第二十四話:『象牙の檻と、煤けた数式』第二節:欺瞞の象牙塔、閉ざされた検問
蒸気馬車を台地下の宿場街に停め、四人は木立の陰から大学術都市アレキシアの正門を見上げていた。
白亜の大理石で築かれた城壁は高さ30メートル。その中央に鎮座する『真理の大門』には、分厚い魔導防護鋼の引き込み戸が頑強に降ろされている。門前には、胸当てにアレキシアの星辰章を刻んだ警備魔導兵が20名以上整列し、その脇を金属製の多足歩行型自律機械――『警備用オートマタ』が無機質な駆動音を立てて巡回していた。頭上を見上げれば、都市全域を覆う巨大なレンズ状の魔導防壁が、陽光を青白く乱反射させて微かな熱気を大気へと逃がしている。
「……水の都の崩壊を受けて、完全に戒厳令体制に移行していますね」
ルシアンが木立の陰から単眼鏡を覗き、冷淡な声で言った。白亜の首席ローブの襟元をわずかに引き寄せ、溜息を吐き出す。
「正規の入都手続きは完全に凍結されています。現在アレキシアへの出入りが許可されているのは、帝国枢密院の特使か、門閥直属の軍需調達部隊のみ。……僕たちのような身元不明の旅芸人や冒険者は、門前で拘束され尋問室送りになるのが関の山です」
「あのオートマタ、随分と物騒な重火器を積んでるじゃねえか」
リンが『ギア・フレーム』の拳を軽く打ち合わせ、目を細めた。
「正面から突っ込んで、あの鉄屑どもをまとめて叩き割るかい? あたしの拳なら、3分もあれば門ごと更地にしてやれるがね」
「短絡的すぎます、リン。暴力で解決できると思わないでください」
ルシアンがすかさず中指で眼鏡を押し上げ、眉をひそめた。
「都市の結界警報を鳴らせば、学府の全魔導砲台が外郭へ向けて一斉斉射を始めます。僕たちの目的は街を破壊することではなく、中枢の機密を暴くことです。……無意味な消耗戦は非論理的の極みです」
「じゃあどうすんのよ、理屈屋。あの鉄の扉を指くわえて眺めてろってのか?」
「ふっ……。僕を誰だと思っているのですか」
ルシアンはフッと得意げに眼鏡の奥の瞳を光らせ、懐から手のひら大の真鍮製コンパスを取り出した。
「学府がどれほど結界を幾重に張り巡らせようと、都市である以上、膨大な排水と排熱を外へ逃がす排気口が必ず存在します。……かつて僕が、夜間に閉鎖された中央禁書庫の機密閲覧室へ出入りするために開拓した、極秘のバイパスルートがあります」
「……は?」
リンが目を丸くし、次いでじっとルシアンの顔を覗き込んだ。その琥珀色の瞳に、いたずらっぽい好奇心と侮蔑の混ざった生々しい笑みが浮かぶ。
「おいおい……ちょっと待ちな。つまりお前、学生時代に夜遊び……じゃなくて、コソ泥同然に忍び込んでたってことか? あの『帝立アカデミー最年少首席』様がよォ?」
「こ、コソ泥などと下品な表現はおやめください!」
ルシアンの耳朶が一瞬にして真っ赤に染まった。早口でまくし立てながら、激しく眼鏡の位置を直す。
「学術的知的好奇心を満たすための、合理的な侵入経路の開拓です! 当時、禁書庫の閉鎖措置そのものが門閥派閥による不当な情報独占でした。真理を求める者として、物理的・工学的な盲点を突いてアクセスを試みるのは、むしろ学究の徒として正当な権利行使です!」
「へえへえ、言い訳だけは一丁前だな! 要するに裏口入学の手引きだろ!」
「手引きではありません! 単なる流体力学と導魔管の結節点を利用した――」
「まあまあ、リン様、ルシアン様」
二人の間に、フィリアが両手を広げてふわりと割り込んだ。桜ブロンドの髪を揺らし、聖母のような穏やかな微笑みをルシアンに向ける。
「ふふっ。ルシアン様も、昔からとても好奇心旺盛で、やんちゃなところがおありだったのですねぇ」
「や、やんちゃ……!? フィリア様、それは重大な語弊が――ぐっ、胃が……」
天然の刃で急所を抉られたルシアンが、腹を押さえて呻き声を漏らした。その様子を見ていたアリアが、思わず声を立てて吹き出した。
