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42話 結末

 頭に血のにじんだ包帯を巻いたボルクスは息を切らしながら、老体に鞭打ち必死に走っていた。そして歯噛みしながら先ほど自身を襲った悲劇を回想する。


(ぐ……あと一歩で逃走出来たというのにッ……! なんなのだあのメイドはッ……!)


 航空機の隠してあった廃墟に到着し乗り込む寸前に突如現れたのは目つきの悪いメイドだった。そして現れるや否や周りにいた『ラクロアの月』の構成員たちを攻撃し始めたのだ。その圧倒的な強さによって瞬く間に百人近く待機していた構成員の三分の一は殺害され航空機も破壊されてしまった。なんとか隙をつき逃げる事には成功したものの、あてもなく森を彷徨っているのがボルクスの現状だ。


(……そうだ、思い出した……あのメイドは確かベルディアス家にいた『ラクロアの月』の構成員……なるほど……潜伏していたレイナードの犬か……しかしマズイな……用意していた脱出方法全てを潰された……このままでは……)


 近くにあった木に手をつき息を整えていると不意に足音が聞こえて来た。音は徐々にこちらへ近づいてきており、やがて森の入口の方からある人物が現れた。それを見たボルクスは諦めたように力無く笑うとやってきた人物に穏やかな口調で語り掛ける。


「ごきげんよう――リリス様」


「……ごきげんよう、ボルクス男爵……」


 双剣を携え青い光を纏いながらこちらを睨み据えるリリスを見たボルクスは小さくため息をついた。


「……まったく……年は取りたくないものですな。足音が近づいているとわかっていても走って逃げることも出来ない。情けない話です」


「……男爵……もう終わりです……大人しく投降してください……」


「……そういうわけには――いかないのですよ」


 ボルクスは懐に右手を入れると小型の拳銃を取り出しリリスに見せつけた。


「……無駄です……『月詠』にそんなものは効きません……」


「でしょうな。個人差はあれど『月光』を纏った『月詠』は銃弾よりもなお速く動き、その拳は岩をも砕くとまで言われていますしね。同じ『月詠』同士ならまだしも私のような常人が武装したところで到底太刀打ちできない。しかし――これならどうですかな?」


 ボルクスは己のこめかみに銃口を突きつけた。それを見たリリスの顔はこわばる。


「私が捕まるという事は様々な情報が洩れるという事だ。なにせ騎士団には記憶を読む『月詠』が在籍していますからな。捕まるくらいなら死を選びますよ。そのくらいの覚悟はとうの昔に出来ています」


「……早まらないでください男爵……まだ王族や他の七大貴族たちには貴方の事はバレていません……このまま大人しく捕まっていただけるのなら悪いようには――」


「――リリス様。己の身や地位が惜しいのならば初めからこんな計画は立てませんよ。私もそこまで愚かではない」


「…………」


 遮るように言われた言葉は非常に静かな声で発せられた。しかしその言葉とボルクスの表情が決して揺らぐことが無い覚悟を物語っていたのだ。ゆえにリリスは説得の言葉を失った。だがそこまでの覚悟で何を為そうとしていたのか気になったのかいったん閉じた口を開く


「……教えてください……貴方の過去は兄から聞きました……だから世直ししようということは百歩譲って理解する事は出来ます……でも貴方はそんなことをする気が無いのですよね……? ……ジュリに言っていたことは全て建前……それなら貴方はこの国を本当はどうするつもりだったのですか……?」


「滅ぼすつもりでしたよ。少なくとも王都や上位貴族が関わっている主要都市は全て潰すつもりでした」


「……なぜですか……なぜ変えるのではなく滅ぼすなんて滅茶苦茶な道を選んだのですかッ……! そんなことをすればどれだけの国民が犠牲になるかわからないというのにッ……!」


