ホーム
数日後、和菓子を手土産に、島田高志が文書を持参してきた。
「遅くなりましたが、これが誓約書です。ご確認ください」
ソファに腰をおろしているのは彼と各務珠璃。俺や鐘捲雛子は後方で見守っている。
島田高志は部外者ではないが、いつも一人で乗り込んでくる。前もそうだった。肝が据わっている。
文書には、俺たちが不利益をこうむるような行為をしないと明記されている。そこには主流派だの世界派だのといった言葉はなく、ただ「特定事案対策本部は」という主語で語られていた。派閥に関係なく、対策本部であれば一律に約束を守るということだ。
本部長として佐竹久造の署名もあった。
つい先日、俺たちを殺そうとした男だ。まったく信用できないが、それでもこの署名をさせたことは俺たちの武器になる。ただの紙切れが命を保証するのだ。
各務珠璃はいつもの笑みを封印し、ごく神妙に尋ねた。
「前回のお仕事についてもご説明願います」
「ああ、あれね。手違いだったそうですよ」
島田高志は、さもケアレスミスだったかのような物言いだ。定食屋で大盛りをオーダーしたのに、並が出てきたかのような態度だ。
俺が思わず口を開こうとすると、それより先に各務珠璃が仕掛けた。
「ふざけないでください。死人が出るところだったんですよ」
「君も怒ることがあるんだね」
「バカにしないでください。私はみんなの代表としてここに座ってるんです。怒るときは怒りますから」
「バカになんてしちゃいない。成長を喜んでるんだよ。もう上司でもないのにこんなことを言うのは失礼かもしれないが」
「あの……いえ……」
急に委縮してしまった。
すると彼は、スーツのふところからメモリチップを取り出し、テーブルに置いた。
「私もね、悪いと思ってるんですよ。ただ、上はエリート意識強いもんで、詫びの入れ方もロクに分かってませんでね。なにせ議員や官僚ばかりでしょ? 出身校はどこだ、学部はどこだ、成績はどうだといったことで、いっつも競い合ってるんですよ。ま、私は蚊帳の外ですがね」
「これは?」
「現場に出現した変異体に関するデータです。赤羽メディカル工業で試作されていたことを示す証拠、といったところかな。あ、これ外部に流さないでくださいね。私、魚の餌になっちゃいますから」
リスクをおかしてデータを提供してくれるというわけか。事実かどうかはともかく。
もし彼の言い分が事実なら、やはり赤羽の持ち込んだブツだったというわけだ。佐竹久造ともつながる。
なにかあったときの牽制には使えそうなデータだ。
ともあれ、俺たちはこれでもう彼らの抗争からは手を引くことになるだろう。不当に逮捕されるおそれもなくなったのだ。
島田高志は茶をすすり、ほっと息を吐いた。
「で、今後のことなんですが……仕事を頼まれてくれませんか?」
「お断りです」
各務珠璃が口を滑らせる前に、俺が勝手に即断した。人をハメるようなヤツの仕事を受けるわけがない。なんの義理もないのに。
彼は苦い笑みを浮かべた。
「それでも話だけは聞いてください。もう知っているとは思いますが、本部は惑星の皆さん蘇生させました。その中のね、プルートの身柄を預かってるんです。預かる、とは言いますが、まあ軟禁みたいなものでして……。このままじゃ、ガイアの復活に支障をきたすようですよ」
「それが俺たちとなんの関係が?」
分かってる。分かっていてなおそう言い返さずにいられなかった。
彼の回答はこうだ。
「皆さんが仕事を断ると、代わりに惑星が現場に駆り出されることになるでしょう。たしか、彼らはいま皆さんと協力関係にありましたよね? 無関係な話とは言い切れないのでは?」
協力を要請される可能性は大いにありえる。断ってもいいが、そうなると今度は俺たちが裏切り者ということになる。惑星が全滅すれば、対策本部はまた強気になるだろう。誓約書の内容など無視して俺たちをつぶしに来る可能性もある。
俺たちの関係は、ギリギリのバランスで成立しているものだ。一角が崩れただけですべて瓦解する。
つい溜め息が出た。
「もし連中が泣きついてきたら、そりゃ手を貸すことになるとは思いますけど……」
「余計なお世話なのを承知で言いますが、先手で先手で考えておいたほうがいいと思いますよ。彼らは必ず救援を要請します。すると皆さんは動くことになる。そのときの武器を、いまから用意しておくべきでしょう」
この男の言う通りだ。俺たちがどんなつもりでいようと、そんなことお構いなしに状況は進んでゆく。俺たちはまだ手を引けないのだ。武器は用意しておいたほうがいい。平和を欲するなら戦いに備えよ、と古人も言っている。
各務珠璃もかすかに息を吐いた。
「武器とは?」
「情報です。もちろん私も今後は積極的に協力させてもらいますよ。あなたたちは味方ですからね」
「もっと早くそうなれたらよかったのですが」
「各派の思惑が込み入ってましたからね。しかし状況は整理されました。敵は赤羽です。叩き潰す必要はありませんよ。分からせればいいんです」
赤羽メディカル工業は、考えようによっては哀れな企業だ。政府に寄生され、甘い汁を吸われている。そして赤羽にしてみれば、政府とのパイプはある局面では武器になったが、代わりに上納金をかすめとられて面白くないというわけだ。
いずれにせよ、露骨な利権の綱引きだ。
俺ら末端の人間は、彼らの代わりに手を汚すハメになる。
*
「笑えるだろう。『浪人』を名乗る飼い犬だ。もっとも、誰にも飼われていないのに『侍』を名乗る日本人もいるくらいだ。すでに意味などどうでもいいのかもしれないな」
