検査結果
大きなパソコン画面には白と黒の世界が広がっている。
(レントゲン写真って初めて見た。こんな感じに映るんだ)
体の輪郭がぼんやりと浮き出ている中で、骨だけが硬質な白に塗り固められている光景は不思議なまでに完璧で、どこか神秘的な美しさを感じさせた。なにかに惹かれるように薫が肩の関節部分から背骨、なだらかに弧を描く肋骨を視線で辿っていくと、下半身の部分に辿りついた時、ふと違和感を覚えた。
なだらかなラインが不自然なほど綺麗に割れている。
怪訝そうに首を傾げる薫の様子を気にせず、パソコンの隣にいた男性獣医師が顎を撫でながらほっと安堵の息を吐く。
「この子は運がいいねー。骨盤と大腿骨の骨折、脱臼はしているけれど、内臓はどれも無事だ。さっき預かっている時におしっこ流れたし、尿道も潰されていないと見ていいよ」
淡々と獣医師が説明する傍らで、女性看護師は画像を指差した。
「ここの骨が折れてて、ここが脱臼してる部分になります」
獣医師の説明を補ってくれるのはありがたい。言われて見れば骨が左右非対称だ。折れているのが分かる。脱臼してるところはよく分からないが、専門家がいうからそうなのだろう。
「猫ってさ、骨折は自然に治るから放っておいていいって言う説あるんだけど、僕的には反対かなー」
「放置って痛くはないんですか?」
「どうだろうね。僕は骨折したことないから分かんないけど、折れた骨が神経を圧迫したら痛いだろうね」
淡々と、けれどほのぼのとした雰囲気を醸し出しながら獣医師は続ける。
「まあ、放置して変に骨がくっつくと歩行が困難になったり、排泄ができなくなったりするから手術はしたほうがいいよ」
「……分かりました。その方向でお願いします」
「ただね。事故にあって時間が経ってるから脱水と低体温気味なんだよね。入院してもらうけど万が一がないとは言い切れない。そのことは理解して」
「死ぬってことですか?」
「それはあの子の気力次第。どうなるかは生き物だから僕らも分かんないよ」
肩を持ち上げながら獣医師は笑う。緊迫した状況だというのに妙に落ち着いていているので薫は驚いた。
そんな薫の表情を見てか、看護師に脇腹を肘で突かれた獣医師は「ごめんごめん」と気の抜けた謝罪をする。
「この人、清水くんってさ、優しそうな見た目しているけど怖いんだ」
顔を近づけた獣医師は、こそっと耳打ちする。距離的に看護師——清水に聞こえているはずなのに。
清水は米神をひきつらせながら「羽賀先生、真面目に」と脇腹を今度は強めの力で殴った。
眼の前で繰り広げられる漫才に、薫の不安は増していく。
「すみません。腕はいい先生ですので安心してください」
その言葉にひそむ毒に気付かないふりをする。
「あの、手術ってすぐにはできないんですか? あんなに苦しそうなのに」
「事故ってさ、怖いんだよ。あっ、東堂さんって車やバイクとか運転する?」
「いいえ、免許持っていないので」
「珍しいね。ここ車社会なのに」
「取りに行く時間がなかったもので……」
「ふぅん。今からでも取りに行け——」
どんどん話は脱線していく。どうしようと困っていると清水が獣医師——羽賀の名前を呼んで止めてくれた。
「……事故にあって数日経ってから首や体が痛くなったって話、聞いたことない?」
「あ、それならあります」
「動物も同じでね。数日経ってから内臓から出血したり、打撲っていうのかな? まあ、新しく分かることがあるんだよ」
それに、と羽賀は画像を見ながら続ける。
「これを見る限り、骨折と脱臼は深刻に考えなくていい。問題なのはさっきも言ったけど脱水と低体温。脱水は点滴で、低体温に床暖入れて温めているよ。後で様子を見せるね」
「じゃあ、手術は数日経ってからってことですか?」
「そー。とりあえず、体力を回復させてから手術。んで、手術してしばらく入院生活。退院したらレーザー治療に切り替えるから二、三日に一回は通院して貰うよ。ギプスが外れるまで一ヶ月弱かなぁ」
「一ヶ月も……」
