1話
「なぁ、Fクラス君。ちょっといいか?」
「……あぁ、どうした?」
下校の準備中、挑発交じりの声に振り返る。
そこには見慣れた男子生徒、道明寺隆也が立っていた。
大企業幹部の子息であり学年トップのAクラスに属するエリートだ。
その顔には下卑たニヤニヤした笑みが張り付いている。
「どうしたじゃねえよ。お前、どうせ家に帰ってもやることないんだろ? なら訓練場の掃除、お前にやらせてやるよ」
さも当然かのように道明寺は告げる。
この流れも、もはやいつものことだった。
俺――灰原 創は万年Fクラスという、最低辺の落ちこぼれだ。
この付属高校における『才能』という格差は絶対。
普段なら当たり障りなく引き受けることもある。
上級クラスに目を付けられれば、ここでの生活に支障が出るからだ。
だが今日だけは引き受けるわけにはいかなかった。
なぜなら、医療費の振り込みが間に合っていない。
このままでは家族の治療が止まってしまう。
「いや、このあとすぐに――」
「まさか、断るわけねえよな。俺の……Aクラスの命令を」
道明寺が机を軽く叩きつける。
それだけで魔力と圧力が教室の空気を大きく揺らした。
浅い層のモンスターなら、拳だけで粉砕する剛腕だ。
恐怖がないわけではない。
それでも、強く拳を握りしめて睨み返す。
「断る。このあとダンジョンに潜る予定があるんだ」
「おいおい、お前みたいな万年Fクラスがダンジョンに潜ったところで無意味だろ? だがAクラスの俺のは違う。貴重な時間をくだらない掃除なんかで使ってる余裕はないんだよ。馬鹿なお前でもさすがにわかるだろ?」
顔を歪める道明寺。
その腕が上がり、殴られる――そう思って身構えた瞬間だった。
「道明寺、なにしてるの? 授業が終わったらすぐ、出撃手続きをするって伝えてあったはずだけど」
凛とした冷たい声。
教室の入り口に立っていたのは、見惚れるほど美しい少女だった。
白鷺華恋。
彼女もまた、この付属高校の母体組織、神創財閥関連の血縁者だという。
それに加えSクラスにして登録者数三百万人のトップ配信者。
この学園の誰もが崇拝する、絶対的な天上人だ。
「そうだったな、悪い。こいつが馬鹿なこと言いだしてさ、時間を取られてたんだ」
「言い訳は結構よ」
白々しい道明寺の嘘に、俺は反論する気力さえ湧かなかった。
華恋も俺のことなど視界に入っていないのだろう。
道明寺は機嫌を取り繕うように華恋にすり寄り、俺に向かって嫌悪感を込めて言い捨てた。
「な? わかっただろ? お前みたいな無能の、無駄に使われる時間に意義を与えてやろうって俺の好意だ。素直に受け取っておけよ」
「いい加減にして。配信に遅れるでしょ。スポンサーから文句が付いたら、どう責任を取ってくれるの?」
「わかったって、そう怒るなよ。かわいい顔が台無しだ」
「くだらない。先に行ってるわ」
「じゃあ、あとは頼んだぜ。俺の楽しい放課後デートのために、頑張ってくれよ。Fクラス君」
足早に立ち去る華恋の背中を、道明寺が追いかけていく。
誰もいなくなった教室で、俺は悔しさに唇を噛みしめながら重い鞄を背負い直した。
◆
今から約三十年前。
突如として世界中に現れたダンジョンは、大いなる脅威と共に未知なる技術と資源をもたらした。
レベルやスキルといった概念や、魔石といった新たなるエネルギー資源。
それらをいち早く民用に転嫁したのが、世界に名を轟かせる神創財閥だった。
財閥はダンジョンの未来に巨額な投資を行い、迷宮探索機構を設立。
時を同じくしてダンジョンの探索者を育成する、迷宮探索機構付属高校を開校した。
当然ながら、その付属高校内にも簡易的なダンジョンが存在する。
初心者用のFランクダンジョン、その浅層。
ジメジメとした洞窟の中を、俺は支給品の装備で懸命に這い回っていた。
「今日はなかなかドロップ率が渋いな。ダンジョンに入ったのもかなり遅かったし、今日の収穫は少なそうだ」
やっとの思いで倒したスライムの死骸を漁っても、換金できる魔石は出なかった。
徐々に焦りが募る。
このままでは家族の医療費どころか、今日の食事代すら怪しいかもしれない。
「ん……?」
曲がり角の先で、何かがうずくまっているのが見えた。
暗がりの中にいるそれは、傷つき弱り果てた小さな動物だった。
尻尾の形がわずかに変だが……普通の魔物とは何かが違う。
「見たことないモンスターだな。ウィキの照合にも……一致するモンスターは無しか。仕掛けるのは危険だな」
デバイスの画面には不明の文字。
こうなると関わらないのが一番だ。
対処法がわかっているモンスターでさえ手こずるのがFクラス。
