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Nemesis――ネメシス――  作者: 覇王
第1章
7/11

6  魔獣死す

 ナクシアにとって、その時間は永遠のように長く感じられた。

 白鬼がこちらを見据えて、脚を交互に進めていく。

 そして、脚を地につける度に微かにではあるが地面が共鳴する。

 そんな一瞬であり永遠でもある時間はナクシアの恐怖心を煽っていった。

 先程まで全身を駆け巡っていた鈍痛は恐怖によって打ち消されていた。

 心の奥深くから悲鳴が絞り出されるが、それはもはや声として発せられる事は無い。

 バクバクと音を立てる心臓の鼓動のせいで息苦しささえも感じられる。


(食うなら……早く食ってくれ……!)


 だが、そんなナクシアの胸中は外部には届かず、白鬼は歩みを速めず遅めず進ませている。

 しかしそんな状況の中、ナクシアにはたった一握りほどの小さな希望があった。

 ――既視感デジャブの事だ。

 自分の中に確かに存在する謎の記憶。

 目の前にいるのが白鬼ではなく、ファフナーだという事。

 ファフナーは守護神獣であり、本来は神界アスガルドへの侵入者を拒む存在だという事。

 ファフナーは神界への侵入者にしか手を出さないという事。

 そして、次の瞬間ナクシアは叫んでいた。


「――ファフナァァァァァ!」


 途端に白鬼の動きが止まり、不思議気に首を傾げ始める。

 怒りに燃えていた貪欲な紅玉ルビーの瞳からは全ての感情が上書きされ、今となっては面影の一つさえ無い。

 その隙を見計らうと、ナクシアは二度目の言葉を放った。


「ファフナー……!」


 すると、それを聴いた白鬼はナクシアへ足早に近付いていく。

 そして、ナクシアのすぐ側まで行った白鬼は、何とナクシアの傷口を長い舌で優しく舐め始めた。

 その姿はまるであるじに甘える従順な子犬の様である。

 そんな光景を見たセレストや隊士達は驚きを隠せず、口々に言葉を漏らした。


「――ど、どうなってるんだ!?」

「――あの白鬼が人に懐くなんて有り得ない!」

「――もしかしたら、あいつ等グルだったんじゃないか!?」


 しかし、驚くのも無理は無い話だ。

 何と言ったって、つい先程まで殺気立ち獲物ナクシアを喰らわんとしていた野獣が、今では一転変わって主人ナクシアの傷口を優しく舐め取っているのだから。

 それはナクシアも例外ではなく、彼自身も白鬼の行動に驚いていた。

 だが、その時に彼は悟った。

 自分に元々秘められた記憶の数々は『人々を脅かす白鬼ファフナーという存在を食い止める為にあるのだ』と。

 直後放たれたナクシア自身にとっても驚きの一言。


「――……すまない。平和の為に死んでくれ……」


 それと同時にナクシアの身体の中に哀れ悲しむ感情が流れ込んでくる。

 ナクシア自身、白鬼……いや、ファフナーに特別な思い入れなどある筈が無い。

 むしろ死んでくれる事を願っている程だ。

 だが、まるで長年を共にした友を失うかのような悲哀は止め処無く、ナクシアの渇ききった目からは枯れかけていた涙が流れ落ちていく。

 その涙はナクシアの頬を伝って零れ落ち、地面深くに染み込んでいった。

 ――すると、その涙を見た白鬼は悲しげに小さく吠えると、ナクシアの目の前でごろんと腹を上にして寝転んだ。

 これは白鬼なりのナクシアに対する承諾の意であったのだろう。

 ナクシアを見つめる悲しげで虚ろな目は、言葉は無くとも曇り無き想いを訴えてくる。


「早く自分にとどめを刺してくれ。早く……早く……」

「許せェッ!!」


 ナクシアは近くに転がる屍から剣を取り上げると、涙ながらに振り上げた。

 ――――辺り一面に夥しい鮮血が飛び散る。

 だがしかし、ナクシアの剣は未だ彼の手の中に収められている。

 隠せない疑念の中、ナクシアは白鬼へ視線を向けた。

 その時、彼は事の全貌を見てしまった。

 ――白鬼の何故?という驚愕と憎悪に満ちた瞳と、脇腹に深々と突き刺さった一本の矢を。

