チェンジリング 前編
状況はその日のうちに変化した。
定時が過ぎ、いつもなら各務珠璃が帰宅しているころだった。執務室へ呼び出しがあり、中に入ると島田高志がいた。
牽制が通じたようだ。
「あれから総合的に判断しましてね、やっぱりみなさんと協力させていただくことにしました」
彼はそんなことを言った。
老舗の和菓子屋の差し入れまで持参して。
俺たちの密談を監視してたのだろうか。少なくともウラヌスとネプチューンがふたりで出かけたことくらいは把握しているはずだ。
各務珠璃はやや戸惑い気味だった。
「協力……と、おっしゃいますと?」
「ま、そんなご大層な権限があるわけじゃありません。私はあくまで組織に助言できる程度でして。しかし皆さんと協力できれば、今回の内部抗争を延期くらいはできるかもしれません。もちろん、センターに手出ししないよう約束させた上でね」
急ハンドルを切ってきたな。こちらの本気度を理解してくれたか。
各務珠璃がキョロキョロし始めたので、代わりに俺が応じた。
「感謝します。ではさっそくですが、しかるべき立場の人間から、文書での通達を願います」
「文書を残すのは少々厳しいかと……」
「なにか事件が起きないと動けませんか?」
「かないませんね。ではそのように働きかけてみます。お約束はできませんが」
「確証さえ得られれば、あえて文書でなくとも結構ですよ」
たぶんだが、俺はいまとんでもない得意顔を晒していることだろう。
なにせ完全勝利なのだ。仕方あるまい。
彼は力ない笑みを浮かべた。
「では前向きに検討させていただきましょう。さて、しかし困ったな……」
演技じみた様子で白髪頭をぽりぽりと掻いた。
嫌な予感しかしない。
つまり、なにが困ったのか聞くようなお人好しは、ここにはいないということだ。
ま、その場合は自発的に言うことになるが。
「いえね、対策本部の内部抗争が落ち着くとなると、今度は赤羽さんとの競争でしょ? しかもガイアまで復活すると来た……。こういうのに対抗するためのマンパワーがね、組織にはないんです。なにせ実働部隊持ってませんから。皆さん、事務方ですしね」
汚れ仕事を押し付けたい、ということだな。
各務珠璃が口を滑らせる前に、俺はこう応じた。
「それはそちらの問題でしょ? 俺たちの問題じゃありませんよ。例の反社会勢力とやらにやらせたらいいじゃないですか」
「はぁ、まぁ、そういう選択肢もなくはないんですが……」
赤羽一派はサイキック・ウェーブを使ってくる可能性があるが、子飼いの反社会勢力にキャンセラーを持たせれば済む話だ。大丈夫。キャンセラーで変異したヤツなんて見たことがない。
ともかく、これで青村放哉とも敵対せずに済むという話だ。
おそらく。
まだ大統領の復活を望んでいるのでなければ……。
*
カタはついたはずなのに、なぜか仕事が回って来た。
ターゲットは赤羽一派ではない。対策本部における内部抗争を終息させるために、どうしても「駆除」すべき人物がいるのだという。
対策本部が文書で俺たちの安全を保証する代わりに、この仕事だけは引き受けて欲しいということだった。
罠かもしれない。
それでもやらざるをえない雰囲気だった。
立会人のウラヌスも困惑顔だった。
「ターゲットは通称『フィクサー』。六十八歳。男性。ふん。問題は終息に向かっているはずではなかったのか?」
それはこっちのセリフだ。
俺はクーラーボックスを開け、ビールを取り出しそうになって思い留まった。
「これで終息するんだ」
「名前が気に食わんな。黒幕などと、あまりに大仰だ」
「本当に黒幕かもしれない」
同行しているのはジョン・グッドマンと佐々木双葉。
戦力はまあまあといったところ。
もし危なそうなら、変異させる前に駆除してもいい。ともかく消せば終わるのだ。
いまにも降り出しそうな黝い空だった。遠方でゴロゴロいっている。
到着したのは郊外の洋館だった。錆ついた金属のゲートは半開き。草ぼうぼう。ホラー映画にでも出てきそうな廃墟だ。
サイキック・ウェーブは感じない。野良犬も飼い犬もいない。
俺はこのとき悟った。
きっとターゲットは誰もいない。
なにせ草を踏んだ形跡がない。もし住人がいるのなら、そいつは正面ゲートから出入りしているはずだ。あるいは裏口から出入りしているとでも言うのだろうか。
俺は振り返り、リムジンの窓をノックした。
「罠の可能性がある。援軍を要請しといてくれないか」
「援軍? 君たちの本部に言えばいいのか?」
「ああ。ついでに野良犬にも」
「彼は無料じゃ動かんぞ」
「俺が払うよ」
仕事で自腹を切るのは三流のやることだ。しかし死ぬよりいい。
俺は強めにゲートを開き、そのまま敷地内へ足を踏み入れた。
錆び切っているから、軋むというよりは、もうゴリゴリと削れるような音しかしなかった。
玄関に入る前に、ホルスターからCz75を抜いた。
ジョン・グッドマンはグロック19を、佐々木双葉もナイフを構えている。
「中からサイキック・ウェーブは感じられない。きっともぬけの殻だろう。周囲に注意して。あるいは罠が仕掛けられてるかも」
するとジョン・グッドマンは冷静にうなずいた。
「爆発物なら拙者にお任せを。多少の心得がござるよ」
「軍にでも入ってたの?」
「ただのミリオタでござる」
ともあれ、ドアを開いた瞬間ドーンと来る可能性もある。
俺は考えた結果、裏手のバルコニーから入ることにした。
