第十八話 ガルディアの使者
アルヴェインに来て、一ヶ月ほどが経った日の朝。
ライナード侯爵が、俺とレイアを書斎に呼んだ。珍しく、表情が少し硬かった。
「昨日の夕方、ガルディアから使者が来た」
俺は「使者」という言葉に、引っかかった。
「外交文書ではない。個人の使者だ。ガルディア王国の外交次官から、私への私的な連絡という形を取っている」
「何の用件でしたか」
「アインを返してほしい、という打診だ」
部屋が、静かになった。
「理由は書かれていなかったが、察しはつく。ガルディアの冒険者の成績低下が一ヶ月続いていて、商人組合から圧力がかかっているという話が、傍受した情報の中にある。加えて、アルヴェインでのあなたの噂が、向こうにも届いた」
「……それで、返してほしいと」
「そうだ」
ライナードが続けた。
「私の返答は、即日却下だ。理由は三つ。第一に、あなたは自ら来た者で、ガルディアの所有物ではない。第二に、あなたへの処分は冤罪によるものと、私は判断している。第三に、レイアが連れてきた者に、手は出させない」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。ただ、これで終わりではない可能性がある。非公式での打診が通らなければ、次は公式ルートに切り替えてくる。そのときは、外交問題になる」
「外交問題に、なるんですか。俺一人のために」
「あなた一人の問題ではない。エンチャンターとしてのあなたの能力が、国家規模の戦力として見られている。ガルディアは、その損失に気づいた。だから動いている」
俺は、自分の手を見た。
国家規模の戦力。一ヶ月前、ギルドの荷物番だった人間に使う言葉ではなかった。
「アイン、一つ聞いていいか」
侯爵が言った。
「はい」
「ガルディアへ戻りたいという気持ちは、あるか」
正直に聞いている顔だった。答えを誘導していない。
俺は、しばらく考えた。
「……ないです。今は」
「理由は」
「戻る理由が、思い当たらないので。それと、こちらに来てから、初めて、ちゃんと扱ってもらえた。それを捨てて向こうに戻る意味が、分からないです」
「分かった」
侯爵が頷いた。
「では、我々もそのつもりで動く。レイア、お前は今日のことをアインにいつ話すつもりだったか」
レイアが、少し間を置いた。
「……今日、話そうと思っていた」
「昨日から知っていたな」
「はい」
「なぜ昨日、話さなかった」
「アインが昨日、ギルドで良い顔をしていたので、今日まで待とうと思った」
侯爵が、短く息を吐いた。笑ったのか、ため息なのか、判断しにくい音だった。
「まあいい。アイン、改めて言う。あなたはここにいていい。それは変わらない」
「……はい」
「下がっていい」
◇
廊下に出ると、俺はレイアを見た。
「昨日から知ってたんですね」
「うん」
「なんで教えてくれなかったんですか」
「あなたが昨日、ギルドで笑っていたから」
俺は、返す言葉を探した。
「……俺の顔、そんなに見てるんですか」
レイアが、少しだけ顔を逸らした。
「見ていない」
その答えが、返事になっていなかった。
俺は、少し笑いそうになった。
この人は、時々、こういう不器用なことを言う。いつもは何でも即答するのに、こういうときだけ、言葉が濁る。
それが、なんだか、可愛いと思ってしまった。
そんなことを思う自分に、俺は驚いた。可愛い、なんて。相手は隣国の高位貴族で、S級冒険者で、俺の恩人だ。そんな相手に、可愛いなんて。
でも、思ってしまったものは、仕方がなかった。
「レイア」
「なんだ」
「ありがとうございます。俺のことを、守ろうとしてくれて」
俺がそう言うと、レイアは、少し間を置いてから答えた。
「当然のことだ」
「当然じゃないです。俺は、ただの追放者で。あなたが守る義理なんて、ないのに」
「義理で守っているわけじゃない」
レイアが、そう言った。
俺は、その言葉に、また心臓が跳ねた。
「……じゃあ、なんでですか」
俺が聞くと、レイアは、少しの間、黙った。
それから、いつもの調子で言った。
「……また今度、話す」
また今度。
最近、レイアは、時々こう言う。そして、その「今度」は、まだ来ていない。
でも、俺は、なんとなく分かっていた。
その「今度」が来るとき、俺たちの関係は、少し変わるのかもしれない。
そう思うと、怖いような、楽しみなような、不思議な気持ちになった。




