37 魔王と大魔王
◇◇◇
優しい子孫の男に塚を立ててもらい、穏やかに眠っていた。代々の当主、もしくはその配偶者が年に何度か供養してくれるだけでもう満足だった。
自分が何者か。そんなことも忘れかけていたある日のことだった。年に何度かしか聞こえないはずの祈りが毎日届くようになって、眠っていた彼女は目を覚ました。
声の主は当代の男に嫁入りした娘だった。義務的なものではなく、心のこもった祈りは、空っぽのままだった彼女に優しく染み込んだ。
彼女には知る由もないが、嫁入りした女は形式的に供養が行われていた塚のことを調べ、彼女の身の上を知り、心を痛めた。毎朝、汲み立ての水を供え、庭の美しい花を切って飾り、絶やさないようにしていたのだ。
うとうとと眠ったり起きたりを繰り返す彼女に、あやすように歌ってくれることもあった。こんな風に優しくされたのは初めてでなんだか嬉しかった。生前、不思議な力のあった彼女を疎んじていた母親だったが、自分が普通だったらこういう風に優しくしてくれたのかとも思った。
女はやがて二人目の子を授かり、嬉しそうに塚へと報告をしてくれた。彼女は喜び、子が産まれれば何か良き物を贈りたいと思うが、怨霊とまでなってしまった自分が触れてもいいのか少し悩んだ。
心穏やかに過ごしていた、ある日の晩に――大地が大きく震えた。彼女の塚も大きく傾いてしまったが、そんなことよりもあの身重の優しい女が心配だった。しかし、彼女はこの塚から出ていくことはできなかった。不安に思っている所に、一人の少女がやってきたのだ。
山を下った場所に住んでいる、平田家が遠い昔に血を分けた花田という家に住む少女だった。
少女は塚の様子を見に来たようだった。その姿を見た彼女はいいことを思いついた。平田家は自分の遠い子孫で、分家の花田家の者も彼女に縁のある者だ。
「あ、塚が倒れちゃったね。かわいそうに……」
よいしょ、と塚を戻そうとしたが、力を込めすぎてしまって倒してしまった。慌てる少女の指先にそっと触れてみた。すると、不思議なほどに抵抗なく、スルリと少女の中に潜り込めた。
「ああ、お前は特異な体質だったのだな。何、少しばかりあの女の確認をしたいだけだ」
塚へと指先を向けてくいっと上に向けると、塚は音も無く元の位置へと戻った。力の馴染みも申し分ない。この体は馴染みが良いと微笑んだ。
少しだけ。女の安全を確認したら塚に戻るから。自分に言い聞かすように、少女に入った彼女は駆け出した。
◇
「小夜子ちゃん、塚は大丈夫だった?」
「はい、アヤ姉ちゃん。戻しておいたよ」
良かった、と微笑む女――アヤは産み月を迎えた大きな腹を大切そうに撫でた。この家の主はアヤが二人目を授かった頃に、とうとう戦争へと駆り出されていったので、ここで幼い長男と舅と姑と暮らしているのだ。
「すまんね、腹がこんななものだから。こんな夜分遅くに次郎吉くんにも手伝ってもらってしまって」
「全然良かですよ。今は大事な時なんだから」
少し頬を染めた青年がプイと顔を背け、畑も見てきますと真っ暗な外へ出て行った。この体の持ち主である小夜子の兄の次郎吉だ。
「アヤ姉ちゃんは大丈夫なの?」
「ありがとうね。全然へっちゃら、強い子みたい」
腹を大事そうに撫でて嬉しそうに微笑むアヤ。少しだけその腹の子がうらやましく思えた。アヤは大丈夫そうだし、家族の者にも異変は見られない。思ったよりも揺れは大きくなかったのかもと首を傾げた。
「ジロキチ兄ちゃんを手伝ってくるね」
「はい、気を付けて行っておいでね」
アヤの無事を確認できたし、何よりも言葉を交わせたことが嬉しくて少し小走りになる。早く塚へ戻って、この娘に体を返してやらねば。力の強い自分が入り込んできた為、小夜子は意識の隅っこで小さくなっているのだ。
「小夜子、どこに行く?」
塚の方へと走っていた彼女を止めたのは次郎吉だった。さて、なんと言ってごまかそうか……。そう思って次郎吉の顔を見て、足を止めた瞬間だった。
彼女は吸い込まれるように落ちてしまった。浮遊感の後、ボスンと柔らかい何かに落ちる音。
「え?」
状況が分からずにきょろきょろと見渡すと、寝所のような所だった。確かに落下したはずだが、と首を傾げていると……。
「誰だ」
不機嫌な声が体の下から聞こえて慌てて飛びのく。どうやら誰かを下敷きにしていたようだ。その姿を捉えた彼女はあんぐりと口を開く。
男にしては長すぎる手入れも何もしていない黒髪、そして何よりも気になるのは、白目の部分まで真っ赤な双眸の異形の者だった。
◇
その魔族は、随分と長いこと一人で過ごしていた。それが当然だったし、彼の力は強すぎて周りの者を滅ぼしかねないものだったからだ。だから、時空のはざまに彼だけの居心地の良い城を作って過ごしていた。
いつしか彼を魔王と呼ぶ者も出てきたが、彼にとってはどうでもよかった。別に世界が欲しいわけでもない。己がひとり静かに時を過ごせれば問題なかった。
そこに降ってきた奇妙な女は、彼が丹念に作っていた結界すらも突き抜けて突然目の前に現れた。しかも、体は別人のもので自分はとうに死んだ存在なのだと、おかしなことを言っている。
面白いと思った。しかし、数日経つと彼女の状態は悪くなり、弱ってきた。“ニンゲン”は食べなくては死ぬらしい。せっかく手に入った面白い物を失いたくはなかった。
魔族は久々に亜空間の城より外へと出た。そして村を一つ奪い、そこから食料を運んだ。村を奪ったのだと言うと彼女は嘆いてうるさかったので、村はそのままに生産したものを少し頂くだけにしたのだ。
女は元気になり、やれ服が無いと困る。やれ風呂に入れろ、お前の身だしなみは酷過ぎる、そこの魔物も毛くらいブラシを通せと、勝手に居座っていた三つ首の魔獣の世話まで始めた。
面白かったのでさせるままにしておくと、今度は名前は何だと言ってきた。
名前など無いと言うと、女はしばし思案していたが、にっこりとほほ笑んだ。
「お前のその不気味な瞳、柘榴のようで結構好きなのだ。柘榴、と呼ぼうか」
女は魔族のことを柘榴、と呼ぶようになった。女に名前を尋ねると、もう忘れてしまったのだと悲しげな顔をして微笑んだ。
「お前、この世界では魔王と呼ばれておるんじゃろ? なれば、私はさしずめ大魔王様かの」
面白い、と柘榴と名付けられた魔族は笑った。
元の世界へ帰る手がかりを探す魔王様を、おとなしく返すつもりは毛頭もなかった。
魔王様は人間の体をしている。時の歪んだあの城では時間がゆっくりと流れているが、それでも食事を取らなくてはならないし入用のものもたくさんある。
柘榴は侵攻の手を強めた。そして、人間のことを学び、自分もさも人間であるかのように振る舞うようになった。人間のような気遣いや考えを見せると、彼女が喜んだからだ。
力のある柘榴を崇拝していた下位の魔族たちも真似て、人間の姿を取るようになっていったのだという。
方言は全員しゃべると訳が分からなくなるので次郎吉だけしゃべらせております。
稔のことを失念してました。改稿しています。
次、現代に戻ります。