未知のモンスター相手に戦っても勝機は少ない。
すぐさま踵を返そうとした。
だが、小さな獣の悲鳴のような鳴き声が鼓膜を打った。
続けてモンスターとの小競り合いの音がダンジョンの狭い通路に反響する。
「まさか他のモンスターに攻撃されてる、のか……?」
考えるより先に、足が動いていた。
俺自身と、弱り切った獣の姿が重なってしまったのだ。
駆けつけた先で目にした光景に、俺は絶望的なほどの恐怖を感じた。
「スケルトン・ウォリアー、か。それも三体」
ガチガチャと不気味な骨の音。
鋭い剣を構えた亡霊騎士。
一体あたりの推定難度はF。それが三体。
普通ならばパーティを組まなければ太刀打ちできない相手だ。
それが今まさに、目の前で獣の命を奪おうとしていた。
戦えばただでは済まない。逃げろ。死ぬぞ。
生存本能が、警鐘を打ち鳴らす。
だが、しかし――
「まずは……一体!」
それでも俺は、死に物狂いで突っ込んだ。
俺に背を向けていた一体に、なまくらの剣を叩きつける。
骨が砕ける感覚が腕に伝わり、目の前の一体が崩れ落ちる。
だが残りの二体は、すぐさま俺に視線を向けた。
眼球のない、空洞の双眸を。
「これで二体目!」
奇襲の有利を失う前。
相手が動き出す前に、左手の盾を叩きつける。
スケルトンの弱点である打撃を狙ったがしかし、致命傷にはならない。
態勢を崩したスケルトンにタックルをかまし、壁際まで吹き飛ばす。
そして勢いそのままに、剣を叩きつける。
何度も何度も、動かなくなるまで。
「くっ!?」
残るは、一体。
だが肩口に鋭い痛みと熱を感じ、とっさに距離を取る。
気がついた時には、鋭い剣閃が肩を深く切り裂いていた。
激痛が走り、右手が下がる。
利き手を潰され、もはや剣を振る余裕もない。
もう無理だ、やられる。
「コンコン! コーン!」
痛みに顔を歪めたその時。
スケルトンの背中越しに小さな獣がけたたましく鳴き声を上げた。
とたん、スケルトンの態勢が小さく崩れた。
獣が足元に体当たりをかましたのだ。
まさに、千載一遇のチャンスだった。
全体重を乗せて、盾を構えて突っ込む。
「――っああああああッ!!」
重量の軽いスケルトンはそのまま壁に激突。
それでも気を抜かず、二度三度と盾を叩きつける。
そしてようやく、スケルトンは動きを停止した。
◆
「ど、どうにか、勝てたな。ははは、まさかモンスターを助けるために、死にかけるなんてな」
崩れ落ちた骨の残骸の中で、俺は大の字に倒れ込んだ。
全身が悲鳴を上げ、まともに呼吸もできない。
Fクラスの自分が三体相手に勝つなんて、全くの偶然と火事場の馬鹿力だった。
「ただこの怪我じゃあ、今日はもう地上に戻るしかないな」
痛む体を何とか起こす。
怪我もしたが、収穫もあった。
難度Fのスケルトンを三体も倒したのだ。
魔石も相応の利益になるだろう。
ふと助けた獣を見ると、大きな怪我は無いようにみえた。
「お前も、もういじめられないように気を付けろよ」
ふわふわの頭をそっと撫でる。
心地よさそうに目を細め、やがてダンジョンの暗がりに溶けるように消えていった。
「ん?」
立ち去ろうとしてふと、右のポケットに異物感があることに気がついた。
入れた覚えのない何か。
「なんだ、これ……?」
取り出してみると、それは一枚の分厚い『カード』だった。
不気味なほどの深い漆黒の背景に、先ほどの獣と似た姿が緻密に描かれている。
小さな獣だというのに、しかし恐ろしいほどに荘厳で神々しかった。
◆
包帯を巻いた体を引きずり、安いアパートの自室に帰宅していた。
旧式のパソコンに噛り付き、迷宮探索機構公式のダンジョンウィキのデータベースを叩く。
流れていく項目や検索欄を行き来するが、やはり目的の情報は見当たらない。
「こっちにも、やっぱり情報はないな……。」
カクつく画面には「該当なし」の文字。
友好的な黒い獣のモンスターという魔物は聞いたことがない。
そして意味不明なカードはなんなのか。
似通ったアイテムに『召喚の魔符』がある。
しかし形状や掛かれている絵柄はどれとも一致しない。
「窓口での鑑定を頼みたいとこだけど、もう終業時間が過ぎてるな。また今度でいいか」
パソコンの脇に置かれたそのカードは、かすかに脈打っているような鈍い魔力の光を放っていた。
「あの助けたモンスターに似てる、よな。生きてればいいけど」
助けた獣の姿を思い出し、カードに触れた。
声に呼応するように、光が強まった。
そんな気がした。
――この後、この奇妙なカードの存在が運命を根底からひっくり返すことなど、今の俺はまだ知る由もなかった。




