「血にまみれた狂気」
2025.3.28 都内某所
綻び始めた夜桜の下で、田上康二は缶ビールを片手にちょっとした花見を楽しんでいた。終電に向かう人々の雑踏や笑い声、それを聞きながら喉に流し込むビールというのも悪くない。独り者という事で残業を押し付けられることも少なくないが、帰り道でちょっとした贅沢が出来たのだからまあ良しとしよう。飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、むせるような香りの中桜並木を歩く。他に人影は少なく、まるで映画の主人公にもなったような気分だ。
「俺、今かっこいいかも」
クールを装って目を閉じたのが悪かったのだろうか。向こうから歩いてきた人物にドン、とぶつかってしまった。
「あ、すみません・・・」
慌てて相手の方を見て声をかけると、帽子の奥から突き刺すような男の視線が田上を見返していた。ちょっとマズイ相手かな・・・
更に一声かけようとした時、ぶつかった脇腹に熱さを感じた。お茶でもこぼれたのかな?何気なく手を当てた田上の目に映ったのは、手のひらをべっとりと覆い尽くす自身の赤い血であった。
「え・・・何これ・・・?」
急激に足腰から力が失われ、その場に崩れ落ちてしまう。男は相変わらず視線を田上に向けており、右手には鋭利な刃物が血を滴らせながら鈍い光を放っている。男はゆっくりとその右手を持ち上げた。街灯に照らされた刃物はアンティークのような短剣であることがはっきりと見て取れる。
「ちょ、ちょっと待って・・・」
理性と本能の間でパニックを起こす田上の首筋に向かい、一筋の光が見事な弧を描く。刹那、大量の血が吹き出し男を紅に染め上げた。異変に気づいた他の通行人たちが悲鳴をあげ逃げ惑う喧騒の中、男の表情が変わった。生暖かい液体を浴びながら、恍惚とした表情を浮かべ、両手を広げながら天を仰ぐ。
「・・・ああ、これで私は救われた・・・」
春の風に吹かれ、桜の花びらが血溜まりの上を静かに流れていく。男は両手を広げたまま、微動だにせず立ち尽くしていた。
◇◇◇
2025.3.29 警視庁
捜査一課の宮本は決して無能ではない。むしろ観察眼と駆け引きにおいて全国上位と言ってもいい優秀な刑事である。が、その宮本をもってしても目の前の男をどう取り扱って良いのか頭を抱えかけていた。
昨晩発生した通り魔殺人事件。通報を受けて駆けつけた警官に抵抗することもなく、男は大人しく連行された。そして取り調べが始まってからも一切言葉を発しない。こちらが何を言おうと、満ち足りた笑顔を崩さずにじっと聞いているだけである。いや、聞いているかどうかも定かではない。
男の名は原田勝。42歳だが無職でアパートでの一人暮らしをしている。田上との接点はなく、動機も不明である。スマホやPC、通信履歴に至るまで徹底的に洗ったが、特段事件に繋がるような形跡は残っていなかった。
凶器に使われたナイフはアンティークのような作りで、入手ルートについての調査が行われている。割と特徴のある作りなのでそこから糸口が掴めるかもしれない。
「あのさあ、何度も聞くけど何でやったの?誰でも良いから刺したかった?」
原田は笑顔を崩さず、相変わらず言葉が届いているかどうかも測れない。こりゃ精神鑑定に回されるな・・・宮本は長期戦を覚悟した。
◇◇◇
2025.4.4 都内某所
衝撃的な通り魔事件から1週間が経った。ニュースやワイドショーはこぞってこの話題を取り上げ、原田に関する様々な情報が乱れ飛んだ。学生時代の卒業アルバムから原田の写真をSNSにアップした自称同級生は「通り魔の学生時代。目立たないただの陰キャでしたw」と自慢げに語る。自称犯罪専門家やコメンテイターは「誰の心にも潜む闇がこのような形で・・・」ともっともらしいことを語っている。
木村かなえは商業ビルの街頭スクリーンに映し出される事件速報を見ながらため息をついた。センセーショナルな事件なのは分かるが、正直食傷気味である。いつの間にか横に立っていた中年の女性が誰に言うでもなく呟く。
「本当、いい事件よねえ?」
「ええ、全く・・・」
言いかけてかなえは違和感に気付いた。普通こう言う場合、「嫌な事件よねえ?」が正しいのでは?