「……なるほど。レイナードから私の過去を聞いたという割には全てを知っているというわけではないようだ。レイナードもそこまで掴めなかったのか、それとも知っていてあえて教えなかったのか……。まあいいでしょう。これで最後になるでしょうし、キングフローの血を引く貴方には覚えていていただきたい。昔話になりますが聞いてください――私は酔ったログリオから話を聞きアルロンの真相を調べ始めました。しかし一人で調べていたわけでは無いのですよ。私には親友と呼べる協力者がいたのです。ちょうど貴方とジュリア様のような関係ですよ」


「……私と……ジュリ……」


 リリスが呟くと同時にボルクスは懐かしそうに語り始める。


「親友の名はアレックス。彼は私とは違い平民でしたが、子供の頃に出会うきっかけがありましてな。出会った瞬間から不思議と気が合い、それからずっと気の置けない友人として付き合っていました。とはいえ彼との関係は表立ってのものではありませんでしたがね」


「……貴族は貴族同士で付き合いをしなければいけない……昔はそういう風潮が今よりも強かったと聞いています……だからですね……」


「ええ。よほどの金持ちか武勲を持つ者でもなければ貴族以外と親しい間柄になってはいけないという暗黙のルールが当時からありました。しかし私からすれば付き合う友人は選ばなくてはいけないという貴族のしがらみは面倒でしかなかった。だから人目を忍んでよくアレックスに会いに行きましたよ。そしてそれは私が家庭を持ってからも続きました」


「……だから酔っ払ったベルディアス伯爵の発言についてもアレックスさんに話した……?」


「……そうです。話を聞くや否や彼は迷っていた私に真相を共に調べようと言ってくれました。……まあ共に調べると言っても私は資金を提供していただけで、直接動いて調べてくれたのは他ならぬアレックスなのですがね。貴族である私が直接動けば気取られる危険があると、彼からの提案で私は裏方に徹しました。その後時間はかかりましたが、アレックスのおかげで真相にたどり着いた私は証拠と共にアルロンの被害者遺族を集めログリオを告発しようとしました」


「……告発……したのですか……?」


「……いいえ。アレックスに止められました。そんなことをすれば私が貴族社会から追放されかねないとね。……だから自分が君の代わりにそれをやると彼は言いました。自分には失う地位も家族もいないからと。私としては自分の手で直接行いたかったのですが、これ以上私が何かを失うところは見たくないという彼の言葉に半ば強引に押し切られました。それからアレックスは私が行う予定だった告発を彼が独自に集めて来た大勢の被害者遺族と共に行おうとしました」


「……それから……そうなったのですか……?」


「…………」


 ボルクスは拳を硬く握りしめた後、ゆっくりと口を開いた。


「……告発を行おうとしたその日の朝にアレックスは死体で発見されました。死体の損傷は酷くまるで拷問でも受けたかのように惨殺されていたようです。しかしそれは当然のように自殺として処理されました」


「……ベルディアス伯爵に雇われた殺し屋に殺されたのですね……そしてもみ消された……」


「……そうだったのなら私もこの国を亡ぼすなどというトチ狂ったことを考えずに済みましたよ」


「……え……」


「……もみ消されたというところは合っています。ですが殺し屋に殺されたというところは間違いですよ。そう……アレックスを殺した犯人は殺し屋などでは無かった」


「……では……誰が……」


「――被害者遺族ですよ」


「……な……」


 予想外の解答を聞いたリリスは思わず顔を引きつらせ驚愕した。


「……なぜですか……ッ!? ……どうして味方であるはずの遺族がアレックスさんを……」


「……ある者は一生遊んで暮らせる金を。またある者は平民ならば誰もが自慢できる職を。美しい女や珍しい宝石を手にした者もいたようですね」


「……買収……された……?」


「その通りです。告発を何らかの方法で事前に知ったログリオは部下を使って裏で遺族たちに接触し各々が望むものを全て用意した。ベルディアスの持つ途方も無い財力や権力を使ってね。もちろんそれらを用いて懐柔できない者も中にはいたようですが、そういった者たちは皆別の手段で脅されるか篭絡されました。水面下で遺族が買収されていく中でベルディアスに唯一屈しなかったのはアレックスだけでした。……ですからそんなアレックスが目障りになったのでしょう。ログリオに指示された遺族たちはアレックスを呼び出し捕らえると拷問を行い彼に指示や資金を提供していた存在――要は私のことを聞きだそうとしました。ですがアレックスは頑なに私のことを喋らなかった。その結果――私の唯一の拠り所であった親友はこの世を去りました」