「仕事休めないの?」
「あ、いいえ。仕事はまだ決まっていないので時間は作れます」
「え、なんで? その歳で無職って珍しいね」
なんでと聞かれても両親が幼い頃に亡くなり、親代わりとなってくれた祖父母の介護があったから。
——とは、初対面の相手に言えるはずもなく、薫が眉根を寄せてどう答えるか迷っていると清水が羽賀の白衣を引っ張った。
「患者さんのプライベートに踏み込まない!」
「気になるんだしよくない?」
「駄目です!」
ほら、いいから説明を! と言われ、羽賀は不服そうな表情を浮かべた。
「しばらくは病院生活。以上」
簡潔である。先程の説明でこれからの流れは理解しているが投げやりな説明に薫はまたもや不安になる。
(任せてもいいのかな……。今から別の病院は、たぶんやってないよね)
いい大人が、子供が拗ねたような言動をする。それも初対面の患者である自分の前で。
(動物のお医者さんも人間みたく藪医者とかいるのかな……)
いいや、と薫は不安を吹き飛ばそうとする。診察時間外、飛び入りという形で診てもらえたのだから感謝はしても、不服に思ってはいけない。
まずは羽賀の機嫌を良くしなければ、と口を開いた。
「えっと、高校卒業してからはずっと祖父母の介護していて、ニ年前に祖父が、一ヶ月前に祖母も亡くなったんです。なので働こうと思って、就職活動中です」
「まだ見つかってないの?」
「ええ、まあ……。二十四歳《この歳》までバイトしかしたことがないと言ったら微妙な顔をされまして」
「しかも頼れる身内いないし、車の免許もないんでしょ?」
「……はい」
「正社員だと見つかんなくない?」
「パートとかも考えているんですけど」
「パートかぁ。パートねぇ」
なにか思うところがあるらしく、羽賀は腕を組んで「パートはねぇ」と繰り返す。その背後には、明らかに怒っている清水の姿が。
「先生。血液検査の結果がでたようですよ?」
ドスが利いた声に、羽賀の肩が跳ね上がった。
「あ、うん、ちょうだい」
見るからにトーンダウンした羽賀は検査結果の用紙を受け取るとそこに書かれた数値を見て、安心した様子を見せた。
「これ、見て」
差し出された検査結果の用紙は上の部分には患者の名前や性別、年齢がかかれており、その下には左にはアルファベットの単語と数値が、その右には横棒グラフが書かれている。
数値とグラフの色は黒と青の二色で、黒文字の隣には「正常」、青文字の隣には「低い」という単語がある。そのまた隣には「基準値」と書かれ、数字が書かれていた。
基準値以内は黒文字で、それよりも低い場合は青文字で書かれている——と理解した薫はさっと顔を青くさせた。
(え、あの安心した様子はなに?!)
書かれた数値の大半が青文字だ。どこに安心したのか分からない。
「貧血気味なのは事故ってから時間が経っているからだね。点滴に抗生物質入れとくから安心して」
「よかった、です。死んじゃったかと思って……」
「ははっ、放っておいたら確実に死んでただろうね!」
笑い事ではない、と口走りそうになり、急いで口を固く結ぶ。
薫の怒りは清水が代弁してくれた。
「先生。笑い事ではないですし、いい加減、真面目にしてくれませんか?」
「清水くんは本当に怖いなぁ。ただの雑談だって。それに、僕はいつも大真面目さ」
「……検査結果の説明は終わりましたし、次は?」
「面会です。はい」
しょぼれくれた羽賀は「こっちだよ」と診察室から出ていく。薫がその後を追いかけようとすると清水が申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。羽賀先生は腕はいいんですけど、人の心がなくて……」
「あ、いえ、大丈夫ですよ。まさか、プライベートを聞かれるとは思いませんでしたけど」
「あの人、興味があると知りたがるんです」
頬に手を当てると清水は深く息を吐く。どうやら羽賀の奇行は今に始まったものではないようで、彼女の悩みの種のようだ。
「ほら、君達も早くきなよ」
