9 決心
陰湿な独房の中、奇面の男達は声を上げて卑しく笑った。
「よく吐いてくれたな小娘。中々大雑把な情報ではあったが、あの極悪人を捕まえるには十分過ぎる」
直後、無骨な手が伸び、セレストの頭をわしゃわしゃと強引に撫でた。
一体何が起こったのかと言うと、事は数十分前に遡る。
セレストはこの奇怪な集団に捕らえられてから、三日が経とうとしていた。その間、彼女は数え切れない拷問を受け、精神は壊滅寸前だった。
だが、そこでセレストの頭に一つの妙案が浮かぶ――早々とロッポウとの関係を話せば良いではないか。
何故街中でぶつかっただけの人間の逃げた方向すら言えなかったのだろうか。
何故ロッポウを善人、奇面の集団を悪人と決め付けていたのか。
何故赤の他人の罪を自分が背負わなければならないのか。
馬鹿馬鹿しい。
そして、セレストは事の一切を語った。彼女の自由を制限していた鎖は一気に砕け散った。今や耐え難い拷問を受ける必要も無いのだ。
暗黒世界から一変、眩しいほどの希望に満ちた明日が広がっている。
――いや、セレストの予想程、この世界は単純で簡単なものではなかった。
「小娘、お前は俺達に大いに貢献してくれた。最期に偉業が残せて良かったな」
セレストは困惑した。
男はあまりに自然な言い回しで喋ったが、ある一言が彼女の胸に引っ掛かったのである。
『最期に』
「待って、どういう事!?情報を吐いたら助けてくれるんじゃなかったの!?」
セレストの心の叫びに、男は冷徹な一言を浴びせた。
「まだお前がヤツのグルじゃないとは限らない。逃がした後、お前がアジトの場所を伝えるかもしれな――」
「そんなの身勝手だよ!」
「お前は――」
男は青龍刀を抜き、セレストの首元に刃先を向けた。
「――少し知り過ぎたようだ」
セレストは咄嗟に後ろへ跳び退きながら2本の短剣を構えた。
「ケッ……!ガキと思って剣は取り上げないでおいたが、こんなとこで災いしたか……!」
誰かがそう呟いた時、既に開戦の銅鑼は鳴っていた。
セレストは糸も容易く男達の攻撃を掻い潜り、擦れ違い様に双剣の二撃を食らわしていった。
戦闘に不慣れな彼女でも、小柄な体躯と過酷な生活で培われた素早い身のこなしは回避には申し分なかった。何より相手の剣の扱いが未熟だった事も挙げられるが。
そして、セレストは心の底で勝利を確信し、笑みを零した。
奇面の男達は暗殺や誘拐には精通しているものの、真正面から向かって来られる事に関しては苦手なようだ。
また、得物も青龍刀や双鈎で使い慣れていない事も容易に見て取れた。中には、峨嵋刺などの暗器を手にする者も居たが、リーチが短く利口な考えとは言えなかった。
つまり、この戦いでセレストは圧倒的に有利なのだ。
その後も彼女は大勢の敵に臆す事無く、疾風迅雷の勢いで突っ込んでいった。
彼女の得物である双短剣では与えるダメージは決して大きくない。それ故に相手を何度も何度も斬り付ける必要があるのだ。
すると、セレストの実力への過信が災いを呼んだ。
セレストが斬り付けた一人の男が、自分への更なるダメージと引き換えに、双鈎でセレストの短剣を弾き飛ばしたのだ。
そして、セレストの動きが一瞬緩慢になった。その隙に男達は一斉に畳み掛けた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
セレストに向かってどっと押し寄せる暴徒の波。まさしく四面楚歌。
身の危険を察したセレストは床に倒れ込んだ男の懐から飛刀を取り出し、手当たり次第に乱れ投げた。
飛刀はヒュッと風を切る音を立てながら、雪崩れ込む敵の流れに突き刺さった。
しかし、未だ敵の勢いは衰える事を知らない。
セレストはようやく切り札――戦技を発動した。
「風吹く舞斬ッ!!」
突如、セレストの周囲に逆巻くような風が吹き、彼女は荒ぶる竜巻の如く乱舞する。
