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記憶

「お母さま!」


 私の前の席に座るアンが声を上げた。アンが驚いた顔をして、カミラお母さまを見ている。アンにとっても寝耳に水の話だったようだ。


「アンジェリカさんは口を閉じていなさい。私はフレデリカさんとお話しをしているのです」


「付添人ですか?」


「はい、フレデリカさん。是非、貴方にアンジェリカの付添人をお願いしたいのです」


「付添人でしたら、アンジェリカさんお付の侍従さんが居らっしゃるのではないでしょうか?」


 私は東棟まで来た侍従の女性を頭に思い浮かべた。そう言えば彼女はこの食堂には居ない。アンにお付の侍従なら、この場に同席していてもいいと思うのだけど?


「残念ながら、彼女は今月でここを辞めてしまうのです」


「えっ!」


「何でも婚約するとか言っていました」


 そう言い淀むと、カミラお母さまは顔をしかめながらティーカップを口元に運んだ。そう言う事か。彼女はこのカミラお母さまを相手にしながら、アンの侍従を務められるのだから、それなりに優秀な人なんだろう。


 だけどアンのお披露目の付添人を務めるという事は、この世界で彼女は、アンジェリカ付きの侍従として認められたという事で、つまりはカスティオールの専属という事になる。彼女はそれを嫌がったという事?


 去年、私がお披露目に出る前にも同じことがあった。それを思い出して、思わず目の前のアンをじっと見つめた。アンは俯いてテーブルの下を、そこで握りしめているであろう手をじっと見ている。


 アン、これはあなたのせいじゃない。決してあなたが悪いわけじゃない。あなたは私の何倍もの努力家です。


 私の時はコリンズ夫人が付添人になると言った。だが普通はコリンズ夫人のような年配の女性がついて行くことはない。なぜなら結婚した後でも、ずっとついて行くことになるからだ。


 それにコリンズ夫人はアンナお母さまの付添人を務めていた。彼女は誰もそんなことなど覚えていないと言ったが、そう言う訳にはいかなかった。


 私は誰かがお披露目自体に行かなくて良いと、言ってくれないかと期待していた。それが誰にとっても一番良いように思えたからだ。


 だがロゼッタさんが、あっさりと自分が行くと言ってくれた。お披露目の日、ロゼッタさんはいつもの家庭教師の制服ではなく、侍従着に身を包んで私と一緒にお披露目へと出てくれた。


 もっともお披露目で私がしたことと言えば、最初に列に並んで、皆と一緒にお辞儀やら何かをした後は、殿方が私に気を使って目を合わせないようにする中、壁際でそれが終わるまで、じっと床を見つめていただけだった。


 そう言えば、ロゼッタさんはどうしていたんだろう。付添人として何かしてもらった記憶はない。何か思い出してきた。確か壁の控えのところで何か……。そうだ、一心不乱に詩集を読んでいた。


 完璧に思い出しました。それを見た他の付添人が、ドン引きしていましたよね。ある意味、注目の的だったような気がします。


 いかん、これは混じりっけ無しのフレアにとっては、とてもとても大事な良き思い出で、美談です。変なものが混じった私が汚すわけには行きません!


「フレデリカさん、この場で、ご返事を頂きたいのですが?」


 カミラお母さまが、余計な事を思い出して、ぼうっとしていた私に声を掛けてきた。


「ですが、私には付添人など務まりますでしょうか?」


「貴方は既にお披露目に参加していますから、作法もよく分かっています。それに貴方が居れば、アンジェリカもとても心強いと思います」


 カミラお母さま、そういう問題ではないです。


 普通はお付の侍従さんが出る。年が近いお兄さん等が居た場合は、兄弟が付添人を務める場合もある。特に引く手あまたのお嬢さんの場合には、悪い虫を排除する為に、敢えてそうするところもあると聞いたことがある。


 だけど普通は姉は居ない。居ても養女であるとか、当主の落とし子で別の家を名乗っているとか、当家のジェシカ姉さんに当たる人だ。だから直系の、しかも長女が、次女の付添人を務めるという話は聞いたことがない。


 それは次女が()()だと宣言しているようなものだ。


「あっ!」


 思わず声が出た。そう言う事ですか。


「フレデリカさん、何ですか?」


 お父様は領地に居て、この件を今から相談するのは時間的に無理だ。そしてお披露目での付添人というのは公式ではないが、実質的に公式の宣言に近いものだ。あるいはそれ以上かもしれない。婚約者をめとる適齢期の子供を持つ、すべての貴族が参加するのだから。


