第69回 / 銃(ガン)を枕(ピロー)に
テキサス州、荒野のど真ん中にある町『フォート・アイアン(鉄の砦)』。
そこは、合衆国憲法修正第2条(武装権)を宗教のように崇める、国内でも最も警戒レベルの高い「自警団の聖地」だった。
乾いた風が吹き抜け、タンブルウィード(回転草)が転がるメインストリート。
しかし、西部劇のような静寂はない。
あるのは、金属が擦れる音と、張り詰めた殺気だけ。
「……物々しいですわね」
リムジンから降り立った私は、日傘を差しながら周囲を見渡した。
町を行き交う人々――カウボーイハットを被った男性、買い物袋を持った主婦、さらにはランドセルを背負った子供まで。
全員が、腰や背中に銃器を携帯している。
ライフル、ショットガン、自動拳銃。
ショーウィンドウには「今日のおすすめ:対戦車ライフル」というポップが踊っている。
「止まれ! 怪しい奴らめ!」
町の入り口で、行く手を阻む男たちが現れた。
保安官バッジをつけた巨漢、ビッグ・ビルと、その部下の自警団員たちだ。
彼らは一斉に、私たちに銃口を向けた。
「ここは『自由と自衛』の町だ! 軟弱な『全肯定』の魔女はお断りだ!」
ビルが唾を飛ばして叫ぶ。
「我々の銃を取り上げに来たんだろう! そうはいかんぞ! これは我々の魂だ!」
◇
私は銃口の森を前にしても、眉一つ動かさずに微笑んだ。
「ごきげんよう、保安官。……取り上げる? まさか」
私は扇で口元を隠し、彼らの銃を一瞥した。
「そんな重くて、冷たくて、硬い鉄の塊……。欲しくもありませんわ」
「なっ……! これは最新鋭のアサルトライフルだ!」
若い団員――ジミーという少年が、震える手で銃を構え直す。
「これで家族を守るんだ! 悪い奴らが来たら、撃ち殺すんだ!」
「守る、ねぇ」
私はジミーに歩み寄った。
「来るな!」と彼が叫ぶが、ベルナデットが私の前に立ち、無言の圧力で彼を萎縮させる。
「ジミーさん、でしたか」
私はベルナデットの肩越しに、少年の目を見た。
その目は、猛禽類のように見開かれているが、瞳孔は恐怖で収縮し、目の下には濃いクマがある。
「貴方、最後にぐっすり眠ったのはいつ?」
「え……?」
「夜中に物音がするたびに飛び起きて、銃を握りしめているのではありませんか?
……隣人が敵に見え、配達員が暗殺者に見え、風の音さえも侵入者に聞こえる」
私は彼の銃身に、そっと指を触れた。
熱い。砂漠の太陽で焼けた鉄の熱さ。
「貴方が握っているのは『安全』ではありません。
……『恐怖』という名の重りですわ」
「ち、違う! これは自由の象徴だ!」
ビル保安官が割って入る。
「武装していれば、誰も我々を支配できない! 自分の身は自分で守る、それがアメリカの流儀だ!」
「自分の身を自分で守る。……聞こえはいいですが、それはつまり『誰も助けてくれない』という絶望の裏返しでしょう?」
私は保安官の目の前に立った。
彼は身長二メートル近い大男だが、私に見下ろされているように感じたのか、後ずさった。
「見てご覧なさい。この町の様子を」
私は通りを指差した。
カフェのテラスでは、客たちが背中を壁につけて座り、入り口を警戒しながらコーヒーを飲んでいる。
公園では、母親たちが子供を遊ばせながら、常に周囲をキョロキョロと見回している。
「誰も笑っていない。誰も心を開いていない。
……隣人を撃つ準備をしている人間が、どうして隣人と手をつなげますか?」
「……っ」
「貴方たちは、壁を作ったのよ。
……『自分以外は全員敵』という、孤独な壁を」
「黙れ! 綺麗事だ!」
ビルが引き金に指をかけた。
「世界は危険なんだ! 狼だらけなんだ! 羊は食われるだけだ!