渦巻く風は力尽きた男達の懐中からあるだけの暗器を掻っ攫い、数秒後には刃の渦が出来上がった。そして、その刃の渦は向かってくる敵を次々と呑み込んだ。
直後、その竜巻は妖しい真紅に染まる。
風の渦に呑まれた男達は自分あるいは仲間の武器に全身を貫かれ、斬り裂かれ、実に哀れな最期を迎えた。
すると、刃の渦が敵を根こそぎ一掃した時、部屋に一人の男が入ってきた。
顔に付けた面は今までの男とは違い、一対の奇妙な角が伸びている。その奇妙な角面は一際恐怖心を掻き立て、最早その面を付けた者には一欠片の人間らしさも存在しない。
セレストは弾かれた短剣を拾い上げると身構えた。
「――こいつが噂に聞いていた小娘か……。情報を吐いたかどうかは知らんが、この状態ではもう情報を吐いて いても意味が無いな」
その言葉にはずっしりとした威厳と風格が漂っている。
「あなた達は何者!?」
「それを知る必要は無い!」
男はきっぱり言い捨てると、両手を懐に突っ込み、片手4本ずつ飛刀を取り出した。両手に飛刀を持つ姿はまるで爪の延長のようだ。
そして、舞いにもよく似た異国の構えを取り始めた。
セレストの注意と関心は自然とその構えへと誘われる。
だが、それに見入ってしまえば相手の思う壺。セレストは己の精神に強く言い付けた。
対して、男は遅いながらも、確実に間合いを詰めていく。
「何故ロッポウを追うの!?」
しかし、男は黙秘を続ける。いや、答えてはいた――剣で。
セレストは何の予兆も無く振るわれた飛刀を、短剣を交差させて受け止めた。
それと共に、受け止めた短剣の柄から自分の腕へと大きな衝撃が迸る。
だが、彼女に安息は無い。左腕の第二撃が迫っていた。
前には敵。進めない。
背後には壁。退けない。
横からは斬撃。両手で一撃を防いでる今、側面回避もままならない。
これまでかと思われた時、セレストは驚くべき方法を取った。
――――しゃがみ込んだのだ。そして、側面へ回転回避。
敵がいきなり低くなった事によって、妨害の消えた右腕は力一杯前方に振り下ろされた。
しかし、その先は左腕の軌道の上。
その危機に気付いた時にはもう、右腕は宙を舞っていた。
「うぐぁぁッ!!」
もう肘から下の無い右腕を押さえ、男は悶えている。その表情は仮面の裏に隠れているが、きっと激痛で歪んでいるに違いない。
そして、遂に痛みは耐えられる限界を超え、男の身体は小刻みに痙攣し始めた。
セレストはその姿を見て、不意に思った。
(可哀想……。早く楽にしてあげたいけど……)
そう思うのも、セレストの双短剣の攻撃力は高くない。
故に楽にさせる――すぐに殺す事は不可能に限り無く近いのだ。
このまま苦悶させるか、切り刻んで殺すか。
苦悶させるなら、それが彼の罪に相応しい裁きかもしれない。かといって、切り刻んで殺すのも気が引ける。
――一瞬の長い長い苦悩の末、セレストは地面に転がっている青龍刀を手に取った。
そして、屍の積まれた房に張り裂けんばかりの悲鳴が響き渡った。
セレストの視界にある男の首元から上は無く、胴体の周囲には苦悶を湛えた生首が転がっている。
茫然と立ち尽くす少女の身体は黒味がかった血飛沫を浴び、小窓から差し込んでくる僅かな光に当たる度に暗がりの中で不気味に光る。
力の抜けた手から青龍刀が零れ落ちた。それから間も無く、がっくりと膝を落とした。
心の奥底から止め処無く込み上げる罪悪感は計り知れない。
人間、生きていく為には他の生命を糧にしなければならない。
だからといって、この殺生は無意味だったのではなかろうか。
もしかしたら、相手を殺さない方法があったのではなかろうか。
戦闘にもまだ慣れていないセレストにとっては、この一回一回の『死』が重過ぎるのだろう。大切な身内が皆殺されてしまっているから尚更だ。
だが、今更悔やんでも、もう遅い。
新たな追っ手がここへ来るのも時間の問題だ。
セレストは重い足取りでその場を後にした。
――この経験の浅い少女が『殺めた命の分まで生きる』と悟るのは、そう遠くないだろう。




