伝言
ある小屋の前で禿頭は足を止めた。
「マリアンさんに伝言だそうです」
その言葉と共に、トマスの体が小屋の中に突き飛ばされる。
「小僧、伝言の相手は『マリアン』で間違いないんだな?」
小屋の土間に手をついたトマス頭上から、ドスの効いた声が聞こえた。
「おい、聞こえなかったのか?」
トマスは背後から禿げ頭に襟元を掴まれ、むりやり立たされる。目の前に初夏だと言うのに皮の上着と、黒い手袋をした人物がいた。暗がりに慣れていない目に、その表情は分からない。
「おい、答えろ!」
禿げ頭に頭を叩かれる。
「は……はい。そ……そうです。マ、マリアンさんに伝言で、『ふうか』からだと言えば、分かると言っていました」
「何をぼけっと突っ立てんだ?」
再び男のドスの効いた声が響く。
「し、し、失礼しました。か、勘違いだと思いますので、僕は帰ります!」
踵を返してここから出たいのだが、禿げ頭に首根っこを掴まれていて、全く体の自由が利かない。
「あんたじゃない。さっさと客人に椅子を持ってこい。持ってきたらお前達は席を外せ」
黒い手袋をした男が、相当にイライラした声で、禿げ頭に声を掛けた。
「はい、ロイスさん」
禿げ頭が慌ててトマスの襟首から手を放す。トマスに椅子を持って来ると、逃げる様に表へと去って行く。やっと暗闇に慣れてきたトマスの目に、男の表情が見えてきた。
鋭い眼光、頬にうすっらと残る切り傷。あの禿げ頭とは比較にならない。絶対にただものじゃない。どう考えても、自分とは縁がない種類の人だ。いや縁など持ちたくない種類の人だ。
『あの能天気娘め!』
屋敷に帰る事が出来たら、絶対にし返ししてやる。次の料理に何が入っているか、楽しみにしていろ!
トマスが頭の中で、フレデリカに対する復讐の限りを妄想していた時だ。男の背後から誰かがこちらへ近づく気配がした。自分と同じ年ぐらいの、きりっとした顔立ちの美人が、トマスをじっと眺める。
「『ふうか』で間違いないのね?」
「姐さん。危険ですから、俺が要件を確かめてからの方が……」
「ロイス、あんたは黙っていて。これは何よりも大事な話なの」
「はい」
二人の会話にトマスは戸惑った。どう考えても、男の方が自分と同じぐらいの年の娘の指示に従っている。
「貴方の名前は?」
「トマスです」
「トマスさんは、私宛の伝言を伝えにきた。貴方に伝言を頼んだ人は『ふうか』と言えば分かると言っていた……」
「はい、そうです。フレデリカお嬢様、うちのお屋敷の長女の方からそう言われました」
「そうですか!」
少女がトマスに、満面の笑みを浮かべて見せる。
「お礼をしたいのだけど、招待することもこちらに来ることもできないので、大変申し訳ないと言っていました」
「もったいないお言葉です」
『もったいない?』
トマスは少女の言葉に首を捻りそうになった。だがどう見ても相手の顔は真剣だ。
「それと、お使い代は金がないので、払えないとも言っていましたけど……」
前に立つ少女が、トマスの顔をじろりとにらむ。思わず心のその視線の鋭さに、トマスは思わず息を飲んだ。さっきの禿げ男なんかより遥かに怖い。
「じ……自由になる……お金が……出来たら払うとも言っていましたので、だ……大丈夫です」
「貴方はお金が欲しくて、お使いをしたの?」
少女がロゼッタよりも冷たい目でトマスを見る。
「正直に話なさい。貴方ごときの嘘はこちらにはすぐ分かります」
「お、お嬢様が突然に僕のところに押しかけてきて、文通相手になってくれって言ってきたんです」
「文通?」
「世の中の事が知りたいとかで。それにここへのお使いも頼まれました。今までは苦労知らずの、能天気な人だと思っていたんですけど、あんまり違ったんで、言いなりになってしまっただけです」
調子にのってしゃべってしまった。トマスが心の中で冷や汗を描いた時だ。
「ふふふ……」
トマスの耳に、少女の笑い声が聞こえた。
「流石はお姉さまです!」
少女は天井を見ながら、何やら独り言をつぶやいている。
『やっぱりこの街の住人は、みんな狂っているという話は本当なんだろうか?』
思わずそう思った時だ。少女が一歩前へ進み出ると、トマスの顔をじっと眺める。その瞳のあまりの美しさに、トマスは思わず見惚れそうなる。