扉からひょっこりと顔を覗かせた羽賀に導かれ、薫は〝入院室(猫舎)〟と書かれた部屋へ足を踏み入れた。入院室は鉄製の二段ゲージが二つと三段ゲージが三つ、計五つが並んでおり、そのうちの二つの部屋が埋まっていた。入院患者のようだ。薫達の姿を見ると一匹はトイレの陰に隠れてしまい、もう一匹は嬉しそうにゲージの扉に額を擦り付けている。特に羽賀を見た時の喜びようは凄まじく、可愛らしい声でにゃあにゃあと鳴いてアピールをしだす。
羽賀は指先を扉の網目から中に入れてアピールする猫の額を撫でながら、空いた手で奥を指差した。
「あそこにいるよ。見てみなよ」
薫が連れてきた猫は一番端に設置された、三段ゲージの真ん中の部屋に入れられていた。急いでいてよく見ていなかったが茶色と白黒——いわゆる三毛猫と呼ばれる猫なのは素人の薫も分かった。
猫は右手首に包帯が巻かれており、そこから伸びる管が輸液ポンプへと繋がっている。一定の間隔で吊り下げられた点滴液からぽたぽたと雫が落ちて、輸液ポンプの表面に刻まれた数字が増えていく。
「痛み止めいれたの効き始めてるみたい。さっきよりも顔色いいでしょ?」
ガリガリに痩せこけた胸が微かに上下している。あれだけキツく閉ざされた目が薄っすらとだが開いては閉じている。それだけで、薫は例え難い安心感を覚えた。
「仕事終わりなのに、無理いってすみませんでした。ありがとうございます」
「僕らもペット飼ってるからさ。君が助けたいって連れてきたと同じぐらい、僕達もそう思っているんだ。あ、見る? この子が僕の愛犬のメグミちゃんとツグミちゃん」
猫を撫でるのを止めた羽賀は入院室から出ていくとテーブルに飾ってある写真を持ってきた。その写真には今よりも若い羽賀と八つほどの少年、二人の間にはつぶらな瞳が可愛らしい柴犬が二匹並んでいる。家族写真のようだ。
「こっちの黒柴がメグミちゃんで、茶柴がツグミちゃん。姉妹なんだよ」
「柴犬ですか?」
「そ! ちなみに病院名の『よつば』はこの子達のお母さんなんだ。六年前に死んじゃったけど」
「お好きなんですね」
「子供の時に初めて飼ったのが和犬のミックスだからね。見た目が柴犬で、よつばちゃんはその子にそっくりだったんだ。そこから柴にはまってねぇ」
「へ、へぇー」
あ、ヤバい。羽賀のスイッチを押してしまったと後悔する。
(時間、もうすぐで十九時過ぎるんだけどいいのかな……)
先程、清水が扉を閉めようとしてから一時間が経とうしている。就業時間過ぎているはずなのに羽賀は意気揚々と愛犬メモリーを引っ張り出そうとしていた。
少し離れた場所では清水が入院患者用と思われるご飯の準備をしており、浅野はシンクで道具の洗浄を行っている。二人とも多忙のようでこちらをちらちら見ているが声をかけてくる気配はない。
薫もそろそろ帰宅したいのでどうしようと思った時、入院患者の一頭が急にえづき始めた。尖った耳を伏せて、目を細め、体を丸めて全身を震えさす。羽賀がアルバムを近くの机に置くとえづく猫に近寄った。
「あー、気持ち悪いよね」
言い終わると同時に猫は黄色の液体を吐いた。羽賀はゲージの扉を開けると猫を優しく抱き上げ、何事かと近づく二人の看護師に嘔吐物の片付けと注射の用意を指示する。
そして、いきなりのことに慌てる薫を見て、にっと笑った。
「じゃあ、この子は預かるから帰っていいよ。手術の日程が決まったら改めて連絡するね」
「は、はい。えっと、よろしくお願いします」
「ご飯はこっちでいくつかサンプル用意して、あの子が気に入ったものがあればあげてみるよ」
「何か持ってくるものとかありますか?」
「食器も毛布もうちの使うから必要ないかな。あ、面会しにくる時は事前に連絡入れてね。うちは少人数でやってるから午前も午後も完全予約制なんだ」
「分かりました。では、失礼します」
迷惑をかけたことを含めて深く頭を下げる。財布から抜き取った一万円札を嘔吐物の片付けを終えた浅野へ手渡すと踵を返して病院を後にした。