「あはは! でも助かるよ、ルシアン。正面からやり合わずに済むなら、それに越したことはないもんね」
アリアは左腰のアルビオンの鞘を軽く叩き、引き締まった表情で頷いた。
「よし、決まり! その裏ルートから潜入するよ! 案内して、ルシアン!」
「……まったく、誰のおかげで安全に潜入できると思っているのか」
ルシアンは小さくぼやきながら、城壁の西側へと広がる深い渓谷の崖下へと四人を先導した。
鬱蒼とした苔むす岩肌の隙間。
激しい水流の音が谷底に反響する薄暗い崖の裂け目に、巨大な鉄格子の嵌まった排水口が口を開けていた。アレキシア全域の冷却魔導炉から排出される温水が、白い湯気を立てて絶え間なく吐き出されている。鉄格子には、学府の最高位術式を示す『三重連環の封印鍵』が幾何学模様となって刻まれていた。
「ここです。『旧第3工廠・廃水力導魔ダクト』。……学府の防衛網は外からの侵入に対しては絶対的な強度を誇りますが、内部から外へ向かう排水路の逆流に対しては、演算の優先順位が一段階低く設定されています」
ルシアンは白亜の首席ローブのポケットから、青い光を放つ六角形の水晶板を取り出した。
表面には、ルシアン自身の学籍番号と『首席研究者』の称号が刻まれている。
「僕が卒業時に返却を免れた――いえ、適正に保持していた首席研究者章です。これに僕の魔力を通し、排水ダクトの逆流遮断プロテクトを欺瞞します」
青年が水晶板を鉄格子の結節点へと押し当て、素早く数理式を呟いた。青い光紋が鉄格子の表面を蜘蛛の巣のように走り、数秒の静寂の後、カチリと重厚な機械錠が外れる音が響いた。
「解除完了です。……入りますよ。足元に気をつけてください」
ルシアンが錆びついた鉄格子を押し開け、四人は暗い導魔管の内部へと滑り込んだ。ダクトの内部は、大人が腰をかがめてようやく進めるほどの狭隘な空間だった。足元にはぬるい排水が足首まで満ちており、壁面を這う導魔パイプからは、時折プシューと高圧の排熱蒸気が漏れ出している。ルシアンの白亜のローブは、濡れた壁面を擦るたびに泥と錆の汚れを広げていった。青年は顔をしかめながらも、慣れた足取りで複雑に入り組んだ配管の迷路を進んでいく。
「……ここから先は、かつて学府の外郭に位置していた旧工廠区画の地下です」
ルシアンが前方を指し示した。
「現在のアカデミー主流派閥――いわゆる『純血魔導学派』が権力を握って以降、泥臭い工学や機械魔導を研究していた旧工廠はすべて予算を凍結され、廃棄区画として封鎖されました。……警備兵の巡回ルートからも完全に除外されている、死角の空間です」
ダクトの終端に、重厚な鋳鉄製のマンホールが見えてきた。リンが身軽に跳び上がり、『ギア・ガントレット』の掌底で頭上の鉄蓋を静かに押し上げる。隙間から漏れ込んできたのは、冷たい空気と、長年放置された鉄錆と埃の沈んだ匂いだった。
「……誰もいねえな。上がれるぜ」
リンの合図を受け、四人は一人ずつ暗渠から床の上へと這い上がった。
そこは、まるで時が止まったかのような巨大な廃墟だった。
天井の天窓からは、埃の粒子が舞う薄暗い光が斜めに差し込んでいる。
広大なフロアには、巨大な旋盤や分解された魔導炉の残骸が無造作に転がり、壁一面の黒板には、百年前の学者たちが書き残した数式や歯車のスケッチが、白く煤けて残されていた。
足元に転がっていた真鍮の歯車を踏みそうになり、ルシアンが立ち止まった。眼鏡の奥のネイビーブルーの瞳が、暗いフロアの奥――頑重な鉄扉で厳重に封印された一室を見つめていた。扉の上部には、錆びついた真鍮のプレートが掲げられている。
『第3工廠特務室――主任技師:エレノア・ハイネマン』
「……ついに、辿り着きました」
ルシアンの声が、静まり返った廃工房の中に微かに震えて響いた。
「百年前、学府を揺るがし、そして歴史から抹消された異端の天才……エレノア様が、最後に活動していた工房です」
(第三節へ続く)