……撃つぞ! 本当に撃つぞ!」
彼の指が震える。
撃ちたくて震えているのではない。
撃たなければ自分が壊れてしまいそうだから、震えているのだ。
「……ベルナデット」
「ああ」
ベルナデットが一歩踏み出した。
彼女は剣を抜かず、丸腰のまま、ビルの銃口の前に胸を晒した。
「う、撃つぞ……!」
「撃てばいい。……だが、その弾丸で『不安』は殺せるか?」
ベルナデットの静かな問いかけに、ビルが硬直する。
「敵を殺しても、また次の敵が現れる。
夜になれば、また闇が来る。
……貴様は死ぬまで、その引き金から指を離せない。
それが貴様の望んだ『自由』か?」
「……う、うぅ……!」
ビルの呼吸が荒くなる。
過呼吸気味だ。
長年の緊張状態が、彼の精神を限界まで摩耗させている。
「……私は……怖いんだ……」
ビルが掠れた声で漏らした。
「……妻を守らなきゃいけない……娘を守らなきゃいけない……。
私が弱かったら……全部奪われる……!」
「そうね。……怖かったわね」
私はビルの横に立ち、マリアに手を出した。
マリアがバスケットから取り出したのは、真っ白で、ふかふかの物体。
「最高級羽毛枕、キングサイズです」
「……ま、枕?」
ビルが目を白黒させる。
「ビル。……その銃を、これと交換しましょう」
私は枕を、彼の胸に押し付けた。
ライフルと、私の体の間に、柔らかいクッションが挟まる。
「銃は、貴方の体を守るかもしれないけれど、貴方の心を冷たくする。
……でも、この枕は、貴方の涙を吸い取って、温めてくれるわ」
「……」
「ここには敵はいません。
いるのは、貴方と同じように怯えている、ただの人間たちだけ」
私は彼のライフルを、優しく掴んだ。
「離して。……もう、重いでしょう?」
ビルの指が、強張ったまま動かない。
しかし、枕の柔らかさが、彼の胸を圧迫し、そこから伝わる「安全」な感触が、脳に指令を送る。
『休め』と。
カチャッ。
彼の手から、ライフルが滑り落ちた。
砂埃を上げて地面に転がる凶器。
ビルは、代わりに枕を両手で抱きしめた。
ギュッ。
赤ん坊が母親にしがみつくように。
「……あ……柔らかい……」
「ええ。……いい匂いでしょう? ラベンダーよ」
「……俺……寝てないんだ……。ここ数年……熟睡なんて……」
大男の目から、涙が溢れた。
彼はその顔を、枕に埋めた。
「……疲れた……。本当に……疲れたんだぁぁ……!」
保安官の慟哭が、荒野に響いた。
それは敗北の叫びではなく、張り詰めていた糸が切れた、安堵の泣き声だった。
それを見て、周囲の団員たちも動揺した。
「保安官が……泣いてる?」
「あの鉄人ビルが……」
「ジミー」
私は、呆然としている少年に向き直った。
「貴方もよ。……その銃は、貴方には大きすぎる」
「……でも、これがないと……僕は弱虫で……」
「弱虫でいいのよ。
……強がるために銃を持つくらいなら、弱さを認めて、誰かと手をつなぎなさい」
マリアが、ジミーにも枕(スモールサイズ、クマの柄入り)を渡した。
ジミーはおずおずと銃を置き、枕を受け取った。
「……ふわふわだ……」
「さあ、皆様!」
私は声を張り上げた。
「本日は『フォート・アイアン』改め、『フォート・ピロー(枕の砦)』の建国記念日です!
銃は倉庫へ! 代わりに枕を持ちなさい!
今からこの広場で、史上最大の『お昼寝大会』を開催します!」
「お、お昼寝……?」
「この真昼間に……?」
住民たちが戸惑う中、ソフィアちゃんが広場の真ん中に巨大なホログラムを展開した。
『危険度レベル:ゼロ』
『現在の推奨アクション:爆睡』
「警備は、私が担当する」
ベルナデットが、ビルの落としたライフルを片手で拾い上げ、グニャリと飴細工のように曲げた。
「ヒッ……!」
「外敵が来たら、私が素手で叩き潰す。
……だから、貴様らは安心して泥のように眠れ。
いいな?」
その圧倒的な説得力(物理)と、頼もしさに、住民たちの肩の力が抜けた。
「……あの姉ちゃんがいれば、銃なんていらねぇな……」
「なんか……急に眠くなってきた……」
一人が座り込むと、連鎖反応が起きた。
カウボーイたちが、銃を枕元に置くのではなく、銃を投げ捨てて枕を抱き始めた。
主婦たちが、買い物袋を置いて、ベンチに横になった。
子供たちが、武器屋の前の芝生で転がり始めた。
荒野の町が、静寂に包まれる。
それは、殺気立った静寂ではなく、何百人もの寝息が重なる、平和な静寂だった。
「……Zzz... Mama...」
ビル保安官が、枕を抱きしめたまま、幸せそうに寝言を漏らす。
「制圧完了ですね」
マリアが、寝ている人々にブランケットを掛けて回る。
「ええ。……銃社会なんて、本当は『不眠社会』だったのよ」
私は日傘を回し、西の空を見上げた。
ここからさらに東へ行けば、いよいよ首都ワシントンD.C.だ。
「……レティ様」
レンがタブレットを見せる。
「ここでの『武装解除』のデータ、ワシントンにも届いてるみたいだよ。
……大統領、めちゃくちゃ焦ってる。『私の国民が腑抜けにされた!』って」
「腑抜けではありませんわ。……『リラックス』です」
私はビルの横に落ちていた保安官バッジを拾い上げ、彼の枕元に置いてあげた。
「力で守れるのは『体』だけ。
……でも、『心』を守れるのは、安心できる場所だけよ」
リムジンに戻る前、私はもう一度、眠る町を振り返った。
夕日が、彼らの寝顔を優しく照らしている。
鉄の匂いは消え、今はラベンダーと、乾いた土の匂いだけが漂っていた。
「行きましょう。……最終決戦へ」
ストロング大統領。
貴方が身に纏っている『ゴールデン・イーグル』とかいうオモチャも、きっと重くて、暑くて、脱ぎたくて仕方がないはず。
私がそのジッパー、下ろして差し上げますわ。
『クイーン・レティーティア号』が再び空へ舞い上がる。
目指すはホワイトハウス。
そこには、世界で一番大きな「子供部屋」が待っている。