「カスティオールの屋敷からここまでは距離がある。辻馬車を乗り継いできたの?」
「は、はい、結構かかりました」
「あなたのお使い代は心配しなくてもいいわ。こちらで色をつけて出します。ただし……」
気が付けば、トマスの喉元にナイフが突き立てられている。いつナイスを出したのかも、全く分からない。
「このことを、冗談半分でも屋敷の者に漏らしたりしたら、あなたはメナド川の魚の餌よ」
「は……はい……」
「ロイス、客人に何か飲み物と食べ物を出してちょうだい。それとお使い代もね」
「トマスさん。申し遅れました。私はマリアン。この灰の街の住人です」
そう言うと、少女は僕に上着の裾を持って頭を下げた。
「姐さん!」
「ロイス、どんな時でも挨拶は大事よ。これはお姉様からの大事な教えなの。それと乾杯もよ」
男が少女に向かって、やれやれという表情をし見せる。一体この二人の関係はどうなっているのか、トマスには全く持って分からない。
「まだ時間はあるでしょう? フレデリカお嬢様の話を聞かせて頂戴。ただし、私の前であの方の事を、能天気だなんて言ったら許しません。すぐに魚の餌です」
「は、はい、マリアンさん」
* * *
「姐さん。一つ聞いてもいいですか?」
ロイスは戸口で、手下と一緒に堤防へと続く道を帰っていくトマスの後姿を見ながら、背後の少女に声を掛けた。
「なに?」
「ここで姐さんがカスティオールの娘を助けたという話は聞きましたけど、何でそんなにこだわるんです?」
「一目惚れよ。それに女同士というのも、別に珍しいわけじゃないでしょう?」
マリアンのセリフに、ロイスが苦笑いを浮かべる。
「お姉さまが訪ねてくる可能性があった以上、ここを動く訳にはいかなかったけど、伝手がついた今はここに居る必要はないわね」
「そいつは助かります」
「それよりも、カスティオールへの繋ぎの件は?」
「一応、目星はついています。カスティオールと取引がある商家です。手が引けるところはもう手を引いていて、まだ付き合いがあるのは、貸が多すぎてにっちもさっちもいかないところだけです」
「中でもカスティオールに横やりが入れられそうなところはある?」
「ライサ商会でしょうかね? ですが、カスティオールと一緒につぶれるというもっぱらの噂ですよ」
「こちらの言う事を聞かせるのなら、それぐらいで丁度いい。弱みは?」
「今の主人は婿入りで嫁さんに頭が上がらないという事です。女でも作らせて脅すのが一番早いですね」
「そこはまかせる。そこから私を、カスティオールの侍従に推挙するように手配して」
そう告げると、マリアンは少し考え込んだ。ともかく今は時間が惜しい。一刻でも早く、お姉さまの側にもどらないといけない。
「それだけ旦那を尻に引いているなら、嫁さんの方も愛人の一人や二人いてもおかしくない。裏を探って頂戴。居ないなら溺れさせて。もっともこちらのいう事を聞かない連中なら、首を挿げ替えるまでよ」
「分かりました」
「それと親族経営の商会で、力はあるのにくすぶっているやつらに目星をつけて、引き抜く算段を付けて頂戴。不満がたまっているから店に内緒で裏で何かやっているはずよ。それか女を使ってばくちにでも引き込むのでもいい」
「表の仕事もするつもりですか?」
驚くロイスに、マリアンが頷く。
「まさか直接はしない。だけど隠れ蓑というのはいつでも必要でしょう?」
「本当に見かけ通りの年か?」
ロイスが呆気に取られた顔でマリアンを眺める。
「耳年増というやつよ」
そう答えながら、マリアンは前世の自分を思い出した。前世でどれだけ貴族やら商会の連中の裏取引を見て来たことか。そしてそいつらから、どれだけひどい目に会ってきたか。
だがそれはもう過去の、いや前世の話だ。私の本当の人生はお姉さまに会ってからだ。今回は前回のような過ちは決してしない。
「でもロイス、私は貴方にここを仕切ってくれとはお願いしたけど、どうして私の手伝いまでしてくれるの?」
「あんたは俺に生きる目的を与えてくれた。だからだ。あんたの目的は俺の目的なんだ」
「ふふふ――」
「何がおかしいんですか?」
「ロイス、貴方と私は似た者同士ね」
私もお姉さま為に生きている。




