68話 黒と銀の奔流
ラグナはフェイクの様子を窺いながら変形した大剣を構えていた。しかし仮面の男はいつまでも動かずただ静かに穴の開いた天井の遙か上から見える黒い三日月を見上げている。
(……動きが無い。向こうから仕掛けるつもりはないのか。……だったら――こっちから仕掛けるまでだッ……!)
ラグナは地面を踏みぬくほどの勢いで加速すると、一瞬でフェイクの側面に回り込みその体を斬り飛ばす。その後、吹き飛んだその体を目にも止まらぬほどのスピードで追いかけ、追いつくと同時に未だ空中にあった肉体を空高く切り上げる。続いて五十メートルほど上に吹き飛び上空でたなびく黒マントを見上げながら少年は巨大な黒い三日月型の斬撃を次々に飛ばす。
その威力は凄まじいもので全ての斬撃を受けたフェイクは一瞬にして天井に深くめり込むも、斬撃の余波を受けた天井の一部が崩落したことによってその肉体は再び落下を始める。敵が落下し始めたのを見たラグナは即座に反応すると跳びあがる。そして一瞬で仮面の男の上に移動すると、その肉体目がけて剣を勢いよく振り下ろし、刃が直撃すると同時にトリガーを引いて特大の斬撃を放った。
放たれた巨大な三日月の下敷きにされる形でフェイクは地面に激突し、黒いエネルギーが爆発するようにして周囲に広がる。その想像を絶するような衝撃は鉱山を揺らした。その後、地上に着地したラグナは土煙があがる爆発地帯を注意深く見つめ始める。
一分に満たない時間だったが、その凄まじい攻撃の一部始終を見ていたジョイは戦慄しポツリとつぶやく。
「うわあ……カーネル湖でも見たが……やっぱりすげえのな『黒い月光』ってやつは……伝説にもなるわけだぜ……しかもラグナの奴……いっさい容赦してねーな……ありゃ流石のフェイクもミンチになってんじゃねーの……ってかこのままラグナが全力で戦ったらラフェール鉱山そのものが消し飛びかねねーな……ま、でも今のでもう決着ついたろ。なあ、嬢ちゃん」
「……それは……どうだろうね」
「へ……?」
険しい顔のブレイディアが指差した場所――そこには膨大な銀色の光を纏い土煙の中から現れる黒衣の男の姿があった。それを見たジョイは顔を引きつらせる。
「……ほ、ホントに人間かよ……アイツ……」
「人間じゃないかもね……なにせ首の骨へし折っても平然としてたんだもん……アイツ……」
「なんだよそりゃ……不死身かよ……」
敵に対して恐怖するジョイを横目にブレイディアは黒い光を纏った少年を見つめる。
「……ラグナ君……」
必死に戦う少年を前に見ている事しか出来ない自分に情けなさを感じながらブレイディアは唇を噛んだ。
その黒衣に入った裂け目を除いてほぼ無傷の状態で再び立ち上がったフェイクを見たラグナの頬を汗がつたう。
(……あれだけ攻撃したのにほぼ無傷……どうなってるんだ……この『黒い月光』を吸収して出来た『月錬機』はあの鉄より硬いドラゴンの体だって簡単に両断できるのに……やっぱりあの異常な量の『月光』が原因なのか……もしかしたら、あれがバリアのような役割を果たしているのかもしれない……それなら――)
ラグナは剣のトリガーを深く引き、そのままの状態を維持した。すると剣の刀身に黒い光が巻き付いていき、みるみるうちに刀身が巨大になっていく。ヴェノムドレイクと戦った時よりも太く、そして長く変形したエネルギーの刃を構えながら少年は呼吸を整える。
(これなら流石に通るはず。今度こそ――決めるッ……!!!)
