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10、全校発表

10、全校発表 


 二本松山中学校学校祭は9月第2週の週末、土曜日が文化祭で日曜日が体育祭、長年この慣習は変化がない。今年も9月10日土曜日が文化祭で、午前中は各学年の研究発表や学校祭テーマに関連のある討論会が予定されている。オープニング予定の9時少し前に体育館全体の暗幕が閉じられ、朝のさわやかな雰囲気は一転して映画館の上映前のような期待が満ち溢れた感じに変わった。生徒会の執行部の生徒がアナウンスでオープニングを知らせた。それと同時にステージ中央がスポットライトで照らされ、生徒会長が頭を抱えながら出てきた。

「文化祭でどんなことをやるかが決まらない。アイデアが出てこない。」と悩んでいる様子である。今日の文化祭までに大変だったという事を寸劇にしてメーキングビデオ風に表しているようだ。6月から夏休みも返上で今日の日まで頑張ってきたからみんな楽しんでくれと言う内容だった。会場の生徒たちは大騒ぎで学校祭の開幕を喜んでいる。

 いよいよ学年発表会である。1年生が「永平寺町の良さを再発見」というテーマで永平寺町内の観光名所や史跡、物産品などを紹介しながら、ステージの大きなスクリーンには写真資料を投影して説明していた。大本山永平寺、九頭竜川のアユ釣り、サクラマス釣り、上志比ニンニクなど多くの要素が紹介された。

 次が2年生、「福井藩と松岡藩の盛衰」というテーマで、6つの班が年代を追いながら順番に登場して説明をする。

①結城秀康の生涯 

②忠直の生涯 

③昌勝と昌親 

④綱昌の悲劇 

⑤江戸幕府と福井藩 

⑥福井藩と松岡藩 以上の6つの班が持ち時間5分で30分以内での発表である。

最初のグループは結城秀康が徳川家康の次男として生まれた幼少期から、豊臣家に人質として養子に出されたこと、さらに豊臣家に鶴丸が生まれると関東の結城家に養子に出された不遇の運命について。さらに関ケ原の乱での武功が認められ、越前68万石を所領する大大名になったことなどを説明した。

2番目のグループは若死にした秀康から越前藩を相続した忠直が、若すぎるが故に藩内をまとめきれず、越前騒動に発展したことと、成長した忠直が大坂の陣で武功を上げたが、恩賞が少なかったことから幕府に反抗的になり、奇行を繰り返し蟄居を命じられたことなどを説明した。

3番目の班は4代藩主光通の死後、光通の兄でありながら側室の子という事で分家して松岡藩を興した昌勝と光通の弟で吉江藩を興した昌親とのあいだで激しい跡目争いが起き、昌親が後を継いだが、藩を2分した争いになったため事をおさめるために昌親は昌勝の長男綱昌を養子に迎え、自身は早々と隠居して藩主を譲ったことを説明した。

4番目に出てきたグループは松岡藩から養子に入った綱昌の代になっても、父昌勝の派閥と義理の父昌親の派閥との争いが絶えなかったことから、綱昌はつらい立場になり、奇行を理由に隠居させられ福井藩は知行が半減させられたことなどを説明した。

 5番目に登場したのが山田君たちの班だった。テーマは「福井藩と江戸幕府」会場は真っ暗の中、スポットライトがスクリーン横の司会机の前に立ってマイクに向かう山田君を照らしていた。スクリーンには

「福井藩はなぜ68万石から25万石に減らされたのか?」

と課題を示していた。聴衆の生徒たちは興味深いテーマだったが、暗い中に難しい話が続いていたので、やや眠気に似た倦怠感も漂っていた。しかし、そんな雰囲気を吹き飛ばすように山田君は大きな声で全校生徒に話しかけた。

「みなさん、最初のグループの発表で結城秀康が関ケ原の乱で武功を上げ68万石を有する大大名として越前に配されたことは聞いたと思うんですが、なぜ25万石まで減らされたのでしょうか。江戸時代全体を眺めると江戸幕府の経済的な曲がり角だったとみることができます。2代将軍秀忠や3代将軍家光の時代までは、幕府の財政は莫大な領地をを背景に潤沢で裕福だったのですが、4代将軍家綱や5代将軍綱吉の時代にはややかげりが見え、旗本御家人たちに与える恩賞の財源が足りなくなり、大きな大名に難癖をつけ、改易や国替え、お取りつぶしなどで領地を取り上げ、領地を確保する必要性が出てきたとみられます。そして、そのターゲットになったのが越前松平家や高田松平家などでした。今回の研究の中で大きな発見だったのは天龍寺で発見した綱昌の手紙です。天龍寺の2代目の住職天界は若き日に江戸で綱昌とは知り合いだったようです。綱昌は松岡藩の長男から福井藩の跡取りとして養子に出されます。しかし、福井藩では義理の父の昌親の影響が強く、6代目の藩主になっても思うようにできないことに悩み、ひいては昌親の取り巻きの家臣から奇行の疑いをかけられ、幕府とは自分が隠居することで領地を減らさないという約束を取り付けました。しかし幕府に裏切られ、隠居はさせられたが知行は半減させられ、その無念の心の内を旧知の仲の天竜寺の天界に手紙で嘆いているというものでした。この手紙の存在は今まで歴史上に出てきていませんでしたが、今回の発見で福井藩と松岡藩の悲劇の実情が明白になったと思います。」

と堂々と発表した。スクリーンには福井藩の歴代藩主の家系図と松岡藩の家系図、幕府と福井藩との力関係を示す地図などが大きく投影された。山田君のグループの後は最後のグループが「福井藩と松岡藩」ということで綱昌の弟である吉邦や宗昌が相次いで福井藩に養子に入り、最後には松岡藩を吸収合併したために松岡藩はなくなったことを説明した。


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