わざわざ入らず、とっとと帰宅してもいいんだが。このまま帰ったら職務放棄と判断される可能性がある。もしかすると死体くらいは転がっているかもしれないし。ともあれ、少しくらいは中を覗く必要がある。
裏手は広めの庭になっていた。
俺は手すりを乗り越え、石で窓ガラスを叩き割った。ずいぶん埃に汚れたガラスだ。誰も住んじゃいないという証拠だろう。
体に刺さらないよう丁寧にガラス片を落とし、鍵を開けて中へ乗り込んだ。
暗い。
誰かの個室だろうか。ぽつんと椅子が置かれていた。床は木製。花瓶には枯れた花。というか、ほとんど藁にしか見えない。花弁はずいぶん前に落ちてしまったのだろう。
体の重いジョン・グッドマンは窓を乗り越えるのに難儀し、後ろから佐々木双葉にケツを押されていた。
無事に部屋へ入ると、ジョン・グッドマンはなんだか神妙な表情で首をひねっていた。
「どうかしました?」
「今回のターゲットについてでござるが……。なんだか引っかかるのでござる」
「名前が? 年齢が? それとも性別?」
「全部でござる」
日本は超高齢化社会だ。四人に一人が六十五歳を超えている。六十八歳の男性などありふれている。フィクサー扱いされている人間もそこそこいるだろう。
ともあれ、このタイミングで出てくるフィクサーはただの老人ではないと思うが。
いずれにせよ、この洋館にはいないのだ。人物を特定できたところで、駆除することはできない。
爆弾は仕掛けられていなかった。
あくまで、いまのところ、だが。
もっとも、仕掛けようと思ったら草を踏み分ける必要があるのだ。その形跡がなかった以上、きっと無事なのだろう。
ふと、ヘッドセットにウラヌスからの通信が来た。
『気づいてるか? 囲まれてるぞ』
「は?」
『武器を持ってる。といっても……プロのようには見えないが』
罠だったようだな。
火でもつけられたら大変だ。なにせ木造の洋館である。よく燃えるだろう。雨なんか降ったってタカが知れている。
ま、武器を持って囲んでるってことは、火をつける気はないようだが。
するとピポッと電子音がした。
『こちら「8-NN」。通信に割り込ませていただきました』
機械の姉妹だ。
まったくピンチのときはいつもサポートしてくれる。
「いいタイミングだ。けど、いったいどこから監視してたんだ?」
『例の衛星ですよ。いまちょうど皆さんの頭上にいます。天候のせいでほとんどなにも見えませんけどね』
勝手に使ってるのか。そろそろ返さないとアメリカに怒られるんじゃないのか。
「なにか提案は?」
『敵は主流派に雇われた反社会勢力。おもな武装は金属バットとクロスボウです。火器を所有していないのが不幸中の幸いですね』
「ったく。あいつら、やっぱり俺らを消す気だったんだな……」
『総意ではありませんね。主流派の中でも、今回の和解に乗り気な一派と、そうでない一派がいるようです』
「また分裂する気か? そろそろ把握しきれんぞ」
『今回を凌げばひとまず終わると思います。なお、皆さんの防護服は金属バットもクロスボウも防げませんので注意してくださいね』
「オーケー」
ひとつもオーケーではないが、やるしかない。
これが終わったら、いい加減、主流派のヤツらも心を入れ替えてくれないと困るぞ。なんなら無償でもヤるからな。二度あることは三度あるって言うし。
俺はお守りを握った。
危ない連中に囲まれているのだから、だんだん焦れてくるところだが、みんなの顔を思い浮かべるだけでだいぶ気が楽になる。
「窓から迎撃しつつ、二階まで後退する感じかな」
とはいえ、窓の外に見えない。逆側から来てるか。もう中に入り込んでいるかもしれない。
空の鳴る音が近づいてきた。
視界がよろしくない。
「ダメだ。いますぐ二階にあがって籠城しましょう。家具を使えばバリケードになるかも」
「了解でござる」
ジョン・グッドマンは即座に了承してくれた。
が、佐々木双葉が動かない。
「どうした?」
「あたし、別行動にするわ」
「えっ?」
*
俺とジョン・グッドマンは、誰かの寝室とおぼしき部屋で籠城することにした。
ドアにタンスとベッドを重ね、簡単に開かないようにした。
窓側はあえて開けている。俺たちが脱出できるように、だ。佐々木双葉がどうするつもりなのかは知らない。勝手にうまくやるんだろう。
ま、通信はできる。大丈夫だろう。
ガシャーンとなにかの割れる音がした。
「らァ! 出て来いやァ!」
「コソコソ隠れてんじゃねーぞ!」
彼らは大声を出しながら、自分たちの居場所を知らせてくれている。
まあバカばかりとは限らないから、こうして注意を引き付けておいて窓から入ってくる可能性もあるが。先に下っ端をぶっ込んでおいて、まんまと自分だけ裏をかこうとするヤツはいる。
俺は窓際を、ジョン・グッドマンはドアのディフェンスを担当することにした。
見えなくとも居場所はなんとなく分かる。サイキック・ウェーブを感じるからだ。キャンセラーは持ち込まれていないか、あるいはスイッチが切られているらしい。
雨粒が屋根を打っている。
稲光があって、数秒遅れて雷鳴が来る。
機械の姉妹はもう状況を「目視」できていないことだろう。通信はできると思うが。なにも言ってこないところを見ると、新たな情報はないということだ。必要なときに黙っていられるのは美徳というものだろう。
呼吸を整え、その瞬間を待つ。
連中の声は近づいている。
「いや、マジどこだよ?」
「帰ったんじゃね?」
「あ? 車あったべ?」
ここだよ、ここ。
(続く)