ラグナはフェイクに刃が当たる場所まで跳び、勢いよく踏み込むと同時に横薙ぎで剣を振るった。一撃で文字通り精根尽き果てるほどの力で振るわれた黒く巨大な刀身は風を切り、周囲の岩を刻みながら黒衣に身を包んだ胴体に直撃する。当然その肉体は容易く両断される――。
「――なッ……!?」
――はずだった。
しかし現実は残酷な結果を出す。
なんと綿でも受け止めるようにあっさりとその剣はフェイクの右手に受け止められてしまったのだ。あまりにも簡単に受け止められてしまったため無意識に手を抜いてしまったのではないかとラグナは錯覚するも、直後剣が振るわれたことによって起こった暴風や衝撃波で置いてあった巨大な木箱や鉄箱が吹き飛び破壊された。それを見たことで決して威力が弱かったわけでは無い事を理解する。
(……どうして……威力もタイミングも完璧だった……それなのに……)
混乱するラグナをよそにフェイクは口を開く。
「――先ほどから観察していたが、お前はいったい何をしているんだ。なぜ全力で戦わない。ふざけているのか……?」
「ッ……!」
予想外のフェイクの言葉を聞きラグナは硬直してしまうも、仮面の男はそのまま話し続ける。
「……ああ、もしやとは思うが……ラフェール鉱山に被害が出ないようにと手を抜いているのか? ならば安心しろ。この鉱山で採れる『月光石』を含む鉱石はほぼ取りつくした。この鉱山にはもはや利用価値などないだろう。そのうえもはやこの鉱山にはブラッドレディスを除けばお前にとって敵しかいない。ここを壊したところでなんの問題も無いと思うが」
「…………」
「……どうした? 今話した通りだ。お前が手を抜く理由はもはや無いはず。今すぐ『黒い月光』の本来の力を解放しろ。話はそれからだ。……それとも――」
その瞬間――フェイクから怒気と殺気が合わさったような気迫が放たれラグナの全身から鳥肌が立ち、怯える少年に向かって黒衣の男は静かに問いかけた。
「――まさか今までのアレが全力だったのか……?」
「ッ……!?」
「――試させてもらうぞ」
フェイクの掴んでいた刀身が破裂するように握りつぶされ消失したその時、ラグナはわき腹に強い衝撃を受け口から血を吐きながら地面を転がり壁に激突する。咳き込みながらも倒れた体を起こし膝立ちになった少年は未だに何が起きたのか理解できなかったが、自分が先ほどまでいた場所に仮面の男が右ひざを上げた状態で立っていたためようやく状況を理解する。
(……蹴りを食らった……のか……み、見えなかった……『黒い月光』で動体視力や反射神経も通常の『月光』を纏った時より遥かに強化されているはずなのに……それに……ほとんどの攻撃を無力化する『黒い月光』の防御をただの蹴りで貫くなんて……)
脇腹を手で押さえながら立ち上がったラグナは足を降ろしたフェイクを睨み付ける。それに対して仮面の男は静かに呟く。
「これが最後だ――全力で来い。でなければさらに痛い目を見ることになる」
その言葉を聞いたラグナは拳を硬く握りしめた。
(……きっと俺の中で甘えがあったんだ……『黒い月光』の力があればフェイクがどれほど強くても勝てると心の奥で無意識にそう思っていたに違いない……全力でやると決めていたけどその甘えが今の醜態を作ったんだ……今のはこの力を過信していた代償……でも……今度はそうはいかない……今度こそッ……!!!)
ラグナは身に纏った黒い光を強めると地面を蹴った。そして壁や天井、地面を蹴りながら高速でフェイクの周囲を跳びまわり始める。音速を超える黒い光弾は動くだけで周囲に衝撃波を与え破壊し、仮面の男が身動き一つ取れない状況を作り出した。
(――これなら奴も俺の動きを追えないはずだッ……! このまま動きながらフェイクをかく乱して、その後は死角から攻撃するッ……!)