「……そんな……信じられません……」


「遺族の一人を捕らえて吐かせたのでまず間違いないですよ。……私も真実を聞いた直後は信じられなかった。死んだ家族よりも己の欲求を優先するなど私からすれば考えられない事でしたよ。ですが……ベルディアスを含む七大貴族たちは過去に起きた数々の不正もそうやって民衆を黙らせることで解決してきたのですよ。そして民衆は与えられた餌で満足し決して王侯貴族には逆らわなかった。……いや、それどころか褒美欲しさに信頼や愛情を捨て進んで協力する者さえ大勢いました。その事実を知った私は認識をあらためた……この国は上だけが腐っているわけじゃない――根元の方まで腐敗しているのだとね」


「……だから……この国を壊そうとした……?」


「ええ。変えられないのならもう壊すしかないでしょう? 私の愛する家族や親友を奪ったこの国への復讐はもうそれしか思い浮かばなかったのですよ。ハロルドはこの国の民衆を蜂起させようとしていたようですが、この国の人間にもはやそんな力や意思はありません。牙を抜かれた獣と同じだ。きっとどんなことが起ろうと家畜のように飼殺される道を選ぶでしょう。まあ気持ちはわかりますがね。自分の頭で考え決めるよりも、他人に思考を委ね支配された方がずっと楽なのですから――さあ、これで私の話は終わりです」


 ボルクスは左手をズボンの左ポケットに入れると右手で拳銃の撃鉄を起こす。それを見たリリスは表情を一変させた。


「……やめてください男爵ッ……! ……私が……私がいづれ必ずこの国を変えますッ……! ……どんなに時間がかかってもジュリやラグナと一緒に……必ず……だから……!」


「一緒に……ですか。本当に信頼し合っているのですね貴方たちは。……思い返せばログリオ以外のベルディアス家の方々には本当に申し訳ないことをした。……特にジュリア様には対しては本当に酷いことをしました。彼女はログリオの娘とは思えないほど優しく責任感のある素敵な女性でしたよ。申し訳なかったとお伝えください」


「……男爵ッ……!」


 リリスは駆け出そうとしたがその前にボルクスの真剣な声が響く。


「そしてリリス様――お聞きください。これは直感に基づく見解ですが……この国は王侯貴族とは別に、何か見えない巨大な力に支配されているような気がするのです。今になって思えばこの国を変えることを諦めたのはこの国の腐敗だけではなくそれも原因だったのかもしれません」


「……巨大な……力……?」


「そうです。……貴方はこの国を変えると言ったがおそろくそれは不可能でしょう。七大貴族たちのおぞましい欲望や権力、家畜同然の民衆、そのうえ今言った異常な何かが貴方の前に立ちふさがる。私が崩壊を望んだ気持ちが未来の貴方にはよくわかると思いますよ。まあ私たちが次に進めている計画を貴方たちが突破できた場合の未来に限りますがね。ですが、もし第三の計画を突破しそれでも改革を望むのなら覚悟を持って挑みなさい。貴方はこの国を腐らせた元凶の一角――キングフローの血を引く者なのだから」


 リリスは拳銃を注視し引き金が引かれる前に地面を蹴ろうとしたが、その前にボルクスが左ポケットから十センチほどの銀色の球体を放り投げた。その瞬間、周囲にまばゆい光が満ち少女の視界を奪う。拳銃ばかりに目を向けていたのが結果的に裏目に出た。


「……く……男爵……ッ!」


 目を押さえながらリリスは進もうとしたが視界を奪われては流石にどうしようもなかった。そんな中ボルクスは小さくつぶやく。


「……後は頼んだぞ……フェイク…………今行くよ――アレックス、私の愛しい家族たち……」


 銃声が森中に木霊した。




 アルシェでの事件からちょうど一週間後――王都にあるキングフロー伯爵家の執務室。レイナードが椅子に腰かけながら机に置かれた資料に目を通しているとドアをノックする音が聞こえて来た。


