力の使い道
「あの後――……朱槻は後追い自殺をしようとしたらしい。それをシャドウの雷神が止めたみたいだ」
秋の夜長。月夜見市郊外に立つ洋館のような家。そのリビングと思われる窓からは淡い光が漏れている。中にいるのは2人の男だ。1つのテーブルに向かい合わせに座り、何かを話し込んでいる。
2つの影はテーブルと一体化している。
「やつは前世の自分と同じことをしようとしたわけか。だが、今回はシャドウがそれを許さなかった」
男は共に同じ赤い髪をしている。地毛とは思えないほど鮮やかで、しかし染めたにしてはナチュラルだ。
「えーと、名前は何だったかな……そうだ、ジオだ。ジオはこう言っていたらしい。――思えばル哥は、昔から姉の後ろを追ってばかりだった。次こそ、自分の意思で道を切り開いてみてはどうか。……とね」
「ふん。要約すると、強く生きろということか。雷神も、スルトの自殺を止められなかったことを悔いていたのだろう。だが一度ならず二度までも組織に楯突いた属性だ。処刑にならなかったことが不思議なくらいだが、今後、雷は要注意属性として記録されてしまうだろう」
赤髪の男性は胸ポケットから取り出した煙草にライターで火を点け、難しそうな表情で天井を見上げる。
「問題は、世槞か……」
向かい側に座る赤髪の少年も、男性の意見に同調するように頷く。
「毎日、影人狩りに精を出してるよ。驚くくらいの働き者だ。……姉さんの後ろを後始末をしながら付いて回る僕の身にもなってもらいたいくらい」
少年の言い回しに男性は吹き出して笑った。
「そうか、苦労をかけてるな。だが、お前が傍にいてくれてるなら安心だ」
革命軍や寄生型など、覚醒したての時に立て続けに辛い出来事があり、男性は世槞がてっきり落ち込んでいるものと思っていたらしいが、世槞はそんな上品な玉ではないと少年は言ってのける。
「まぁ、別の意味で姉さんにカウンセリングしてもらいたいところだけど」
男性は仕事帰りと思われる黒いスーツを着用している。きっちりと締められたネクタイを緩め、首の骨を鳴らす。疲れてはいるようだが、妹弟を心配させない為に態度には微塵にも出さない。
「世槞は自分が正しいと思ったことは真っ直ぐに突き進むからな……。影人は世界の敵であり、その敵を打ち倒す力が己にあるのだとすれば――惜しみなく助力する」
「組織に属していないことが、唯一の救いかな。やつら、地獄の火刑人が死んだ今でも闇炎を気にしているようだし」
地獄の火刑人を始末して革命軍を全滅に追いやり、ミューデンの戦力追加を阻止した組織軍は、約束通りに世槞を解放し、弟にシャドウを戻した。
互いがシャドウ・コンダクターであったという事実は、戻りたい偽りの平和を遥か遠くへ置き去りにした。日常に戻っても、影人の気配がすれば世槞は走り出す。いや、それはまだいい。気になるのは、組織に見張られていること。
「案ずるな。この俺がいる限り、組織は二度とお前らに手出しは出来ない。俺がさせない」
男性はそう断言する。
「愁」
少年は男性の名を呼ぶ。
「前から、聞きたかったことなんだけど」
「なんだ」
少年は愁という名の男性の足元、及び影に視線を落としながら尋ねた。
「……愁って、本当にシャドウ・コンダクターじゃない?」
愁は煙草を吹かす手を止め、微かに笑いながら言う。
「なにを今更」
「第三者なのに愁は世界の真実を知っている。知っているのに、組織に記憶操作を施されていない」
愁の含み笑いは、笑い以外のものも含んでいるような気がしてならない。
「それに――……戸無瀬が襲撃されたあの日、可ノ瀬からの調査報告によるとほとんどの学校関係者がすでに帰宅した後で無事だったらしい。そんなこと有り得るかい? 午後の授業が終わったばかり時間帯に。これは、何者かが影人の襲撃を察知し、避難させたとしか考えられない」
世槞ではない。世槞はむしろ、戸無瀬にヒトがいない事実に驚き安心していたのだから。