数日後、ウラヌスが来た。
執務室だ。各務珠璃は外出しているから、俺と鐘捲雛子で応対した。
彼の話では、先日俺たちを襲撃した反社会勢力は「RONIN HOOD」なるチームであるらしい。浪人仲間みたいなことだろうか。「ロビン・フッド」にかけているのかもしれない。
俺はやや小声で応じた。
「うちには自称忍者もいるんで、あんまり人のこと言えないけどね……」
「あれは忍者ではないと教えてやらないのか?」
「言ってもダメなんだ。ともかく、情報提供には感謝する。それで、本題は?」
もちろん情報提供のためにわざわざ来るような男じゃない。なんらかの見返りを求めてくるだろう。
彼はもったいぶって「ふむ」とうなった。
「もちろん知っているだろう? プルートの件だ」
「彼女をどうするって?」
「奪還する」
「……」
これから対策本部と赤羽でバチバチやりあって終わり、というところへ、横腹を突くような真似をするつもりか。また話がややこしくなる。
鐘捲雛子が溜め息をついた。
「作戦は?」
即座に断るのかと思ったら、むしろ話に踏み込みやがった。
ウラヌスは余裕の笑みだ。
「場所は特定できている。人のいる場所ではないし、警備も手薄だ。我々が協力すれば突破できる」
突破できる、じゃないんだよ。こいつも結構なアホのようだな。
話が進む前に、俺は口を挟んだ。
「可能か不可能かは大事じゃない。もしそんなことをすれば、俺たちは対策本部と敵対することになる。分かるか? 逮捕されるんだ。いや、逮捕ならまだいい。つかまって殺されるか、人体実験の道具にされるか、そういうことになるんだ」
俺たちのフェストはかなり進行している。連中はいくらでも実験したがるだろう。考えたくもない。
すると鐘捲雛子から反論が来た。
「放っておくつもり?」
「俺たちが死んだら、誰がシスターズを守るんだ?」
「それは……」
「少し冷静になってくれ。戦って勝てるからといって、すぐに仕掛けるんじゃない。こういうのは交渉でぶん捕るもんだ」
「交渉って……?」
焦って口を滑らせてしまったようだ。
まあいい。
俺は気乗りしなかったが、こう応じた。
「今回、俺たちは大臣の署名付きで誓約書を手に入れることができた。なぜだと思う? それは、連中の仕事をこなしたからだ。まあそれだけじゃないにしてもだよ。殴って奪うんじゃなく、恩を売って奪うんだ。そうすれば関係を損ねずにモノを手に入れられる」
回りくどいかもしれないが、俺たちがこの世界の王でない以上、こうして少しずつ回収していくしかない。仮に王だとして、無茶をすれば断頭台に送られる。大事なのはバランスだ。
ウラヌスは肩をすくめた。
「ではどうしろと?」
「赤羽との戦いに参加する。そして、代わりにプルートをもらう。黙って金で使われてちゃダメだぜ。ちゃんと交渉するんだ。必要なら各務さんや島田さんにも頼んどくから」
いわゆる根回しというヤツだ。先に幹部連中に話を聞かせておけば、いきなり現場からあげるより話が通りやすくなる。絶対ではないけれど、やらないよりはマシなことだ。
ウラヌスは満足げだ。
「その線で行こう」
こいつ……。さては最初からそのつもりで乗り込んできたな。俺たちのやる気を試したのだ。いや、やる気なんてなくたって同じだ。やらざるをえないのは間違いない。島田高志の言った通りになった。
*
ウラヌスが帰ると、執務室には俺と鐘捲雛子だけになった。
「二宮さん」
俺もそのまま上へ戻ろうとしたのだが、後ろから呼び止められた。
「なに?」
「気が進まないの?」
責めるような口調だ。
俺は面倒なことになりそうだと思ったが、無視するわけにもいかず振り返った。
「そりゃそうだよ。また人が死ぬんだぜ。どこかの誰かの財布を札束でいっぱいにするためにさ」
「あの子、待ってると思う」
「余計なことは言わなくていい」
「なに余計なことって?」
シスターズの話になると、彼女はすぐムキになる。
いっぺんハッキリ言ってやったほうがいいかもしれない。
「俺はここさえ守れれば、あとは誰がどうなろうと知ったこっちゃない」
「あの子、きっと閉じ込められて哀しんでる。見捨てるの? 自分さえよければそれでいい?」
「なんとでも言ってくれ。余裕があれば与える。だけど、そうでなければなにもしない。逆に聞くが、君は正義感に駆られて問題を起こして、ここを失うようなことになっても平気なのか?」
「……」
答えられないだろう。
彼女はいつも危うい。
乙女のときもそうだった。目の前の誰かを救おうとして、それ以外の誰かを危険にさらすのだ。もちろん同情の余地はある。気持ちも分かる。それでもダメなのだ。間違ってる。
「少し冷静になってくれないか」
「無理」
「困るんだよ、それじゃ」
明らかに言い過ぎている。自分でもそれは気づいた。
彼女は深く溜め息をつき、こう告げた。
「じゃあいい。次の仕事、私が受ける。あなたは留守番してて。やる気のない人がいると邪魔だから」
「そうかい」
なぜこうなるのだ……。
俺は執務室を出ると、そのままエントランスを抜けて外へ出た。
太陽は斜めに傾いているが、それでも放射される光線は強烈だ。季節はいつの間にか夏になっていたらしい。が、まだ序の口だ。皮膚の焦げるような熱さじゃない。少し蒸し暑い程度。
俺は世界を救いたいなんて思っちゃいない。守れるものを、なんとかして守るだけだ。彼女だってそれは同じはずなのに。
(続く)