 ナクシアはその光景から目を離す事が出来なかった。

 そして遂に、白鬼は驚愕と憎悪の瞳でナクシアを見据えたまま息絶えたのだった。

 突如、申し訳無さと罪の意識がナクシアを襲った。


「何故?何故?――信じてたのに……」


 ナクシアの自責と妄想から成る幻聴が幾度と無く、彼の脳に響き渡る。

 ナクシアは膝を付いて項垂れた。

 だが、直後ナクシアの耳に幻聴ではない何かが聴こえた。

 そして、段々と外界の声音はしらげられ、大きくなっていく。


「やった!やったよ!これで俺も中隊長は確実になったぞ!」


 響き渡る歓声の中にあるのは、カルトの声だ。

 カルトは愛用のクロスボウを片手に歓喜している。


(……クロスボウ!?)


 ナクシアははっとして悟った。

 どこから来たのかも分からない白鬼を想う感情が徐々に赤く煮え滾り、脈打つ。

 憎悪からの衝動。


「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 ナクシアは感情に身を任せてしまった。

 怒る足は地面を蹴り付け、憎む手は剣を強く握り締める。

 歓喜する青年の元に一陣の黒い風が吹き付けた。


「痛ッ!」


 カルトは頬を迸った唐突な痛みに顔をしかめた。

 手で拭ってみると、頬はかまいたちにでも会ったかのように細く赤い傷が刻まれている。

 その時、カルトはようやく目前にナクシアが立っている事に気付いた。

 ナクシアは息を荒げながら血眼でカルトを余所見一つせずに見つめている。

 そして、その手の中には剣が握られている。

 その剣は血に濡れ、刃毀れしている。ろくな威力を持たないだろう。

 だが、相手は戦場の実力者――『神衛帝国騎士隊リベリオンオルデン』の一人だ。

 剣の良し悪しに関わらず、下手すればカルトが真っ二つ、いや肉片にされるのも訳無いだろう。

 そんな事を感じ取った瞬間、カルトは汗が顔を流れ落ちていくのを感じた。

 カルトはゆっくりと後退し、クロスボウを構えた。

 新たな矢を装置して、鋭く尖った先端をナクシアに向ける。

 一方、ナクシアは心の内で何かと闘っている様で、剣を構えたかと思えば下ろし、下ろしたかと思えば構えをとるという意味の無い動作を繰り返していた。

 そして、彼の口はうなされているかのような唸り声を絶えず零している。

 今では全てが凍り付き、数分前まで歓喜の渦にあったとは考えられない。

 暫しの沈黙しじまにその場の皆が息を呑む。

 すると、ナクシアは剣を構えて地を強く蹴り出した。

 カルトも咄嗟にクロスボウの引き金を引く。

 だが、流星の如く放たれた矢も戦闘狂バーサーカーと化したナクシアの前に一閃されてしまった。

 しかし、彼の勢いはこれだけに留まらず、カルトを斬り刻まんと剣を振るう。

 ――ガキィィィィィィィィン!

 カルトがせめてもの救いに、と盾代わりに構えたクロスボウが幸いした。

 生憎クロスボウは使い物にならなくなってしまったが、剣はクロスボウを斬り裂く寸前で勢力を失っている。

 直後、クロスボウの斬られた上部がカタンと音を立てて崩れ落ち、緊張と沈黙に包まれた重苦しい戦地にほっと安堵の声が次々に上がっていった。

 カルトもようやく今の状況を理解し、脱力して膝を付いた。

 長い緊張の中、十分に呼吸をしていなかったのだろう。開いた口からは強制的に肺から呼気が押し出される。

 また、ナクシアはやっと我に返ったようで、ほっとため息を吐いた。

 セレストはナクシアが自己を取り戻した事を確認すると、彼の元へ駆け出し、抱き付いた。

 ナクシアは少々困惑した表情を浮かべながらも口元は優しく微笑んでいた。

 こうして血生臭くも温かい戦地は再び歓喜を取り戻した。

 人々のがやがやとした笑い声が絶えずひしめき、騒がしくさえある。

 それでも、これらは幸福が訪れたという証明であるのだ。

 

 ――――だが、本当にこれで万事は解決しただろうか?

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