「入ってくれ」


「……失礼します」


 入って来たのは白いワイシャツに黒いロングスカート、茶色い靴を履いた女性――サラだった。


「おかえりサラ。ラグナ君たちの様子はどうだったかな?」


「はい、ご報告します。まずラグナ様ですが、今日か明日にでも退院できるそうです」


「もうかい? 正直怪我の具合的にあとニ、三週間は必要だと思っていたよ」


「医者たちも驚いていました。常識外れの回復力だそうです」


「なるほど。流石は黒き痣に選ばれし者といったところか。安心したよ。それで他の皆さんは?」


「意識を失っていたセガール様を含む騎士たちも全員意識を取り戻したそうです。ベルディアス伯爵家の皆様も無事目覚め現在療養中とのこと」


「それはよかった。これでみんな幸せのハッピーエンドを迎えられたようだ」


「…………」


 ハッピーエンドという言葉を聞いたサラはうつむき、それを見たレイナードはいたわるように声をかける。


「サラ、君のせいではないよ。ボルクス男爵の件は残念だが、仕方の無い事だ」


「しかし……私が『ラクロアの月』の残党を始末することに手間取ったせいでこのような結果に……本当に申し訳ありませんでした」


「謝罪の言葉はもう十分聞いたよ。今も言ったが君のせいではない。まさか百人も手練れを残して待機させていたとはね。予想外だったよ。それに男爵の追跡に君一人だけ向かわせた私にも落ち度はある。むしろ百人を無傷で全滅させた君を誰が責められるものか。サラはよくやってくれた。ラフェール鉱山の事を聞き出せなかったことは確かに口惜しい。だが男爵をガルシィアに逃がさなかっただけでも御の字だ。それに最後の最後で一矢報いられてしまったが、目的は果たせた。ラグナ君が数を減らしてくれたおかげで魔獣は王都の防衛機能と騎士たちだけで対処できたし、犠牲者も出なかった。そしてベルディアスの弱みも握ることが出来たんだ。だからこの話はもう終わりだ、いいね?」


「……はい。……ですが最後に一つだけお聞きしてよろしいでしょうか? ……リリス様のご様子は……」


「落ち込んでいたよ。まあ無理もない。目の前で男爵を自殺させてしまったのだから。一応フォローはしておいたが、やはり精神的に回復するには多少時間が必要だろうね」


「……そうですか……」


「そんなに落ち込まなくとも大丈夫さ。あれはああ見えて結構タフだ。すぐにとはいかずとも必ず自分で立ち直るだろう。……さて、それじゃあ私は出るよ」


 立ち上がり書類とノートパソコン一式をカバンに詰めたレイナードは壁に掛けてあったコートを羽織る。


「どちらへお出かけに?」


「ベルディアス伯爵やご家族にちょっと挨拶しに行こうと思ってね。釘を刺すついでに」


「……釘を刺す……?」


「ああ。それじゃあ行ってくるよ」


「……私もお供してよろしいでしょうか?」


「いいのかい? ラグナ君達の様子を見終わったら休暇に入るはずだろう?」


「……最後まで見届けたいので」


「そうか。……なら護衛は君に頼もうかな」


「かしこまりました」


 レイナードとサラは伯爵邸を後にした。




 ジュリアはベルディアス伯爵の本邸にある広大な庭でベンチに座りながら一人空を見上げていた。


(……結局私は大勢の人間に迷惑をかけただけで何一つ変える事が出来なかった……アルロンの犠牲者たちや七大貴族たちの悪行のせいで死んでいった人々……誰もまだ救われていないというのに……)


 再び後悔の念を抱き唇を噛んでいると不意に足音が聞こえて来た。使用人たちには一人にしてほしいと言って庭に出てきたためこの屋敷の者ではないはずである。ジュリアが邪魔者に対して訝し気な視線を向けると、その人物は爽やかな声で挨拶してきた。


