で、正気を失った同胞を見守っている。
彼女はヤらないのだろうか。
「こんなキノコ、どこで見つけたんです?」
「見つけた、というよりは、育てた、といったほうが適切かもしれません」
「育てた? サイキック・ウェーブで?」
「私たちは森をさまよっているうち、崇めるべき神の姿を見つけました。猛々しく、それでいて瑞々しい、誘惑的な姿……。やがて誰からともなく口づけを捧げ、この世界の全なるものとつながりました。以後、私たちは神の肉を愛し続けています。神の肉も私たちの愛に応え、次第に現在の姿へと変化していきました」
偶然見つけたキノコでキマって、それを愛用しているうちに、サイキック・ウェーブで変異させてしまったということか。
キノコに神の姿を見るとはな……。
もしかすると大統領もキノコ愛好家だったのかもしれない。とはいえ、俺たちが食っていたものには幻覚作用などなかったが。
俺はなんの気なしに尋ねた。
「ちなみに、そのキノコはどの辺で採れるんです?」
「どの辺、とは……?」
「場所ですよ。キノコなんだから、どこかに生えてるわけでしょ?」
すると女王は微笑のまま、かすかにかぶりを振った。
「いいえ。それは私たちの願いに応じて、初めて姿を現すものです」
「願い?」
「供物をささげ、神の姿をイメージするのです。すると供物は神の肉へと姿を変えます」
「……」
動物の死骸を変異させているということか。
ある生物を、狙った姿に変異させているというわけだ。本当にそんなことが可能なのだろうか。特殊な技術が要るのでは。
「あのー、もし、ですけど、あなたたちが願えば、供物をキノコ以外の姿に変えることもできるんでしょうか? たとえば草花だとか樹木だとか」
「なぜそんなことを?」
「いや、あくまで可能性の話です」
「キノコ以外の姿になったことはありませんね。というより、供物がキノコになりたがっていますので、私たちはその活動を見守っているにすぎません」
まるで仏師が仏像を彫り出すみたいな言い草だな。
そこまで好きにデザインできるわけじゃないということか。
キノコというのは、植物より動物に近い存在らしい。だから逆に、動物を変異させる場合でも、植物に変異させるより、キノコに変異させるほうが簡単なのかもしれない。
ともあれ、こんな会話をしている最中も、そこらでマネキンたちがのたうっていた。もちろん佐々木双葉も。
「勧めるわけじゃないけど、あなたはやらないんですか?」
俺がそう尋ねると、彼女はやや恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「私がやると、群れが崩壊しますから」
サイキック・ウェーブを制御し切れず、変異させてしまうということか。それは確かに危なすぎるな。
「持ち帰って研究したいんで、ひとついただいても構いませんか?」
「ええ、どうぞ」
手で握れるくらいの、しっとりとしたキノコだ。カラフルというより、やはり毒々しいマーブル模様。赤、白、青紫、黄色、多様な色彩が入り乱れている。美しいと言えば美しいが、これを口にするのは抵抗がある。
「あれ? あたしパンツ履いてない! いや、履いてたわ。なんか背中痛いんだけど……」
佐々木双葉が、とつぜん正気に戻った。
もちろんパンツは履いている。だいぶ着崩れているが、ジャージのままだ。
「おはよう」
昼過ぎだが、俺は彼女へそう声をかけた。
待ちすぎて腹が減ってしまった。途中でラーメンでも食って帰りたいところだ。
彼女は何度も目をつむりながら、キョロキョロと周囲を見回した。
「あー、ここか。そうだ。山に入って……。うわー、なんかいろいろ見ちゃった」
「この指、何本に見える」
「ピース!」
正解だ。
日本だけに二本って……。いや、言わないほうがいいだろう。俺にも最低限の分別はある。
佐々木双葉は深く息を吐いた。
「いやー、三年分はキマったっぽい。頭もそんなダルくないし。でも神さまとやらは見えなかったよ。なんか、昔の楽しかった思い出が見えただけで」
しかし「楽しかった」とつぶやいた彼女の表情は冴えなかった。
日はやや傾き、虫たちも好き放題に鳴いている。
彼女は腰をあげ、深呼吸をした。
「お姉さん、ありがと。楽しかったよ。でも、もう帰るね」
女王もにこやかにほほえんでいる。
「そうですか。では、また会える日を楽しみにしています」
「うん」
*
俺たちは道を引き返し、バンに乗り込んでセンターへ帰ることにした。
