第百六話 シルヴァ、弔う
「ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」
店員さんに見送られ、俺たちは店をあとにする。
「ごちそうさま、ダーリン」
店を紹介してもらったお礼に、奢ることにした。カグヤにとってはなんてことのない金額だろうが、こういうのは気持ちの問題である。
「で、次はどこに行きたいんだ?」
「商店街よ。ダーリンとショッピングがしたくて」
そう言って、カグヤは腕を絡めてきた。
ふわっと香った匂いで、心臓が跳ねる。忘れようと努めていたのに、抱きしめられたときを思い出してしまった。
「あら? 鼓動が速いわ」
「そういうことは、気づいても言わないでくれ……」
「ふふ、やっぱり可愛いわ」
少女のようにはしゃいでいるカグヤを見て、さらに心臓の鼓動が速くなる。
容赦なく振り回されるのは困ったものだが、こういう顔を見ると、オタクは何も言えなくなってしまう。結局は、推したもん負けなのだ。
「分かった分かった、俺の負けだよ。だからせめて腕は離してくれ」
「嫌よ」
「ですよねー……」
カグヤに腕を引っ張られるがまま、商店街へと向かった。
商店街は、今日も活気で満ちている。そんな中を、有名人と腕を組んで歩けば、目立つのは必然。数多の視線を受けながら歩くのは、拷問かと思うほど恥ずかしかった。
「何かしら、あれ。とっても綺麗だわ」
苦しむ俺をよそに、カグヤの意識が屋台のほうに吸い寄せられる。
「あ、あんた! ととと、特級勇者の! どうしてこんなところに⁉」
屋台の店主が、カグヤを見てあんぐりと口を開ける。
「デートしてるの」
「デート⁉」
――――はっきり言うんじゃねぇ……!
どうすれば止まるんだ? この暴走機関車は。
「ところで、これは何?」
「あ、ああ……。これはフルーツあめだよ。果物の周りに水あめがついてんだ。いちご、りんご、オレンジ、ブドウ。色々あるぞ!」
店主は呆気に取られながらも、何も分かってなさそうなカグヤにそう説明してくれた。さすが商人。どんなときでも商魂たくましい。
「ふーん。じゃあ、全部一本ずつ買うわ」
「まいどあり!」
カグヤが懐――――というか、胸の谷間に手を突っ込む。
おそらく、財布を探しているのだろう。こんなところを、他人に見せるわけにはいかないと思った俺は、さりげなくカグヤの前に立ち、店長の視線を遮った。
「大金貨しか持ってないんだけど、これで買えるかしら」
「だっ、大金貨ぁ⁉」
店主が目を見開く。
大金貨の価値は、日本の通貨で言うところの十万円。
つまり、今のカグヤは、一本数百円のフルーツあめに対し、十万円を出そうとしているのだ。
大金貨の状態で持ち歩いている意味が分からないが、ひとつ確かなのは、屋台の店主にこの金額のお釣りを要求するのは、あまりにも酷だ。
「……すみません、俺が出しますんで」
そう言って、俺は財布から金を取り出し、店主に渡した。もちろん、小銭で。
「ったく……次からは、細かいやつを持ち歩いてくれ」
「ええ、気をつけるわ。できるだけ」
購入したフルーツあめを手渡すと、カグヤは笑みを浮かべた。
多分、あんまり分かってないだろうな……。
カグヤは、そう言っていちごあめに口をつける。
パリパリと、表面のあめが砕ける音がした。
「ふふっ、この食感、ちょっと癖になりそう」
「うまいか?」
「甘くて美味しいわ。アナタも一本どう?」
「いいのか?」
「お金を出したのはダーリンだし、こんなにたくさん食べられないわ」
「初めから食べさせるつもりで買ったってわけね……」
呆れつつも、俺はオレンジあめを口に運ぶ。
パリッとした小気味のいい音のあとに、オレンジの酸味と甘みが、口いっぱいに広がった。
コーティングに使われているあめは、そこまで甘ったるいわけでもなく、オレンジの風味と上手いこと馴染んでいた。
「確かに美味いな」
「よかった。あと全部食べていいわよ」
「もう飽きてんじゃねぇか……」
「冗談よ。半分ずつ食べましょ」
クスクスと笑うカグヤを見て、俺はため息をついた。
これでは、本当にデートみたいではないか。
ダラダラと商店街を歩き回っているうちに、気づけば結構な時間が経っていた。
「もう昼時だな……どこでなんか食うか」
俺はカグヤが買ってきてくれた串焼きを一瞥する。
どこか、落ち着いて食べられるところがあればいいのだが。
「それなら、お昼を食べるのに、絶好の場所があるわ」
そう言って、カグヤが俺の手を引く。
もはや、逆らう気は失せていた。
連れてこられたのは、〝月の塔〟の跡地だった。
瓦礫の山となった〝月の塔〟は、兵団による撤去作業の真っ最中。そのため、立ち入り禁止の柵と看板が立てられていた。
「行けないみたいだぞ?」
「無視よ」
「ええ……?」
軽々柵を跳び越えたカグヤは、そのままずかずかと進んでいってしまう。
ため息をついた俺は、恐る恐る柵を乗り越え、あとに続いた。