「ごきげんようジュリアさん」


「……ごきげんよう――レイナード様」


 レイナードが満面の笑みで挨拶してきたため、ジュリアも顔をひきつらせながらなんとか笑顔で挨拶を返す。すると満足したように頷いた青髪の美青年はベンチの近くまでやってきた。


「隣に座ってもいいですか?」


「……どうぞ」


 嫌そうな顔をしながらも左端に詰めたジュリアを見て苦笑したレイナードはベンチの右端に腰を下ろした。そして座った青年は隣の少女と同じように空を見上げながら話し始める。


「いやーそれにしてもいい天気ですね。日向ぼっこには最適な空模様だ」


「……そうですわね」


「あ、そうそう。ラグナ君が今日か明日にでも退院するようですよ」


「……知っています。今日もお見舞いに行ってきましたから」


「そうですか。今日明日共に晴れるみたいですから退院するにはちょうどいい天気だと思います。私も一度はお見舞いに行こうと思っていたのですが、結局行きそびれてしまいましたよ。もっと長引くと予想していたものですから、正直彼の回復力には脱帽しているところです。……それで一つお聞きしたいのですが――ラグナ君から私について何か聞いていますか?」


「……貴方の謀略でしたらラグナとリリから全て伺っていますわ」


「アハハ。謀略ですか。確かにそう捉えられても仕方ないですね」


 楽しそうに笑うレイナードを横目にジュリアはため息をついた。


「……それで、ベルディアス家にいったい何の御用なのですか?」


「貴方の父君とお話をしに来たのですが、その前に貴方と少し話をしておこうと思いまして。この屋敷の使用人に無理を言って貴方の居場所を聞き出した次第です」


「……なるほど、父を脅すついでに私に釘を刺しに来たということですか」


「ええ、まあそんなところです」


「…………」


 笑顔で腹黒さを隠さず話すレイナードに心底嫌そうな顔を向けた後ジュリアは口を開いた。


「……心配せずとも謀反などもう起こしませんよ」


「リリスに説得されたからですか?」


「……確かにリリと戦い説得されたからというのも理由の一つです。……しかしそれだけではありません。そんなことをすれば私をかばい虚偽の報告をしたラグナやそれに協力したリリまで国家反逆罪に問われかねないからです。私が活動を続ければあの二人がやったことはいづれ明るみに出てしまうし、そうならなかったとしても活動を続ける限りきっと二人は私をかばいつづけいづれボロを出してしまう。それに……その前におそらく貴方が二人の事をバラそうとするのでしょう?」


「流石妹を抑えて主席になっただけのことはある。聡明な方だ。これならわざわざ釘を刺さずともよかったのかもしれませんね。いつ気づいたのですか?」


「……リリから全て聞いた時です。貴方からの指示はフェイクと男爵の会話が録音されたボイスレコーダーを私に聞かせることを除けば一つだけ。ラグナが虚偽の報告をした事実を私に伝える事のみ。……貴方は私の説得に失敗した際、この事実を使い私を脅し降伏を迫るつもりだった。あの二人の命を盾にすることで」


 憎々し気に睨むジュリアを軽く受け流したレイナードは静かに語り始める。


「その通りです。王都滅亡の危機に虚偽の報告などしようものならそれは立派な反逆罪だ。まさに極刑に値するほどの罪。そしてそれを知っていながら黙って見過ごすのもまた罪に問われる」


「貴方が二人に指示したことでしょうッ……!」


「しかしそんな証拠はどこにもありません」


「ッ……!」


 立ち上がり思わず殴りかかろうとしたジュリアだったが、なんとかそれを抑えると再び座る。そして拳を震わせながら少女は口を開いた。


「……私が二人を切り捨てるという選択肢だってありました。そうなればリリは反逆罪に問われキングフロー家にも少なくないダメージがいったはずですよ」


「そうですね。ですがその事実を知った貴方に二人を切り捨てることが出来たのですか?」


「…………」


 リリスに言われた自分は友人を切り捨てられないという言葉を思い出し押し黙ってしまう。そんなジュリアを尻目にレイナードは続ける。


「そもそも貴方が謀反を企てようなどと思ったのは、七大貴族のせいで犠牲になった人々を想っての事でしょう? なら貴方があの二人――少なくともラグナ君を切り捨てることなど出来はしない。なぜなら――ラグナ君を犠牲にするということは無関係で善良な人間の命を犠牲にすることに他ならないからだ。ましてそれが自分のせいならなおさらだ。それをやってしまえば貴方も他の七大貴族と一緒になってしまいますからね。それがわからない貴方ではないでしょう。……まあ仮に要求を突っぱねられていたとしても別の手段を用意したまでですが」


