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15 差し入れをしました

 社会人生活二年目の彼は来月で二十三歳になる。

 不規則な時間と休みのシフトにもやっと慣れてきて、なんとかこなせてきたと思える。まだ時々は課長に叱られたりもするけれど、その回数だってだいぶ減ってきた。


 そんな彼には、最近ひとつ気になっていることがある。


(また笑い声…)


 彼が引っ越してきて二年と半年。仕事の時間が完全に合わないのだろう。隣人とは一度も顔を合わせたことはなかったが、窓から一度だけ見かけたことがあった。小柄で華奢な黒髪の若い女性だった。


 隣人は今までずっとおとなしかった。友人は隣人がうるさくて壁を叩くとか物騒なことを言っていたけれどそんなことを考えたことがない位静かだった。

 生活サイクルが完全に違うことが幸いしたのだろうが、それを抜いても恐らく静かな隣人だと思っていた。


 先週の金曜日の夜までは…。


 土日はほぼ出勤の彼は、大概金曜日か木曜日が休みになる。彼はいつも通りの休日を満喫していた。


 ヘッドセットを付けてネトゲ仲間と楽しく話をし、一息つこうと席を外した時だった。

 クロゼットのほうから微かに声がする。何を話しているのかまでは分からないが、楽しそうな笑い声だった。


(へえ、珍しい。お隣さんでも騒ぐ時があるんだな。友だちでも来てんのかな)


 それくらいにしか思っていなかった。そんなに気にする程大きな声ではないし、生活サイクルが違うことも大きな要因だ。

 

 忙しい一週間が過ぎ、のんびりとした月曜日。翌日が休みの為、友人と会って飲んで帰った帰りだった。


「え。何これ」


 アパートの自室に白いビニール袋がかかっている。警戒しながら近づくと、中身は栄養ドリンクが二本入っている。

 同封された可愛らしいカードには『お仕事お疲れさまです。余計なおせっかいかもしれませんが、良かったら飲んで下さい。 夏帆』と女性らしい文字で書かれている。


「え、こっわ…」


 彼はカードを畳み、そっとビニール袋へと戻す。

 栄養ドリンクをよくよく観察してみたものの、開封もされていないし何も塗られていたりとかはしていない。首を傾げ、しばし逡巡した後…彼はビニール袋を取らずに、ドアノブに提げたまま扉を開けて自室へと入った。


(誰か、部屋を間違えて下げてるのかもしれない)


 残念ながら、差し入れをしてくれるような彼女なんて二十二年間居たことなんて無いし、この先ずっと独り身でいいやと思っている。友人は「合コン行こーぜ!」と誘ってくれるけど、それよりも紙集めをしなくてはいけない。ネトゲは修行なのだ。


 まさか、ストーカー! と警戒するほどの見た目でもない。ごくごく普通の会社員だという自覚が彼にはあったのだ。多分、部屋を間違えたのだろう。そう思うのは彼にとって、ごく自然なことだった。


◇◇◇


「カホちゃん、お疲れ―」

「あ! テオさん。お疲れ様です、お久しぶりですね」


 クロゼットから声が聞こえてきて、スマホをいじっていた夏帆は慌ててクロゼットの扉を開ける。


「今、開けますね」

「ありがとう」


 仕切られた布を開けると、少し疲れた様子のテオが見えた。

 お風呂に入ったのだろう。アッシュグレーの髪の毛は少し濡れていつもより濃い色に見える。


「テオさん、大丈夫ですか? 随分お疲れみたいですけど」

「え? ああ、うん。そう。最近忙しくって。結局、休みの日も知らせることが出来なくてごめんね」


 申し訳なさそうなテオ。夏帆は心配そうに彼を見つめたがふと思い出した。


「テオさん、扉に栄養ドリンクかけておいたんですけど、気付かれました?」

「え?」

「あれ? ドアノブにひっかけたんですけど…」

「あ、ええっと…?」


 テオの言葉に夏帆は首を傾げる。確かにドアノブにひっかけた。部屋も間違えてはいないはずだし…。


「あれ?落っこちてたのかな。ちょっと見てきます」

「あ、カホちゃ…」


 何かを言いかけたテオの言葉を振り切って夏帆は玄関へと向かう。


「…そろそろ、正直に話すべきなのか」


 残されたテオはポツリと呟き、困った様子で頭をポリポリと掻いた。


(少し調べたけど、オレもまだよく分からないんだよな)


 いや、本当は説明なんてしても全然いいのだ。問題はその後。説明を受けた彼女がこの穴を完全に塞いでしまうのでは? そうしたら、彼女と話すことも、可愛らしい笑顔を見ることはもちろん、一緒に食事を摂ることなんてできなくなってしまう。


 テオは重たいため息を吐く。


 最近は、また魔物が増えてきている。新しい魔王が生まれようとしているのだろう…前の魔王が勇者により退けられて20年以上が経過した。頭を失えば新しく強い者がトップに立つのは生き物としてごく自然なことだ。

 竜騎士である彼はその機動力を生かして、ここ一週間、昼も夜も無くあちらこちらを飛び回っていた。あっちもこっちもやらねばならない中間管理職の辛さである。戦闘などは無かったものの、文句を言うロディを宥めての一週間は結構疲れた。


(でもやっぱり…カホちゃんにご飯を作ってもらった翌日はすごく体調が良かったんだよな)


 彼女には何か不思議な力があるのかも。それともこの穴の向こうの世界では料理に不思議な力が宿るのだろうか…。


 そこまで考えてテオは気付く。


(隣室のドアを見に行ったにしては、帰りが遅い)


一週間ぶっ続けで働く社畜…いえ、国畜テオです。


夏帆ちゃん、何してるんデショウカネー

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