「加えて、姉さんが始末したものではない寄生型の遺体が大量に発見されている。……全て、愁の仕業だよね?」
「人聞きが悪いな」
愁は手足を組み、余裕の笑みを浮かべたままだ。
「ごめん、そう聞こえた? 違うよ……僕は、そんな技を成せるのはシャドウ・コンダクター以外にいないと……そう言いたいんだ」
天井にぶつかった白い煙は行き場を失い、僅かに開いた窓から外の世界へ舞い上がる。
「……うん、良い推理だ。だがな、紫遠。お前はわかっていないぞ」
紫遠と呼ばれた赤髪の少年は視線をあげ、愁の目を見る。目には、力強い輝きが宿っていた。
「兄はな、妹弟を護る為ならば、いくらでも強くなれるもんなんだ」
愁の答えは、答えになっていなかった。でも、だからといって改めて違う答えを要求するつもりなど紫遠には毛頭無く、天井の上から聞こえる騒がしい音に慌てて立ち上がる。
「あ、まただ。また姉さん、こっそりと家を抜け出すつもりだよ」
世槞は敏感にも影の気配を感じ取ったのだろう。姉の姿を探して庭を見渡す紫遠に愁は背後から声を掛ける。
「姉から離れるなよ。お前らは、双子なんだからな」
紫遠は返事をする余裕も無いままに玄関扉を開け放ち、2階の窓から飛び降りて走る姉の後を追った。
闇夜に消え去る2つの赤い髪を眺めながら、愁は煙草の先端を灰皿に押しつけた。
*
秋の夜長に満点に輝く星空。その中に一際目立つ輝きは月。ここ、私が住む月夜見市の名の由来となったものだ。月の都は、世界で最も月が美しく見える場所らしい。かつて、月神である月読尊が治めていたという逸話があるが、真偽のほどは定かではない。
(今夜は満月か)
月を見上げながら走っていた私は、いつの間にか市街地から上条へと入っていた。上条とは、月夜見市きっての繁華街である。しかし深夜ともなると昼間の賑わいは消え失せ、静かで寂しい別の顔を漂わせる。
(えっと、影の気配は確か向こうから……)
革命軍が全滅してから、私は毎日、そして必死に影人を始末しているような気がする。それは多分、先代の闇炎の使い手から奪うように主人の座に就いてしまったという思いが、心のどこかにあるからだと思う。意識をしているわけではない。ただ、先代の主人に劣らぬよう、また邪悪に堕ちることなく、闇炎の使い手としての使命を立派に果たしたいのだ。
(それ以前に、私は世界を救うヒーローだもんなっ)
声に出さず、心の中で感じていた自尊心に対して、どこからか笑い声が聞こえてくる。私はムッとし、自分の足元を睨みつけた。
(また私の心を読んだわね。あと、笑うな)
笑い声は、私の影から漏れていた。
“嘲笑ではございません。私は、世槞様が世槞様らしく在ることを安心しているのです。これは安心ゆえの笑いです”
(どうだかな……お前、口が上手いから)
まぁいいや、と私は影人の気配がする方へ迷いなく進む。
気配は、上条の中心となる噴水広場から東へ細く延びた路地から流れてくる。路地を進み、端で寝ている酔っ払いを危うく踏みつけそうになりながら、広い通りへ出る。――瞬間、私は「あっ」と声をあげていた。
目にも止まらない素早い動作で影の中から漆黒の剣を取り出し、月を背に佇む2つの影を睨んだ。
1つは、私が探していた影人。いかがわしいお店で働いていそうな、派手めの女性――ヒューマン型だ。そしてもう1つは、ヒューマン型の首に細く長いものを巻き付けて絞め殺している、私と同い年くらいの少年。
細長いロープのようなものをよく見ると、無数の白い光が小さな爆発を引き起こしている。
「お前っ……は」
少年はヒューマン型が事切れ、力なく地面に横たわるまでを見届けた後、私に振り返った。
「姉さん、下がって」
少年が声を出すよりも早く、赤い髪の少年が私の背後より現れ、前に立ち塞がる。一瞬、自分がもう1人現れたのかと思った。だが、それは半分正解である。
「紫遠! お前、また私を追いかけてきたな!」
赤い髪の少年――双子の弟は、呆れた眼差しで私に振り返ると、両手に握ったクリアな銃の口だけを少年に向ける。