(……まだ何か手段を残していたというのですか……いえ、この男なら他に手段をいくつか用意していたとしても不思議ではない……どのみち私は屈していたということですか……)


 このまま問答を続けてもレイナードを言い負かすことなど出来ないと悟ったジュリアは脱力し静かに喋り始める。


「……そこまでしてベルディアスの弱みを握って……そしてそれを利用し特務大臣になったとして……貴方は何がしたいのですか」


「決まっているじゃないですか――この国を支配し私の望むように変えるためですよ」


(……やはりこの男も他の七大貴族と同じ……私利私欲のために権力が欲しいのですね……)


 ジュリアがあらためてレイナードを軽蔑していると、件の男は再び口を開く。


「ところでジュリアさん、貴方はまだこの国を良くしたいとお考えですか?」


「……当たり前でしょう。変えたいに決まっています」


「そうですか。ならば、この国を変えようとしている先輩としてアドバイスを送りましょう。まず一つ――行動を起こす前に己の行動が起こすであろう余波を考えなさい。今回貴方は己の行動を顧みずに動いた結果、友人二人を危険にさらしたうえ私に利用された。いいですか? 貴方が考えている以上にジュリア・フォン・ベルディアスという人間が起こす余波は凄まじいのですよ。それに影響された貴方の友人二人を思い返して見てください――一人は黒い月光を持ち『英雄騎士』の称号を持つ者ともう一人は七大貴族キングフローの血を引く者。二人とも社会に影響を与えかねない人物だ。そして今回の騒動でこの二人の運命を貴方が変えてしまいそうになった。二人の運命が変わればその周囲の人間の運命もまた変わる。良くも悪くもね。貴方が作り出した波紋が広がり影響を与えた結果、今回は悪い方向に傾きかけましたよ実際」


「…………」


「二つ目――貴方は少々潔癖すぎるきらいがあります。どれほど美しい理想を掲げようと、全ての不正を正すことなど出来はしないのですよ。それに……我々が清らかに生きたいとどれだけ願おうと、我々の中に流れる血がそれを許しはしないでしょう」


「……だから……汚い事にも目をつぶれと……?」


「程度によりますがね。もちろんすべてを見過ごせとは言いませんよ。ただ、人間という生き物は大なり小なり汚い部分を持っているものです。貴族であろうと平民であろうとね。ですから本当にこの国を変えたいと願うのなら、清濁併せ呑む器を育てなさい。そうでなければこの国を変えることなど到底できませんよ。まして貴方のようにその場の考えに流されクーデターを起こそうとする幼稚な思考ではね。まあ貴方がこの国を内側から変えることを拒否しクーデターで変えようとした理由もよくわかりますが」


「……貴方に何がわかるというのですか……」


「わかりますよ。貴方がこの国を内側から変える際に最も恐れたのは王侯貴族からの抵抗などでは無い――貴方が真に恐れたのは隠蔽されたおぞましいこの国の貴族の歴史そのもの。それを垣間見る事を貴方は恐れたんだ。貴方はもうこれ以上汚いものを見たくなかった、背負いたくなかった。そうでしょう?」


「ッ……!」


「この国を内側から変えようとするならば貴族社会の闇を嫌でも目にしなくてはいけない。だから貴方はそれらの責任から逃げるために外側から壊すという安易な手段を取ろうとした。これ以上自分が穢れたくなかったから。自分の中に流れる血が穢れていると知りたくなかったから」