 非公式だけど公式以上、カミラお母さまが独断で横槍を入れるとすれば、これ以上の舞台はない。


 もしかしたらお付の侍従が辞めるというのは、彼女が申し立てた事ではないのかもしれない。カミラお母さまの希望によるものかもしれない。


 ここにコリンズ夫人が居たら、相手がカミラお母さまでも食ってかかったかもしれない。いや間違いなく食って掛かるし、絶対に認めたりしない。だから私だけを呼び出したんだ。


「何でもありません、カミラお母さま。ロゼッタ先生からの宿題の回答を急に思いついただけです」


 19歳の私がとっさに嘘を付いた。


「宿題?」


 カミラお母さまが怪訝そうな顔をして、こちらを見る。


 14歳のフレアは自分の心の中の痛みに必死に耐えていた。カミラお母さまとは血がつながっていなくても、いつかは私、フレアを受け入れてくれると信じていた。


 お母さまも死ぬ間際、私にカミラお母さまを本当のお母さまだと思いなさいと言った。そうすれば私の本当のお母さまになってくれると。


 だがそれはあまりにも儚い思いだった。カミラお母さまは、私の事を娘だとは思ってくれていない。いやそれよりも必要としてくれていない。カミラお母さまはアンだけを見ている。そして私を邪魔だと思っている。


 19歳のフレアは、母親の愛情を知らないフレアは、カミラお母さまの姑息な手段に対する怒りと同時に、目の前でじっと俯いているアンに対して、湧き上がってくる同情心を抑える事が出来ずにいた。


 例えカスティオールが無くなっても、私にはマリアンさんが、前世での自分の友達がいる。それに前世の私は、何の後ろ盾もない庶民だった。あったのは父と母が残してくれた店……あっ、私があっさりと殺される原因になった、白蓮(はくれん)と言う名前の居候が居たか。


 でも自分の手で金を稼ぎ、それで生きていくことを知っている人間だ。だけど、アンにはカスティオールしかない。いや、カミラお母さまの願いを叶える以外の生き方を知らない。


『かわいそうに』


 混じりけなしのフレアでも十分に感じていた、砂の城のように崩れているらしいこのカスティオールの為に、そしてカミラお母さまの為に、僅か12歳の体で背一杯頑張っている。これは荷車を押して行商に行くなんかより、はるかに辛いことだろう。


「カミラお母さま。アンジェリカさんの付添人の件ですが、私で良ければお受けいたします」


 私は目の前に座るアンを見ながらそう告げた。


「フレデリカさん、本当ですか!?」


 カミラお母さまが席から腰を浮かしかけて、声を上げた。きっと私を説得するために色々考えていたと思うのだけど、私があっさりと同意したので、とても驚いているのだろう。


 アンも顔を上げて、驚いた顔をしてこちらを見る。貴方が頑張り屋さんであることは、姉の私が一番よく知っています。だから私がついて行きます。私が一緒なら、私のような芋が一緒なら、きっとあなたはもっとかわいく見える。


 いや私なんかいなくても、あなたはとってもかわいい、私の自慢の妹です。前世では私が欲しくて欲しくてたまらなかったものです。


 まあ、百夜(ひゃくや)と言う名前の妹のような者は居ましたけど、それにあれはあれで、かわいいところもありましたけど、貴方とは雲泥どころではありません。全くの別物です。


「だから、アンジェリカさん。何も心配しないでお披露目に向けて頑張ってください」


「はい、フレデリカお姉さま!」


* * *


 勉強部屋の横にある、テラスの上の夜風が心地よく感じられた。


 19歳の私の気持ちが、14歳の私の気持ちを慰めていた。14歳の私は、未だに心臓に棘が刺さったかのような痛みを感じている。だけど19歳の心を感じる私も、14歳の心の私も同じ私だ。


 それは全く二つの異なるものなどではない。その場その場で、どちらかの経験に基づいて考え、そして色々な物を感じている。痛みも悲しみもだ。


 私は空を見上げた。黄色い月とそしてそれより僅かに小さな赤い月が昇っている。それは14歳のフレアにとっては見慣れた景色だが、19歳まで生きた、前世の記憶を持つフレアにとっては、全く見慣れぬものだ。


 前世の記憶はこの世界の記憶ではない。もっと遠いところの、此処とは関係が無いところの記憶だ。この世界の過去には、19歳まで生きた私、『風華』としての痕跡はどこにもない。そして自分が知っている人達の痕跡もだ。


