45 一緒に居る理由
布を開けた先には、うす暗いテオのクロゼット内が見えた。
穴の大きさはといえば、若干広くなったような気もする。試してみると……夏帆の肩はギリギリ通らない。
「うーん、少しだけ広くなっているような……?」
テオと場所を交代して確認してもらう。彼も同じように少し大きくなったように思うが、さほど問題はなさそうだと頷いた。
二人は布でまた穴を覆い、クロゼットを出て炬燵へと戻った。夏帆の部屋は日当たりがとても良いので、夏は地獄だけれど、冬はそこそこ暖かい。けれどもさすがに冬のクロゼットの中は寒かった。
「ちょっとさ、このお茶で実験してみてもいい?」
「?」
炬燵の上にあるのは、マグカップに入った飲み残しの温かいお茶だ。先ほど淹れた時には湯気が立っていたが、少し冷めてしまっていてぬるま湯状態だ。
テオの言葉に夏帆は首を傾げ、頷いた。湯気の立った緑茶が入ったマグカップへとテオが手をそっとかざす。
テオの髪の濃い青色が一瞬、青白く光ったように感じて夏帆は目をごしごしと擦る。しかし、目の前には嬉しそうな笑顔のテオがいるだけだ。
「ね、カホちゃん。できたよ」
そう言いながら、先ほどのマグカップを夏帆へと押しやる。まじまじとマグカップの中を覗き込んで、夏帆は目を丸くした。
「…凍ってる!」
「うん。やっぱり、穴の近くだと竜の魔力を使うことができるみたいだ」
距離的には遠いけれど、近い、不思議な空間だなと呟くテオに、夏帆は目を輝かせた。
「テオさん、もしかして魔法が使えるんですか!」
「うん。竜の影響下でだけ、それも簡単な術だけだけど」
簡単なものという括りで、このぬるま湯を氷漬けにしてしまうのかと夏帆は唖然とした。
「そして、魔法を使うといつもよりも……お腹が空いていくんだけどね」
「わ、それは……不便ですね」
「うん。燃費がすごく悪いんだよ」
その言葉に笑い出した夏帆を見て、テオはふと思い出す。
「でもね。カホちゃんとサヨコさんの料理は特別みたいなんだよね」
「私と、お母さんの……ですか?」
「団長と一週間くらいかけて観察したんだけどね。簡単な焼いただけの料理でもいつもの半分くらい、空腹が抑えられるんだよね」
本当に焼いただけの魚だけでも効果があった。さらに手の込んだカブのスープや、グラタン、肉じゃがなどになってくると普通に1日3食でも大丈夫そうな程に腹が減らないのだ。
そのことを話す間中、夏帆は興味深そうに頷いていた。夏帆は料理に対して特に何もしていないのだから不思議だ。
「でも……私とお母さんですか。お兄ちゃんやお父さんはどうなんでしょうかね」
「団長は魔王退治の旅の途中で一度だけ、ミノルさんに料理を振る舞ってもらったことがあったらしいんだけど。そういったことは一切なかったらしいよ」
魔王や魔族と戦う旅、というよりは空腹と戦う旅だったな。できれば二度と行きたくはないものだと、上下スウェット姿のリアムは布団に座ってしんみりと頷いていたっけ。
「イツキさんに関しては一度お願いしてみたいけど」
「うーん……でも、お兄ちゃんは絶望的に料理ができないですからね」
「え、そうなの?」
「……いいえ、料理を覚える気がないんでしょうね。あれは、そう。小学生の頃でした」
何やら遠い目になった夏帆をテオが不安げに見守る。
夏休み、両親不在のある日のこと。いつもは祖母が昼食を作ってくれるのだが、その日はどうしても来れない日だった。
「お母さんが、レトルトカレーを置いていってくれたんです。お兄ちゃんは六年生だったし、裏面には作り方も書いてあるし。レトルトカレーくらいならば大丈夫だろうと」
お湯を沸かす所までは、夏帆が担当したのだが……沸騰する直前、急に電話が鳴ったので鍋を兄に託して一旦席を外したのだ。
「……ま、まさか」
レトルトカレーのことは、テオももう知っている。袋のままお湯に入れて温めるだけの簡単なものだ。テオは嫌な予感に身震いをする。
「そうなんです。戻ってきたら、大量の沸騰したお湯にうすーーーいカレーが浮かんでいたんです」
兄は、レトルトカレーを大量の沸騰したお湯へと開封して入れたのだ。戻ってきた夏帆が唖然としていると……。
「1袋入れたら、なんか違うなと思って止めたんだぞ。って、なぜか得意げに言ってましたっけ……」
「……ああ、まだ救いがあった、ね」
聖母のような微笑みを浮かべる夏帆に、テオも優しい笑みを浮かべた。
「パンをトースターで焼いてるなって思ったら、トースターが壊れてるって大騒ぎしたこともありました」
「うん……」
こちらの世界に来てから、トースターという便利なものを知った。しかし、次郎吉の家ではブレーカーがすぐ落ちる危険をはらんだ文明の利器だ。
「お皿にパンを乗せたまま、トースターへ入れて何度も過熱していたんです……当然、パンはカピカピに」
「……もういいよ、カホちゃん。よく分かった。イツキさんに料理をお願いするのは絶対にやめようか」
夏帆はほっとした表情で頷いた。本当に、志穂さんが兄を引き取ってくれて良かった。お米だって家庭科の授業で習ったはずなのに『この目盛りまで米を入れればいいのか』と、真顔で聞いてくるのだ。下手したら洗剤でお米を洗い始めそうだと思っている。
スポーツもでき、勉強もそこそこできる、人当たりのいい兄だが……誰にでも得手不得手というものはあるのだ。
「お母さんと、私の共通点は親子っていうことですかね」
「うーん……。そこはまた、団長と話し合ってみるよ」
「よろしくお願いします。……穴の確認も、魔力の確認もできましたね」
「うん。そうだね」
二人はなんとなく黙り込む。
そう、ここにテオが訪れたのはあくまで穴の確認なのだ。別にご飯を食べに来たわけでもないし、二人は別に付き合っている恋人同士でもないのだ。
(でも、まだカホちゃんと一緒に居たいな……)
「ええと、テオさん。どうしましょう、少し休憩してから長靴見に行きます?」
「!」
まるで自分の内心を読み取ったかのような言葉にテオは驚くが、こくこくと首を盾に振った。
別に心を読み取ったわけではない。夏帆も同じような気持ちだっただけなのだが、テオの知る由もないことだ。
「そうだ。パソコン付けましょうか。ネットでちょっと下調べしてから行きましょう」
「パソコン、は知ってるけど使ったことはないから、嬉しいな」
テオの言葉に夏帆は嬉しそうに微笑み、準備しますね。とノートパソコンをカバンから引っ張り出して準備を始める。その後ろ姿を見ながら、彼女はオレのことをどう思っているのだろうと、ふとそんなことを思った。
(カホちゃんも、オレと一緒に少しは居たいって思ってくれているの、かな)
お兄さんと、リアムの娘は違うタイプの料理下手さんですね。
ここに訪れる前に、賢者稔はテオに対して「夏帆の部屋に行くのはいいけど。……絶対に、穴の確認するだけだからね」と釘を刺してますが、浮かれていたテオにはたぶん冒頭しか聞こえていないんじゃないかなー。
次話、自分の魔力を使われた人が登場します。




