第九話 侯爵と、検査の前夜
翌朝、俺はレイアに連れられて、侯爵の書斎へ向かった。
廊下を歩きながら、俺は自分の服装が気になっていた。旅の荷物しかなくて、一番まともな服を着てきたけれど、屋敷の使用人たちよりも、明らかに質素だった。どうしようもないのだけれど、それが、少し引っかかった。
書斎の扉を、レイアがノックした。「入れ」という声。
部屋に入ると、窓際の机に、一人の男が座っていた。
五十代後半だろうか。白髪交じりの短い髪、深い彫りの顔立ち、鋭い目。でも、敵意があるわけじゃない。ただ、じっと、こちらを見ている。物事を見極めるときの、目だった。
ヴォルドハルト侯爵、ライナード・ヴォルドハルト。
「レイアが連れてきた者か」
「はい。アインと申します」
「座れ」
俺は、机の前の椅子に腰を下ろした。レイアは、少し後ろに立っている。
「レイアから、大体は聞いた」
侯爵は、静かに切り出した。
「ガルディアで追放を受けた、エンチャント系の魔法師。効果の測定記録なし。合っているか」
「はい」
「お前自身は、自分の能力を、どう評価している」
俺は、正直に答えるべきだと思った。
「三年間、効果があるかどうか、分からないままでした。でも、旅の途中で、レイアさんが『効いている』と言ってくれました。それが、初めての確認でした」
「つまり、自己評価は、持っていない」
「持てる状況に、なかったです」
侯爵は、少し間を置いた。何かを考えているようだった。
「レイアから聞いた話では、お前の近くにいると、魔力の流れに変化が出るという。常時、発動しているということが本当なら、それは相当に珍しい能力だ。通常、エンチャントは意識して発動させるものだからな」
「俺も、そう思っていました」
「自覚がないのに、周囲に影響が出ている。もしこれが、三年間ずっと続いていたのなら、ガルディアのパーティは、その間ずっと強化され続けていたことになる」
「……そうかもしれないです」
「そうかもしれない、では困る」
侯爵は、立ち上がって、窓の外を見た。
「私が知りたいのは、事実だ。測定によって、事実が出る。測定前に、判断するつもりはない。一つだけ、聞く」
「はい」
「お前は、ここに来た理由を、レイアへの恩義だと思っているか。それとも、自分の力を知りたいからだと思っているか」
俺は、少し考えた。
「……両方です。でも、強いて言えば、後者のほうが、少しだけ大きいです」
「なぜ」
「三年間、分からないままだったので。それが、ずっと、気になっていました」
侯爵は、こちらを振り返った。
「それでいい」
そう言って、机に戻った。
「明後日、王都の魔法師団に手配する。団長のバルグナーには、私から話を通す。測定は一日がかりになるかもしれないが、構わないか」
「はい、もちろんです」
「レイア、お前も同行しろ」
「分かった」
「それと、アイン」
「はい」
「測定の結果がどうであれ、お前を追い返すつもりはない。レイアが連れてきた者を、私は邪険にしない。ただし、ここにいる限りは、正直でいろ。それだけだ」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。今日は、屋敷を自由に使え。セバンに言えば、案内させる」
退室を促されて、俺とレイアは、廊下に出た。
扉が閉まると、俺は、大きく息を吐いた。
「大丈夫か」
レイアが聞いた。
「……緊張しました。でも、良かったです。ちゃんと、見てもらえた気がして」
「父は、ああいう人間だ。裏表がない」
「レイアに、似てますね」
レイアは、少し間を置いた。
「……そうかもしれない」
それが、照れているのかどうか、俺には判断がつかなかった。でも、少しだけ、その間が、面白かった。
◇
測定の前日の夜。
俺は、やっぱり、眠れなかった。
これは、三年間で慣れた感覚だった。何かが起きようとしているとき、体が先に知って、眠らせてくれない。でも、今回は、いつもと少し違った。怖いのか、期待しているのか、自分でも分からなかった。
俺は、部屋を出て、廊下を歩いた。屋敷は静かだった。夜番の使用人が一人、廊下の突き当たりで、軽く頭を下げた。
外に出た。庭に石畳の小道があって、その先に東屋がある。昼間、セバンが案内してくれたときに見た場所だった。
東屋に座って、夜空を見上げていると、足音がした。
「眠れないか」
レイアだった。
「……すみません、起こしましたか」
「いや。私も、まだ起きていた」
レイアは、東屋に来て、俺の隣に腰を下ろした。少し、距離があった。
「何を考えていた」
「明日、何も出なかったら、どうしようと思っていました」
レイアは、答えなかった。
「三年間、結果が出なかったので。測定したことがないだけで、本当に何もないんじゃないかって、まだ、そう思っている部分があって」
「……怖いのか」
「はい」
正直に、言った。
レイアは、夜空を見上げた。
「私も、初めてS級の試験を受けた夜、怖かった」
それは、意外だった。
「レイアが、ですか」
「何度も試験に落ちたわけじゃない。でも、初めてのことの前夜は、いつも怖い。怖くない人間なんて、いない」
「でも、受けたんですね」
「そうだ」
「結果は」
「合格した」
短く言って、レイアは続けた。
「怖いのは、それだけ本気で臨んでいるということだ。どうでもいいことの前夜に、眠れない人間はいない」
俺は、しばらく黙った。
「……俺、本気になっていいんですかね」
「何に対して」
「自分の能力に。三年間、期待しないほうがいいって思って、過ごしてきたので。本気になって、また駄目だったら、今度こそ、立ち直れない気がして」
レイアは、少し間を置いた。
「立ち直れないなら、私がいる」
さらっと、言われた。
俺は、何も言えなかった。
「明日の結果がどうであれ、あなたがここに来たことは、変わらない。私がここに連れてきた。それは、変わらない」
「……なんで、そういうことが言えるんですか」
「本当のことだから」
本当のことだから。
俺は、その言葉を、胸の中で二度、繰り返した。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。寒くなってきた。部屋に戻れ」
「レイアは」
「もう少し、いる」
「……では、もう少しだけ、俺もここにいていいですか」
レイアは、少し間を置いてから、言った。
「好きにしろ」
俺たちは、並んで、しばらく星を見ていた。
何も話さなかった。でも、その沈黙は、今まで感じたことのない種類の沈黙だった。
怖くない沈黙だった。
明日、俺は、自分の力を知る。
でも、たとえどんな結果でも、この人がいる。
そう思えたことで、俺は、少しだけ、眠れる気がした。