「こんな真夜中にフラフラと狩りに出られたら、家族としては堪ったもんじゃないよ」
「心配なんか要らないっ。だって私はシャドウ・コンダクターだ! シャドウの名前だって知ってるし――」
喚く私を黙らせるように紫遠は銃口を私にも向ける。そのクリアな銃は、弾を撃ち込んだ相手の身体を瞬時に氷化させる恐ろしい武器だ。氷銃アデュラリア――氷を司る梨椎紫遠の専用武器だとか。
「覚醒したばかりの新人が、偉そうな口をきくんじゃないよ」
「ぐっ。な、なんだよその言い草はっ……」
氷銃を向けられた私は、紫遠を怒らせない程度の反論しか出来ない。後は押し黙り、事の成り行きを見守るだけ。だが。
「――ぷっ、はは!」
寒気のする紫遠の冷たいオーラ。それを破ったのは、少年の笑い声だ。私はポカンとする。何故なら、この少年からそんな笑顔を見たことが無いから。
「ああ……やっぱ良いな、お前ら」
少年――朱槻ル哥は、変わらず自分を睨みつける紫遠と、その後ろに呆けながら立つ私を見比べて、もう一度、笑った。
「警戒すんなよ、紫遠。安心しろ、お前の大切な姉のことは……もう絶対に傷つけないから」
ル哥は毒気が抜けたような穏やかな表情で雷鞭を影の中に戻し、頭上の月を仰ぐ。
「……綺麗だな。500年前も、現代に生まれてからも、月を見上げている余裕なんてなかったのに。でも不思議だ。革命軍が無くなり、ユェナもいなくなって……俺の心には、大きすぎるゆとりが生まれたよ」
500年前に後追い自殺をし、生まれ変わた今も後追い自殺をしようとした。だが、ル哥のシャドウが止めた。非情にも生きることを迫られた彼の心はしかし、自分でも驚くくらいに穏やかだと言う。
「わかってはいたんだ。俺とユェナは、双子じゃない。魂は同じでも、俺の名前はスルト・デアブルクじゃない、やつはもう死んだ。俺の生まれは雫石市、名前は朱槻ル哥」
紫遠は未だ銃口をル哥に向けたままだが、撃つ気は無いらしい。それは紫遠の影を見てわかった。影は、氷閹は、傍観者に徹している。
「じゃあ、君は一体何をしにここへ来たのかな? 改めて自己紹介をしに来たわけじゃあるまいし」
「……そうだな」
ル哥は再び月を見上げ、ふぅ、と息を吐いた。吐いた息は白く濁り、直に冬が到来することを告げていた。
「正式なる闇炎の継承者に、挨拶をしたかったのかもしれない」
私は紫遠よりも前に出る。紫遠はもう私を止めなかった。
ル哥は私の瞳を真っ直ぐに見つめ、一言一句を噛み締めるように言った。
「闇炎の使い手、梨椎世槞。度重なる無礼に対し、まず謝罪したい。そして今後の活躍を期待している」
「…………」
「おこがましい願いかもしれないが、覚えていてもらいたいことがある。――先代闇炎の使い手、ユェナ・デアブルクは、地獄の火刑人と呼ばれ恐れられていたが、フレイリア王国の民にとっては本当に救世主だったんだ。ただやり方を間違っていたのかもしれない。そんな俺の……いや、スルトの双子の姉は、やっと本当の意味での眠りにつくことが出来た。我が子の姿を見ることもなく、安らかに。哀れな人生だったと思わないでほしい。ユェナはユェナなりに精一杯生きて、そして死んだんだから」
「……ル哥は?」
「ん?」
「ル哥は、これからどうするんだ」
私はユェナのことよりもル哥のことを案じていた。ル哥はそれが可笑しかったらしく、声をあげて笑う。
「俺か。そうだなぁ……うん、生きるよ。適当に、世界の均等を保ちながらさ……」
「そっか。じゃ、影人が出現する場所でもしかしたら――今みたいに出会うかも?」
「それは無い」
ル哥はピシャリと断言する。
「だって、俺、日本を離れるし。さすがに海外から日本の影人の気配は察知出来ない」
「そうなんだ」
「でもまぁ、俺は組織からもミューデンからもマークされてる身だし、今後組織が大きく動き出す時に会うことがあるかもな」
「それは嫌だな。組織が大きく動く時ってそれ、戦争じゃないのよ」
「当たり」
ル哥は悪戯っぽく微笑み、「じゃあな」と言うと、振り返ることなく闇空に消えた。
