第1話 魔王、ただいま陣痛中。
――ドキュン ドキュン ドキュン ドキュン……
(なんの音だ……)
ぼやけていた視界が鮮明になる。
(いったい…ここは)
どこからか、オルゴールのようなメロディが聞こえてくる。
見知らぬ天井。 甘い香り。 そしてオナゴの体。
(まて!!)
俺は、自分の腹部を見て思わず、唾を呑んだ。
(腹が…腹が膨らんでおる!! 中で何かが蠢いているではないか!!)
――ドンッ
「うっ!」
腹の内部から突き上げられ、思わず声が漏れてしまった。
(…いまのは、いったい…)
――ドキュン ドキュン ドキュン ドキュン……
(なんなんだ、この不気味な音は)
俺は、周囲を見渡した。
「真央、どうした?」
男は優しく俺の手を握ってきた。
「…っ!?」
(おっ! おおっ俺の手を握るなあ!!)
その手を振り払った。
「痛いんじゃボケ!!」
「どこが痛い? 腰?」
(俺…いまなんて言った? この男はいったい…)
「う! …かはっ!!」
(なんだ!! 腹が!! 裂ける!!)
「あああぁぁ!!! 痛い!! 痛いぞクソったれ!!!」
「狩野さん 大丈夫? 胎児の心拍モニター確認しますねー。 うん、元気ね。陣痛の波は…弱いね。 狩野さん、深呼吸。 波が来てもいきまない」
「弱いとはなんだ! いきむなとは!?」
(これを耐えろと!?)
「ご主人様も、休めるうちに、休んでおいてくださいね。 無理なさらないように」
「はい」
「また来ます。 何かありましたらナースコール押してくださいね」
助産師が部屋を出て行った。 胎児心拍モニターの音が鳴り響く中、男と二人きり。
「喉乾いてない? お茶いる?」
「お茶とはなんぞ、ワインなら頂こう」
「なに言ってんの? いつものノリ戻ってきた?」
男に小さく笑われた。
「なにがおかしい…」
不思議そうにその男の顔を覗き込む。
その男はそんな俺を見つめながら接吻してきた。
(……は?)
次第に俺の全身が熱くなる。
「貴様!! …はっ!!!」
体が震え、息を呑み込む。
「 いっ!!! たああああああ!!!」
俺は、あまりの腹部の痛さに、昇天しそうになった。
「腰押すよ。 体傾けて」
男はテニスボールを俺の腰に押し当てる。
「なっ…」
息が詰まる。 なぜか、気持ちいい。
「貴様は…賢者か?」
「賢者タイムあるからそうじゃない?」
そう言いながら、彼は腰を優しく押してくる。
俺は言葉に詰まった。 真面目に聞いた俺がバカみたいだった。 冗談にも程があるとそう思ったのは…こやつには内緒だ。
数分で痛みが引く。
「さっきからこの痛み、落ち着いたと思いきや激痛になる…まったく鬱陶しい」
「はい、グレープジュース」
「ワインか?」
一口飲む。
(うむ。 いい香り。 濃厚だ…美味)
「これは! どこで仕入れた!」
「聞きたまえ! CO-OPという宅配で事前に蓄えておいた! まだあるぞよ」
「なぜ、貴様が偉そうに言っておる…」
呆れた顔で見つめていたら、こやつ何やら甘い顔してきおる。
そんな中、俺の腹部がぐるっと蠢き、思わず俯く。
――トコッ グイッ
腹部を押される。 見事な足型が浮き上がる。
「ヒィ! 腹の中に化物でもいるのか!?」
「化物って…酷いなぁ。 俺と真央との愛の結晶だよ。 早く出ておいで〜」
「ふむ…愛の結晶」
(いつ! どういうことだ!? いつの間にこやつと!?)
部屋のドアが開く。 さっきの助産師と隣にいる白衣の男…誰?
「狩野さーん。 いま子宮口調べさせてね」
「ご主人様は奥様の手を握っててあげてくださいね」
「はい」
「え?」
俺は思わず、手を握ってきた こやつへ視線を向けた。次の瞬間。
「いっ!!!!」
声にならない絶叫。
(腕が入ってる!! はっ入ってる!? どこに!?)
痛さのあまり視線は白衣の男へ。
「五センチだね」
「どこ触ってんだよクソが…!」
俺はかすれた声で吐き捨てる。 白衣の男は俺の顔を見つめる。
「出産は明日になるかもしれませんね」
(……この痛みを耐えろと? 拷問か??)
「殺す気か?」
そんな暴言に、白衣の男は動じず、俺を優しく見てくる。
「真央、落ち着いて」
ご主人様と言われている、こやつに優しく俺の手を握りなおされた。
「ご主人様はどうなさいますか? 一度帰られても…」
助産師がこやつに話しかける。
白衣の男は部屋を出て行った。
「ここにいます」
(なんと優しい男だ。 不気味な部屋に一人は、ちと寂しいところだった)
そう思いつつ、こやつに小さく囁いた。
「貴様、今夜は覚悟しとけよ」
「ん…」
こやつは握る手を離して、助産師と話している。 さっきまでの温もりがさみしく感じた。
「また、様子見に来ますね」
そう言い、助産師は部屋を出て行った。
「ねぇ、真央、名前で呼んでよ」
「…名はなんという」
「もー」
ため息が聞こえてきた。
「痛みで、平常心を保てないってのはわかっていたけど、ここまでとは…。 俺は、健だよ。 真央、愛してる」
全身が熱くなった。
「たかし…とな。 我が愛しいと…」
俺はつい健の顔を見つめてしまった。
(見惚れたわけでは…決してない!断じてない!)
と言いつつ、しっかり接吻を受け入れていたのは…不可抗力だ!
「いっ!」
(また、腹痛!!!)
俺は陣痛に悶える。
「ああああ゙あ゙!! ざけんじゃねーぞ!!」
「腰? それとも…」
健は慌てず、テニスボール片手に腰をマッサージしてくれる。
「いてぇぇよぉぉ…」
とうとう、魔王という威厳を捨てて泣き出す俺だった。




