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『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


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第十九話:『灰燼の工房の亡霊』第三節:緋金剛の連環打撃具、覚醒

 炉の吸気口から冷えた外気が引き戻され、作業場を満たしていた白熱の蒸気が引いていく。

 金床の上に鎮座していたのは、鈍く光る深みのあるマットブラックの金属フレームと、高熱を排気するための幾重ものスリットが走る、ひと組の武具だった。

 赤黒い緋金剛の重厚な装甲。

 その隙間から覗くのは、フィリアの結界とルシアンの数理、アリアの蒼水、そしてリンの闘気によって完全に融着を果たした、半透明の強靭な生体腱ダンパー。

 内部には、エレノアの遺した多重遊星歯車が寸分の狂いもなく組み込まれ、外見の無骨さとは裏腹に、極限の機能美を放っている。

「……できたぞ」

 老技師バラックは煤けた腕で額の汗を拭い、荒い呼気を吐き出しながら金床を指差した。

「百年前の設計図が、ようやく形になりやがった。……『緋金剛の連環打撃具(アダマント・リンケージギア)』。前腕から肘までを覆う手甲と、脛から膝下を固める脚甲の一式だ」

 さらに老人は、作業台の奥から丸めて置かれていた一揃いの衣服を掴み出し、リンの前へ放り投げた。

「ついでにこれも持って行きな。この街の劣悪な高熱と火の粉、腐食性の火山灰を弾き返すために、親父が耐火繊維を二重に織り上げて作った特注の道着だ」

「えっ……あたしに……!?」

 リンは飛んできた衣服を慌てて胸元で抱きとめた。

 ざらりとした上質な耐火布の感触を指先で確かめた瞬間、少女の琥珀色の瞳がぱあっと眩い光を放った。スラムの地下道場で育ち、普段は擦り切れた作業着やボロボロの道着ばかりを着崩してきた少女にとって、自分のためにあつらえられた真新しい服など、生まれて初めて手にする宝物に等しかった。

 頬をほんのりと赤らめ、八重歯を覗かせて満面の笑みを零す。

「へへっ……すげえ、仕立ての良い新品なんて、いつ以来だろ! オヤジ、ありがとな! すぐ着てくるぜ!」

 普段のぶっきらぼうな口調を忘れたように弾んだ声を上げ、リンは衣服を大切に抱えながら、小走りで奥の脱衣スペースの暖簾をくぐっていった。

 数分後。

 作業場の暖簾が静かに押し上げられ、姿を現したリンを見た瞬間、アリアは小さく息を呑んだ。

 そして次の瞬間、その菫色の瞳をこれ以上ないほど輝かせ、花が綻ぶような満面の笑みを咲かせた。

「……っ、リン! すっごく、すっごく似合ってるわ! かっこよくて……それに、すっごく可愛い!」

 煤だらけだった作業着の面影はどこにもなかった。引き締まったしなやかな体躯を包むのは、吸い付くようなマットブラックと、鮮烈な燃焼の橙色が走る特注の軽装道着。

 肩口や太ももには格闘の可動域を広げる大胆なスリットが入り、健康的な肌の白さと引き締まった筋肉の陰影を際立たせている。

 そしてその両腕と両脚には、新たに鍛造された『緋金剛の連環打撃具』が、寸分の狂いもなく完璧に装着されていた。

「へへっ、そうかよ? ……どうだ、似合ってるか?」

 リンは少し照れくさそうに道着の裾を引っ張りながらも、誇らしげに胸を張り、八重歯を見せて無邪気に笑った。野性味あふれる快活さと、少女特有の凛とした愛らしさが完璧に溶け合い、見る者を惹きつけて離さない。

「ええ、とても素敵です……! 凛々しくて、リン様の眩しい笑顔に本当によくお似合いですよ」

 フィリアが胸の前で両手を合わせ、うっとりと目を細める。

 一方、作業台の脇に立っていたルシアンは、差し出されたその姿を一瞥した瞬間、息を詰まらせて言葉を失っていた。

 皇宮で絶世の美女であるアリアを見慣れているはずの青年だったが、飾り気のない自然体で、距離感ゼロの眩い生命力を放つリンの姿を前にして、どこを見ていいのかわからずネイビーブルーの瞳を激しく泳がせる。