ハンドルを握りながら、俺はこう牽制した。
「そのキノコ、研究用に譲ってもらったやつだから食わないでね」
すると彼女は素直に「うん」と応じ、ダッシュボードの中へしまった。
「あたしはもういいかな」
「お気に召さなかった?」
「なんかね。楽しい思い出なのはいいんだ。ひたってるときは幸福だし。でも、どうせ終わったことじゃん。もう手に入んないのにさ。なんか、虚しさがハンパなくて」
窓の外を見つめながら、そんなことを言う。
過去の楽しい記憶だけが蘇る、となると、素晴らしいモノのようにも思えるのだが。人によってはそうでもないということか。
あのマネキンたちは、いったいどんな景色を求めてキノコを口にしていたのだろうか。サイキック・ウェーブからは映像を探れなかった。
そこには彼女たちにしか見えない、幸福な「なにか」があるのだろうか。
佐々木双葉は、溜め息とともにシートに頭をあずけた。
「おなか空いちゃった」
「途中にラーメン屋があるから、そこで食っていこう」
「うまいの?」
「知らない。入ったこともないし」
店の脇にある空き地に車が何台か停まっているから、客は入っているのだろう。この道はトラックがよく通るから、そのドライバー目当ての店かもしれない。
*
食事を終えてセンターに戻ると、箒を持った鐘捲雛子に足止めされた。
「なにそのキノコ! 近寄らないで!」
滅多に声を荒げない彼女が、珍しく甲高い声を出した。
といっても怒りからではなく、恐怖からといった感じだったが。
まあどう見てもまともなキノコじゃないのは認める。
「いや、研究に使うから」
「待って! 止まって! 中に入らないで! 捨てて!」
棒術みたいに箒の先端で威嚇してくる。
構えが本格的だから、こちらもヘタに動けない。
「あの、だから、研究にね……」
「研究? 意味分かんない! 毒キノコでしょ?」
「毒はないよ。山でマネキンに会って、彼女たちから分けてもらったんだ」
「ぜんぜん分かんない」
「とにかく安全だから」
いや、もしかすると危険である可能性もあるが、それでも彼女の想像しているようなものでないことは確かだ。
すると騒ぎを聞きつけた各務珠璃も出てきた。
「どうしました?」
「二宮さんがキノコを……」
「キノコ? うわぁ……」
明らかにドン引きの顔だ。
佐々木双葉も、なぜか我関せずといった様子で遠巻きに見ている。
「いや、だから説明するとね……」
ただでさえクソマズ山盛りラーメンのせいで吐きそうだってのに、帰宅するなり女性陣からフルボッコにされるとは。
どこからともなく現れたジョン・グッドマンは、助けに入ってくれるどころか、無言でバンを洗車し始める始末。
このキノコがサイキック・ウェーブ研究を前進させるかもしれないというのに。
*
結局、調理用のビニール袋に密封され、それは対策本部に送られることとなった。間違って赤羽に流出しないことを祈るのみだ。
俺と佐々木双葉は、鐘捲雛子の指導のもと、念入りに何度も手を洗わされた。
まるで小学生にでもなった気分だった。
ようやく解放された俺は、各務珠璃の執務室を訪れた。
「バーベキューしないか?」
「は、はい?」
キーボードを打っていた彼女は、にわかに手を止め、不審そうな目でこちらを見た。
「いや、バーベキューをね……」
「それは、ふたりで?」
「いやいや、ここのみんなで」
「あ……あーっ、はいはい。あはは。ごめんなさい。いきなりだったから。私、勘違いしちゃって……」
デートに誘われたとでも思ったのか。
そんな微妙そうな顔をせずともいいだろうに。
「ここの屋上とかでさ。みんな喜ぶと思うんだ」
「いいですね。きっと楽しいと思います。このところ、みんな張りつめてましたから」
「食材をオーダーしておいて欲しいんだ。もし経費で落ちないなら俺が出すよ」
「いえ、先日の寄付がありますので、ぜんぜん大丈夫です」
それでもビール代くらいは自分で出すとしよう。おそらく俺しか飲まないだろうし。
赤羽誠子の寄付でバーベキューというのもシャクだが、まあ金は金だ。
「惑星の皆さんも招待します?」
「そうだね。あとは、できれば青村さんも」
承諾してくれるかは分からないが、絶対に来て欲しい。
こんな仕事をしていたら、いつ命を落とすか分からないのだ。会えるうちに会っておきたい。
たとえ過ぎ去ってしまう「思い出」にしかならないとしても。
(つづく)




