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伝言

「マリアンさんに伝言だそうです」


 背後で禿げ頭の声が響いた。突き飛ばされた際に足が絡まって、思わず地面に手をついてしまった。何だここは。板床にすらなっていない。土間なんだ。


「小僧、伝言の相手は『マリアン』で間違いないんだな?」


 小屋の奥から男の声が響いた。暗がりになれていない目には顔の表情は良く見えない。薄手の暗灰色の皮の上着に袖を通さず、肩にかけている。それに初夏だというのに、革の真っ黒な手袋をしている。


「おい、聞こえなかったのか?」


 トマスは背後から禿げ頭に襟元を掴まれ、むりやり立たされた。襟首で喉が締まって息が出来なくなる。


「げほっ」


「おい!」


 禿げ頭に頭を叩かれる。痛い!ちょっと叩かれたぐらいでこれだ。殴られたりしたらどうなっちゃうんだろう?


「は……はい。そ……そうです。マ、マリアンさんに伝言で、『ふうか』からだと言えば、分かると言っていました」


「何をしている?」


 男のドスの効いた声が響く。その声にトマスは完全に震え上がった。


「し、し、失礼しました。か、勘違いだと思いますので、僕は帰ります!」


 踵を返してここから出たいのだが、禿げ頭に首根っこを掴まれていて、全く体の自由が利かない。


「あんたじゃない。さっさと客人に椅子を持ってこい。持ってきたらお前達は席を外せ」


 黒い手袋をした男が、相当にイライラした声で、禿げ頭に声を掛けた。慌てて禿げ頭が襟首から手を放す。


「はい、ロイスさん」


 禿げ頭は慌てて、僕のところに椅子を持って来ると、逃げる様に表へと去って行った。


 やっと暗闇に慣れてきた目に、男の表情が見えてきた。鋭い眼光、頬にうすっらと残る切り傷。あの禿げ頭とは比較にならない。絶対にただものじゃない。僕なんかとは縁がない種類の人だ。いや縁など持ちたくない種類の人だ。


 あの能天気娘!屋敷に帰る事が出来たら、絶対にし返ししてやる。次の料理に何が入っているか、楽しみにしていろ!


 部屋には僕と革の上着を肩にかけている男だけだ。この男の前で、一体、僕は何をすればいいのだろうか? いや違った。男の背後で誰かが立ち上がる音がした。


「ふうか?」


 奥から女性の声がした。若い声だ。暗がりから一人の少女が進み出てきた。


 年は僕と同じくらいだろうか?


 きりっとした顔立ちの美人系の顔をしている。そして長い栗色の髪を頭の後ろで束ねて、背中の後ろまで下ろしていた。この男の娘だろうか? それにしては少し年が行き過ぎている。妹? 少なくとも顔立ちは全く似ていない。


 だが身のこなしや眼光の鋭さは、とても僕らと同じぐらいの年には見えない。もっと年上なんだろうか?


「姐さん。危険ですから、俺が要件を確かめてからの方が……」


「ロイス、あんたは黙っていて。これは何よりも大事な話なのよ」


「はい」


 只者じゃない男が素直に頷く。えっ、何なんだ、この女は。どこかの顔役かなんかの娘か?


「貴方の名前は?」


「トマスです」


「トマスさんは、私宛の伝言をもらってきたということね? そして、その貴方に伝言を頼んだ人は『ふうか』と言えば分かると言っていた。間違いない?」


「はい、そうです。フレデリカお嬢様、うちのお屋敷の長女の方からそう言われました」


「そうですか!」


 何だろう、この少女が満面の笑みを浮かべて僕を見た。


「はい、命の恩人にお礼をしたいのだけど、招待することもこちらに来ることもできないので、大変申し訳ないと言っていました」


「もったいないお言葉です」


『もったいない?』


 トマスは少女の言葉に首を捻りそうになった。だがどう見ても相手の顔は真剣だ。


「それと、お使い代は金がないので、払えないとも言っていましたけど……」


 前に立つ少女が、トマスの顔をじろりとにらむ。思わず心の声が漏れてしまった。その視線の鋭さに思わず息を飲んだ。さっきの禿げ男なんかより遥かに怖い。この女も絶対に只者じゃない。あの能天気娘め!


「じ……自由になる……お金が……出来たら払うとも言っていましたので、だ……大丈夫です」


「貴方はお金が欲しくて、お使いをしたの?」


「え!」


 少女がロゼッタさんより覚めた目でトマスを見る。


「正直に話なさい。貴方ごときの嘘はこちらにはすぐ分かります」


「違いますよ。よく分からないんですけど、お嬢様が突然に僕のところに押しかけてきて、文通相手になってくれって言ってきたんです」


「文通?」


「世の中の事が知りたいとかで。それにここへのお使いも頼まれました。今までは苦労知らずの、能天気な人だと思っていたんですけど、あんまり違ったんで、言いなりになってしまっただけです」