握った剣を確認すると、先ほど握りつぶされたことで刀身は元の状態に戻ってしまっていたがそれでも通常の時と同じ長さだったため安心する。その後、さらに速度を上げて行ったラグナはスピードがピークに達したその瞬間についに仕掛ける。
(――捉えたッ……!!!)
壁を蹴り黒衣の背中に向けて放たれた黒い彗星は今度こそ獲物を仕留めると思われたが――刃がその背を貫通する刹那――。
「――全力で来いと言ったのだがな……」
――仮面の奥から聞こえて来たのはつまらなそうなため息。
それが聞こえた瞬間――フェイクは眼前から消失し、直後――ラグナは何者かの手によって頭を掴まれ勢いよく顔から地面に叩き付けられる。
「が……はッ……」
その衝撃によって地面には巨大なクレーターが出来、強い衝撃を頭に受けた少年は意識が朦朧とする中で自らの頭を地面に押さえつけているフェイクの声を聞く。
「――あれだけ言ってもこの体たらく。まさか……本当にこの程度の力しか出せないのか……?」
「う……ぐ……」
「……どうやらふざけているわけではないようだ。しかし……なんというザマだ……嘆かわしい」
フェイクはラグナの首を右手で鷲掴みにすると持ち上げその顔が見えるように空中で固定する。
「……上書きは無事に終わっているように見えるが……見た目だけか……微々たる力しか感じない。やはり人為的に呼び出した『黒い月光』を浴びたところで全ての工程を終えることは難しいのか。しかしこれで合点がいった。なぜ騎士団などに所属しているのかと思ったが、どうやら記憶の方にも障害があるらしい」
「……き……記……憶……? ……障……害……? ……何を……言っているんだ……」
「……そうか……言ってもわからないか。やはりほぼすべての記憶が失われているようだな……不完全な上書きが原因なのだろうが……これではお前を待つシャルリーシャが浮かばれないな。私には関係の無い事だが……つくづく哀れな娘だ。そのうえ……なんだこれは。異物が混じっている気配がするな」
フェイクはラグナの右手を凝視するが、すぐに目を逸らし左手を見つめる。
「……まあいい。この程度のバグなどどうとでもなる。それよりも問題はやはりこの左手の力か。なるほど、この程度の力では『神』を呼び出すことなど到底不可能だな」
「……『神』を……呼び……出す……?」
「――『黒き月華は神を呼ぶ餌』――それも忘れたか? ……今のお前と話したところで意味は無いようだ。これでは『神器』さえ呼び出せないだろう。仕方ない……少しだけ手を貸してやる」
フェイクがそう言うとその両目の赤い瞳と強制的に目を合わせられる。その途端、ラグナの脳裏に見たことも無いイメージが沸き起こった。最初に浮かんだのは血のような真紅の空の下、赤、青、黄、緑、紫、銀、そして黒い満月がそれぞれの光と同じ炎のようなものに包まれて燃えるイメージ。次に浮かんだのは赤い空にヒビが入り、その中から六つの腕を持った巨人のような怪物が現れるイメージ。だが巨人の姿は霞がかっていたためハッキリとは見えなかった。
続いて浮かんで来たのは黒い鎧を全身に着込んだ人物が、赤黒い肉や目玉が付いた異形の大鎌を持ったイメージ。さらに浮かんで来たのはその生きているような大鎌で六つの腕を持つ巨人を操る先ほどの黒騎士の姿。最後に浮かんで来たのはこの世界――ムーンレイ全体が黒い光に包まれるイメージだった。膨大なイメージを脳内に流し込まれたラグナは耐えられないと言わんばかりに発狂する。
「ぐ、が――あああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
吠えるラグナをよそにフェイクは語り掛けるように言う。