 頬に微かな朱が差すのを悟られまいと、青年はわざとらしく咳払いをし、中指で眼鏡のブリッジを慌ただしく押し上げた。

「……こ、コホン。……ええ、意匠としては機能美に優れていると思います。……問題は、その内部機構が設計通りの減衰数理を発揮できるかどうかです!」

 あからさまに早口になり、手元のグリモワールへ視線を落とすルシアンの様子に、アリアは悪戯っぽく微笑みながらも、工房の隅へと視線を向けた。

 そこには、ヘパイストスの重砲弾頭の貫通力テスト用に置かれていた、数トンもの重量を誇る超高密度の鋼鉄塊インゴットが転がっていた。

「フィリアの治癒で、リンの橈骨の炎症は塞がっています。ですが、先ほどのような数トンの衝撃が再び手首へ跳ね返れば、今度こそ関節組織が破壊されます。……リン、無理のない範囲で、その鉄塊に打撃を流し込んでみてください」

「へっ、言われなくてもやってみるぜ」

 リンは金床の前へ歩み寄り、巨大な鉄塊と向き合った。

 右足を半歩引き、重心を低く沈め、前腕をすっと水平に構える。

 呼吸が止まった。工房の空気が、少女の集中によってピンと張り詰める。リンの全身の毛細血管から、青白い闘気が細波のように立ち上り、手甲の内部へと吸い込まれていく。生体腱が少女のマナを捉え、装甲の内側に眠る無数の歯車が、チチチ……と精密な時計のように静かな回転予兆の音を立てた。

 息の呼気とともに、リンの右手が鋭く突き出された。

 大振りな殴打ではない。

 鉄塊の表面へ指先を滑り込ませるような、零距離からの無反動掌底――『浸透勁』。

 その刹那、拳の周囲の大気が凄まじい圧力で内側へと収縮し、光が歪んだ。

 手甲の内部に仕込まれた多重遊星歯車が超高速で自転を開始し、生体腱ダンパーが物理法則を欺くように伸縮を繰り返す。

 打撃の瞬間、手甲の背面に設けられた排気スリットから、圧縮された高熱のマナが目に見えるほどの白い蒸気噴流となって後方へ一気に吹き抜けた。

 直後、鉄塊の内部から何かが断絶するような重苦しい衝撃波の余波が広がる。

 リンの掌底が触れていた鉄塊の前面には、傷一つついていない。

 だがその瞬間、巨大な鉄塊の背面側半分が、内部を突き抜けた破壊エネルギーによって無数の細かな金属片へと弾け飛び、背後の防護壁へと激しく降り注いだ。

 打撃を終えたリンは、その場に立ち尽くしたまま、自らの右手をじっと見つめていた。

「……嘘、だろ……」

 少女の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれていた。

 ゆっくりと五本の指を開き、再び握り締め、手首を回す。痛覚がない。

 手首の骨に、痺れも、軋みも、皮膚が焼けるような熱感すら、何一つ残っていない。

 数トンの鉄塊を打ち砕くほどの凄まじい反動エネルギーのすべてが、まるで最初から存在しなかったかのように、手甲の排気口から外へと逃げ去っていた。

 少女の顔に浮かんでいた茫然自失の表情が、やがて急速に解け、爆発するような歓喜の笑顔へと塗り替わっていく。

「反動が……ねえ……! 手首に、何一つ響いてこねえぞ……!?」

「やったわね、リン……!」

 アリアが駆け寄り、リンの手甲のついていない左手を両手でぎゅっと握りしめた。

 二人は満面の笑みで見つめ合い、パチンと小気味の良い音を立てて手のひらを打ち鳴らす。

「前面の運動エネルギーを内部へ浸透させ、反対側の分子結合だけを破壊した……! そして、反動ベクトルのすべてが手甲内部のギアと背面の排気口へ完璧に逃がされています……!」