てっきり、〝月の塔〟へ向かうと思っていたが、カグヤはそばを通り過ぎるだけで、見向きもしなかった。
「……どうして〝月に吼えるもの〟は、〝月の塔〟を壊したんだろうな」
俺は、なんとなく疑問を漏らした。
〝月に吼えるもの〟は、街には目もくれず、〝月の塔〟の破壊に執着していたらしい。〝月の塔〟は、カグヤにとってお気に入りの寝床。
その分身と言っていい〝月に吼えるもの〟にとっても、決して怒りを向けるようなものではないと思うのだが。
「怒ってたのよ。あのネフレンという男にね」
「ああ、そうか。ここにいたんだもんな」
「あの子は、ただ感情のままに暴れていただけ。研究所の瓦礫を積みあげていたのは、積み木遊びがしたかったから。子供の欲求に、意味なんてないのよ」
おかげで、すんなりと腑に落ちた。
しかし、今度は別の疑問が頭に浮かぶ。
「ていうか〝月の塔〟なくなっちまったけど……お前どこで寝てるんだ?」
「適当な家の屋根を借りてるわ。あそこがお気に入りだったというだけで、月光浴はどこでもできるもの」
「……家買ったら?」
特級勇者の給料なら、どんな豪邸でも住めるだろう。
いくら気に入っていたからとはいえ、これまで廃墟で暮らしていたほうがおかしいのだ。
「私たちの愛の巣ってことかしら」
「いや、俺は住まねぇけど」
「あら、残念。一緒に住んでくれるなら、大豪邸を買うつもりだったのに。大浴場に広いキッチン、大きなベッドに遊技場、アナタが欲しいものはなんでも用意してあげるわよ?」
「だから……! 絶妙にそそる提案をしてくるな!」
「ふふっ。ああ、でも、あのおチビさんのお屋敷よりは大きくしないと、意味ないわね」
何かを考え込む様子を見せながら、カグヤは進んでいく。
まずい。カグヤといえば、気まぐれの権化。
その日の気分で家を買い、俺を誘拐する可能性も――――。
「着いたわ、ダーリン」
「え?」
カグヤが足を止める。
そこには、広い丘があった。緑が生い茂り、色とりどりの花が点在している。
息を呑むくらい、美しい景色だった。
「どう? お昼を食べるにはぴったりじゃない?」
「ああ、むしろ贅沢すぎるくらいだ」
爽やかな風が、汗ばんだ体を撫でる。空から降り注ぐ、あたたかな日差しが心地いい。
こんなところを独占できるなんて、むしろ悪いことをしている気分になった。
「お腹空かせているところ悪いけど、少しだけ時間をもらえないかしら」
「ああ、いいけど……」
俺がそう言うと、カグヤは突然胸元に手を突っ込んだ。
――――そこにものをしまう癖、なんとかしてくれねぇかな……。
目のやり場に困った俺は、視線を逸らすことしかできなかった。
「あったわ」
カグヤが取り出したのは、小さな小瓶だった。
「それは?」
「ヨミの遺灰よ。私が消し飛ばしてしまったから、これしか残らなかったけど」
そう言って、カグヤは少し寂しそうな顔をした。
「共同墓地に埋葬するのは難しいみたいだから、せめてどこかに埋めてあげたかったの。ここなら、人もあまり来ないし」
「ああ……そうだな」
丘の中央へ向かうと、そこには、一本の大きな木が佇んでいた。
「ここがいいんじゃないか?」
「そうね。雨も凌げるし」
カグヤが指を鳴らすと、地面の一部が盛り上がり、宙に浮かぶ。
そうしてぽっかり空いた穴を、カグヤはじっと見つめた。
「――――実はね、ダーリン。今日アナタに付き合ってもらったことは、全部ヨミがやりたがっていたことなの」
カグヤは言葉を続ける。
「研究所を出たら、素敵な恋人を見つけて、一緒にカフェに行ったり、ぶらぶら買いものしたり、お弁当を持ってピクニックしたり……そんな夢を、あの子は毎日のように語っていた。あのときは、どうしてそんなに未来を思い描けるのか分からなかったけど、今思えば、それがあの子の心を支えていたのね」
愛おしそうに小瓶を握り、カグヤは目を閉じる。
「あの子の夢を、少しでも叶えてあげたかったのよ」
「……恋人役が俺じゃ、その子も納得できないんじゃないか?」
「アナタは、私が選んだ人よ。ヨミだって、絶対気に入るわ」
カグヤの無邪気な笑顔に、胸を打ち抜かれてしまった。
ああ、もう。こんな顔を見せられたら、ますます推したくなるではないか。
「ふふっ、少し寂しいけど、ずっとこうしているわけにはいかないわね」
小瓶を穴の底に置き、浮かせていた土をかける。そして、俺の刃で形を整えた石を、墓石として土の上に置いた。
「……付き合ってくれて感謝するわ。そろそろお昼にしましょ?」
「いいのか? 何も声かけなくて」
「ええ。お別れの言葉なら、あのときちゃんと済ませたから」
「……そっか」
ならば、これ以上の言葉は野暮だろう。
そのとき、ひと際強い風が吹き、木が大きく揺れた。
そして、一枚の葉が、カグヤの頭に落ちてくる。
「……ふふっ、もしかして、感謝のつもり?」
落ちてきた葉を手に載せ、カグヤは空を見上げた。