「ぐ……」


 図星を突かれ悔しそうに歯を食いしばったジュリアを見たレイナードはベンチから立ち上がると同時に告げる。


「よく覚えておいてください。政治とはそんなに簡単なものではないのです。七大貴族は確かに外道に等しい行為をしてきましたが、ですがそれでもこの国をずっと守って来た。それは彼らが綺麗ごとだけでなく現実を見つめて来たからです。この国の為を想うのならば貴方もそうならなければいけない。どれだけ呪おうと、恨もうと、貴方もまたこの国を腐らせている七大貴族――ベルディアスの血を引く者なのだから」


「…………」


「私の言いたいことは以上です。話はこれくらいにしておきましょう。それではジュリアさん、失礼します」


 レイナードは笑顔で一礼すると去っていった。その後、しばらくうつむいていたジュリアだったが、やがて顔を上げると――。


「ああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


 髪の毛をかきむしりながら叫び始めた。


(あんな、あんな男に好き放題言われて何も言い返せなかったッ! 事実だったから、何も言い返せなかったッ! 実際私のせいでラグナもリリも危ない橋を渡らざるを得なかったし、綺麗ごとだけでは国は変えられないというあの男の言葉も間違ってはいないッ! 責任から逃げるためにクーデターを起こそうとしたと言われて、自分でもそうかもしれないと思ってしまったッ!)


 ひとしきり叫びボサボサになった髪から手を離したジュリアはゆっくりとベンチから立ち上がる。


(……このままでは終われない。今回は私の浅はかな考えで多くの人に迷惑をかけたうえ失敗した。でも次はこんな醜態は晒さない。それに……レイナード――あんな男にこの国は渡さない。絶対に私が変えてみせる。……いや、きっと未熟な私一人では無理でしょう。でも……私には一緒に歩んでくれる友人たちがいる。今度は全員の力でこの国を変えよう。今すぐは無理でも、力をつけて必ず。そのためには――)


 ジュリアは立ち上がると伯爵邸の書斎に向けて歩き始める。


(――こんなところで油を売ってなどいられません。いいでしょう、レイナード。貴方の言う通り己の器を育ててみせましょう。そしていづれ貴方を超える器になってみせます。その時は、私が貴方を利用しますよ。覚悟しておきなさい)


 ジュリアは決意の光を目に宿し歩を進めた。




 レイナードは木陰で待機していたサラの元に歩いて行った。


「やあ。待たせたね」


「いえ……それよりも……落ち込むジュリア様に発破をかけるのは良い事だと思うのですが、もう少し言い方があるかと……叫んでいましたよ最後……」


「アハハ。ジュリアさんらしいね。だがこれでいいのさ。彼女はどうも負けず嫌いみたいだし、ああいうふうに言った方が効果的だろう。それにさんざん彼女を利用した私がいまさら優しい言葉をかけようものならかえって疑われて私の言葉が彼女に届かないかもしれないからね」


「……しかし煽られてまた過激な行動に出る可能性もあるのでは?」


「大丈夫さ。ジュリアさんがクーデターに参加したのは家族が人質に取られた状態で、ベルディアスの真実を聞かされたからだ。彼女もまだ十七歳の子供、一度にいくつもの事態に見舞われて混乱してしまったのだろう。それで持ち前の優しさと生真面目さ、責任感の強さから結果的に暴走してしまった。だが彼女は賢い、一度冷静になればもうあんな真似はしないさ。それに彼女にはリリスやラグナ君がついている。何かあれば今度こそリリスたちを頼るだろう」


「……それならばいいのですが……」


「心配しなくともいいよ。彼女は今回の件で人の上に立つ者としての自覚が芽生え一皮剥けるだろう。しばらくは騎士として活動するだろうが、いづれは政治の道を志すはずだ。そしてきっと将来いい政治家になる」


「ずいぶんと買っていらっしゃるのですね」


「まあね。人を見る目には自信があるんだ。さあ――それじゃあベルディアス伯爵を脅しに行こうか」


「……そんな爽やかな顔で物騒なことを仰らないでください……」


 レイナードの後について行く形でサラはベルディアス伯爵邸に入って行った。

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