 ルシアンが眼鏡を押し上げ、レンズの内側に展開された数理グラフを凝視しながら、興奮を隠せない様子で息を呑んだ。フィリアも胸元を撫で下ろし、聖杖を抱きしめて涙ぐみながら微笑む。

「本当に……本当によかったです、リン様……! 」

「ああ! これなら、どんなに硬えもんを殴り砕こうが、あたしの腕は絶対に壊れねえ! ……あの魔王の野郎が振り回す黒鉄の柱だろうが、真っ向から叩き割ってやれるぜ!」

 リンが両拳を打ち鳴らすと、手甲のギアが誇らしげな金属音を返した。

 アリアは大きく頷き、バラックを振り返った。

「ありがとう、バラックさん……! この街で、あたしたちが立ち向かうための力を貸してくれて!」

「……へっ、礼を言うな。俺は親父の残した宿題を片付けただけだ」

 老技師は照れくさそうに顔を背け、耐火布で鼻の頭を擦った。

「持って行きな。……エレノアの嬢ちゃんも、自分の技術が人を守るために使われるなら、草葉の陰で笑ってらあな」

 百年の時を超えて受け継がれた、職人の祈りと真紅の打撃具。過酷な炉壁の底で、四人の絆が新たな希望の形となって結実した、まさにその瞬間だった。

 部屋の空気が、ふっと冷たくなった。

 作業場の片隅に置かれていた真鍮の工具箱が、小刻みにカタカタと震え始める。

 棚に吊り下げられていた無数のスパナや歯車が、目に見えない巨大な磁場に引っ張られるように、一斉に同じ方向へと傾いた。次の瞬間、地下の強固な岩盤全体が、下から巨大な鉄槌で殴りつけられたかのように大きく跳ね上がった。

 石造りの壁面に、蜘蛛の巣のような亀裂が一気に走り抜ける。天井の梁から、積もり積もっていた黒い火山灰とモルタルの破片が、視界を遮るほどの粉塵となって激しく降り注いだ。

「……っ!? な、何ですか、この激震は……!?」

 フィリアが聖杖を構えてアリアの背後へ寄り添い、ルシアンが即座に眼鏡の数理計器を跳ね上げた。レンズの奥の瞳が、恐怖に激しく揺れ動く。

「地震ではありません……! カルデラ外輪山の上空から、数千トン単位の不可視の運動エネルギーが、ヘパイストスの中央溶鉱炉へ向けて直接叩き落とされました……! 衝撃波の規模、要塞攻城魔導砲の比ではありません!」

 地鳴りは止まらない。

 足元の岩盤を震わせているのは、単なる爆撃の衝撃ではなかった。

 大地そのものが鋭利な刃物で薄く削ぎ落とされるような、冷徹で、絶対的な暴力の重圧。

 アリアの首元の『原初の勇者の聖痕』が、皮膚を焼き焦がすほどの強烈な熱を帯び、服の襟元を青白い燐光で染め上げた。

「……来たんだわ」

 アリアが菫色の瞳を鋭く研ぎ澄まし、天井の通気ダクトの向こう――赤黒く染まり始めた天蓋を見上げた。

「魔王……! 街の軍需工場を更地にするための、本当の解体が始まっちゃったんだわ!」

「行こうぜ、アリア!」

 新戦闘装束の裾を翻し、真新しい緋金剛の手甲を構えたリンが、八重歯を剥き出しにして扉へと駆け出す。

「あの頑固オヤジからもらったこの拳で、巻き込まれる人たちを一人残らず守り抜いてみせるぜ!」

 地響きを上げる炉壁都市ヘパイストス。世界の欺瞞を暴き、冷徹なる更地化を止めるための、第3幕の激震の戦いが、いま幕を開ける。

(第十九話 完 / 第二十話へ続く)


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 リンの新装備イラストです。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


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