第三十五話:『白亜の崩壊』 第二節:白亜の粉砕
亀裂が光の速度で網目を広げ、蒼銀の球殻が内側から悲鳴を上げた。
「アリア、ダメだッ! 結界がもたない!!」
背後から支えていたリンの絶叫が木霊する。
大赤潮の深紅の雷光が亀裂の隙間から奔流となって噴き出し、蒼銀の膜を内側から焼き焦がしていった。ルシアンの幾何学偏向障壁が過負荷で次々と破砕され、フィリアの掲げる【風のワンド】から翠玉の光がプツリと途切れる。
そして――限界が訪れた。
音もなく、大気の引力が弾け飛んだ。硝子細工が粉々に破砕されるような無数の光の破片を撒き散らし、『無垢なる聖域』が完全に四散した。
暴虐な衝撃波が、四人の身体を木の葉のように吹き飛ばす。リンが石畳の上を猛烈な勢いで転がり、ルシアンとフィリアが瓦礫の山へと叩きつけられた。
だが、吹き飛ばされたアリアの視線は、ただ一点――大聖堂の脇、地下外郭放水路へと通じる巨大な鋳鉄製の大水門ハッチを捉えていた。その直下には、息を潜めて震えている何十万もの市民たちがいる。上空からは、聖域の崩壊に伴って押し寄せる深紅の涸渇波と、剥落した大理石の巨大な破片が雨あられと降り注ごうとしていた。
「みんなは……絶対に殺させないッ!!」
空中で体勢を無理やり捻ったアリアは、口元から溢れる鮮血を噛み締め、推進器のように『蒼血』を爆発させた。神刀アルビオン・レガリアを構え、自らの肉体を弾丸のように大水門ハッチの上へと投げ出す。
ハッチの直上に割り込んだアリアは、刀身を地へと突き立てる。残されたすべての生命力を振り絞り、刀身からわずか数メートルの極小の蒼銀の薄膜を展開する。頭上から降り注ぐ巨大な瓦礫と涸渇の奔流。直撃した超高圧の衝撃波と瓦礫の嵐が、アリアの全身を容赦なく打ち据えた。
過酷な摩擦熱と暴風に晒され、白藍の跳躍装束は至る所が激しく引き裂かれ、純白のケープフリルは粉々に吹き飛んでボロボロの布切れへと成り果てていく。
腰の黒革ベルトすら千切れかけ、膝や肩の装甲布は焼け焦げ、無数の裂傷から血が滲み出していた。
それでも少女は歯を食いしばり、自らの身体を最後の盾にして水門ハッチへの直撃を逸らし続けた。
大理石の巨塊が、アリアの背中を激しく打ち据える。鈍い骨の軋む感触。だが、鋳鉄のハッチには小石ひとつ通さなかった。
「……よかった……みんな……生きて……」
喀血とともに、アリアの手から神刀が転がり落ちた。刃こぼれ一つない白銀の波頭刃文が、主の蒼血の残光を宿したまま、カランと虚しく石畳を滑る。ボロボロに擦り切れた装束のまま石畳へ崩れ落ち、菫色の瞳から光が失われ、少女の意識は急速に底なしの暗闇へと沈んでいった。
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遮る者を完全に失った『万象涸渇』は、白亜の帝都アルシリアをまるごと呑み込んでいった。
それは爆発ですらなく、音の消え去った絶対の風化だった。断罪柱を中心に広がる漆黒と深紅の同心円。大赤潮の波が撫でていく先から、千年の栄華を誇った白亜の建築群から「湿り気」と「命」が完全に吸い上げられていく。
大聖堂の巨大な尖塔が、水分を失って純白の粉末へと変じた。自重を支えきれなくなった白大理石の巨柱がサラサラと音を立てて砂のように崩落し、教皇庁の巨大なレリーフも、四大門閥が掲げてきた豪奢な紋章旗も、触れる先から風化して灰の塵へと溶けていく。広場を埋め尽くしていた豪奢な噴水が、瞬時に干上がって白い塩の結晶へと変わる。
神樹イグニス・アルボルの根元を取り巻いていた巨大な送水幹線パイプが、内側からの超高圧吸引に耐えきれず、次々と破断していった。何百年もの間、大陸全土から略奪したマナで街を潤してきた人工の滝が完全に沈黙する。皇帝が座す白亜の皇宮、貴族たちの壮麗な宮殿、天を突く要塞の防壁――そのすべてが、まるで砂浜に築いた砂の城が引き波にさらわれるように、跡形もなく崩壊していった。
残ったのは、天蓋結界の淡い光の下に広がる、どこまでも平坦な更地。
建造物の起伏はすべて粉砕され、白い灰と塩の粉末となって地表を均一に覆い尽くしていた。かつて世界の中心を気取り、他国の富と聖女の命を食い潰して繁栄した帝都アルシリアは、一夜にして、見渡す限りの無機質な白い荒野へと姿を変えた。
瓦礫と灰に埋もれた大水門ハッチの陰で、装束をボロボロに引き裂かれたアリアたちは、泥と灰にまみれながらも、微弱だが確かな生命の鼓動を刻み続けていた。
(第三節へ続く)