闇空をしばらく眺めていた私は、紫遠に振り返って言う。
「紫遠は何も言わなくて良かったの?」
「何を言うって?」
「えと……別れの、挨拶とか」
私の発言を紫遠は鼻で笑った。そして影人の遺体にライターで火を放ち、燃やす。
「姉を護ることの出来なかった愚かなやつに、与えてやる言葉なんて無いね」
「お前は相変わらずだな……」
灰色の煙りが昇る空。それは天への道標のように長く、長く続いていく。
「そうだ……もし、ユェナが寄生されてなくてさ、ただ影人になっただけだったら、ル哥はどうしてただろう」
全員が影人の革命軍。そんな中にいては、自分も影響されて影人となってしまう。だからル哥は革命軍をなるべく早く切り捨てようと考えていた。
「さぁ。考えるに値しないと思うけど」
「またお前は相変わらずな。じゃあさ、もし私が影人化したらどーする? 始末してくれる?」
これは私が紫遠に仕掛けた最大の悪戯。たまには弟が困った顔も見てみたい。だが、私の期待は見事に裏切られていた。
「――愚問だね」
紫遠は完全に灰となった影人を踏みつけ、こちらへ振り返る。
「僕も影人になる」
「……は?」
答えの意味を聞き返そうにも、紫遠は意味深に微笑むだけ。
弟はたまに、すごく危ない考えを導き出す。緻密に計算された、誰も逆らえぬ策を。
「帰ろうか。影人はいなくなったし」
「え、ちょっと。待って……」
紫遠を困らせてやるという悪戯は見事に失敗し、相も変わらず弟の背中を追う情けない私のポケットからは、乳白色の液体が入った小瓶が飛び出す。
(おっと)
落下寸前で掴み取り、瓶の中で揺らめく液体をまじまじと眺める。
(そういや……これ、使ってないな)
世槞が掴む小瓶に気付き、紫遠は少しだけ驚く。
「それ、操作薬じゃない。姉さんも持ってたのかい」
「ああ……朧に、もらったんだ。どうしても耐えられなくなった時、飲んだらいいって」
クイーンによる悲劇を何度忘れたいと願ったことか。でも結局、私は記憶したままでいる。
私は小瓶をポケットに戻した。
「クイーンに関する記憶を忘れるって、それはユェナのことも忘れることになる。それは……ダメだよな。私にとって、絶対に覚えておかないといけない人物だ」
この操作薬は、世界の為に開発されたもの。ならば、その用途通りに使用しなくては。
「これは私から辛い記憶を消すのではなく、第三者から消してあげる時に使うわ」
こう思うことの出来るようになった私は、少しは強くなれただろうか。闇炎の使い手として、心も。
影を見下ろす。影は、嬉しそうに揺れていたような気がする。
“お待ちください”
帰ろうとした私と紫遠を影は呼び止める。
「どうした?」
“……ごく微量ではありますが、この5キロメートル先12時の方向から影の気配がします”
私は飛び跳ねるように影が指し示す方向を見据え、紫遠に向き直る。
「……遠い。それに、わざわざ僕らが行かなくとも、組織の連中が始末に行くよ」
「なにそれー! 他人任せだなんて、お前シャドウ・コンダクターだろっ?!」
「そうだね。さぁ帰ろうか」
「待ってよ、しおたん!」
「……その呼び名やめて」
私が地団駄を踏みながら紫遠の腕を引っ張る下で、2つの影が揺れる。
“……余計なことを言うでないわ”
紫遠の影が溜め息混じりに言う。
“余計ですか? 我が主人は、世界の為に戦うこと――これを喜び、誇りに感じておられるのですよ”
影は騒ぐ私の声を押しのけて、大きくこう言った。
“世槞様、私に乗れば5キロメートル先など直ぐに辿り着きます”
私は紫遠の顔を見上げ、紫遠が溜め息を吐いたことに了解の意を感じ取ると、踊り出す心と共に名を呼んだ。
「――羅洛緋っ」
end.
お読み頂き、ありがとうございました。
同日に更新する『影操師』短編集。もよろしくお願いします。
そして明日午前10時からは、『影操師 ー始まりと終わりの物語ー』を連載開始します。
こっちもよろしくお願いします(^ω^)