 焦りで、調子にのってしゃべってしまった。トマスが心の中で冷や汗を描いた時だ。


「ふふふ……」


 トマスの耳に、少女の笑い声が聞こえてくる。


「流石はお姉さま。本当に流石です!」


 少女は天井を見ながら、何やら独り言をつぶやいている。


『やっぱりこの街の住人は、みんな狂っているという話は本当なんだろうか?』


 思わずそう思った時だ。少女が一歩前へ進み出ると、トマスの顔をじっと見る。トマスはその瞳のあまりの美しさに見惚れた。


「カスティオールの屋敷からここまでは距離がある。辻馬車を乗り継いできたの?」


「は、はい、結構かかりました」


「あなたのお使い代は心配しなくてもいい。こちらで色をつけて出します。ただし……」


 気が付けば、トマスの喉元にはナイフらしきものが突き立てられている。いつナイスを出したのかも、全く分からない。


「このことを、冗談半分でも屋敷の者に漏らしたりしたら、あなたはメナド川の魚の餌よ」


「は……はい……」


「よろしい。ロイス、客人に何か飲み物と食べ物を出してちょうだい。それとお使い代もね」


「トマスさん。申し遅れました。私はマリアン。この灰の街の住人です」


 そう言うと、少女は僕に上着の裾を持って頭を下げた。


「姐さん!」


「ロイス、どんな時でも挨拶は大事よ。これはお姉様からの大事な教えです。それと()()もよ」


 男が少女に向かって、やれやれという表情をし見せる。一体この二人の関係はどうなっているのか、トマスには全く持って分からない。


「まだ時間はあるでしょう? フレデリカお嬢様の話を聞かせて頂戴。ただし、私の前であの方の事を、()()()だなんて言ったら許しません。すぐに魚の餌です」


「はい、マリアンさん」


* * *


「姐さん。一つ聞いてもいいですか?」


 ロイスは戸口で、手下と一緒に堤防へと続く道を帰っていくトマスの後姿を見ながら、背後の少女に声を掛けた。


「なに?」


「ここで姐さんがカスティオールの娘を助けたという話は聞きましたけど、何でそんなにこだわるんですか? まさか、一目ぼれって奴ですか?」


「そうね。そんなものね。別に女同士というのも珍しいわけじゃないでしょう? それについて貴方が悩む必要はないわ」


 マリアンはロイスにそう告げると、口元に笑いを浮かべて見せた。


「はい。分かりました。でもこれでもう、ここで待つ必要はないですよね」


 ロイスがこちらに向かって両手を上げて見せた。流石にこの家にいるのはうんざりだったらしい。私だってうんざりだ。


 お姉さまが訪ねてくる可能性があった以上、ここを動く訳にはいかなかった。だけど伝手がついた今はここに居る必要はない。


「伝手がついたからもういい。それよりカスティオールへの繋ぎの件は?」


 お姉さまの伝言は、お姉様は動けないから私が動けという事だ。そうと決まれば時間を無駄には出来ない。


「一応、目星はついています。カスティオールと取引がある商家です。手が引けるところはもう手を引いていて、まだ付き合いがあるのは、貸が多すぎてにっちもさっちもいかないところだけです」


「中でもカスティオールに横やりが入れられそうなところはある?」


「ライサ商会でしょうかね? ですが、カスティオールと一緒につぶれるというもっぱらの噂ですよ」


「こちらの言う事を聞かせるのなら、それぐらいで丁度いい。弱みは?」


「今の主人は婿入りで嫁さんに頭が上がらないという事です。女でも作らせて脅すのが一番早いですね」


「それはまかせる。私をそこの店員か遠縁の親戚辺りにして、そこからカスティオールの侍従に推挙するように手配して。それと、それだけ旦那を尻に引いているなら、嫁さんの方も愛人の一人や二人いてもおかしくない。裏を探って頂戴。居ないなら溺れさせて。もっともこちらのいう事を聞かない連中なら、首を挿げ替えるまでよ」


 ともかく一刻でも早く、お姉さまの側にもどらないといけない。だがやりすぎて、色々な所から警戒されるのは避けないといけない。そもそもお姉さまにご迷惑をかけてしまう。


「分かりました」


「それと親族経営の商会で、力はあるのにくすぶっているやつらに目星をつけて。そう言う奴らを引き抜く算段を付けて頂戴。不満がたまっているから店に内緒で裏で何かやっているはずよ。それか女を使ってばくちにでも引き込むのでもいい」


「表の仕事もするつもりですか?」


「まさか直接はしない。だけど隠れ蓑というのはいつでも必要でしょう?」


 ロイスが驚いた顔をしてこちらを見ている。


「本当に見かけ通りの年か?」


 前世でどれだけ貴族やら商会の連中の裏取引を見て来たと思っているの? そしてそいつらから、どれだけひどい目に会ってきたか。


 だがそれはもう過去の、いや前世の話だ。私の本当の人生はお姉さまに会ってからだ。今回は前回のような過ちは決してしない。


 こうして再びお姉さまに巡り合えたのだ。お姉さま以外の誰かに心を許したり、油断するなんて事はしない。もちろん目の前のロイスも含めてだ。


「見かけよりは枯れているかもね。ロイス、貴方はどうして私の手伝いまでしてくれるの?」


「あんたは俺に生きる目的を与えてくれた。だからだ。あんたの目的は俺の目的なんだ」


「ふふふ――」


「何がおかしいんですか?」


「ロイス、貴方と私は似た者同士ね」

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