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感情を通して「私」の存在は確かめることができるだろうか。
「我思う、故に我あり」。思考している自身の存在だけはどうあがいても否定することができないから、思考するものとしての「私」は確実に存在していると言える。
では、思考と同様に「私」がいるからこそ生じていると考えられる感情もまた、「私」の存在の確かさを証明するために用いることは可能なのだろうか。
結論、可能であると考える。というか、感情もまた思考によって確かな認知を得ることができるので、それを感じて認識できた時点で「感じた私」がいることは否定できないし、多くの場合は同時に思考が働いている。どれだけ「私」の存在を疑おうと、それを「感じた」私がいることは疑いのない事実であるため、その感情の真偽については確証はなくとも、思考と同様に自己の存在の確かさの証明に繋げることができるだろう。つまり、「我感ずる、ゆえに我あり」ということができるだろう。
もっとも、自己の存在の確実性を証明するのには感情があれば十分だが、その論証をするためには思考が必須となるだろうが。