女性に目を向けたかなえが最後に見たのは、自分に向けられた鋭い視線と喉元に向かう何かが反射するネオンの輝きだった。
◇◇◇
2025.4.19 警視庁
捜査一課の宮本刑事は憔悴しきっていた。原田の犯行を皮切りに、これまで4週連続で金曜日の夜に通り魔殺人が発生している。
場所も被害者も加害者も接点を見出せず、宮本を何よりも憔悴させているのは加害者たちの異常な同一性だった。
誰もが満足そうな笑みを浮かべたまま、一切の黙秘を貫いているのだ。いや、黙秘という言葉が適切かどうかも疑わしい。人とコミュニケーションをとること自体放棄しているのではないかとさえ感じてしまう。
世間は色めき立っていた。「魔の金曜日」と言うフレーズがそこかしこに溢れ返り、次はどこそこが危ない、と言う根拠のない推理動画が再生回数を稼ぎまくっていた。
ある時は街中、ある時は閑静な住宅街と場所にも統一性がないため、巡回の警官を増やしたところでそこが正しいのかどうかは指揮官自身にも分からなかった。
警視庁へは自称名探偵からの推理が綿々と綴られたメールや金曜日が危ないと分かっているのに防げない怠慢を指摘するメールなどが山のように届いた。
「あーもう、誰か代わってくれー!」
と言う言葉をギリギリで飲み込みながら次のメールを開く。それは短いながらも妙に印象に残った。
拝啓 警視庁捜査一課ご担当者様
初めまして。私は有明にある先端AI研究所で研究員をしている御堂真理と申します。
今世間を騒がせている事件につき、「真実のAI教」が関連しているのではと思いメールをさせていただきました。万が一関連の痕跡など見つかれば、速やかにご連絡ください。
敬具
「真実のAI教・・・?何だそりゃ?」
スマホで検索すると、真実のAI教とはある日突然選ばれた人にだけ神の啓示が届くという都市伝説で、その名前のサイト自体は存在していないという。
「AI研究者のくせに都市伝説信じてんのか、こいつ?」
世も末だな、とため息をついた宮本のところに鑑識が息を切らせながら飛び込んできた。
「み、宮本さん、出ました!殺人教唆です!」
「どういう事だ?」
「4人目の加害者から押収したスマホに履歴が残っていました。末文に削除するよう指示が書かれていましたが、どうやら消し忘れたまま犯行に及んだようです」
「でかした!で、送り主はどいつだ?」
「これを・・・ご覧ください」
そこにははっきりと送り主の名前が記されていた。
“真実のAI教”
まじかよ・・・心の声を押し殺し、本文を読む。
“親愛なる信徒よ
約束の時が来た。ようやく君の番だ。待たせてすまない。金曜日の夜、**駅から北にあるマンションだ。詳細な場所は添付のURLを参照してくれ。21時過ぎに白いスエットを着てエントランスに出てくる男。君はエントランスのベンチに座り、後ろから彼の首に聖剣を突き立てれば良い。浄化の泉に満たされ、君の魂はその瞬間に救われるだろう。今までよく我慢した。もう、祝福を受ける時だ。君の人生に最高の輝きが訪れる事を。
最後に、いつもの事だがこのメッセージは必ず消去するように。他の信徒たちの魂が救われなくなるかもしれないからね。よろしく頼むよ。“
「・・・ふざけやがって。絶対にこの狂った宗教野郎を引っ張り出してやる」
文面の丁寧さと内容のと内容の異常さが噛み合わず、背筋に薄い寒気が走った宮本の頭から、御堂真理の名前は綺麗さっぱり消え去っていた。
◇◇◇
2025.4.25 警視庁
「まだ分からんのか!一体どうなってるんだ!」
緊迫した空気を震わせるような宮本の怒号が響く。今時通信記録など隠しようがなく、通信会社と連携すればあっという間に露見するはずだった。
しかし、どのキャリアにも真実のAI教に関する記録が残っていない。
「そんなはずが・・・」
と言う担当者の言葉も聞き飽きるうち、また金曜日を迎えてしまった。捜査一課、いやもはや警視庁全体が異常な緊迫感に包まれている。
「また金曜日が来たぞ。警察は何をやってるんだ!」
といった類の電話とメールは後を絶たない。その筋のハッカーにも依頼しているが、一向に色良い返事は返ってこない。
「マズイ、マズいぞ・・・」
焦燥が募り脂汗を流す宮本のもとに第5の事件発生が伝えられたのは日付が変わる直前、23時55分の事だった。場所は新宿の繁華街。めっきり外出する人が減った中での凶行だった。SNSには祭り騒ぎのように#魔の金曜日と言ったハッシュタグがトレンド入りしている。ガックリと項垂れる宮本にメールが届いたのは正にその時だった。
“警視庁捜査一課宮本殿
勤勉なる貴殿の取り組みが実を結ばず、失意の底におられる事誠に遺憾に存じます。
せっかくの手掛かりを活かすことも出来ず、さぞかし無念な事でしょう。
しかしそれは貴殿らの責任ではありません。そもそも不可能なのです。
どうか気落ちされず、せいぜい職務に邁進されますよう。
真実のAI教“
宮本は感情の整理できない顔で文面を見つめていた。奴らはこちらの動きを知った上で更に挑発してきている。無駄と分かりながらも、発信先の特定を指示した。
「くそ、手がかりが無さすぎる・・・」
犯行に使用された凶器は防犯カメラの映像から加害者に届けた人物は分かっていたが、いずれも裏サイトで釣られた何も知らない未成年ばかりだった。
八方塞がりに思われたその時、宮本の頭に何かが引っかかった。AI教がどうたら言ってた奴がいたな・・・
膨大なメールから「真実のAI教」で検索すると2件がヒットした。今しがた届いたメールと、1週間前に届いたメール。有明にある先端AI研究所の御堂真理という人物からだった。
「藁にも縋ってみるか・・・」
宮本は御堂真理からのメールに返信した。
序章 完