「『黒き月華は神を呼ぶ餌。そして神器を以て神を操るは世界の管理者』――思い出せ。お前の役割を」
フェイクの言葉と共にラグナの体が突然熱を帯び始める。
ブレイディアの肩に乗っていたジョイはフェイクの圧倒的な強さと敗北寸前のラグナを見て驚愕していた。
「ま、マジかよ……『黒い月光』を使ったラグナがあんな一方的に……」
続いてラグナの絶叫を聞いたブレイディアは表情を歪めると駆け出そうとしたが――
「うぐ……」
――その途端、膝から崩れ落ちてしまう。どうやらフェイクとの戦いで負った傷や睡眠や休憩を挟まずに戦い続けた代償がここで出始めたようだった。
「嬢ちゃんッ!? 大丈夫かッ!?」
「だ、大丈夫……それよりラグナ君を助けないと……」
「嬢ちゃん……」
元に戻した剣を支えにして立ち上がろうとするブレイディアの姿を見たジョイは覚悟を決めたようにため息をつく。
「……俺が行く。俺は弱っちいが一瞬だけでもフェイクの注意を逸らしてみせるぜ。嬢ちゃんはその隙にラグナを救出してくれ」
「……ジョイ……」
「今ここでラグナを失うことは出来ねえからな。助けに入るタイミングは任せるぜ、相棒」
「……了解だよ。……ありがとう」
「へ、辛気臭い顔で言うなよな」
ジョイはそう言って笑うとブレイディアの指示を待った。
やがて叫ぶことさえ出来ないほど衰弱したラグナの両目を凝視したフェイクは、薄目を開けて痙攣する少年の左目が点滅するように赤く光り輝き始めたことを確認すると呟く。
「――私と共鳴した影響か……お前の中の『血』も徐々にではあるが目覚め始めているようだな。今与えたきっかけとうまく合わせればそう遠くないうちに『神』を呼び出せるようになるだろう。……だがお前が全てを思い出し、力を行使できるようになるまでただ待つほど私はお人好しではないのでな」
フェイクは掴んでいたラグナを投げ飛ばすと、地面に倒れた少年に告げる。
「――これで不安定な力も少しはマシになったはずだ。さあ立て。手早くお前を目覚めさせるには戦った方がいい。追い詰めればお前は嫌でも本来の力を行使せざるを得ないはず。そしてかつての記憶も取り戻せるだろう。荒療治になるが、これも仕方の無い事だ」
投げ飛ばされ地面を転がった衝撃で奇妙なビジョンから解放され半覚醒状態から意識を取り戻したたラグナは盛大に咳き込みながらも、ふらつく足に力を入れ立ち上がる。
(……な……なんだったんだ……今のイメージは……フェイクは俺に何をしたんだ……それにアイツはさっきから……一体何を言ってるんだ……『神』? 『神器』? 『記憶』? 『血』? ……わけがわからない……)
フェイクから強制的に奇妙な映像を脳内に見せつけられた挙句、半分寝ているような状態の中わけのわからないことを言われ続けたラグナは混乱していたが首を横に振って思考を止める。
(……いや、もういい……余計なことは考えるな……そんな余裕はない……今は目の前の敵を倒すことだけ考えろ……肉弾戦や『月錬機』が通用しない以上……もう俺に出来ることはただ一つだけ……)
ラグナは左手首に巻き付くように記された黒い文字を見つめた後、剣をフェイクに構える。そして全身から黒い光をほとばしらせる。それを見た仮面の男も全身からさらに巨大な『月光』を放つ。その大きさは半径百メートルを優に超えていた。直後両者は唱える――。
「〈ゼル・エンド〉ッ……!!!」
「〈アル・ライトニング〉」
叫ぶと同時にラグナは大剣を振り下ろし、その切っ先から黒いエネルギー波が放たれた。時を同じくしてフェイクの全身の光を吸収し左手から放たれた銀色の巨大な雷が黒いエネルギー波と激突する。黒と銀の膨大なエネルギーはぶつかり合うと、轟音と共にその区画を全てを埋め尽くすように眩い光が広がって行った。