 きっと実季さんとしての記憶を持つ、マリアンさんと会わなかったら、例えこの記憶を思い出したとしても、単なる自分の妄想だと思ったに違いない。


白蓮(はくれん)百夜(ひゃくや)


 私の口から、前世の遠いところを自分と共に生きていた人達の名前が漏れた。彼らはまだ、こことは違う世界を生きているのだろうか? 無理だと分かっていても、19歳の私の記憶は彼らに再び会いたいと心から思っている。


「夜に一人でテラスに出るのは感心しませんね」


 背後からよく知った声が聞こえてきた。


「ロゼッタさん、すいません。寝付けなくて夜風に当たっていました」


「それに私は貴方に、赤い月が昇るから気を付けなさいと言ったはずですが?」


「はい、ロゼッタさん。でも私にはロゼッタさんがついて居ますよね」


「何を言っているのですか? そのような事は、お披露目前の子供が言う台詞です。あなたはもうお披露目が終わった大人なのですよ」


 そう言うと、ロゼッタさんは私の肩に薄い上着を掛けてくれた。初夏とは言えまだ夜は冷える。


「はい、ロゼッタさん」


「フレア、お披露目の件について聞きました。貴方がカミラ奥様に断りにくいのであれば、私が奥様のところに断りに行ってあげます」


「はい、ロゼッタさん。お気遣いありがとうございます。でもこれは私自身で決めた事です。私は姉として、アンには何も出来ていませんでした。それにあの子には、私と同じような思いはしてもらいたくありません」


 ほとんど表情を変えないロゼッタさんが、少し驚いた様な、不思議がる様な表情で私を見た。


「フレア、先ほどの私の発言を取り消します。貴方は大人ですね」


「はい、ロゼッタさん。子供も産める年です」


「ふふふ、それはまだまだ先でいいと思います。冷えますよ。冷えは肌に大敵です。それと、お披露目の件について、貴方が自分で決めたのであれば、貴方にはまだ仕事が残っています」


「仕事ですか?」


「はい。コリンズ夫人が貴方に説明を求めています」


 あ……もしかして今夜は寝れないですかね。一晩中、コリンズ夫人のお叱りの言葉を聞かないとだめですか?


 な……慣れています。多分、大丈夫です。あの方の私への愛情だと思う事にします。


 14歳の私よ、何も心配なんか要らない。私にはこんなに一杯の愛情を、心から注いでくれている人達がいるんですから。


* * *


「フレデリカお嬢様はどうしてます?」


「良く寝ています。流石に疲れたのでしょう」


 ロゼッタはコリンズ夫人にそう答えると、少しばかり苦笑いをして見せた。


「正直な所、あんなものでは物足りないくらいです。私がカミラ奥様のところに断りに行きます。こんなことを許しては、アンナお嬢様に向ける顔がございません。もうお披露目も終わったのです。もっとしっかりしていただかないと」


「そうでしょうか? 最近、とても変わったように思えますが」


「フレデリカお嬢様がですか?」


 コリンズ夫人が首を傾げて見せた。


「私から言わせれば、まるで思春期の男の子の様に、より言う事を聞かなくなっているように見えますけど」


「それもある意味では成長ではないでしょうか?」


 ロゼッタの言葉に、コリンズ夫人が不満げな顔をしながらも頷いて見せる。


「急に色々な事に興味を持たれるようになりました。それに今日のアンジェリカさんの件も、フレアが自分で決めた様です。以前のフレアなら、そうですね、何をしていいのか分からず、ただおろおろしていただけのような気がします」


「変わりすぎです」


 コリンズ夫人が不満げに答えた。


「どこかで、何か()()()()でもうつされたのかもしれませんね」


「何ですかそれは?」


「例のメナド川での件です」


「二度とあんな危険な目はごめんです」


「はい、肝に銘じておきます。ですが私から言わせれば、あの子にとっては、このカスティオールなどと言う牢獄に囚われるよりましなように思えます」


「いけません。アンナお嬢様に顔向けできません!」


「単にフレアがカミラからいじめられるだけと言うのなら、私も姉に顔向けできません。ですが私にはそれだけで終わるようには思えないのです」


「と言うと?」


 これまで二人の会話を黙って聞いていたハンスが口をはさんだ。


「あの子から、雛が殻を破って出てくるかの様な気配を感じるのです」

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